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chapter6「将来を心配する」という究極のムダ

chapter6「将来を心配する」という究極のムダ37ずっと「死への恐怖」にとらわれて生きてきた38「いつか」なんて長期の目標はまず実現しない39ぼくはいっさいの計画を持っていない40リスクは「ウサギの角」「カメの毛」である41ノリで生き抜く人間だけが革命を起こせるおわりに自信とは「自分をコントロールできる」という確信写真長田洋平/アフロブックデザイン小口翔平+岩永香穂(tobufune)執筆協力重タフィ(@jiutaufy)編集協力WORDS

6歳か7歳くらいの頃だったと思う。

学校から帰る途中にパニックのような状態になったことがある。「ぼくはいつか死ぬ!」――その事実だけで頭がいっぱいになり、たまらず道路にうずくまった。

死ぬということが怖くて仕方なくなり、心臓がバクバクと鳴っているのがわかった。それより少し前に、ぼくは曾祖父の死を経験していた。

曾祖父についていつも思い出すのは、小さなぼくをおんぶしてくれていたことだ。棺桶に収められて、たくさんの花に囲まれている姿が、いまでも目に焼きついている。

その当時はいまひとつよくわかっていなかったが、それからしばらくした小1の秋に、突然ぼくは、「死」という得体の知れないものが、自分にも関係すると悟ったのだ。

このときの鮮烈な恐怖の感情は、思いのほか後を引いた。

教室で授業を聞いているときとか、食事をとっているとき、お風呂に入っているとき、布団に入って電気を消したとき、油断をすると「死ぬのが怖い!」という感情に襲われた。

20歳を過ぎるあたりくらいまで、ぼくはたびたび死について考えては、半ばパニックになるようなことを繰り返していたように思う。

ぼくはふだんから思ったことは誰彼かまわずはっきり言うようにしているし、先ほども「死ぬつもりはない」とか「不老不死を目指している」などと書いたばかりなので、ぼくに対して「何事も悟りきった超然たる人物」というイメージを持っている人も多いかもしれない。

しかし、実際にはそんなことはない。おそらくぼくはいまでも、死ぬことがとてつもなくイヤなのだ。誰よりも死ぬのが怖いのだ。

「おそらく」と書いたのは、いまのぼくは、死について考える暇がないくらい、自分の時間を「たのしいこと」で埋め尽くし、夢中になっているからである。

このことに気づいたのは、学生時代に起業してからしばらくしたときのことだ。

競馬サイトからスタートしたオン・ザ・エッヂが軌道に乗り、家にも帰らずにオフィスで眠るような日が続いていたある日、ぼくはここ2年ほど、例のパニックがやってきていないことに初めて気づいた。

インターネットにしろ、焼肉にしろ、ロケットにしろ、スマホゲームにしろ、とにかく目の前のことにどっぷりとのめり込んでいるかぎり、死の恐怖はやってこない。

それがわかってからは、生きるのがずいぶんとラクになった。おそらく、死に対する恐れは、人間が抱くストレスのなかで、最も根源的で、最も大きなものだ。

それに対処する方法を得てしまった以上、あとは楽勝だ。編集者の箕輪厚介くんではないが、まさに「死ぬこと以外かすり傷」の境地である。

詳しい人に言わせれば、このようなストレス対処の方法論は、仏教の瞑想修行などと非常に似通っているらしい。

頭のなかを思考で埋め尽くすことによって死を感じなくする訓練なのだそうだ。大流行しているマインドフルネスでも「呼吸」に注意を向けるらしいが、これも狙いは同じだろう。

ただ、「ホリエモン式瞑想」にオリジナリティがあるとすれば、それは、どうせなら「いまここ」が「たのしい」に越したことはないと考える点だ。

わざわざ苦しくて退屈なことで、時間を埋める必要はない。だから、ぼくは「夢中になれるたのしいこと」を思い求めて動き続ける。ぼくにとっての仕事は瞑想のようなものなのだ。

□「夢中になる」という瞑想を続けよう

「堀江さんは何を目標にしているんですか?」そんなことを聞いてくる人がいる。

読者の人も「『不老不死になりたい』だって?ホリエモンにはよっぽど大きな野望があるのだろう」と思っているかもしれない。

はっきり言っておこう。ぼくは「長期的な目標」なんて持ったことがない。ビジネスにしても遊びにしても、「何のために?」などと立ち止まったことがない。予防医療のようなプロジェクトですらそうだ。

そこには「人の命を救うために」とか「みんなにもっと幸福になってもらうために」とかいった立派な意図があるわけではない。

正直なところ、慈善の心とか思いやりといった言葉や価値観は、ぼくには理解できないし、好きにもなれない。

あえて言えば、「避けられる病気のせいで、たくさんの人が亡くなっている」という現実が、ぼくにとっては単純に「不愉快」なのだ。

そして、ちょっとした取り組みによって、それが解決していくプロセスが「おもしろい」――ただそれだけである。

もちろん、ぼく自身がこうして何かにハマることで、結果的に世の中のためになるのであれば、それはそれでけっこうなことだ。

でも、それはぼくの知ったことではない。ぼくは好奇心のおもむくまま、やりたいことをやるだけである。仕事なんて遊びと一緒だ。

子どもは「積み木遊びの究極目的とは?」とか「ぼくは何のためにかくれんぼをするのだろう?」などと考えたりはしない。

何も考えずに動きながら、「よし、お城をつくろう」「あのすきまに隠れよう」と決断していく。誰だって昔はそうやって遊んでいたはずだ。

それなのに、大人になると、「長期的な目標は?」「やりがいがあるか?」「幸福とは何か?」「努力に意味があるか?」という具合に、考えても仕方がないことに頭をめぐらせて、貴重な時間をムダにする。

そして、頭で考えれば考えるほど動けなくなり、どんどん時間貧乏になっていく。それもこれも、原因は「暇」である。

「子ども=余裕がある、大人=忙しい」という見方がまかり通っているが、ぼくは真逆だと思う。子どものほうが、つねに目の前のことに夢中で、充実した時間を過ごしている。

大人は「暇」なせいで、「リスク」「目標」「シミュレーション」といった空虚なことで頭を満たし、「心のエネルギーのムダ遣い」ばかりをしている。

「自分が最終的にどうなりたいのか、わかりません」なんて悩みは、本当にくだらない。そんなこと、そもそも考える必要がないのだ。長期目標なんて持たなくていい。

結局それは、いまやるべきことを「先延ばし」にしているのと同じだ。

「いつか映画監督になってみたい」「時間ができたら世界一周したい」「実績を積んだら起業したい」――そんなものを「夢」と呼んで、自分をダマし続けることに、何の意味があるのだろう。

やりたいなら、やればいい。いますぐに、だ。意味があるのは、「短期的な目標」だけである。

それを立てた1秒後には行動を起こさざるを得なくなるような目標でなければ、そもそも意味がない。

「今日から30日連続でブログを書く」「10日後に体重3キロ減を達成する」「1カ月後に会社を辞めて起業する」こういう目標には価値がある。

あなたの行動にさらなるドライブをかけて、より「ハマる状態」をつくり出してくれるからだ。ポイントは、達成までの期限が短くて、かつ、達成の基準が明確であることである。

そうでなければ、目標なんてストレスを生む害悪でしかない。

□やりたいなら、いますぐにやればいい

死、目標、計画……これは全部、未来のことだ。将来のことを考えても仕方がない。考えても意味のないことは考えない。時間をムダにしないためには、とにかくこれが大原則だ。

「とにかく」は「兎に角」と書いたりするが、仏典などには「兎角亀毛」という言い回しが登場するのをご存知だろうか?ウサギに角があるわけがないし、カメに毛が生えるはずもない。

だとしたら、そんなものについて考えても意味がないというわけだ。

「死んだらどうなるか」とか「人生の目的は何か」とかいった思考は、ぼくに言わせればすべて「兎角亀毛」である。

それにもかかわらず、ぼくたちが将来のことを心配してしまうのは、つねにリスクが頭を占めているからだ。

人生とは一本の大きな「川」のようなもので、そこをただ流されているのがぼくたち人間だというたとえ話をしたが、たしかにその途中には、大小さまざまな「滝」が用意されている。

順調に川下りをしていても、いきなり巨大な「滝」がやってきて、滝壺に叩き落とされることもある。

たいていの人は、この「滝」に恐怖を抱いている。痛い目を見たわけでもないのに、「下手に動いたら大滝に落ちちゃうかも……」と異常にビクビクとしている。

ぼくがやっているオンラインサロンでも、「この案件、おもしろそうだし、あなたがやってみたら?」と勧めても、「やってみます!」と即答できる人がいる一方、いろいろと理屈をこねて、最後の最後までやろうとしない人がいる。

ぼくは決して無茶振りはしていないし、へんな制約もつけない。それに、サロン内にはサポートしてくれる優秀な人材も揃っている。

それでも動けないということは、リスクに食いとめられる程度にしか「やりたい」と思えていないのかもしれない。

もしそうなのだとしたら、それはそもそもやる必要がないことなのだろう。

「本当にやりたいこと」を見つけた人というのは、多少のリスクがあろうと、指先で少しでも押したら、勝手に突っ走りはじめるものだ。

あるいは、心のなかで実際以上に大きな「滝(=リスク)」を勝手につくり出して、逃げ腰になっているのかもしれない。

人は、行く先に大きな「滝」が視界に入ってくると、おかしな行動を取ってしまうものである。

半狂乱のような状態になったり、ふだんなら引っかからないような詐欺にダマされたり、他人を陥れるようなウソをついたりしてしまう。

かく言うぼくも、時価総額1兆円に迫る会社の経営者から、長野刑務所の服役囚になったという意味では、かなり巨大な「滝」から落っこちたことになる。

しかしぼくは、あの「滝下り」を前にしても、まったくパニックにならなかった。

公判の最中にも「あー、もうすぐ滝に落ちるっぽいなあ」と呑気なものだったし、判決が出たあとも「おーっ、落ちてる落ちてる」「うひゃー、こりゃすごいな」くらいのものだった。

なぜか?そんな「滝」は、「ウサギの角、カメの毛」、考えても仕方がないことだとわかっているからだ。

「滝」のない人生を送ることは不可能である。

「滝」にぶつかるかどうかは運任せの領域であり、こちらではコントロールできない。

ぼくたちは大きな「川」の流れのなかにいるのだから、ひとたび目の前に「滝」が現れたら、どんなにもがいてもムダだ。

むしろ、手足をジタバタさせていると、落っこちたときに大ケガをしかねない。身体の力を抜いて、流されるがままにいくのがベストだ。

□滝も、激流も、その流れをたのしんでしまえ

「時間をムダにしないためにも、チャンスの見極め方を知りたいです」そんなことを言う人がいるが、もはやここまで読んできた人なら、ぼくの答えはおわかりだろう。

ぼくは「どこに次なるビジネスチャンスがあるか」とか「どんな戦略で市場を支配していくか」というようなことは考えない。

未来のことはわからないからだ。現時点で、「やりたい!」「ほしい!」と思えるか――それだけが基準だ。

経営戦略の世界では、資本投下の「選択と集中」が語られたりするが、少なくとも個人に関しては、これを当てはめないほうがいい。

どこに自分のリソースを割くか、そんな「選り好み」はしなくてもいい。極端なことを言えば、おもしろいと思ったものには、全部首を突っ込んでいくべきだ。

すでに語ったとおり、型が決まったタスク処理なら、ある程度の「順序」を意識するのも必要だ。しかし、熱中の対象には順位などつけられない。

ここから言えるのは、結局、この「川下り」を最高にたのしむためには、「ノリのよさ」がすべてだということだ。

ノリがいいとは、何よりもまず「考えないで受け入れられる」ということだ。手元に「果物」が流れてきたら、とりあえず手を伸ばしてかじってみる。

どんなメリットがあるかとか、リスクはどの程度かとか、そんなことは考えなくていい。かといって、ぼくが語るノリのよさとは、カルトにダマされるような人のそれとは違う。

ひとまず「果物」をかじってはみるものの、個人の「好き嫌い」の感覚はどこまでも大事にしたほうがいい。

「なんだこれ、まずい!」と思えば、すぐに投げ捨てるべきだ。

「気になる飲み会にとりあえず参加。つまらなかったら途中でも帰る」「たのしそうな会社だからひとまず転職。ダメならすぐに辞める」「すごく好きだからいったん結婚。性格が合わないと思ったら離婚」大事なのはこういうフットワークだ。

「ひとまず」「いったん」「とりあえず」何でもやってみる。「どうせ微妙な飲み会だろうな……」「転職先が合わなかったらどうしよう……」「結婚しても続くかな……」。ノリの悪い人は、すぐにそんなことを考えてしまう。

かつてはぼくも、そんなにノリのいい人間ではなかった。

きっかけになったのは、東大時代に友達と出かけたヒッチハイク旅行だ。ヒッチハイクというのは「いったん」「ひとまず」「とりあえず」の連続である。

そのときにつかんだノリのおかげで、田舎出身の冴えない大学生がここまで変わることができたのだ。だから、いまでもぼくは、ノリのよさだけはかなり意識するようにしている。

多くの人がノリきれないのは、「なんでも受け入れていたら、時間をムダにするのではないか」と恐れているからだろう。だが、それは大きな勘違いだ。

次々と果物に手を伸ばす「ノリのいい人」のもとには、さらにどんどん「新鮮な果物」が集まってくる。それがおいしいかどうかはわからない。

ただ、そうやって「熱中できるもの」だけで人生を埋め尽くした人だけが、自分の時間と人生に革命を起こすことができるのである。

□面白そうな案件には即答で「イエス」

おわりに自信とは「自分をコントロールできる」という確信どうしてもノリのよさを身につけられない人、なかなかバカになって動けない人は、究極的には「自信」が足りていない。

自信がないから、将来を心配するというムダをやめられない。そうやって時間をムダにしてしまうのだ。

「堀江さんはいつも自信満々の性格だからいいですよ」まわりの人にはそう言われることが多い。

それは決して否定しないが、一方で思うのが、世の中の人は「自信」というものについて誤解しているということだ。

「どうして自信が持てないの?」と聞いてみると、たいていの人は「○○がないから、自信が持てません」という答え方をする。

人によって「○○」にはいろんなものが入るが、ぼくに言わせれば、まずこの考え方自体がおかしい。自信には「根拠」なんていらないからだ。

たとえば、「能力が低いから自信が持てません」とか「容姿がよくないから自信が持てません」などと言う人がいる。

ぼくはこれまでたくさんの経営者を見てきたが、経営者の多くは、仕事の能力的にはかなり低いというのが実情だ。

会社の社長なんて、大したレベルの人間はいない。新入社員みたいな実務能力の人、ほとんどヤンキーみたいな人もゴロゴロしている。

それでも彼らはやけに自信を持っていて、実際、ものすごい結果を出していたりする。

逆に、一流大学に入れるくらい頭もよくて、仕事の能力も高いのに、いつまで経っても「自分なんてまだまだ……」なんて言っている人もいる。

また、ルックスがいまいちでも、堂々と振る舞っていて、異様にモテるという人もいる。

まわりは、「この人はどうしてこんなに自信満々なんだろう」と不思議がっているが、本人はいっさい気にしていない。ようするに、自信を持つのに「天賦のもの」はいらないのである。

他方、「まだ実績が不十分だから、自信が持てない」などと言う人もいるが、これも同じだ。

たしかに世間には、「年間10億を稼いだ」とか「東大を首席で卒業した」とかいうふうに、具体的な実績を根拠にして自信を抱いている人がいる。だが、こういう自信は長続きしない。

つねに「上には上がいる」のが競争の世界だからだ。

いつまでも東大卒を鼻にかけている人間は、ハーバード卒の人たちに囲まれた瞬間、劣等感に苛まれる。

「10億稼いだ」と威張っていても、世界に出ればそんな人間はいくらでもいる。また、「根拠のある」自信は、とても危うい。根拠のほうが崩れれば、それが支えていた自信も崩れるからだ。

一流企業の社員であることを誇りにしている人は、会社の肩書きを失った途端に、自信がなくなる。

10億稼いだ実績に自信を得ている人は、稼げなくなると途端に弱気になってしまう。だから、自信には根拠なんてないほうがいいのだ。根拠がないからこそ、崩れることがない。死ぬまでずっと自信を持っていられる。

本当の自信とは、「自分の心に寄せる強固な信用」である。

はっきり言ってぼくは、自分の実務能力や頭のよさ、センスや人間性などに、一ミリもプライドを持っていない(自信があるのは身体の丈夫さくらいだ)。

それでもぼくに自信があるように見えるとすれば、それはぼくが「自分の心だけはコントロールできる」と確信しているからだ。

外部の世界は、思うようには変えられない。だから、身体の力を抜いて「川」にプカプカと浮かび、ただ「漂流」する――それが最善だ。

自分が何を持って生まれるか、どんな幸運に恵まれるか、どんな「滝」に出くわすか――それらはコントロールできない。

だから完全に諦めていて、悪あがきはしない。

けれども、「川」から見える景色やその意味は、自由に「解釈」を変えることができる。他人の目を気にするのをやめて、つねに本音を言い、おいしい「果物」のことだけを考える。

思いどおりにできるのは自分の心だけだ。そこにフォーカスしていれば、「滝」から落っこちる逆境の経験ですらたのしめる。

お金、他人、リスク、目標、死……こうした外部のことに惑わされず、自分の手綱をしっかりと握っていられるという確信――。

「過去」や「未来」に心を奪われず、いつでも目の前の「現在」に夢中になっていられるという手応え――。

それが「本物の自信」をつくる。これさえあればまさに「無敵」だ。

そのために必要なのは、「将来」のために自分の能力を高めたり、人を圧倒するような「過去」の実績を積み重ねたりすることではない。

「現在」を生きることだ。「現在」のなかにしか希望はない。それがわかったら、あとは「時間について考える時間」すらムダだ。

さあ、本を投げ出して、最高の「いま」を生きよう。

堀江貴文

著者略歴堀江貴文ほりえ・たかふみ1972年福岡県生まれ。

実業家。

SNSmedia&consulting株式会社ファウンダー。

インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー。

元・株式会社ライブドア代表取締役CEO。

東京大学在学中の1996年、23歳でインターネット関連会社の有限会社オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を起業。

2000年、東証マザーズ上場。

2004年から05年にかけて、近鉄バファローズやニッポン放送の買収、衆議院総選挙立候補など既得権益と戦う姿勢で注目を浴び、「ホリエモン」の愛称で一躍時代の寵児となる。

2006年、証券取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、懲役2年6カ月の実刑判決。

2011年に収監され、長野刑務所にて服役するも、メールマガジンなどで獄中から情報発信も続け、2013年に釈放。

その後、スマホアプリのプロデュースや、2019年5月に民間では日本初の宇宙空間到達に成功したインターステラテクノロジズ社の宇宙ロケット開発など、多数の事業や投資、多分野で活躍中。

メールマガジン「堀江貴文のブログでは言えない話」は購読者1万人以上、会員制コミュニケーションサロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」でも優秀な人材を輩出し続けている。

著書に『ゼロ』(ダイヤモンド社)、『本音で生きる』(SB新書)、『多動力』(幻冬舎)、『自分のことだけ考える。

』(ポプラ新書)など、ベストセラー多数。

Twitterアカウント:@takapon_jpはフォロワー数330万人を超える。

ホリエモンドットコム|堀江貴文http://horiemon.com/

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