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Step.8「論理へのとらわれ」というゴミを捨て「ひらめき脳」を手に入れる

考えていると頭がゴチャゴチャしてきて、考えるのが嫌になる。自分は頭が悪いらしい……。天才と呼ばれる人たちの頭の中を知りたい。

人が思いつかないようなアイデアを出せるようになりたい。ひらめきは、論理を超えたところに生まれます。

目次

天才はAからDへ行く

透明人間をテーマにした『インビジブル』(2000年公開・米国)という映画があります。

天才的研究者の主人公が、自分を実験台にして透明人間になるのですが、透明の体からもとの見える体に戻すところでトラブルが発生し、戻れなくなってしまいます。

主人公の同僚が、もとの体に戻す方法を試行錯誤している最中に、自嘲気味にこんなセリフを言います。

「俺はBとCで行き詰まっている。彼(主人公のこと)はAからDに行く」この同僚は答え(D)を求めて、論理的にA→B→Cと順を追って思考して、BとCで行き詰まっている。

一方、天才的な主人公は、Aから一気にDへ行くことができる。

つまり、このセリフは、「論理的にA→B→Cと順を追って考えていては、答えはひらめかない」ということを示唆しています。

「Aから一気にDへ行く」これが、頭がいい人の思考法の秘密であり、天才的なひらめきを生む秘訣です。答えがある問題というものは、分かるときには一瞬で分かるものです。

1秒で答えを出そうが、10時間考えようが、100時間考えようが、答えは同じ。

本当に頭のいい人は1秒で答えを出し、そうではない人は何百時間も考えます。

では、その1秒と数百時間を分けるものはなんなのでしょうか。現状の外のゴールを実現するための「ひらめき脳」のつくり方が、このステップのテーマです。

言語の限界

論理的にA→B→Cと順を追って思考し、BとCで行き詰まるのはなぜか?そこから考えてみましょう。答えを出そうとして考えるとき、多くの人は習慣的に順を追って考えています。

そしてA→B→Cと順を追って考え、BやCで行き詰まります。

例えば、「自分はXがいいと思ったんだけど、部長にYがいいと言われた。部長がYがいいと言った理由を仮にZだとすると、ZとYは矛盾してるよなあ。どうすりゃいいんだ?」といった具合です。

このように何かを考えているとき、私たちは意識しているにせよ、していないにせよ、言語で思考しています。

言語とは、「私の名前は米地人生まれは東京都」というように、文字・単語を順番に連ねて情報を伝達するものです。

そして、言語による思考も、「今日の晩は何を食べよう?→昼にとんこつラーメンを食べたな。→だから夜はさっぱりしたものを食べよう」

というように、順番に、直線的に展開していきます。

このように、人間は考えるときに、言語という直線的に順次展開する道具を使い、しかも考える中身もA→B→Cと順番に直線的に展開しがちです(「直線的に展開する」ということは、文字通り1本の線のように進むことであり、同時に何本もの線が入り乱れたり並行したりして進むことはない、ということです)。

ところが、現実の事象は、順番に直線的になど展開しません。

一つの事象の中のいくつもの要素が絡み合いながら一挙に展開し、刻一刻と変化し、それと同時に他の事象とも絡み合って相互作用しながら進みます。

例えば、「歩く」という動作を言葉で記述しようとしてみてください。

「まず、右足の足裏を地面から離します。そして、左足に重心を移動して、右足を前に運びます」と順番に記述したとしましょう。

しかし現実には、「右足裏を地面から離す」ために、「左足に重心を移す」「右足の大筋を使って足を運ぶ」「右足の膝が曲がる」「足首が曲がる」「左足も関節を曲げる」などの現象が同時に進みます。

「歩く」という動作一つをとっても、言葉で正確に記述することはできません。

このように、現実の事象は順次直線的に展開しないため、言葉で物事を順次直線的に記述、思考することにはおのずから限界があるのです。

「考えていると頭がゴチャゴチャしてきて、考えるのが嫌になる……」という場合は、順を追って直線的に考えていることがネックになってしまっているのです。

いくつもの要素と事象が絡み合いながら同時に複合的に展開しているのに、それを順を追って整理しようとしても無理なのです。

全体が分かることで部分が分かる

順を追って考えることの弊害がもう一つあります。順を追って考えるということは、常に部分にフォーカスしているということです。

もう一度先ほどの「歩く」という動作を例にしましょう。

歩くという動作を順を追って説明しようとすると、「右足裏が地面から離れ、重心が左足に移動し、右足が前に運ばれ、そのとき膝関節が曲がり……」という具合に、順番に部分にフォーカスしていくことになります。

しかし、実際の歩くという動作は、体の各部が互いに連動し合いながら全身が同時に動いているのです。

ですから順を追って部分にフォーカスしていては、歩くという全身の動作を正確に理解したり記述したりすることはできません。

このように、現実の事象は、全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しています。

したがって、部分を順に追うだけでは全体は分かりません。全体が分かることで部分が分かるのです。

「全体が分かることで部分が分かる」とは、つまりこういうことです。

歩くという動作の場合、足首の動き、膝の動き……と各部分だけを見ていても、その人が歩いているのか、あるいは片足を前に出してボールを投げようとしているのか分かりません。部分を見ているだけでは各部の動きの意味・意図が分からないのです。

しかし、全体を見て「歩いている」ことが分かれば、足首や膝が「歩くために曲がっている」のだと分かります。

これが、全体が分かることで部分が分かるということです。もっと分かりやすい例を出しましょう。

言語も全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しています。

例えば、「くもが見える」と聞いたとき、その「くも」が「蜘蛛」なのか、「雲」なのかは分かりません。

しかし、「くもが見える。向こうの山の方に」と言われたら、「雲」だと分かります。

「くもが見える。向こうの山の方に」という全体が分かってはじめて、「くも」が「雲」だと分かる。

つまり、全体が分かることで部分が分かるのです。

しかし、このようなことが明らかにされたのはつい最近、1980年代半ばにポストモダニズムが登場して以降のことです。

ニュートンが古典力学を確立した17世紀から1980年代半ばまで、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードでした。いわゆる構造主義の考え方です。

つい最近までのおよそ300年もの間、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードだったため、人々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれています。

しかし、実際は違うのです。

全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かるのです。

この全体と部分との双方向の関係を「ゲシュタルト」といいます。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」といいます。

頭のゴミが多い人は部分の迷路に迷い込む

ここで念のために言っておきますが、私は論理的思考力そのものを必要ないと言っているのではありません。

順を追い筋道を立てて考える論理的な思考力はもちろん必要です。それは思考力の基礎です。また、人に話すときはなおさら論理的な構成力が不可欠です。

ただし、本当に頭のいい人は、必要に応じて論理的な構築力を使い、また必要に応じて論理を超えることができます。

論理と不即不離の関係を保ち、論理にとらわれるということがありません。

例えば、論理性に欠ける話を聞いてもちゃんと自分の頭で論理的に整理し、論理的にフィードバックする。

あるいは、論理的に話していたかと思うと突然、論理を飛び越えてズバッと核心を突く一言を投げかける。

そんな具合です。

私が言っているのは、論理にとらわれてはいけないということ。「考えているうちに頭がゴチャゴチャしてくる」という人は、順を追っているうちに、順を追うことに精いっぱいになってしまっているのです。

そして、A、B、C……と順に考えているうちに、「自分はそもそも何を解決しようとしていたんだろう?」「自分は何を求めていたんだろう?」と、迷路に迷い込んだように、自分が何を考えていたのか分からなくなってしまう。

「論理(部分)を追っているうちに、論理(部分)の迷路に迷い込む」ということが、あなたの思考とひらめきを曇らせる頭のゴミの正体です。

そうなってしまうのは、ゲシュタルトができていないからです。

本当に頭のいい人は、ゲシュタルトができているので、たとえ必要に応じて順を追って思考しても、自分の頭の中で迷路に迷うということがありません。

ゲシュタルトができていることによって常に全体が見えているからです。部分を追いつつ、その部分が全体とどう相互関係しているのかが分かっています。部分を追いながら、常に全体が見えている。部分にフォーカスするのも、全体を俯瞰するのも、自由自在にできる。

それが本当に頭のいい人であり、それができるのはゲシュタルトができているからです。

頭のいい人は部分だけで全体が分かる

とはいえ、ゲシュタルト能力はべつに天才の特権ではありません。私たちは誰もが日常的にゲシュタルト能力を使っています。

例えば、山登りに行って、見たことのない珍しい色と羽の形の鳥を見たとします。

しかし、そのはじめて見る生き物を、私たちはちゃんと鳥だと認識できます。

なぜでしょう?もし私たちの鳥という概念が、これまで見たことのある鳥だけを集めて(つまり部分を集めて概念全体をつくって)「これが鳥である」と定義したとしたら、はじめて見る鳥を鳥だと認識できません。

反対に、「鳥とは羽で空を飛び、脚が2本ある」と定義したら(つまり先に概念全体を決めてしまったら)、飛ばない鳥や大きなトサカを持つ鳥は鳥ではないことになってしまいます。

すなわち、私たちの鳥という概念は、個々の鳥という部分の寄せ集めで定義されているわけでも、鳥という概念全体が定義されて個々の物理的な鳥に提供されているのでもない。

個々の鳥という部分と、概念全体とが、双方向的に関係しているというゲシュタルトなのです。

このゲシュタルトができていることによって、私たちははじめて見る鳥でも「鳥だ」と分かるのです。

ゲシュタルトができていれば、全情報を手に入れなくても、部分情報を手に入れただけで、それが何か一瞬で分かります。

部分情報が分かれば、同時にほかの部分情報も分かるのです。

森の中で、鳥が見えていなくても、木の上から鳥のさえずりが聞こえただけで、鳥がいると分かる。

それと同じように、あるテーマについてゲシュタルトができていれば、はじめて聞く話でも、そのテーマに関連した話なら、その話が何を意味するのか、自分にとってどう重要なのかが一瞬で分かります。

これが、冒頭の映画の主人公のように「Aから一気にDへ行く」ということです。

「BとCで行き詰まる」人は、A、B、Cという部分を順に追ううちに迷路に迷い込みます。そして迷路の中で、長い間、頭を抱えることになります。

一方、「Aから一気にDへ行く」人は、ゲシュタルトができているから、Aという部分情報から全体が分かり、一気にDという答えに到達できます。

一瞬で答えがひらめくのです。

こういう人は、鳥のさえずりを聞いただけで「鳥だ」と分かるのと同じ能力を、さまざまな分野で発揮できます。

そのようにゲシュタルト能力を高めているということが、頭がいい人の思考法の秘密であり、ひらめきを生む秘訣なのです。

現状の外のゴールは、ゲシュタルト能力によって叶う!

そして、ここからが大切なのですが、ステップ7で私がゴールは現状の延長線上ではなく「現状の外に設定せよ」と述べたのも、実はまさにこのゲシュタルト能力を人間が備えているからです。

「ゴール」と「現状の自我」という抽象度の違う次元の間に、臨場感という橋を架けることで、現状の自我が認識できる部分情報とゴールの世界(全体)との間に双方向性が働いてゲシュタルトがつくられます。

双方向性が働いて1個のゲシュタルトができるということは、その橋が架けられた状態がコンフォート・ゾーンになる。つまりそのゲシュタルトにホメオスタシスが働くということです。

そうなればしめたもの、体の各部位や体全体が連動して展開することで歩行が実現するように、今の自分(部分)となりたい自分(全体)が双方向的に関わり合い一つの大きなフレームを瞬時につくり上げることができます。

ゴールが見えなくても関係ありません。

むしろ、ゴールが見えない方が、このプロセスの中でスコトーマがはずれ、ゴールに有用なものがどんどん現れ、ゲシュタルトがより強固になる。

結果いつのまにか現状の外にある抽象度の高いゴールが叶うのです。これが、現状の外のゴールが叶うメカニズムです。

私たちは本書で見てきたようにこの世に生まれ落ちたときから、さまざまな他者からの洗脳を浴び続けています。

「現状の環境」と「自我」の間にゲシュタルトを築き、無意識にそこをコンフォート・ゾーンにして生きてきたといっていいでしょう。

いわば、社会的洗脳状態というゲシュタルトを日々強化しながら生きているのです。しかし、それでは私たちが本来持つ無限のポテンシャルは発現できません。

現状の外のゴールを利用したゲシュタルトのおかげで、過去も他者も能力も関係なく、私たちは無限の可能性を開花させることができるのです。

ゲシュタルトを拡張せよ

では、ゲシュタルト能力を高めるには何が必要なのでしょうか?実は犬や猫もゲシュタルト能力を使っています。昨日と違う皿で違うエサを出されても、ちゃんとエサだと認識できます。

それはエサのゲシュタルトができているからです。しかし、犬や猫はゲシュタルトを拡張していくことはできません。

ゲシュタルトを拡張できるのは人間だけです。

人間はクルマのゲシュタルトをつくり、ワインのゲシュタルトをつくり、ビジネスのゲシュタルトをつくり……という具合に、ゲシュタルトを拡張していくことができます。

このようにゲシュタルトの拡張には、抽象度を上げて知識を増やすことが必要です。

例えば、ワインのゲシュタルトができているということは、個々のワインを口に含んだだけで、あるいは香りをかいだだけで、そのワインがどこで、いつ、どんな果実を使って醸造されたのかが一瞬で分かります。

そういうことが一瞬で分かるのは、情報空間における視点(抽象度)が高く、かつワインに関する豊富な知識があるからです。

しかし、抽象度が低く、知識が少ないと、「ブドウのワインについてしか分からない」となります。

リンゴやサクランボでつくられたワインについては分かりません。

そこから抽象度を上げて、知識が増えると、「ブドウとリンゴのワインなら分かる」ようになります。

さらに抽象度が上がり知識が増えると、「ブドウでもリンゴでもサクランボでもワインのことなら分かる」となります。抽象度が上がれば、同時に知識も増えていきます。見渡せる範囲が広がるため、入ってくる情報も増えるのです。

クルマが好きな人は、排気音を聞いたりテールランプを見たりしただけで、そのクルマの車種が分かります。

それは多岐にわたる車種を見渡すのに十分な高さまで情報空間の視点が上がっているからであり、排気音やテールランプの知識があるからです。

ただし、「あの排気音はあの車種」と単純に部分同士の知識をマッチングしているだけではありません。

「あの排気音ははじめて聞くけど、全体の中の分類からすると、おそらくあの車種だな」と、排気音という部分情報とゲシュタルト全体の情報とを双方向的にマッチングしているのです。

人間はさらに抽象度を上げていくと、ゲシュタルトとゲシュタルトを合わせて新たなゲシュタルトをつくることができます。

例えば、製鉄会社に勤めていて鉄鋼にくわしい男性が、美術館で宝飾品を見て以来、貴金属に興味が出て調べ始める。

そして、鉄鋼のゲシュタルトと、貴金属のゲシュタルトが合わさって、金属のゲシュタルトという大きなゲシュタルトができる、という具合です。

このとき、この人の抽象度は以前より上がり、知識も増しています。

頭のいい人は、さまざまなゲシュタルトをつくり、それらのゲシュタルトを合わせ、さらに大きなゲシュタルトを自分の中につくりあげています。

いわゆる「IQが高い」という人は皆、抽象度が高く、知識があり、大きなゲシュタルトを持っています。

頭のいい人のことを「あの人は打てば響く」と言いますが、それはその人の中に大きなゲシュタルトができているからです。

大きなゲシュタルトができているからどんなジャンルのどんな情報が入ってきても、ゲシュタルトの中のさまざまな情報と響きあい、相手が思ってもみない角度から面白い意見を言うことができるのです。

つまり、ゲシュタルトが大きければ、ちょっとした情報のインプットに対し、多様なアウトプットができるということです。

大ヒット商品を生みだした人がアイデアをどう思いついたかを聞かれ、「友達が言った何気ない一言でピンときて……」とか、「たまたま入った店で見たものがきっかけで……」というように答えることがよくあります。

それも、その人の中に大きなゲシュタルトができていたからです。

大きなゲシュタルトができていたから、ちょっとした情報のインプットがゲシュタルトと響きあい、とんでもないアイデアをアウトプットしたのです。これが、アイデアマンやヒットメーカーと呼ばれる人の頭の中で起きていることです。

矛盾もそのまま頭の中に放り込む

ですから、「人が思いつかないようなアイデアを出せるようになりたい」というのなら、抽象度を上げて知識を増やし、ゲシュタルトを大きくしていくことです。

そして、課題を頭の中に放り込んでおくのです。答えを求めて下手に筋道を追うといけません。「ひらめき」は論理からは生まれません。「ひらめき」を生むのはゲシュタルトです。

ゲシュタルトをつくり、課題を頭に放り込んでおくと、あるとき入ってきたちょっとした情報がきっかけとなって、ゲシュタルトからポーンとアイデアが出てきます。

例えば「ヒット商品の企画を思いつきたい」というとき、「トレンドがこうで、技術的にはこうで、コスト的にはこうで、マーケット的にはこうだから、こういう線で狙えばいいんじゃないか」と要素を積み上げて考えるのは一つのやり方です。

しかし、そのやり方では、現状の延長線上のちょっとしたヒット商品はつくれても、新しいトレンドをつくるようなアイデアはひらめきません。

「誰も考えつかないような、とんでもないヒット商品を生みだしたい」というのなら、現在のトレンド、技術的問題、コスト的問題、マーケット情報、そして自分がつくりたい商品のイメージなどの要素を、ぜんぶ頭の中に放り込んでおく。

ただし、このとき、そのビジネス分野に関してある程度の大きさのゲシュタルトができていることが前提です。

ゲシュタルトが大きければ大きいほど、あるとき入ってきたインプットが、放り込んでおいたさまざまな情報や課題と響きあい、意表を突くアウトプットが出ます。

「ヒット商品を生みだしたい」というとき、多くの場合、技術的問題とコスト的問題は矛盾し、「これまでの売れ筋情報」と「まったく新しいトレンド」も矛盾します。

しかし世界はもともと矛盾に満ちています。どっちを向いても矛盾があって当たり前なのです。技術的問題とコスト的問題の矛盾もあって当然です。

それなのに、要素同士の矛盾にフォーカスし、その矛盾にとらわれ、矛盾を論理的に解決しようとすると、近視眼的になり、抽象度が下がり、迷路に迷い込みます。

世界は矛盾があって当然なのですから、矛盾も含めてぜんぶそのまま頭の中に放り込んでおく。

そうすれば、思いもよらないやり方で矛盾を解決するようなアイデアがポーンと出てきます。

知識を増やすためにもゴールを持て

抽象度を上げて知識を増やすことが重要と言いましたが、しかし知識は増やそうと思って増やせるものではありません。

「知識を増やす」という目的で知識を詰め込んでも、それはゲシュタルトの一部にならないのです。

知識がゲシュタルトの一部となるのは、その知識を興味を持って取り込んだときだけです。

心から興味を持って知識を得ないと、ゲシュタルトを大きくすることにはならないのです。

受験勉強で詰め込んだ知識のほとんどを皆さんが忘れてしまっているのは、興味を持って取り込んだからではなく、ゲシュタルトの一部とならなかったからです。

興味を持って取り込み、ゲシュタルトの一部となった知識は、取りだしたいときに自在に取りだすことができます。

クルマが好きな人が、排気音を聞いただけで、思いだそうとしなくても「あの車種だ」とひらめくのと同じです。

では、興味を持って知識を取り込めるのはどういう場合かというと、それは単純に趣味の好きなことに没頭しているときか、「心から望むゴールのために知識を取り込んでいるとき」です。

漫然と本を読んでも、読んだはじから忘れていきますが、自分のゴールに意味がある本や、読んでいるうちにゴールと結びついた中身は忘れません。

抽象度を上げて知識を増やしゲシュタルトを拡張することにおいても、これまで述べてきたように「心から望むゴールを持つ」ことが重要なのです。

ゲシュタルトができる感動

ヘレン・ケラーの少女時代を題材にした『奇跡の人』という映画を観たことはありますか。

ご存じのように、ヘレン・ケラーは2歳のときに高熱にかかり、聴力と視力を失い、言葉を話すこともできなくなりました。

聞こえず、見えず、言葉を知らないのですから、親は教育することができず、ヘレンは野生児のように傍若無人にふるまいます。

そんなヘレンを教育したのが、家庭教師として派遣されてきたアン・サリバンです。サリバンも子どもの頃は弱視でした。

サリバンは自身の経験を活かし、ヘレンに指の形で文字の存在を教え、物にはそれぞれ名前があることを教えていきます。

例えば、ヘレンがケーキを食べると、ヘレンの手を握って指でアルファベットの形をつくり、C、A、K、Eと教えます。

そうしてヘレンは〝KEY〟(鍵)や〝WATER〟(水)などさまざまな物の名前を教わっていきます。

しかし、ヘレンは、「それぞれの物に名前がある」という〝意味〟まで理解していたわけではありません。

鍵に触れたら指でK、E、Yの文字をつくる。水に触れたら指でW、A、T、E、Rの文字をつくる。それをただフィンガーゲームのルールのように認識していただけでした。

ところが、あるとき、ヘレンとサリバンが井戸で水を汲んでいたとき、ヘレンは手で水に触れると突然、〝WATER!WATER!〟とサリバンの手を取り手のひらに指で書き始めます。

そのとき、ヘレンの中で「それぞれの物に名前がある」という〝意味〟が分かったのです。

物と名前の関係という巨大なゲシュタルトが突然できたのです。

〝WATER!WATER!〟という指文字はゲシュタルトができた喜びの絶叫でした。それからヘレンは手で地面を叩きます。

サリバンは歓喜の声で〝Ground!〟と叫びながらヘレンの手にそう書きます。ヘレンはポンプを手で叩きます。

サリバンは〝Pump!〟と叫びながらヘレンの手を取りそう書きます。ヘレンは木を叩き、庭の階段を叩き、鐘を鳴らし、父と母と抱き合います。

ヘレンの中ではじめて、WATER、PUMP、TREE、STEP、BELLという指文字が意味を持ち世界とつながったのです。

つまり、ゲシュタルトができたのです。

新たなゲシュタルトが構築され、ヘレンの世界が一気に豊かになった右の場面は、映画でもとても感動的なシーンです。

バラバラだった情報がつながり、ゲシュタルトができるという体験は、このシーンのヘレンのように大きな歓びを伴うものです。

これを引き起こしたアン・サリバンは後にMIRACLEWORKER(奇跡の人)と賞賛されます。

このように我々コーチの仕事はスコトーマに隠れていたクライアントのゲシュタルトの発見を促し、さらに新しいゲシュタルト構築をお手伝いすることです。

そして新たなコンフォート・ゾーンをリアルに、豊かに感じてもらうことです。本書もそれを目的として書きました。

読者の皆さんがそれぞれのゴールに向かって、皆さん自身の「奇跡の人」なられることを願ってやみません。

三つの悩みへの回答「論理へのとらわれ」というゴミを捨てるとゲシュタルトが拡張できる。

そして「奇跡の人」になれ。

Step・8のポイント

●考えていて頭がゴチャゴチャしてくるのは、論理(部分)にとらわれ、論理(部分)の迷路に迷い込むから。

●ゲシュタルトができていれば、部分が分かれば全体が分かる。したがって部分にとらわれることがない。

●ゲシュタルト能力によって、人は「現状の外のゴール」を叶えることができる。

●コーチはクライアントにゲシュタルト構築を促す。自分自身のコーチになろう。

あとがき

2011年3月11日の東日本大震災は、発生から1年と3カ月が経った今も、日本に長い影を落としています。

しかし私たちはその暗がりの中にも光を見つけることができます。

震災後間もない被災地でボランティア活動に当たったある青年から、こんなことを聞いたことがあります。

「被災して体育館で暮らしている男性が、東京に帰る準備をしている僕の肩を叩きながら、『がんばれよ!』って言ったんです。

家も仕事も財産もなくした人が、東京に家も仕事もある僕に、温かい目で、『がんばれよ!』って。被災地で元気をもらったのは僕の方でした」

私たち人間は助け合うことができます。励まし合うことができます。勇気を与え合うことができます。悲しみも喜びも分かち合うことができます。私たち一人ひとりが自分中心であることをやめるならば……。

被災地では依然として多くの人々が困難の中にいる一方で、被災地の外側では非常時モードは解かれ、震災直後に発揮された互助精神はもはや薄れつつあるようです。

そうして再び、少なからぬ人々が、個人的な悩みと自分のための欲望で頭を一杯にし、煩悩でみずからを苦しめてしまっているようです。

しかし、人間は自分のためだけに生きていては幸せにはなれません。自分以外の人のために行動してこそ人は幸せになれるものです。

悩みや不安や怒りで頭がモヤモヤしているのなら、今すぐ試しに、身近な誰かを喜ばせる小さな行動をしてみてください。

同僚が仕事のトラブルを抱えているなら、一緒に問題を解決してあげましょう。電車の座席を譲ったり、家族にプレゼントを買って帰るのもよいでしょう。

あなたの行動で誰かが喜ぶのを見るとき、あなたの頭のモヤモヤは消えるはずです。誰かのために行動すること。

それが、あなたが頭のゴミを捨て、幸せな人生を生きるために欠かせない一歩です。

他人のために行動する喜びを知ったなら、次はより多くの人々のために行動してください。より多くの人々のためになるゴールを掲げ、その仕事に本気で人生を捧げてください。

今、日本は、震災の痛手に加え、政治の迷走、経済の低迷、少子高齢化、心の病の増加など、暗く右肩下がりの話題に事欠きません。

海の向こうでは抑圧と戦争と飢餓が続いています。

しかし、私たち一人ひとりが、誰かのために行動する喜びを知り、そしてより多くの人のために行動しようと立ち上がるなら、世界は変わる。

必ず変わります。

あなたが頭のゴミを感じてモヤモヤしているのは、あなたが「自分の人生はどこかおかしい」「世界はどこかおかしい」と気づいているからです。

「おかしい」と気づいているからあなたはモヤモヤしているのです。

もしもあなたが現状に満足してしまっているのなら、「頭をスッキリさせたい」と考えることなどないでしょう。

頭がモヤモヤしているあなた、頭をスッキリさせたいと考えているあなたは、今、自分を変え、世界を変えるスタート地点に立っているのだといえます。

これからどこへ向かうのか。ゴールを決めるのはあなたです。曇った現状の外側へ。クリアな未来へ。一歩を踏み出すあなたにとって、本書が良きナビゲーターとなれば幸いです。

米地人

「あたまのゴミ」を捨てれば、一瞬で脳が目覚める!著者:米地人販売元:コグニティブリサーチラボ株式会社1959年、東京生まれ。

認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。

計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。

カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同CyLab兼任フェロー、株式会社ドクター米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、米国公益法人TheBetterWorldFoundation日本代表、米国教育機関TPIジャパン日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、一般財団法人米地国際食糧支援機構代表理事。

マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社。

2年間の勤務を経て、フルブライト留学生としてイエール大学大学院に留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。

同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピューター科学の分野で世界最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入。

全米で4人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。

帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、ジャストシステム基礎研究所・ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院NMRセンター合同プロジェクト日本側代表研究者として、日本初の脳機能研究プロジェクトを立ち上げる。

通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。

現在は自己啓発の世界的権威ルー・タイス氏の顧問メンバーとして、米国認知科学の研究成果を盛り込んだ能力開発プログラム「PX2」「TPIE」などを日本向けにアレンジ。

日本における総責任者として普及に努めている。

著書に『TPPが民主主義を破壊する!』(サイゾー)、『君も年収1億円プレーヤーになれる』(宝島社)、『税金洗脳が解ければ、あなたは必ず成功する』(サイゾー)など多数。

米地人公式サイトhttp://www.hidetotomabechi.com/ドクター米地ブログhttp://www.tomabechi.jp/Twitterhttp://twitter.com/drtomabechi(@DrTombechi)PX2についてはhttp://www.bwfjapan.or.jp/TPIEについてはhttp://tpii.jp/携帯公式サイトhttp://drtomabechi.jp/

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