chapter5「健康」こそが最大の時間投資である29病気を防がないから人生の持ち時間が減ってしまう30「食べてはいけない」に踊らされてはいけない31最低限の食事リテラシーを。
あとは自分の感覚32睡眠時間を削るのは寿命の「前借り」33ウソがいちばんのストレス源。
つねに本音で生きよう34ネガティブなことを考える前に動け35「人の気持ちがわかる」なんて思わないほうがいい36ぼくは「不老不死」を本気で考えている
ここまで読んでいただければ、あらためて言うまでもないことだが、ぼくの基本スタンスはかなりシンプルな快楽主義だ。
おいしいものを食べて、おいしいお酒を飲んで、たのしいことに熱中して過ごせれば、あとの細かいことは気にしなくてもいい。
できるかぎり、自分の人生を「心地いい時間」で満たしていければ、それでいいと思っている。
しかし、本気で心地のよさを追求するのなら、同時に「不快を避ける」ことも考えるべきだろう。ようするに〝攻め〟だけではなく〝守り〟も徹底する必要があるのだ。
街中でいきなり声をかけてくる人だとか、ツイッターでアホらしいリプライを送ってくる人のように、どうしても避けられない不快というものは存在する。
こういう人間たちは、無視するなり怒鳴るなりして、その都度その都度追い返すしかない。他方で、こちらがしっかり対応すれば、かなりの確率で避けられる不快もある。
それは「病気」だ。そこでぼくが興味を持ったのが、「予防医療」という分野である。医療はいま、最もイノベーティブな領域の1つだ。
昔なら治療が難しかった病気なんかも、先端医療の最新技術を使えば、けっこう簡単に治せてしまう。
しかし、「時間を増やす」という観点で言えば、そもそも病気にならないのがいちばんいい。完璧な予防は無理にしても、早めに手を打てるに越したことはない。
しかもいまは、インターネットやSNSを使えば、病気を予防するために必要な情報も得やすくなっている。
また、スマートフォンやウェアラブル端末も登場し、人間の健康状態をつねに測定できるような環境が整いつつある。
正しい知識さえあれば、けっこう簡単に病気を予防できる環境は整っているのだ。
たとえば、2017年には37万人以上の日本人ががんで亡くなっているが、部位別に見ると、最も多いのは肺がん、次に多いのが大腸がんである。
とくに大腸がんの件数は、最近増えているのだという。大腸がんにはさまざまで複合的な要因があるが、じつは早期発見された場合の5年生存率は、いまや90%以上にまで達している。
早めに発見できれば、最も治療が見込めるがんだと言ってもいいだろう。大腸がんの早期発見に有効なのが、「便潜血検査」だ。
これは一般的な人間ドックなどのメニューにも組み込まれているし、ぼくが仲間たちと一緒につくった「予防医療普及協会」のサイトでも、検査キットを購入できるようになっている。
大腸がんのほかにも、予防が可能な病気はある。
たとえば、子宮頸がんは78人に1人の女性が罹ると言われているが、HPVワクチンの接種と定期的な子宮頸がん検診で、子宮頸がんのリスクをかぎりなくゼロに近づけられるそうだ。
それにもかかわらず、日本人のHPVワクチン接種率は世界中でダントツに低く、1%未満に留まっている。
また、胃がんの原因の99%は、ピロリ菌という細菌が関与していることがわかっている。だから、ピロリ菌除菌をしさえすれば、胃がんになる確率は低くなるのだ。
さらにおすすめなのが、3カ月に1回程度のペースで歯科検診や歯石除去を受けることだ。これだけで、おおよその歯周病は防ぐことができるからだ。
歯周病のある人は心筋梗塞、脳梗塞を発症する可能性が高くなることがわかっている。口臭を抑えるだけでなく、長期的に考えてもQOLを維持するために必要である。
これらは決してあなただけの問題ではない。家族やパートナーが病気になれば、結果的にあなたの自分時間も激減することになるからだ。
予防法がわかっているのに、具体策を講じないのはおかしい。超過密スケジュールのぼくですら、毎年1回は人間ドックを受診している。
「忙しい」は言い訳にならない。
□「健康」は時間術のベースであることに気づこう
防げる病気をしっかりと予防することは、「自分時間」を確保するうえで不可欠だ。
他方で、健康に気を遣いすぎるあまり、かえってそれがストレスになるようなことがあってはいけない。身体の健康ばかりに気を取られて、心の健康が損なわれてしまっては本末転倒だ。
予防医療普及協会が「胃がん」「大腸がん」「子宮頸がん」などの予防知識啓発に力を入れているのは、これらの病気で亡くなる人の多さに対して、それを予防する手段が比較的シンプルで手軽だからである。
簡単に予防できることが科学的にわかっているのに、世の中に知識が行き渡っていないばっかりに、これらの病気で亡くなってしまう――そんな不条理がぼくには許せない。だからこそ、この活動に力を入れたいと感じたのだ。
しかしこれは、「健康上のあらゆるリスクを心配しながら生きろ」という話とは、まったくの別物である。
軽微なリスクにビクつきながら、根拠や効果のはっきりしないあやしい健康法に飛びついている人たちとは同じにしないでほしい。
世の中には、健康に異常な関心を示す人が一定数いる。
彼らは、何事に対しても「身体にいいか」ばかりを気にし、あやしい健康情報を鵜呑みにする傾向がある。
いちばん典型的で罪深いのは、「放射能」を気にしすぎる人たちだ。原発事故があって以来、放射能による健康被害については、さまざまなデマが流されてきた。
こういう情報に翻弄されて、ヒステリックなまでに健康に不安を抱き、さらにデマを拡散してしまっている人たちを見ると、情けないような気持ちになる。
メディアはメディアで、危機感を煽るような記事のほうがPVや部数が稼げるから、多少得体の知れないところがあろうと、平気でそういう情報を流してきたのだろう。
心配しても仕方がないことに怯えて、あやしい情報に振り回されている人が、なんと多いことだろう。
しなくてもいい我慢をして、ストレスを溜め込んでいれば、かえって身体にも悪影響が出たりするかもしれない。
とくに食事絡みでは、あやしい健康至上主義者がたくさんいる。
ぼくが焼肉の写真をインスタグラムにアップすると、「肉だけじゃなく、野菜も食べたほうがいい」などと忠告してくる人がいる。
これ以外にも「グルテンフリー(グルテンを含まない食事)がおすすめ」だの「化学調味料は避けろ」だのと本当にうるさくて仕方がない。
こういう人たちにはうんざりだ。
なぜ自分の食事習慣を、他人に押しつけようとするのだろうか。
ちなみに、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の医学部で助教授をされている津川友介さんに聞いたところ、「グルテン不耐性以外の人にもグルテンフリーが健康にいい」とか「化学調味料は身体に悪い」とかいった俗説には、何も科学的根拠が確認されていないらしい。
たとえば、「白い(精製された)炭水化物は身体に悪い」というのは、科学的エビデンス込みでわかっている事実だ。
しかし、だからといって、金輪際、白米をいっさい食べずに我慢するというのはバカげている。
ぼくはなるべく白米を食べないようにはしているが、土鍋で炊いた白く輝くご飯をお店で出されれば、それも喜んでたいらげる。
幸せには健康が欠かせないが、食事だって人間の幸せに直結する営みだ。だから結局、すべては程度問題なのだ。
いちばんよくないのは、「健康によくない=食べてはいけない」という短絡的な思考に陥ってしまうことだ。
いい加減な情報に流されるのではなく、正しい知識を得たうえで、健康と幸福を天秤にかけ、何をどれくらい食べるのかを自分で選んでいけば、それでいいと思う。
□「心配」も健康に悪いと気づこう
食事のこととなると、「自分の正義」を他人に押しつける人が多くて困る。
さっき書いたばかりだが、ヴィーガン(菜食主義)を気取っている連中が多いインスタグラムでは、焼肉の写真を上げると、「肉の摂り過ぎは身体によくないですよ」などというクソリプが飛んでくる。
放っておいてくれ!ぼくは野菜もかなり食べるし、子どもの頃なんかは祖父がつくった野菜が大好きで、そればかり食べていたくらいだ。
また、ぼくはホテル暮らしをしているので、ふだんの食事は100%外食である。
すると、必ず〝自炊原理主義〟みたいな人が湧いてきて、「外食ばかりは身体によくない。自炊もしたほうがいいですよ」などと訳知り顔で言ってきたりもする。
しかし、本当にそうだろうか?栄養学の知識があるわけでもない素人が、スーパーで買った食材でつくる食事のほうが健康にいいとは思えない。
コンビニ飯やファストフードならまだしも、ぼくがふだんの食事を摂っているのは、素材や調味料にもこだわっているお店ばかりだ。
下手な自炊よりよっぽど身体にいいし、満足度も高い。決して「高級なものを食べろ」と言いたいわけではない。
グルテンフリーにしろ、化学調味料にしろ、ヴィーガンにしろ、自炊にしろ、とにかく食事に関しては、素性のよくわからない思い込みが根強く広がっている。
しかも、まことしやかな詭弁で、それを人に押しつけるということが横行している。こんなものに貴重な時間を奪われてほしくないのだ。
百歩譲って、効果のない方法を勝手に信じて、個人が勝手にストレスを溜め込むだけならまだいい。
しかし、大勢の人を巻き込む自然信仰みたいなものについては、ぼくはこれからも徹底的に戦っていく。
これらは、誤った知識やデマを広めることで、人々の人生を奪っているからだ。
以前、ぼくがピロリ菌除菌の啓蒙活動をはじめた際にも、ツイッターで「そんなことをしなくても、私はヨーグルトを食べているので、ピロリ菌の心配はありません」というリプライが飛んできて、思わずのけぞったことがある。
ヨーグルトでピロリ菌を死滅させられると思っているのだ。恐るべきリテラシーのなさである。やはり食事に関しては、最低限の知識は必要だろう。
その一方で、すべての食事を〝科学的に証明されたもの〟に限定する必要はないと思う。
科学だってつねに発展の途上にあるのだから、気にしすぎもよくない。
たとえば、和牛好きのぼくには信じ難い話だが、現時点では「赤身肉は健康に悪い」というのが定説らしい。
しかし今後、より詳しい検証が進めば、違う結論が出るかもしれない。
あくまでもぼくの体感値だが、「A5等級のBMS12」という最高ランクの牛肉であっても、育ちや飼料の違いによって、うま味が感じられなかったり、食べたあとに胸焼けを起こしたりすることもある。
肉質ごとにもっと細かくデータをとって比較研究を行えば、「〝粗悪な〟赤身肉は健康に悪い」という結論に修正される可能性もあるだろう。
いずれにしろ食事は、動物としての本能的な喜びにダイレクトにつながっている営みだ。
最後は、他人の意見でも、科学的根拠でもなく、自分の感覚を頼りにするのがいちばんだろう。
だからぼくは、最終的には「おいしいもの=身体にいいもの」だと信じるようにしている。
□食事を気にしすぎるのもストレスになると気づこう
いつも「とにかく動き続けろ」と言っているせいだと思うが、「堀江さんっていつ眠るんですか?寝ていないんですか?」などと言われることがある。
誤解しないでほしいが、ぼくはかなりしっかりと眠るようにしているほうだ。
つい、たのしいことが続いて、睡眠時間が5~6時間になってしまうこともあるが、平均して7~8時間くらいは眠るようにしている。理由は簡単。
ちゃんと眠らないと、翌日のパフォーマンスが下がることを知っているからだ。ぼくの場合、睡眠時間が5時間をきると、次の日はまず使いものにならない。
頭がぼーっとして情報を処理するスピードが落ちたり、いつもならパッと決断できることに時間を取られてしまったりする。
睡眠時には、脳脊髄液という「洗浄液」が分泌され、アミロイドβタンパク質という老廃物を洗い流してくれているそうだ。
つまり、実際に睡眠不足は脳によくない。また、睡眠不足は脳だけでなく、身体にも悪影響を及ぼす。まずぼくの場合、まともに寝ない日が続くと、体重が増えて全身が重たくなってくる。
睡眠中は汗をかくから、脂肪も燃焼されているのだろう。だから、たっぷりと眠りを確保できる日が続くと、1週間ちょっとで2、3キロくらい落ちることもある。
また、寝不足だと風邪をひくことも多くなる。少しでも風邪っぽいなと感じたら、すぐにしっかりと眠る。そうすれば、悪化させずに治すことができる。
ようするに、睡眠は「時間を増やす」うえでは、きわめて重要なのだ。勉強にしろ、仕事にしろ、「睡眠時間を削ってがんばる」という解決策は、いつだって悪手である。
「時間がない、時間がない」と言っている人ほど、1時間長く起きてがんばろうとする。
そんなことをするくらいなら、1時間早く寝て、翌日にその倍のスピードで仕事を終わらせたほうが、手持ち時間は多くなる。
人に与えられている時間が平等だとまでは言わないが、眠りを削って生きている人というのは、未来の時間を〝前借り〟し、人生を〝先食い〟しているにすぎない。
「徹夜で資料を仕上げました」「ショートスリーパーなので2時間寝れば十分です」そんなことを誇らしげに言う人がいるが、すごいともうらやましいとも思わない。
すでに述べたが、人間の欲望は、1日サイクルでリセットされるようにできている。睡眠の欲求は、その基礎とも言うべきものだ。
翌朝から「すべてがリセットされた状態」で軽やかに動きはじめるためには、よりよい睡眠が欠かせない。眠ることは、あなたの人生を充実させるうえでの、最重要事項だと言ってもいい。
その際、ぼくが気をつけているのはただ1つ、「仕事を持ち越さないこと」である。「膨大な仕事を抱えているので、夜になっても仕事が終わらない」という人も多いだろう。そんなとき、「残りは明日にやればいい」という考えは、おすすめしない。
ぼくはつねに「その日の仕事はその日のうちに終わらせる」ことを心がけてきた。一度手をつけたなら、その仕事は必ずその日のうちに処理する。残された時間内でベストを尽くし、「終わらせる」ことを最優先にするのだ。
「残された時間内で」という点を忘れてはいけない。十分な睡眠のための時間は確保するのが大前提である。頭のなかに「その日の仕事」を積み残したままベッドに入るのは、精神衛生上よくない。
すべてを完了させ、頭をまっさらにしてこそ、全力で深い眠りに落ちることができるのだ。
□その日の仕事を完了させ、たっぷり寝よう
神経質なまでに健康を気にして食事をセーブするくらいなら、現代人は「心の健康」のことをもっと考えるべきだとぼくは思う。
といっても、うつとかメンタルヘルスとかいった本格的な医療以前の、ストレスケアのレベルの話だ。ストレスは万病のもとになり得る。
実際、ストレスが免疫系の働きを低下させるというデータもあるし、人間の老化にも深く関わることがわかっている。
大きなストレスを抱えて生きている人は、実年齢に比べても老けていることが多いし、どこかくたびれているように見える。
また、集中力やパフォーマンスに対しても、ストレスが悪影響を及ぼすのは、言わずもがなだろう。ようするに、ストレスを放置すればするほど、人生で自由に使える時間は減っていく。そう、ストレスは「時間の大敵」なのだ。
不思議なのは、「身体の健康」に関しては世の中の関心も高いのに、「どうやって心を健康に保つか」ということについては、意外とみんな無頓着で、それぞれが我流で適当に対処(あるいは放置)しているということだ。
みんな、「ストレスを我慢すること」に熟練しすぎている。満員電車などその最たるものだろう。
ふだんから言いたいことを言い、食べたいものを食べ、寝たいだけ寝るようにしているので、ぼくはストレスがまったく溜まらない。
イヤな人間や状況に出くわすこともあるが、あまりにも不愉快なときはその場で発散するようにしている。「自分時間」を生きたいのならば、極力、ウソをつかないほうがいい。
ウソをつくということは、相手の信じる現実にこちらが迎合する行為だから、ウソをつけばつくほど、その人は「他人時間」を生きなければいけなくなる。
日々の自分を振り返ってみてほしい。
心の底ではくだらないと思っているアイデアに対して、つい「へえ、それはいいアイデアですね」などと言っていないだろうか?本当は1ミリも納得していないのに、「なるほど。
了解しました」と返事をしたりしていないだろうか?余計なお世話だと感じているのに、「お心遣い、ありがとうございます!」などと頭を下げていないだろうか?これだって立派なウソだ。
本音を隠すたびに、あなたの人生は、どんどん「他人時間」で埋め尽くされていく。他人の都合に合わせた人生になっていく。
いまから13年前、ライブドア事件の容疑者として東京拘置所の独房に入れられたときですら、ぼくはウソをつかなかった。
こういうときは、検察サイドがつくりあげた明確な「ストーリー」が用意されており、容疑者がそれをすっかり飲み込むまでは、執拗に取り調べが続けられる。
しかし、彼らがこしらえた「筋書き」は、ぼくが知っている事実とはまったく違っていたし、そもそものロジックが破綻していた。
ウソをついてまでそれを認めても、何かメリットがあるようには思えなかったし、そもそもぼくは、自分の気持ちにウソをつくことに我慢がならない。
だから、最後まで本音だけを語り、容疑を否認し続けることになった。別に、「何があっても、絶対にウソをつくな」と言っているわけではない。
「ウソも方便」という場面はあるかもしれない。しかし、少なくとも「自分に対するウソ」だけはつかないほうがいい。
ストレスを溜め込みながら、本心に逆らって生きることに慣れてはいけない。
自分の本音がどこにあるかすらわからなくなる前に、やりたいことをやって、言いたいことを言おう。
□自分のウソに自分が毒されないようにしよう
ストレスを減らすためには「ストレスがどこからやってくるか」を知っておくことだ。
結論から言ってしまえば、ストレスの99%は「過去」か「未来」に由来したものである。
たとえば、「明日のプレゼンでうまく話せるだろうか……」とか「このプロジェクトがうまくいかなかったらどうしよう……」というように、未来のことを心配する場合。
あるいは、「昨日、お客様の前でどうしてあんなことを言ってしまったのか……」とか「あんな仕事を受けなければよかった……」などと、過去のことを後悔する場合。
こうやって、過去を思い出したり、未来を不安に思ったりすることで、人の心は大きなストレスを感じる。
逆に、プレゼンしたり、プロジェクトに熱中したりしているまさにその瞬間には、人間はそれほどストレスを感じない。
「現在」のなかには、大したストレスは存在していないのである。
人間の脳みそは、目の前にありもしない過去を再現したり、未来をシミュレーションしたりして、「わざわざイヤな感情を水増しする」という厄介なクセを持っている。
だとすれば、取るべき対策もシンプルだ。
まず、「過去」については、なるべくその場で感情の整理をつけることだ。
たとえマイナス感情を先送りしても、それはいずれ、より大きなストレスとなって戻ってくる。
しかも、感情の〝反芻〟によってぶり返した怒り・モヤモヤは、強化されていることが多い。
先日、飛行機の座席に座っていたら、中年女性がいきなりぼくの手を握ってきたことがある。
彼女はぼくのファンで、握手のつもりだったらしいが、ぼくは「あなた、気持ちが悪いですよ」とはっきり言った。
たとえ若いきれいな女の子だったとしても、不意に手をつかまれれば気持ちが悪い。そんなのはあたりまえだ。
たいていの人は「ファンなんです」などと言われれば、その場ではグッと耐えてしまうところだろう。だが、ぼくは自分が不快に思ったのなら、それを相手にしっかりと意思表示する。
そこで泣き寝入りをしても、どうせあとでもっとイヤな気分になるのは目に見えているからだ。他方、「不安」への対策は、「先のことを考えないようにする」というのが基本だ。
避けられないイヤなイベントが、数日後に待ち受けているのであれば、そのことは思考の外に追いやってしまえばいい。
わざわざ心配しても、当日のストレスが減るわけではない。わざわざイヤな気分を〝先取り〟しても、何もいいことがないのだ。
事件の裁判が続いていた頃、いつもぼくがあっけらかんとしているのを見て、まわりの人たちはずいぶんと驚いていた。
たしかにぼくのメンタルが強いのもあるかもしれない。
しかし、当時のぼくは「翌日の裁判」とか「裁判後の未来」とかについて、何も考えないようにしていた。
ただでさえ面倒が多いのに、クヨクヨと未来のことを思い悩んで、不愉快な感情を増幅するのは、バカらしかったからだ。
では、過去や未来について考えないようにするには、どうすればいいのか?これも答えは簡単だ。極限まで予定を詰め込んで、忙しくするのである。
あなたの意識が過去・未来のほうに彷徨い出てしまうのは、あなたの現在がスカスカで中身がないからだ。
脳が「暇」をしているから、記憶や不安で意識を満たそうとしてしまうのである。暇はやはり悪だ。
ムダなことを考える余裕がなくなるくらい、自分時間で予定をいっぱいにし、目の前のことに熱中し続けられる人生をつくればいい。
□「今」を生きればストレスはなくなる
飛行機でいきなり手を握ってきたおばちゃんのことをツイートしたら、「彼女はきっと、堀江さんの『本音で生きる』を実践したのでは?」というリプライがあった。
これはひどい誤解だ。
「本音で生きる=自分本位に生きる」ということは、他人の迷惑を顧みずに、まわりから時間を奪うこととイコールではない。
誰にでも「自分の時間」を生きる権利はあるが、「他人の時間」を奪う権利はない。
そのラインを踏み越えてくる人間とは、徹底的に戦うか、完全に無視するかのどちらかしかない。
かといってぼくは、「相手の気持ちを考えてから行動しろ」と推奨したりもしない。
ぼくは昔から「堀江は人の気持ちがわからないやつだ」とよく言われた。
だが、そもそも人の気持ちなんてわかるものだろうか?むしろ、「私は人の気持ちがわかります」と公言できるような輩に、ろくな人間はいないように思う。
「人の気持ちがわかる」なんて大きな驕りなのだ。
もちろん、表情や仕草・言動から、「この人はいま、こう思っているのでは?」と想像するのは個人の自由だ。
しかし、勝手にそれを信じ込んで突っ走る人物には、本当に迷惑する。
想像上ででっち上げた「人の気持ち」を基準に、行動を決める――いわゆる「忖度」ほど危険なものはないのである。
ぼくにだって、人のやさしさや配慮が身に沁みた経験はたくさんある。
事件で拘置所にいたとき、マスコミからボコボコに叩かれていたぼくのところに、ライブドアの社員たちが「寄せ書き」を持ってきてくれたことがあった。
そのなかには、それまでずいぶんと厳しい注文をつけたり、人前で罵倒したりしてきた社員の名前もあったが、彼らの「がんばってください」「信じています」という手書き文字を見た瞬間、涙が止まらなくなった。
また、ぼくにとって「動き回る」のを制限される拘置所という空間は、地獄そのものだった。
何もせずにじっとしていると、頭がおかしくなりそうになる。
なかなか眠れずに、悶々として寝返りを打っていたある夜、一人の刑務官がぼくの独房の外までやってきて、「大丈夫?ぼくでよければ話し相手になるよ」と扉越しに声をかけてくれたことがあった。
彼の言葉にどれだけ救われたことか……。たしかに世の中には、人の気持ちを読み取って行動に移せる人がいる。しかしぼくは、それと同じくらいたくさん人に裏切られたり、ダマされたりしてきた。
ぼく以上に人の気持ちがわからない人間がたくさんいるのも知っている。それなら、人は「自分の幸せ」のことしか考えられないと思っておいたほうがいい。他人がどんな思いをしているのかなんて、本質的には知りようがないのだ。
いまだにぼくも、よくわからないことで人を怒らせてしまったり、人の行動がまったく理解できなかったりする。
たぶん知らないうちに、たくさんの人をイヤな気分にさせてもいるのだろう。だから、人の感情なんて不たしかなものを基準に行動を決めるのは、やめたほうがいい。あくまでも基準にするべきは「時間」だ。
あなたのアクションによって、他人の時間が減らないなら、何も気にすることはない。やりたいようにやればいい。
ぼくが反ワクチン主義者だとか、なんちゃってヴィーガンたちをぶっ叩いて、「予防医療」を普及させようとしているのは、それがみんなの時間(=人生)を増やすことにつながると確信しているからだ。
たとえ一部の人の感情を逆なですることになっても、それが結果的に人々の「時間」を増やすなら、かまう必要なんてない。
「自分の時間」を全力で生きればいいのだ。
□他人に「お節介」する暇があるなら、「自分の時間」を生きよう
インターネットビジネスの世界以外で、ぼくを魅了してきた分野をあげるとすれば、おそらく「宇宙」と「ライフサイエンス」ということになる。
宇宙旅行のビジネスについては、若い頃からずっと考え続けている。
何度もロケット打ち上げにトライしているのも、人類に残された最大のフロンティアの1つは、宇宙だという確信があるからだ。
「宇宙旅行なんて無理だ」なんて言う人はいまだにいるが、長いスパンで見れば、ぼくらの頭で発想できることは、たいていが実現すると思っておいたほうがいい。
100年前には「世界中の人が手元の小さな機械で、リアルタイム映像をたのしむようになる」なんて話を信じる人は少なかっただろう。
しかし、その程度のことは、どんどん実現していってしまうのが、この世界の基本設計だ。
「100年スパン?ホリエモンはいったい何歳まで生きるつもりなんだ?」と思われるかもしれないが、まさにそれと関係するのが、ライフサイエンスの分野、とくに不老不死だ。
正直なところ、ぼくは「100歳までは生きられればそれでいい」というぬるい考えはいっさい持っていない。なんなら「不老不死」になりたいと本気で思っている。
これは決して荒唐無稽な願望ではない。少し前には、グーグルが老化研究のベンチャーを立ち上げたことが話題になった。
フェイスブックのザッカーバーグ夫妻も、長寿に関する研究に賞金を用意したりしているし、ペイパル創業者で起業家のピーター・ティールなどは、人体の冷凍保存技術に多額の投資をしたという。
そう、いま世界では、不老不死の研究に莫大なマネーが流れ込んでいるのだ。研究者のなかには「人間を1000歳まで生きられるようにする」などと豪語する者もいる。
こういうビジョンをバカにする人もいるが、果たしてどうだろうか。
アメリカのネバダ州で発見されたイガゴヨウマツのような4000年生きられる植物がいるのに、動物が4000年生きられないという理屈はない。
「世界一周なんてできない」「空なんて飛べない」「遠く離れた人とは会話できない」といった常識だって、ことごとく破壊されてきた。
「人間は年老いて、いつかは死ぬものだ」――それが通用しなくなる時代がやってきても何もおかしくない。
こういう話をすると、「1000年も生きたくない」とか「そんな長寿社会がやってきたら、人類は不幸になる」とかいったくだらない意見が飛んでくる。
死にたい人は、頃合いのいいところで自由に死ねばいいし、「長寿社会=ディストピア」という発想もあまりに短絡的だ。
好きなだけ生き続けられて、いつでも若返りが可能になれば、人口減少や少子高齢化といった問題は、根本から解消することになる。
ようするに、不老不死研究が描く未来に対して、ネガティブな面にしか目を向けられない人というのは、決して確固たるロジックがあるわけではないのだ。
彼らは、ただ「自分の世界」を守ろうとしているにすぎない。ぼくはその価値観までも否定するつもりはない。だから、こちらにも踏み入ってこないでくれと思う。
「人生でいちばん大切なものは時間だ」「たのしいことに熱中できる『自分時間』をいつまでも過ごしたい」と語るとき、ぼくがどれくらいの「熱量」を込めているかを、わかっていただけただろうか。
ぼくはもっと時間がほしい。いまのところ、ぼくには死ぬつもりはない。
不死を全員に強いるつもりはないが、いま以上の長寿時代は、まず間違いなくやってくるだろう。
そこで手にした膨大な時間を、あなたはまたもや他人に明け渡してしまうのだろうか?それではあまりにもったいないと思う。
□寿命が1000歳になったら明日から何をするか
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