はじめに
頭のゴミ掃除を始めよう
「頭のゴミ」から生まれる悩みはいろいろです。
「頭の中がゴチャゴチャしていて、晴れた気分にならない。もう何年もこんなスッキリしない状態で生きてるなあ」「仕事や勉強で集中しなきゃいけないときに、すぐにほかのことを考えちゃって、集中できない。頭の中の雑念を消したい!」「物事を論理立てて考えていると、途中で頭がゴチャゴチャしてきて最後まで考えられない。頭が悪いのかな?」「ものすごく嫌な人がいる。いつもそいつの嫌な記憶が頭の片隅にいて、怒りが頭の中から消えない」「頭の中に漬物石が入ったような感じが続いている。どうやったらスカッとした頭に戻せるのだろう?」
このほかにも、「いつも頭の中にイライラしたトゲがある」とか「寝ても覚めても頭の中に緊張がしこりのように残っていて……」など、悩みの種類はさまざま。
「頭の中のゴミ」を掃除したい。そして曇りのない澄み渡った頭で生きていきたい。それが、この本を手に取ってくれた皆さんの共通の願望でしょう。
そこで本書では、「頭のゴミ」を根本から掃除して、「クリアな頭で生きていく」ための方法をまとめました。
頭がモヤモヤしているあなたに向かって恐縮ですが、本論に入る前に、ここで次の質問の答えを考えてみてください。
Q1.あなたの頭の中がイライラ、モヤモヤしているのはなぜですか?
- A.周囲の人間関係がうまくいっていないから
- B.仕事がきつくてサービス残業が多いから
- C.仕事やプライベートで色々悩みを抱えているから
- D.その他
Q2.大事なことや複雑なことを考えている途中で頭の中がゴチャゴチャしてきて、考えるのをやめたくなるのはなぜですか?
- A.論理的思考力が足りないから
- B.いわゆるIQというやつが低いから
- C.寝不足だから
- D.その他
Q3.仕事や勉強に集中したいのに、集中できない。始めてもすぐにやめたくなってしまうのはなぜですか?
- A.根気がないから
- B.意志が弱いから
- C.机に向かっているのが苦手だから
- D.その他
人によってA、B、C、D、答えはさまざまだと思います。しかし、〝本当の正解〟は、Q1.~3.まですべて「D」です。
どの質問でも、あなたの頭を曇らせている正体は、本当は「D.その他」です。「こっちの事情も知らずになんで分かるんだよ!」と思われるかもしれません。
しかし、本書を読めば私が断言する理由を納得していただけるはずです。
本書を読んで頭のゴミを捨てれば、バカな上司がいても給料が安くてもイライラ、モヤモヤしなくなります。寝不足でも思考が冴えて、仕事や勉強に集中できます。
最初から厳しいことを言いますが、頭がクリアじゃない状態が当たり前になっている人は特に危機感を持ってください。
例えば──、常に頭がモヤモヤ、ゴチャゴチャとしている人。仕事や勉強に集中するために、体と心を緊張させないといけない人。コーヒーを飲む、煙草を吸う、バッチリメイクをするなどして、気合を入れないと集中モードに入れない人。
要するに、頭の中のモヤモヤを追い払って集中するために、緊張して特別なモードに自分を追い込まないといけない人。そういう人は、頭のゴミがかなり溜まっている人です。
そういう人にこそこの本を読んでもらいたいと思います。本当の集中とは、リラックスした集中です。静かなる集中です。
頑張らなくても、緊張しなくても、エイッと気合を入れなくても、すーーっと集中状態に入っていける。
そして仕事や勉強がサクサク進む。それが本当の集中です。あなたの集中力、思考力、生産性、生きる充実感を低下させているのは「頭のゴミ」です。
頭のゴミを捨てれば、仕事や勉強や趣味に思いっきり集中できます。そして思考が冴え、これまでなら思いつかなかったようなアイデアが湧きでる頭になります。では、頭のゴミの掃除を始めましょう。
Step.1イライラ、怒り、嫉妬……生産性を下げる「感情のゴミ」を捨てる
ちょっとしたミスに慌てて、いつまでも落ち込んでしまう。想定外のことが起きたら、それだけで1日中パニックが続く。日曜の午後になると明日の仕事を考えてうつになる。
平日は早く仕事を片づけて家に帰りたくて仕方がない。こんな煮え切らない一生を送っていいのだろうか……。ソリの合わない同僚から嫌味を言われた。頭にきた。
一見すると関係のない三つの悩み。ところが、その根底にあるのは同じ一つの頭のゴミなのです。
〝やる気スイッチ〟は必要ない
ある出版社の編集者から聞いた話です。彼の編集部には、1日に何度も歯磨きをする男性編集者がいるそうです。
仕事の集中力が下がったり、眠くなったり、考えがまとまらなかったり、腹が立ったりすると、トイレに行って5分くらい歯を磨く。
すると頭がスッキリして、仕事を再開できるのだそうです。多いときは1時間に1回のペースで、1日に10回くらい歯を磨くとのこと。
その編集者にとって、歯磨きは、頭がモヤモヤしたり、気持ちがダレてきたときに、仕事モードのスイッチを入れ直す〝儀式〟のようなものなのでしょう。
彼は、嫌なことがあって心がなえても、歯磨きをすればテンションを取り戻せる。自分なりに、歯磨きという〝やる気スイッチ〟をあみだしたわけです。
「それいいなあ。オレも会社で歯磨きしてみよっかな」と思いましたか?それはいけませんね。
なぜなら、歯磨きで一時的にスッキリしても、1、2時間後には頭が使い物にならなくなるからです。
そうしたら、あなたはきっとまた歯磨きをすることでしょう。気分がダレる→歯磨きをする→頭がゴチャゴチャする→歯磨きをする。つまりはその無限ループです。
頭に積もったゴミを掃いてはすぐ積もり、掃いてはまた積もりをくり返す対症療法にすぎません。本当に必要なのは、根本治療。
頭のゴミを、根元からごっそり捨てる方法です。頭のゴミを捨ててしまえば、強制的な〝やる気スイッチ〟は必要なくなります。
感情的な人の脳はサル・ゴリラレベル
こんな経験はないでしょうか。絶対に成功させたい取引先へのプレゼン。
ところが会社を出る前に、ソリの合わない同僚から嫌味を言われ、あなたは気分がなえてしまう。
駅では電車を乗り過ごして焦る。駅からの道順が分からなくてオロオロする。そこに携帯電話が鳴って出ると、部下がノンキな相談事をしてきてイライラする。
そうしたマイナスの感情が災いしたのか、肝心のプレゼンがうまくできなかった……。人間は感情から強い支配を受けています。
不都合なことがあると怒りにとらわれ、理不尽なことがあるとショックを受け、思考と行動が感情に左右されます。
「感情的になってはいけない。冷静にならないといけない」と思っても、多くの人は感情の波立ちによる思考と行動の乱れを完全にコントロールすることができません。
なぜ私たちは感情の支配を受けるのか?その理由の一つは脳の進化の歴史にあります。感情をつかさどるのは大脳辺縁系の扁桃体と呼ばれる場所です。
扁桃体をふくむ大脳辺縁系は言うなれば古い脳です。
論理的な思考や理性をつかさどるのは前頭前野と呼ばれる部位ですが、前頭前野は扁桃体をふくむ大脳辺縁系より後にできました。
扁桃体は生命を維持していくために必要な感情をつかさどっています。
本能的な恐怖や嫌悪、悲しみなどがそれにあたります。
世の中にはそういった感情をある程度コントロールできる人と、簡単に左右される人がいます。
感情に支配されて生きている人は論理をつかさどる新しい脳(前頭前野)より感情をつかさどる古い脳(扁桃体)に支配されているわけですから、より原始的。進化の度合いでいうとゴリラやサルに近い、ということになります。
感情にひたるな
感情の支配を受けている状態を「感情にひたる」と言いますね。失恋した人は恋の痛手にひたります。失敗した人は挫折の感情にひたります。
実は、「感情にひたる」ことほどあなたにとってむだなことはありません。なぜなら感情とは、環境の変化によって生じる生体反応にすぎないからです。
例えば、小学校低学年までの子どもは、さっきまで笑っていたかと思うと突然泣きだし、お菓子を与えられるとすぐに機嫌を直します。環境の変化によって感情も変化しているのです。
ここからも明らかなように、感情は「暑いから汗をかく」「寒いから歯の根が合わずにカチカチ鳴る」というような生体反応、私の読者にはおなじみのホメオスタシスの中でも抽象度が低い活動です(ご存じない方はステップ3でくわしく説明していますから、そちらをご覧ください)。
ソリの合わない同僚から嫌味を言われ、気分がなえる。電車を乗り過ごして焦る。前述したような、あなたが振り回される感情は、すべてが単なる生理反応です。
汗をかいたといって悩む人はいないでしょう。それなのに、いらだちや焦り、怒りにはたやすく振り回され、悩んでしまう。どっぷりとその感情にひたってしまう。
そんなのはおかしなことだと思いませんか?このような、感情に振り回されてしまっている人を「抽象度が低い」といいます。
抽象度が低い人は感情に支配されている
私の読者はご存じだと思いますが、万物は情報量の多寡で階層化できます。情報量の多いものから少ないものへと積み上げていくことができるのです。
例えば、特定の個人(Aさん)→人類→ほ乳類→動物→生物、といった具合です。
このとき、情報量の多い状態を「抽象度が低い」といい、情報量が少ない状態を「抽象度が高い」といいます。
情報量が少ない(=抽象度が高い)とは、ある事物をより少ない情報量で表しているということです。
例えば、「人類」と「Aさん」を比べた場合、Aさんは「何歳で」「○○社で○○の仕事をしていて」「顔のどこにホクロがあって」と「人類」よりもディテールが細かくなる分、情報量が増えます。
したがって「人類」と「Aさん」の間では、「人類」の方が「Aさん」よりも抽象度が高いとらえ方ということになります。
理解しづらいという方は、「抽象度」を「視点の高さ」ととらえると分かりやすいかもしれません。
「Aさん」と「人類」では、「人類」の方が情報量が少なく、抽象度が高いといいました。
「Aさん」を定義する場合、「Aさんは○○家の長男である」などのAさんの定義から一つ抽象度を上げると、「Aさんは東京都民である」となります。
もう一つ抽象度を上げると「日本人」となり、さらに抽象度を上げていくと、「人類」→「生物」となります。
○○家→東京都民→日本人→人類→生物の順に抽象度が上がっているということは、つまり視点が上がっているということです。
別の例でいうと、「会社で働くあなた」から抽象度(視点)を上げていくと、職場のあなた→部門のあなた→会社のあなた→業界のあなた→日本のあなた→アジアのあなた→世界のあなた→人類のあなた……と視界が広がっていきます。
では「抽象度が低いと感情に支配される」のはなぜでしょう?賢明な皆さんはすでにお分かりかもしれませんが、抽象度の低い人は、視点が低いのですから、例えば、今この瞬間の「会社でイライラさせられている自分」のことしか見えていません。視界が狭いのです。
したがって、イライラするようなことがあると、感情に頭の先までつかってしまいます。つまり、感情に支配されてしまうのです。
反対に抽象度(視点)を上げていけば、職場→部門→会社と視界が広がっていきますから、「オレが感情的だと部下の教育に悪い。しっかりしなきゃ」→「この部門にはオレよりもっと頑張っている人がいる」→「会社の経営状況が厳しいから、みんなイライラしがちだ。オレがムードメイカーにならなきゃ」と、感情から受ける影響を抑えられるようになります。
以上のように、イライラやモヤモヤから脱し、感情というゴミに埋もれないためには、抽象度を上げる、つまり視点を上げて自分を客観視し、視界を広げていくことが重要なのです。
とはいえ残念ながら多くの人は、目先の情報に追われ、整理することなく生きています。つまり、非常に抽象度の低い状態で生きています。
そして前述したように、そういう人ほど、感情の支配を強く受けます。プレゼンを絶対に成功させたいという目前の目標があるにもかかわらず、生体反応にすぎないはずの感情に振り回されてしまう。
これは決して珍しい例ではないでしょう。多くの人が似たような状況で、感情に振り回されるというゴミを溜めています。
だからこそ、私たちは感情に振り回されるというゴミを、最初に捨てなければならないのです。私が本書を「感情のゴミ」から始めたのもそのためです。
では、どうすれば感情の支配から抜けだすことができるのか?もう答えはお分かりですね?そう、抽象度を上げればよいのです。要は前頭前野の働きによって扁桃体に介入するのです。
ゴールと関係ないものはゴミ
では、抽象度を上げて感情というゴミを捨てるには、どうすればよいのでしょう?実はそのために欠かせないことがあります。
それは、ゴールを持つことです。そして、常にゴールのために行動することです。なぜゴールが大事なの?と思われる読者も多いでしょう。
ゴールとは、自分が重要だと考えている目的や目標のことです。目的や目標があれば、それに合わせて視点があがります。
つまり、抽象度が上がります。そうすれば、そのゴールの実現にマイナスな感情に振り回されることはありません。
心底実現したいことがあるときに、ひたすら昼寝をする人はいないはずです。
同じように、自分にとって目の前のプレゼンの成功が絶対に重要なのであれば、同僚に嫌味を言われて気分がなえたなどと言っていられないはず。
たとえ感情を乱される出来事があっても、プレゼンの本番ではパフォーマンスを落とすことはないはずです。それが、ゴールを持っている人の強さです。
しかし実際には、目の前の目標すら持たず漫然と過ごしている人の、なんと多いことでしょうか。
英語が話せるようになりたいでも、会社を起こして成功したいでも、今関わっているプロジェクトを成功させたいでも、なんでもかまいません。
自分が本当に重要だと思えるゴールを意識し、そのゴールに向かって進もうとすれば、それだけで頭のゴミはかなり減ります。
嫌なことがあるとその気分を引きずってしまう。気分をうまく切り替えられるようになりたい……。そういうあなたは、自分がゴールを意識して生きているか。
ゴールのために行動しているか。まずはそれを自問すべきです。
ゴールがないから、あなたの一瞬一瞬がゴールのためではないから、感情に振り回されてしまうのです。
幸福感を目的にするな
さて、ゴールに関係のない感情はすべてゴミである、と言いました。では、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」といったポジティブな感情は、どうでしょうか。
「楽しい」「幸せ」などのプラスの感情は、一般的にはよいもの、持つべきものとされています。
「仕事が楽しくなる習慣」や「幸せになるための法則」を教える本やセミナーもたくさんあります。
しかし私は、「ある条件に合致してしまうとプラスの感情もゴミである」と断言します。その条件とは、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」といった感情そのものを目的にすること。
そうした途端に一見ポジティブな感情もゴミになるのです。「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの気分は、好ましい出来事の結果として生まれる気分です。
好ましくない出来事が起きたら、直前までのいい気分は吹き飛んでしまいます。それなのに、人々は、風が吹けば吹き飛んでしまう気分を目的に生きています。
例えば、おしゃれが好きな人にとって、服を買うことは楽しみであり、その人にとっての幸福感の源でしょう。
「いつもおしゃれですね」と言われ、モテたりすれば、楽しさ、嬉しさ、ちょっとした幸福感を味わえます。
しかし、高いお金を出して買ったお気に入りの服が汚れたりほつれたりした途端に、嫌な気分になってしまう。
あるいは、パーティーで、自分よりもっとおしゃれで、もっと美形で、もっとモテる人物が現れるやいなや、楽しい気分など吹き飛んで、嫉妬にかられるかもしれません。
このように、「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの気分は、風向きが変われば瞬時に吹き飛んでしまうものなのです。
吹き飛んでしまうものを目指しても、手に入れたと思ったら消えてなくなる。一生そのくり返しです。
目指すべきは、「嬉しい」「楽しい」「幸せ」という気分ではありません。目指すべきはゴールです。
自分が主体的に選んだゴールに向かう道程には、前進を促すたくさんの出来事があり、たくさんの小さなゴールがあります。
そのような「ゴール実現に価値のあること」に遭遇したとき、「嬉しさ」「楽しさ」「幸せ」を感じるでしょう。
その感情は存分に味わえばよい。ただし、そこで立ち止まってはいけません。しかし多くの人はそうではありません。
ゴールなどないままに、ただ安易に「楽しさ」やその場しのぎの「ちょっとしたハッピー」を追い求めています。
「いい気分」を目的に行動して、いい気分が消えるたびに、嫌な気分になっているのです。
それではゴミが溜まるばかりです!優れた経営者や科学者、抽象度の高い素晴らしい仕事をしている人たちが目指しているのは、常にゴールです。
そして、ゴールに近づく副産物として、「嬉しさ」「楽しさ」「幸せ」などのプラスの感情を感じ、それをさらなる前進のモチベーションとしているのです。
ゴール実現を最重要事項と決めたときから、誰かに腹を立てるなどの感情は捨てるべきゴミとなります。そしてまた、「楽しいかどうか」という基準もゴミになります。
ゴールに向かう道程には苦しさもあれば楽しさもあり、苦しくても楽しさがある。
別の言い方をすれば、抽象度の高いゴールに向かって生きている人は、苦しさも楽しさも関係なく、ただひたむきに生きているのです。
目的はあくまでゴールに向かっていくこと。ゴールと関係のないものはすべて「ゴミ」です。
AとB、どちらを選ぶか、どちらに進むかを決めるとき、多くの人は「こっちが楽しそうだから」「こっちがラクそうだから」という基準で判断します。
しかし、ゴールを持つ人は、AとBのどちらがゴールに意味があるか、どちらの方がゴールに近づけるかを合理的に判断するのです。
すべての感情を娯楽にせよ
とはいえ、よほど心の修練を積んだ人を除いては、「腹が立つ」「アイツが嫌い」「悔しい」「悲しい」などの感情が生じるのを止めることはできません。
「腹が立っても、立たないと思え」と言うことには意味がありません。心の修練を積んだ人を除いては、人間はいろんな感情が生じて自然だからです。
では、「感情に振り回される」というゴミを捨てるコツをお教えしましょう。それにはすべての感情を娯楽にすること。これが感情のゴミとつきあう根本原則です。
現代の日本で暮らす私たちは、原始時代の人類とは違い、巨大な動物に襲われることも、飢餓の不安もありません。生命の危険を感じることはめったにないのです。
生命の危険にさらされている環境にいるなら、「危険だ!」「怖い!」という情動は生命維持のために重要です。「怒り」の感情も、種の保存のために役立ったかもしれません。
しかし現代の私たちの感情の動きは、生命の維持とはなんの関係もありません。生命維持において、もはや感情は必要ではないのです。必要ではないが、あってもよいものを「娯楽」といいます。
現代の私たちにとって、感情は実は娯楽なのです。面白い小説を読んで感じる「楽しい」「嬉しい」は、娯楽です。また、悲しい映画を観て「泣く」というのも娯楽です。切ない歌を聴いて胸がキュンとするのも娯楽。
私が説明するまでもなく、私たちは感情の動きを日々娯楽として楽しんでいます。
ところが、実生活で悲しい映画の中のような出来事が現実にあると、私たちは娯楽にできません。マイナスの感情に振り回されてしまいます。
しかし、その感情には、原始時代の「怖い!」のような重要性はありません。「腹が立った」「嫉妬する」「後悔する」などの感情は、生きる上でマイナスにこそなれ、プラスにはならないのです。
とはいえ、「悲しさや寂しさをたくさん知るほど、人間は心が豊かになれるのだ」「優しさや思いやりなどの感情は大事じゃないのか」といった疑問が湧く人もいるでしょう。
もちろん私もその考えには同意します。ただそれは、優れた小説や映画は心を豊かにするといっているのと本質的に変わりません。
ここで私が言っているのは、「振り回されても意味のない感情に振り回されるな」ということです。
例えば、イライラや嫉妬や悲嘆などの感情で頭の中がいっぱいで、他人に八つ当たりをしたり、問題の解決方法を冷静に考えられなくなったり、目の前の重要な仕事をしくじったり、そういうことはよくないでしょう?ということです。「悲しさ」や「寂しさ」などさまざまな感情を知ることは人間として重要です。
しかし、それらの感情にいちいち振り回される人は、人間として立派な人とはいえません。悲しさや寂しさなどの感情が湧くのは人間として自然なことです。
ただし、その感情に振り回されずに、「悲しさも人生の味わいのうち」と、娯楽として味わえばよいのです。娯楽として味わっておけば、振り回されることはありません。
感情を娯楽として味わうという時点で、すでに抽象度が上がっているからです。
ゴールに意味のある感情のみ許せ
前項で「感情に振り回される」というゴミを捨てるためには「感情を娯楽にせよ」と書きました。
そんな難しいことできない……と不安になった人もいるかもしれません。しかし心配する必要はありません。
要は「ゴールに無意味な感情は自分に許可しない」というルールを自分に課すだけです。
そうすれば、ただ単に「嫌い」「イライラする」「寂しい」などの感情は自然と消えていくでしょう。
一方、ゴールに向かって挑戦したが、満足できる結果ではなかったための悔しさやイライラというものもあります。
これらはゴール実現に意味のある感情です。ですからこの感情は存分に味わってよいのです。
そして先ほども言ったように、ゴールに向かっている途上で味わう達成感や嬉しさも、存分に味わってモチベーションとして使いましょう。
さまざまに湧く感情の中で、ゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうことにするのです。
最初のうちは、とにかく「ゴールに無意味な感情は許可しない」と自分に言い聞かせてください。前頭前野の情報処理で介入するのです。
それだけでゴールに無意味な感情のゴミは消えていくようになります。
このように、感情のゴミを捨てるコツは、「すべての感情を娯楽にすること」「ゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうこと」です。
その基本にあるのは、抽象度を高く上げること。抽象度を上げて、ゴールを設定し、すべての行動をゴールのために行なうことです。
感情の波のもとを止めて観る
それでも感情が波立ったときは、その波のもとが何であるかを内省的に吟味します。これを「止観」と言います。
『摩訶止観』という仏教書に書かれてある、煩悩を止めて観る方法です。感情が暴走してしまうのは、暴走の始まりを意識できていないからです。
意識さえしていれば、コントロールして暴走を防ぐことができます。意識するためには、自分の感情の動きを客観的に眺めてみればよいのです。
例えば、ライバル視している同僚から、仕事の成績のことで見下すようなことを言われて腹が立ったとき。
「自分はなぜ腹が立っているのだろう?」と客観的に考えます。といっても「嫌味を言われたから」というだけで考えるのをやめてはいけません。
止観では感情の動きを意識に上げることが重要ですから、できるだけ詳細に、分析的に、感情の動きの理由を考えます。
「こんなに腹が立つのは、ライバル視しているアイツに言われたからだ。もしも意識していない同僚に言われたら、こんなに気にならないはずだ」「アイツと自分ではタイプも仕事のやり方も違う。自分は自分のやり方で仕事をすればいいんだ」「ちょっと嫌味を言われたくらいで腹を立てるなんて、自分らしくないな」という具合です。
このように、止観によって自分の感情の動きを止めて観るということは、「抽象度の上がった世界から眺める」ということです。
抽象度を上げた世界から眺めることができれば、努力するまでもなく、感情は自然とコントロールされます。
自己チューな人ほど深く傷つく
先ほどの「すべての感情を娯楽にする」という話については、もう少し説明する必要があるでしょう。
大人になると心はたくさんの傷でいっぱいです。心の傷から生じる感情に振り回されている大人が多いのはそのためです。私たちは生きている限り心に傷を負います。
他人から心無いことを言われ、ショックな出来事に遭遇し、年を重ねるほど心の傷は増えていくでしょう。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こすような衝撃的な心の傷は、トラウマ(心的外傷)と呼ばれます。
人間は誰でも心に傷を負っていますが、それがトラウマとなって心の病を引き起こすこともあれば、病とならずに癒えていくこともあります。
では、その違いはどこにあるのでしょうか?これは意外と理解されていないことなのですが、心の傷がトラウマになるか否か、うつなどの病気を引き起こすか否かは、出来事そのものの大きさとは関係がありません。
ものすごく衝撃的な出来事でも、トラウマになる人もいれば、ならない人もいます。では両者で何が違うのかというと、本人にとっての理不尽度が違うのです。
同じ衝撃的な出来事を、ある人は「とてつもなく理不尽だ!」と感じ、またある人は「ちょっと理不尽だな……」と感じる。出来事の受け取り方によって、理不尽度は異なります。
では、何が理不尽度の差を生むのかというと、それは自己責任感の大小です。
ショックな出来事に対して「自分にも責任がある」と感じる人にとって、その出来事の理不尽度は小さく、反対に、その出来事に対して「自分には責任がない」と感じる人にとっては、理不尽度は大きくなります。
つまり、ショックな出来事に対して「自分にも責任がある」と考える人は、心の傷が深くならない。
反対に、嫌な出来事が起きたときに「自分には責任がない」と考える傾向の人は、心の傷が深くなります。
例えば、キレやすい職場の先輩が「この仕事、急ぎで頼むよ!」とこちらの都合を考えずに仕事を丸投げしてきたとします。
あなたは自分の仕事で手いっぱいで、先輩の頼みを引き受けると土日をつぶさなくてはいけなくなる。
しかし、その先輩はキレやすくて、これまであなたは何度も先輩の怒りを買った恐怖体験がある。なので、あなたはこんなふうに丁重に断ります。
「今、僕も忙しくて……。すみませんが、ほかの人に頼んでもらえませんか」すると、先輩は急に怒りだし、「オレだっていつもお前の仕事を手伝ってやってるじゃないか!オレに向かって何様のつもりだ?!」とキレてしまう。
そのキレ方があまりに激しいので、あなたはトラウマになりそうなほどのショックを受ける……。このような場合、あなたには二つの反応の仕方があります。
「こっちの状況を考えずに無茶振りしてくるあんたが悪いんだろ!」と心に傷を受けつつ、「自分には責任がない」ことを前提に相手を責めるパターン。
もう一つは、相手を責めたい気持ちをぐっとこらえ、「先輩も忙しくてイライラしてるんだな。確かに、オレの方も先輩に手伝ってもらってることもあるし、お互い様だよな」と、客観的に状況を見ようと努め、自分の責任も認めるパターン。
前者のように「自分には責任がない」と考える場合、先輩との関係がギクシャクするのは必至です。
一方、後者のように「自分にも責任がある」と考える場合、先輩にキレられたショックを引きずる可能性はかなり低くなります。
理不尽な出来事に遭遇したときに、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自分中心な人」、いわゆる「自己チューな人」です。
自分中心な人は、同じ出来事を前にしても、自分中心ではない人よりも心の傷が深くなります。そして、その心の傷に長くとらわれてしまうことになります。
ここでいう「自分にも責任がある」とは、例えば夜道を一人で歩いていて暴漢に襲われた女性に対し、不用心な彼女にも責任がある、などと責めることとは違います。
そうではなく、私たちは生きていく以上、さまざまな理不尽を引き受けていかねばなりません。それが生きていくということだからです。
さまざまな理不尽を引き受け、この世界の理を踏まえて生きていく心構えのことを「責任」と言っているのです。
抽象度を上げれば心の傷は早く癒える
右のような話は精神医学の世界ではよく知られていることです。
病気というものをどうとらえるかに関して、「すべての病気は自己表現である」と私は考えています。
例えば、風邪の頭痛や発熱は「体を休めろ」という自分自身に対する表現であると同時に、それは他人に対しての「もっと大事にしてほしい」「もう少し休ませてほしい」という自己表現でもあると考えられます。
心の傷がトラウマとなって病気の症状を引き起こすのも、心の傷を他人に表現したいという、無意識の自己表現であると考えることができます。
この場合、例えばトラウマを持つ人が、寝ているときに大声で叫んで目を覚ますことがあります。叫ぶのは同じ家で寝ている人に対する自己表現であると考えられます。
そのような人も、「家族が安眠できることが大事だ」と気がつけば症状は治まるでしょう。
つまり、病気の症状という苦しさを抱えながらも抽象度を上げ、自己中心的でなくなれば、心の傷はもはやトラウマではなくなり、病の症状は消えるのです。
心の傷に左右されるかどうかは、あなたが「自分中心をやめられるかどうか」「自分の側にも理由があると考えられるかどうか」で変わります。
心に傷を負っても、「自分にも非がある」「お互い様」と受け止めるなら、その傷は必ず癒えていきます。
さらに言えば、心が傷つく出来事が起きたときに、「全部相手が悪い」と他人を責めるだけの人は抽象度が低い人です。
反対に「自分にも責任がある」と考えられる人はある程度、抽象度が高い人です。抽象度が上がるほど、視界の中にたくさんの他人が入るからです。
抽象度を上げれば、心の傷を負っているのは自分だけでなく、誰もが心の傷を抱えて生きていることが分かります。
例えば上司から理不尽な怒られ方をしても、怒る上司の側の事情に思いがいきます。上司をイライラさせている会社の体制の問題にも目がいきます。
抽象度を上げることで、私たちは自分中心であることから解放されます。心を傷つけられることがあっても、その感情の乱れに振り回されることがなくなるのです。
やりたいことをやればこそ脳が目覚める
さて、冒頭の「仕事の合間に歯磨きをする編集者」の話に戻ります。歯磨きで気合を入れる習慣が、「まずい」ことだと分かっていただけたと思います。仕事の合間に歯磨きが必要なのは、ゴールがないからです。
ゴールがないから、嫌なことがあれば気分が落ち込み、歯を磨く。ゴールがないからすぐにモチベーションが落ちて、歯を磨く。
溜まった頭のゴミを歯ブラシで掃除するのですが、またすぐにゴミは溜まってしまいます。それは、その人にゴールがないからです。
「いや、その人にも今取り組んでいる仕事のゴールがあるはずだ」と思う読者もいるでしょう。
しかし、ここでいうゴールとは、自分が心から望んでいるゴールです。会社から言われた目標達成は、自分自身のゴールではありません。
もし自分が心から望んでいるゴールのための仕事であれば、1時間おきに気合を入れる必要などないはずなのです。
本当のゴールとは、自分が心から実現したいゴールです。
自分が心からやりたいことに向かっているなら、常に密度高く集中して仕事を進められるのです。
日曜の午後から明日の会社のことが頭に浮かんでうつになる人。毎日、会社から早く帰りたくてたまらない人。
そういう人は、やりたくないことをやっているのですから、頭がモヤモヤして当然なのです。それを歯磨きや、夜の酒や、月々の給料でごまかしても、頭が晴れることはありません。
やりたくないことを嫌々やりながら、集中力を持続したい、生産性を上げたい、能力を高めたい、仕事を楽しみたいといっても、それは無理なこと。逆なのです。
やりたいことをやるから、集中力も、生産性も、能力も上がるのです。やりたいことをやるから、マイナスの感情に振り回されることがなくなるのです。
やりたいことをやるから、その結果として「楽しさ」「嬉しさ」「幸せ」などのプラスの感情が湧くのです。
感情の乱れに支配されているあなたにとって、まず必要なのは、自分が心から望むゴールを持つことです。
三つの悩みへの回答心から望むゴールを持ち、ゴール達成に向かって今を生きよ。ならば感情のゴミは必ずなくなる。
Step・1のポイント
●感情に振り回されるのはゴールがないからだ。
●すべての感情を娯楽にせよ。
●ゴールに意味のある感情だけを自分に許可せよ。
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