天風小伝──まえがきに代えて
財団法人天風会会長医学博士杉山彦一人は、自分の体験と学問の範囲でものをいう。
範囲を超えたことに遭遇すると人は、うそ(否定)、ほんと?(疑惑)、信じられない(不信)と、拒絶的態度に出る。
中村天風という人物は、われわれの日常的な体験や学校で教える学問の領域を、はるかに超えている。
中村天風と遭遇した時、あなたは、どんな態度に出るか。拒否か、それとも信服か、私は関心をもつ。
一人の人物やその思想を理解しようとするならば、まずその人の性格、その生きてきた環境、そしてそこでの、その人の反応態度を見つめてゆかなければならない。
性格というと、まず両親に触れなければなるまい。
父、中村祐興は、九州、旧柳川藩士、性は剛毅。
若くして長崎に遊学、新しい学問を身につけ、新聞やカメラにも興味を示すなど、新文明に進んで接触し、とりこんだ人物である。
維新後は、明治政府に仕官し、紙幣に使う紙の研究と開発に尽した。
従来和紙の主要原料として使われていた三椏や楮に、絹の襤褸切れを交えて、強靱な紙幣用紙を開発した。
「中村紙ト名付ク」と記録にある。
その方面の第一人者であった祐興は、大蔵省、紙幣寮の抄紙局長となった。
母、長子は、江戸は神田、小川町の生れ、性は気丈、顔立ちも言葉も、態度も、さわやかな女性であったという。
当時、紙幣用紙の製紙工場は王子にあった。
江戸の頃から桜の名所であった飛鳥山に続く王子のあたりを、音無川は勢いよく流れていた。
祐興は、工場長を兼ねていた。
工場の官舎で、明治九年、三番目の男子が出生した。
三郎と名づけられた。
中村も、三郎も、日本のどこにでもみられるありふれた姓であり、名である。
だが、その生涯は、誰の追随も許さない苛酷、波乱の半生となり、後年は、中村天風という迫力ある指導者として、世の人々の敬慕してやまない大人物になるという特異な人生を生きることになるのである。
三郎の性格は、父、祐興の九州男子の剛毅さと、母、長子の江戸女の気丈さとが結合して、激しい負けず嫌いという性格を形成した。
「くそ一番、負けるものか」という激しい気性は、三郎が生涯で遭遇する幾多の生命の極限状態を、つきぬけさせるのである。
「徹底的に、とことんまでつきつめる」という三郎のもう一つの性格は、生命に対する哲学的、科学的な徹底的研究に三郎をかり立て、ついには、整々たる体系をもつ心身統一法を創見するという偉業を成しとげさせてしまうのである。
また「優位に立たねば気がすまぬ」という気性は、それだけの創意と工夫と努力を三郎に強制し、ついに剣も書も画も、事実上優位に立たせてしまうのである。
負けん気も、徹底性も、実は三郎の生命力の激しいほとばしりであったのである。
生命力の激しいほとばしりは、俊敏な身のこなしと、素早い頭脳の回転となって表現された。
身体と頭脳の俊敏性は、年少の三郎には、まず激しい悪戯として噴出した。
三郎が喧嘩をすると、相手の指をへし折るか、耳をひきちぎる程の徹底ぶりであった。
両親の手に負えぬ程の悪戯を重ねた三郎は小学校を卒えるとすぐ、福岡にある父の知人の家に預けられ、中学は修猷館に通学した。
そこでも、三郎の粗暴な行動は続いた。
中学三年の時、柔道試合の遺恨から、出刃包丁をもった中学生ともみ合ううちに、出刃包丁は相手の腹に突き刺さった。
中学生は死亡した。
取調べの結果、三郎は正当防衛で釈放されたが、修猷館は退学となった。
ここで三郎は、福岡の壮士の集団である玄洋社に預けられるのである。
荒くれ男のぶつかりあう玄洋社の気風は、激しい気性の三郎には、程よい環境であった。
三郎はここで、巨大な人物、頭山満に出会うのである。
人生は、誰とめぐりあうかによって、決まるといってよい。
誰のいうこともきかぬ激しい気性の三郎が心から心服し、尊敬した人物が、頭山満であった。
三郎は終生、頭山満を師と仰いだ。
ある日のこと、河野金吉という陸軍中佐が玄洋社を訪れてきた。
「日本と清国(中国)との間に、戦が起る気配がある。今のうちに遼東半島の視察旅行(実はスパイ)をしたい。鞄持ちが一人欲しい。命知らずの若い者は居ないか」という。
即座に、武術ができて、俊敏な三郎が選ばれた。
三郎十七歳の頃である。
河野中佐につれられて三郎は、遼東半島の錦州城、九連城の探索に当った。
知らん顔をして、人眼を盗み、城の地形や兵の配備を探ることに、快感をおぼえた三郎の血は湧き、心は勇み立った。
日清戦争では、事実このあたりが、主戦場となった。
これから約十年程して、日本とロシヤとの国交は急に緊迫してきた。
参謀本部は秘密裡に、軍事探偵を募集した。
かつて河野中佐から、軍事探偵の手ほどきをうけた三郎は、その時の快感が忘れられず応募した。
いの一番で採用された。
探偵としての訓練をうけた三郎は、明治三十六年には、ハルピン方面を担当する、スパイ活動に入った。
旧満州(現・中国東北部)生れ、旧満州育ちの、満州人さながらの風貌の橋爪という探偵とコンビを組んだ。
鉄橋を爆破し、夜間行軍する砲兵部隊に斬り込み、司令部に秘密文書を盗みに入るなど中村探偵の豪胆と俊敏さは、スパイ活動の中で存分に発揮された。
だがついに、黒竜江軍の竜騎兵に捕えられ、死刑の宣告をうけ、銃火一発、銃殺の瞬間、橋爪の投げた手榴弾の爆発により、助かるのである。
中村探偵のすさまじい程の活躍は、三郎の実弟、浦路耕之助(筆名)が『ある特務機関の話』(博文館発行)として書いた。
これを劇作家竹田敏彦が脚色し、『満洲秘聞』と題して、昭和七年五月、新国劇一座により、京都南座で上演され、続いて秋、東京及び大阪でも上演された。
ちなみに中村探偵を、島田正吾が演じている。
これを見た頭山満は「天風、お前の方がよか男じゃ、舞台に出て、やれ」といったという。
中村探偵の旧満州での生活は、苛酷なものであった。
腐った芋を口にし、ぼうふらのわいた水を飲んだという。
日露戦争は、勝利のうちに幕を閉じたが、三郎は、しきりに咳をするようになり、ついに血を喀いた。奔馬性結核と診断された。
症状が派手で、馬が疾走するように速く病状が進行し、死に至るという、悪性の肺結核であった。後にいう急性の粟粒結核である。
当時の肺結核は、死病ともいわれ、的確な治療薬はなかった。名医といわれた北里袈裟三郎先生の指導をうけたが病状は好転しなかった。
宗教に救いを求めるかということで、父の伝手で、キリスト教の名のある牧師が訪れてきたが、ただ「祈れ」というだけであった。
続いて著名な禅の指導者が、ツカツカと病室へ入ってきて、いきなり「肺病やみの若い者は、お前か。馬鹿め‼」と罵倒して帰って行った。
世間で著名といわれる人の指導には、理論もなければ、方法もなく、愛情のこもった説明もなかった。
三郎は、腹が立った。
後に三郎が天風となり、理論も方法も整然とした心身統一法を創見し、その大説法者となり、温かく、多くの人々を救ったのは、この時の、病む者の苦悩の体験があったからにちがいない。
人は病いとなれば故郷に帰るのに、三郎は、救いの道を求めて、アメリカに渡るのである。病床で読み感動した本の著者を、アメリカに訪ねたが、的確な返事は得られなかった。
フィラデルフィアでうけた人間改造の講習会は、心理学と神経の初歩的知識が語られるだけで、期待した成果は得られなかった。
老哲学者カーリントンは「若くして人生を求めることは尊い」と、三郎を褒めるだけで何も教えてくれなかった。
一つだけよかったことは、香港の華僑の息子の身代りに、コロンビア大学に通い、医学を学ぶことができたことであった。
三郎の生れた王子の工場に、イギリス人の技師がいた。
三郎は、技師に可愛がられているうちに、英語をおぼえた。
三郎にとって英語は、彼方の言葉ではなかった。中国語は、軍事探偵として身につけた。英語と中国語がここで役立つのである。
医学を学んだが、三郎の結核は治らなかった。だが華僑から、身代り受講に、多額の謝礼をもらったことは、三郎の希望を続けさせた。
憧れてきたアメリカ大陸は、三郎を救ってくれなかった。三郎はアメリカを後にした。
秋の大西洋は荒れた。乗客は、ひどい船酔いに悩まされた。
船の食堂に食事をとりに来たのは、三郎とイギリスの退役の海軍大佐の二人だけであった。
大佐は三郎に近づいて来て「自分は世界の海を乗り廻した海軍大佐である。どんな時化でも酔うことはない。あなたは、丈夫そうにも見えないが、船に酔わぬ秘訣は」ときいた。
「秘訣なんかありゃしませんよ。脈は速くなるし、血は喀きそうになる。今にも死ぬかと思うと、とても酔ってるひまはありませんよ」と三郎はいった。
荒れた航海で、衰弱し、フラフラになった三郎は、やっとロンドンにたどりついた。
しばし休養した三郎は、「神経療法」のセミナーに参加した。勿体ぶった先生が、心理学と神経学を話すだけで、三郎に新知見を加えるものは一つもなかった。
ただ一つの魅力は、最後の講義で「病いを治す秘訣を教える」ということであった。
いよいよ最後の講義になった。
彼の先生は威厳を正して「これから病いを治す秘訣を教える」といった。三郎は、これさえ摑めばよいと、息をつめて聞き耳を立てた。
彼の先生は、声を大にして「忘れよ、これのみ。病いを忘れよ。これが秘訣だ」と叫んだ。
三郎はすぐさま控室にその先生を訪ねていった。
「病を忘れたいのはやまやまです。忘れたくても、忘れられないで困っています。忘れる方法を教えてください」「そんなことをいっていたら、いつまでたっても忘れられない」「忘れる方法を教えてくれなければ、忘れられない」押し問答をくりかえしていたが、らちはあかなかった。
三郎は腹立たしさに、ドアを蹴立てて去った。
「How to sayは易し。されどHow to doがなければ人は救えない」。
高い講習料を払って三郎が得たものは、これであった。
失意の三郎を訪ねてきた友人が「お前の求めているものは、心理、精神、命だろ。それならフランスへ行けよ。フランスは心理の国、芸術の国。洒落た学問があるよ」とすすめてくれ、紹介状まで書いてくれた。
宛名を見ると、マドモアゼル・サラ・ベルナールと書いてある。
「俺、オペラを習いに来たんじゃないよ」「芸術の国フランスには、幅広い芸術家がいる。この人は、唯のオペラ女優ではない。哲学をもっている人だ。教えられることが多いよ。訪ねて行けよ」とすすめてくれた。
パリの邸に、三郎はサラ・ベルナールを訪ねた。
相当な年齢だと聞いていたが、サラ・ベルナールは、二十七か八にしか見えなかった。
「お若いですな」と三郎がいうと、「女優には年齢はありません」と、サラ・ベルナールはにっこり、ほほえんだ。
三郎は、この人の美しさと、粋な喋り方に魅せられてしまった。三郎は、サラの邸にしばらく厄介になることになった。サラの邸には、オペラ女優が花のように集い、笑いさざめいていた。
それまで笑いを、さげすんでいた三郎だが彼女達の笑いを、こよなく美しいものと思った。
それから「笑いのある人生」を願う三郎になった。
ある日のこと、サラは「カントの自叙伝」を三郎にすすめた。
読み進むうちに三郎の表情は変ってきた。カントは、胸に奇型的な痼疾をもっていたという。
時に訪れてくる巡回医師は、少年カントに向って「この病いは一生治らないだろう。だがあなたの心は病んではいない。これからは、辛い、苦しいといわずに、自分のやりたいことをやりなさい」とさとした。
それから少年カントは哲学を志し、大カントといわれる程の哲学者になったという。
三郎の眼はうるんだ。自分は朝から夜まで病いを苦しみ、恨み続けていた。自分の生き方の誤りを三郎は痛烈に感じた。
後に三郎が天風となり、心身統一法を開く時、この体験は、「たとえ身に病いがあっても心まで病ますまい」という鮮烈な叫びとなって表現されるのである。
サラの邸での三郎の生活は、何一つ不自由はなかった。
だが、三郎のもっている年来のこだわりは何一つ解決されてはいなかった。さし当り、胸を病むことの苦しさから、解放されたい。病いになってから、三郎の命への関心は高まった。
人間は、どこから来て、どこに去ってゆくのか。
人間はこの地球上に、何をするために生まれてきたのか。
命とは一体何か。
心とは何か。
身の役割は。
そして心と身の関係は。
三郎の心の中で、いくつかのテーマが交錯していた。
サラの紹介で三郎は、ドイツの著名な哲学者ドリーシュに会うことになった。ドリーシュは、動物学者であり、哲学者であった。生命の知見の深さは、当時第一といわれていた。三郎にとってドリーシュは最後の望みであった。
ドリーシュの前で三郎は、「自分は、日露戦争の時、軍事探偵として満蒙の曠野で活躍した快男児であった。それが、ひとたび結核菌に冒されると、身はおろか心まで弱くなってしまいました。心と身とは、如何なる関係にありましょうか。心を強くするには、どうしたらよろしいのでしょうか」と、英語と独語とを交えてやっと、吐き出すように述べた。
眼をつぶって聴いていたドリーシュは、やがて眼を開いて、つぶやくように、「それは人類千古の謎じゃ。西洋では私がこの問題に気づいて研究している。東洋ではそなたが関心をもって探究している。どちらが先に解決法を発見しても、世界人類の幸福になる。お互いに、しっかりやりましょう」といって応接室を出ていった。
この扉を開けたら、百花繚乱たる花園があると思ってとびこんだら、千尋の谷底であった。
三郎の最後の望みは音を立てて崩れた。
失意のどん底に落ちた時、心をよぎるものは、母の顔であった。
三郎は、無性に母に会いたかった。日本に帰ろう。三郎はやみくもに日本に帰りたかった。
サラ・ベルナールの引き止めるのをふり切って、三郎は、マルセーユの港を後にした。
客船が出るのが待てずに三郎は、貨物船に乗った。一刻も早く日本に帰りたかったのである。欧州大陸にも、三郎の求めるものは、ついに発見できなかったのである。インド洋のあたりで、血を喀いて死ぬかも知れない船旅であった。
「だが天、我を見捨て給わず。天は不思議な脚本を描くものである」と、このあたりに話が及ぶと、天風はいつも、眼を潤ませた。
「イタリアの砲艦がスエズ運河で故障して動けず。荷船はアレクサンドリアの港で数日間待機せよ」との知らせにより、荷船は、ナイルの河口の港、アレクサンドリアに入港した。
三郎の乗った貨物船に、フィリッピン人の缶焚き人夫がいた。
「この船で、東洋人は俺とお前だけだ」と、航海中にも三郎に食事を運んできてくれた。
かのフィリッピン人が「港で、たぷりたぷりと船にゆられていても仕方がない。ピラミッド見物でもしよう」と誘ってくれた。
「閻魔様へのみやげ話にでもするか」と三郎は承知した。
カイロに着いた翌日、ピラミッド見物に行こうとした朝、三郎は大喀血をした。
船旅の無理が重なってのことであろう。三郎はめまいがひどく立つこともできなかった。三郎は、ベッドで死んだように、横たわっていた。三時を過ぎた頃、ホテルのボーイが「何か食べなければ」と親切に誘ってくれた。
三郎は、ふらつく体をひきずるようにして食堂に足を運んだ。注文したスープもサラダも砂を嚙むように味気なかった。
苦虫をかみつぶしたような顔の三郎の眼に、テーブル五つ、六つ隔てた向うに、年のころ、六十がらみの、色の浅黒い人物が居るのが映った。
後ろに立った従者が、大きな羽根の団扇で風を送っている。「どこかの酋長かな」と三郎は、その人物を見た。
するとその人物も三郎を見て、にっこり笑った。
笑える状況ではなかったが、思わず三郎も、ひきこまれるように笑った。
すぐさま「こちらにおいで」とその人は、ロンドン訛りでいった。
「承知致しました」と、鉄片が磁石に引きよせられるように、三郎はその人の前に立った。
その人は、じっと三郎を見つめていた。
「お前は右の胸に、大きな疾患がある。お前は祖国へ墓穴を掘りに行こうとしている。お前は死ぬ必要はない。お前は助かる。わたしについて来なさい」。
その人は厳かにいった。思わず三郎は「承知致しました」といってしまった。
フィリッピン人は「あの男は奴隷買いだ。売りとばされるぞ」と、三郎のついて行くのを泣いて止めた。
「あの人は奴隷買いではない。見ず知らずの、肺病やみのこの俺に向って、にっこり笑いかけてくれた。たとえお世辞でも、助かるといってくれた。俺はあの人が好きだ。どうせインド洋あたりで死ぬ命だ。好きなことをやらせてくれ」と、三郎の決意は変らなかった。
翌朝、いわれた通りにホテルの裏に行って見ると、ナイルの河に、三本マストの白い船が浮んでいた。
三郎は勇んで舷側の階段を上って行った。そこにその人は立っていた。
そしていった。
「お前は救われた」と。
「あなたは、どなたさまですか、私をどこへ連れて行くのですか。どのようにして私を救ってくださるのですか」、三郎はひとことも訊こうとはしなかった。
それから三ヵ月の後、三郎を連れた一行はヒマラヤの第三の高峰、カンチェンジュンガの麓の村に到着したのである。
この村こそ、古い歴史を誇るヨガの修行の根拠地であった。三郎がカイロで出会った不思議な人物は、ヨガの聖者カリアッパ師であった。
イギリスの国王に会った帰り道の師に、エジプト、カイロで三郎はめぐりあったのである。私はこのであいを、世紀のめぐりあいと呼ぶ。
このめぐりあいを契機として、結核の一青年が救われただけではない。
三郎は後に天風となり、多くの人々を救うのである。
偉大なめぐりあいは、春の湖の波紋のように次々と、人々を救うのである。
ヨガとは俗語で、結びつけるという意味である。ヨガ修行では、統御を意味する。
ヨガ哲学では、字宙と人間との冥合を意味する。
そのためにヨガは、八つの階梯をもって修行をすすめてゆく。
- 倫理的な戒律の行。
- 様々のポーズをとる肉体的な行。
- 呼吸を強め、整える呼吸の行。
- 感覚を統御する行。
- 精神を集中する行。
- 集中し尽す行。
- そして無念無想の行がある。
三郎は、生理学や心理学の素養があったから、行のもつ意味や効果を納得の上で修行ができた。
他のヨギ(ヨガ修行をする者達)よりも早く三郎は、ヨガの核心に触れることができた。
三郎のヨガ修行の詳細は他に書いているから、ここでは省略して、先に進もう。
三郎の激しい心的訓練は続けられた。
轟々と耳を聾する程の音を立てて落ちる滝壺で、坐り続けた三郎の耳は、鳥の声や地虫の声を聴く程に集中しきった。
激しい修行の中で、三郎の魂の夜明けは近かった。
ついに三郎は、大地を叩き、涙、滂沱として流る大感動の中で、聖なる体験に到達するのである。
三郎は、感動的な聖なる体験の中で「わが生命は、大宇宙の生命と通じている」と直観するのである。
生命は、生きて、生きて、ひたむきに生きぬくものである。生きぬくために生命は、強い力とすばらしい智恵を保有している。生命は、力と智恵を行使して、絶妙な創造活動をする。
そして生物は進化し人間は向上するものであると、三郎の澄んだ眼に字宙の様相が明確に見えてきた。
かつて三郎がいだいていたこだわりは氷解し、字宙には目的があり、その方向性と法則性の中に、人間は生きねばならないと、すんなりと三郎は了解した。
この聖なる体験を契機として、肺患の青年三郎は、哲人天風に飛躍するのである。
三郎を悩まし続けていた結核は、いつしかその活動を休め、レントゲンの上に、ただその痕跡を留めるだけになった。
天風は、すさまじい程の迫力で多くの人々を救い、導いた。
かつて天風の教えに感動した東郷平八郎元帥は、自ら筆を執って、東海に哲人出で扶桑の霊界を開く英雄児女とともに都法門に入り来る(読み下し)と称讃した。
財界、政界、官界、法曹界はもとより、芸術家、芸能人、スポーツマンなど、多くの人々が入門し、喜んで天風の薫陶をうけた。
天風は人々を教化すること五十年。九十二歳でその劇的な生涯を閉じるのである。
此の書に収められている語は、天風が命がけで把握した哲理である。
一言一句に天風の血潮と汗がにじんでいる。おろそかに読むものではない。
松下幸之助氏は「自分は運がよい」と確信している者を登用したという。事実、そのように確信して努力する者の運命は拓けてゆくものである。
現在、何も確信するものを持たない人間にとって、この書は驚異の書であるが、また人間に信念を与える書でもある。
この哲学の理想を実現するために天風は、整々たる体系をもって展開される心身統一法を創見されている。
天風哲学と心身統一法が一体化して成立したのは、大正八年のことである。
この書の熱読をお奨めし、併せて心身統一法を行じられることを熱奨するものである。
真理瞑想行について
真理瞑想行とは、人生に対する自覚と反省とをうながし、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを、正確につくりあげることを目的としている。
心身統一法の根本原則の中で、最も重要なことは、心を絶対的に積極化し、精神態度を本来ありうるべき姿に即応させることである。
心を絶対的に積極化するには、その基礎的考えを正しくつくりあげることが必要である。
そのために、人間の持っている暗示感受習性というものを応用し、独特の教え方で正しい悟りを開かせようとするのである。
すなわち、万物の霊長たる人間の真の本領を発揮し、本当に生き甲斐のある人生を活きるのに必要な悟りを開かせるのが、この真理瞑想行の目的である。
したがって、真理瞑想行では、人間の生命に与えられている法則という、普通の人の知らない貴重な人生案内が主眼とされている。
厳密にいうと本来の真理瞑想行は、与えられた問題を、誰にも教えられず、自分なりに考えて、それが正しい真理に合致するまで何年でも考えさせる、というのが本当の方法である。
私は、インドの山の中でその修行をしてきたが、その間に与えられた問題は、たとえば、「心とは何だ。
お前の現在の心はお前の本当の心か」あるいは「人間とは何だ」ということを考えていくというものだった。
日頃そのような研究をしている人でも、一つの問題に三月や半年はかかるものである。
しかし、現在そんなことをしていたのでは、一つの問題を解くどころか半分も解決することができないであろう。
そこでこのように変則的な方法ではあるが、あなた方が悟る代りに私からお伝えするのである。
ただこの方法は、苦心してみずから悟るものでないために、いいなあと思いながらも、時としてせっかく得たものが無に化すおそれがある。
ですからあなた方も私のように、自分の肉体に重い病を持ち、その病と闘いながら、親からも国からも離れてただ一人、ヒマラヤの山奥で端座瞑目して真理と取り組んでいるのだというおごそかな気持ちで聞いていただければ、それは、天風から自分に告げ知らされたのではなく、あなた方の魂が、あなた方の心にそれを悟らせているのだと考えていいでしょう。
そうすれば、自分が苦心して悟りを開いたのと、その結果は五十歩百歩、たいして違わないことになる。
悟りというのは、自分の心が真理を感じたときの心の状態をいうのである。
したがって、真理を、自分の努力で自分の心で感じるのも、人の悟りを耳から聞いて自分の心に受け入れるのも、受け入れ方に相違があるだけである。
受け取ってしまえばその結果は同じである。
真理を受け入れるときの心の態度が、悟りを開く上に密接な関係があるからこそ、安定打坐で心をきれいにさせているのである。
本来人間は、改めて真理をいろいろ説き聞かされるまでもなく、この世に生まれ出た時から、絶えず真理に接し、真理の中で生きているのである。
しかし、ちょうど魚が水の中で生きていながらそれを知らないのと同様に、真理の中にいながら、この真理をなかなか自覚することができないのは、要するに心の中に雑念妄念があるためであり、本当に心が清い状態であれば、真理はすぐに発見できる。
ちょうど頭の上から帽子をかぶせられているように、きれいな心の上に雑念妄念がおおいかぶさっているために、真理の中に生きていながらその真理を悟ることができない。
ところが、安定打坐という特殊な方法を行なうと、雑念妄念がたちどころに消え去っていく。
たちまち、とまでいかなくとも次第に心の中から雑念がなくなっていく。
そうすれば、しいてたいした努力や、いわゆる難行苦行などをしなくても、心が真理と取り組んでいこうとする傾向に自然になるので、真理瞑想の内容が、心の中に正しい悟りとなって現われてくる。
悟りが開けてくればその結果、心が自然に即応して、疑いも迷いもなくなり、磨きたての鏡のようにきれいなものになる。
同じように修行しても悟りの非常に早い人と時間のかかる人があるのは、この安定打坐を真剣にやるか否かによって区別されるのであるから、真剣な安定打坐で行なうことが大切である。
私の体験によれば、小・中学生の方がすなおにそれを自分のものにして、人生苦楽の歴史をくりかえしているが、いわば酸いも甘いも嚙みわけているはずの年配者の方が悟りが遅いという傾向がある。
それは結局、子どもは批判するにしても、その範囲がせまく内容にも複雑さがないが、中年以上の人達は余計なこだわりが多くあるため、無邪気に純真に受け取ろうとする気持ちがおろそかになってくるからである。
形だけは安定打坐で、心が安定打坐になっていないと、せっかく真理瞑想をじゅんじゅんと自分の魂の中に注ぎこまれても、涙の出るような感激を感じることが少ないかもしれない。
であるから、疑う気持ちや批判を乗り越え、ただ無念無想の状態で、内容をわかろうとするのでなく、ただ受け入れていくという気持ちで行なうことが何よりも大切である。
そうすれば、無条件で悟りの花を開かせてくれることになるのである。
序章朝旦偈辞朝旦偈辞─朝旦はあさ、偈辞は真理のことばの意。
人としてこの世に生まれ、万物の霊長たる人間として人生を活きるために、第一に知らねばならぬことは、人間の〝いのち〟に、生まれながらに与えられた、活きる力に対する法則である。
自分の命の中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して人生に活きる人は、限りない強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、作ろうと思わなくても出来上がるようになっているのである。
一番先に我々はそれを知らなければならない。
ただ、はっきりと気がつかなくても、我々の多くは、こうしたことを求めていたに違いないのである。
求めても、どうしても自分の心に正しくキャッチすることが出来なかったのは、我々の今まで受けた教育教養が、科学的な方面にのみ片寄ったものであったからなのである。
一プラス一は二という、この算数的やり方で教育された結果として、論理思索を進めていこうとする計画に、いつも失敗しているのである。
我々の心が、あることを考え始めたときに、どこまでが考えている心で、どこまでが考えられている心かという区別がつかない。
一言でいえば、哲学的思索に馴れていない。
そのために自分の生まれながら与えられた生命の力に対する法則のごときは、本能的に知っているべきはずの事柄であるにもかかわらず、それをわからずにいるのである。
哲学という言葉の意味は、たいていの人が本当に理解していないようであるが、多くをいうまでもなく、哲学は、我々が今見るところのもの、すなわち、現象を遡りその原因を探究する学問である。
詳しくいえば、哲学とは、自然界に存在する、今、在るような物質的な形に、その現象を現わした力の法則と、その究極的原因とを探ろうとするものである。
そこで、あなたがたが、第一に知っていなければならないこと、それは、この字宙というものは人間が創ったものではない、ということであり、同時に、我々人間ならびにすべての生物は、宇宙が出来てから後に宇宙が創ったのではない──ということである。
はっきりと、これがわからなければいけない。
宗教には、唯神論と汎神論というのがある。
唯神論というのは、初めに神がいて、神がこの宇宙を創ったのだということである。
汎神論は、字宙が出来てから、その中に神が現われたのだということである。
いずれも、神を相手に考えようとする考え方で、これは、今のように、まだ科学が発達していなかったときの人間としては、無理のない考え方である。
私がいつもいっているとおり、今から千年二千年経つと、今あるような宗教という宗教は、地上から姿を消してしまうでしょう。
それは、人間の理智が、既成宗教などに頼らなければ活きられないような、哀れで無自覚なものではなくなるからである。
純粋哲学の立場から観察すると、この宇宙というものは、形ある字宙以前に、すでに形のない宇宙が在った、という真理の探究というものが、行なわれなければならないのだ。
神とか仏とかいうのは、人間が便宜上、付けた名前だから、このようなものに捉われてはいけない。
あなたがたは、抽象的で、あまりにも漠然としたものを、やれ、神だ、仏だ、と思っているが、では「神とはどんなものか」と聞かれたら、何と説明するか。
「仏とはいかなるものか」と聞かれたら、どう説明するか。
見たことも聞いたこともないものに、説明の与えられるはずはない。
そう思うと、何となく安心が出来るといったような、同時に、自分が一種の信仰というようなものを、何となく気高いと感じる、という感じで考えられるだけではないだろうか。
だから、私からいわせれば、やれ神だ仏だ、といっている者は、安直な気休めを人生に求めている哀れな人だといわざるをえないのだ。
第一、もし、あなた方が考えているような神や仏が、この世の中に存在したら、この世界に戦争などあろうはずがないではないか。
キリスト教の人間達が、地球をも破壊するかもしれないような原爆や水爆を、考え出す必要もないじゃないか。
もしも本当に、あなた方が思うような神や仏があり、それに信仰を捧げたなら、即座に、神や仏のような綺麗な気持ちになれそうなものではないか。
この中には、クリスチャンもいるだろう。
また仏教信者もいるだろう。
信者という名前だけで、その人達は、相変らず、怒ったり、悲しんだり、怖れたり、という繰り返しの日々を送っていはしないか。
ここに集まっている多数の会員の諸君を目の前にして、じっと見つめているときに、後光のさすような尊い人が一人もいないことを遺憾とする。
それは、あなた方の体から出る、オーラの一切が証明している。
ともかく、安定打坐が、少しの間、出来たときだけは、綺麗なオーラが見えるけれども、そうでないときには、もう、見えない、濛々たる毒ガスが、あなた方の体から出ている、といってもいい過ぎではないほど、あなた方の心は汚れている。
そして、醜い、弱々しさを持っている。
それというのも、当てにならないものを当てにして、救われようとか、助かろうとか、極めて、さもしい、気の弱い、哀れな、依頼心の強い気持ちで、それを信仰と名づけているからである。
本当の真理から論断すれば、何も神だの仏だのと頼らなくてもよろしい。
むかしからの歌にもある。
心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん先祖を敬い、先祖を忘れないための、追善供養は必要である。
だが、あなた方の神仏に対する信仰は、いつも自己本位な自分の生命や、自分の運命の安全ばかりをこいねがうだけが、目的になっていはしないか。
これを第二義的信仰というのであるが、そのような信仰を持っている人間は、何となく神があり、仏があるように思い、その神や仏がこの字宙を創っているように思っているが、それは違う。
さきほど、形のある宇宙が出来る前に、すでに、形のない宇宙があったのだ、といったが、形のない宇宙とは何か、まず科学的に考えてみよう。
この字宙の中に、我々が感覚できるいろいろな森羅万象がある。
この森羅万象も、一番初めはいったい、何から出来たんだろうということを、つきつめて考えるという方法で考えてみよう。
鶏は卵から出来、卵は鶏が産む。
つきつめていかない限りは、いつまで経っても堂々巡りである。
哲学的思想でつきつめていくと、一番初めは卵でもないし、鶏でもないということがわかる。
一番根本は何か、というと、ただ一つの実在から産み出されたものである。
その実在とは何であろうか。
哲学では、〝根本的本源実在〟と呼び、科学では、これを、極微粒子的なものとして、〝エーテル〟と名づけている。
哲学の方では、人間の感覚では、捉えることの出来ない、茫漠たる、見えざる、一つの〝気〟であるといっている。
これを中国では〝霊気〟と呼び、日本の儒学者は〝正気〟といっている。
中国の宋代の儒教哲学では、これを〝先天の一気〟といっている。
そして電気や、磁気や、その他の火気とか、水蒸気とかいうものは、〝後天の気〟といっている。
いずれにしても、このただ一つのエネルギーを産み出す元が、宇宙を創り出したのである。
だから、哲学的な論理からいくと、そのエネルギーを産み出す元が、今あるような宇宙の鋳型をなしていたのだ、ということが考えられるのである。
とかく、一番いけないのは、我々の五感が感覚しないものは、存在していても、ない、と思うことである。
空気や電波は、誰も感覚しない。
けれども、ないのだろうか。
ないと否定できるだろうか。
もちろん、否定できないであろう。
否定しない理由は何か、と問われたら、あなた方は、何と答えますか。
必ず、第二義的な言葉を用いて、「在るから人間が生きていられるじゃないか。
あらゆる生物が生きていられるじゃないか……」と、「電気があるから、ラジオが聞かれ、電球が光るんじゃないか……」というように、第二義的な結果現象を元にして、これを証明しようとデータに頼るが、それは、あくまで、第二義的な証明なのである。
まさか地球が、昔は、太陽を中心として、自ら回転しているとは思わなかった。
地球は止まっていて、その周りを、太陽や、月が、回っていると思った。
しかし、我々は、子供のときから、「地球は、太陽系の中で、太陽を中心として回っているのだよ」と、学校の先生に教わっただけで、証拠を見たわけではないが、
無条件で「そうだ」と思っている。
その「そうだ」と思う気持ちで考えなければいけない。
これが、哲学的考え方を決定する基盤の要素なのである。
これを、天風哲学は、〝宇宙本体〟あるいは、〝宇宙霊〟という。
これを指していうのなら、神でも仏でもいい。
が、しかし、あなた方が、今まで、神や仏と呼んでいた同じ気分で、この宇宙本源を、考えては駄目である。
とにかく、たった一つの、宇宙の本体が産み出したものが、森羅万象である。
したがって、森羅万象を包含している宇宙も哲学的に究極していくと、現象界に存在する一切の物質もこの宇宙本体から産み出されたものなのである。
と同時に、科学的に考えてみると、一切の森羅万象と称するものは、宇宙本体のエネルギーの分派によって創られている。
形が、つまり目の前にあるというのは、宇宙本体の力が、まだ籠っているからである。
その力が抜けてしまえば、形を現象界から消して、根元要素に還元しなければならない。
人間の死というのも、そういうことなのである。
そして、ここが一番大事なことであるが、特に忘れてはならないことは、人間は、万物の中で、この宇宙本体の分派分量を最も多く頂戴しているということである。
人間以外の生物が真似することの出来ないほど、まことに多くの分量をいただいている。
このことが、人間が霊長といわれる所以なのである。
もう一つ重大なことがある。
それは、普通の人には、なかなか考えられないことであるが、すべて、〝気〟というものは動かなければならない、ということである。
〝気〟というものは、一定一ヵ所に静かにしている気遣いはない。
〝気〟が動くと、動いた〝気〟によって、物が創られるようになっている。
エレクトロンだって、プロトンだって、そのままいたんじゃ何の役にも立たないが、このエレクトロン、プロトンを、ダイナモに集約し、ワイヤーに伝え、あるいは線がなくても空気を伝って、これを受け入れる受信装置のあるところへ移せば、そこに、恐るべき力、熱、光が出てくる、つまり、あの電気というものである。
これも、〝気〟が動いたからの結果である。
〝気〟が動いたときの、〝気〟の元を、哲学では〝霊〟と言っている。
〝霊〟というと、すぐ魂を思い浮かべるが、それはいけない。
霊というのは、極めてスーパーな、見えない〝気〟に対する名称なのだから。
この〝気〟が動こうとするときに、現われる現象を「アイディア」という。
人間でいうと〝心〟ということになる。
英語で、〝アイディア〟というと、すぐ、人間の動かす心と思う人がいるが、それは大違いだ。
〝アイディア〟というのは、〝気〟の動く場合における、現象事実に対する名詞である。
元の発音は、ギリシア語で〝イデア〟といったのだ。
だから〝心〟というものは、気の能動を指して名付けた名称である。
あなた方は、〝心〟といっても、〝心〟とは、少しも解らずにいたかもしれない、しかしこの峻厳なる事実を厳かに断定すると、〝心〟というものは、一切の生命の中核をなし、〝霊〟という〝気〟の働きを行なうために、与えられている、ということがすぐ断定できるであろう。
そして、〝心〟というものが、〝霊〟という一つの〝気〟の働きを行なうとき、どんな現象事実を行なうかというと、心の活動は、思うことと考えること以外にはないのである。
つまり、いい換えれば、思考によってのみ、〝心〟の活動は行なわれる、ということである。
それから、あなた方が、もう一つ覚えておかなければならないのは、この思ったり考えたりすることは、意識的に思ったり考えたりすることと、無意識的に思ったり考えたりすることとの、二種類があるということである。
そこで私は、長い間この偉大なる真理に立脚して、考え抜いた結果、こういうヒントを得たのである。
いってしまえば、極めて簡単なことであるが、何十年もかかった。
一番最初に考えたことは、今、いった原理を考えてみると、人間は、日頃、人生に活きる刹那刹那、いかに心を運用することが適当なのだろうか、ということである。
いい換えるならば、心の運用を良くしたり、悪くしたりすることによって、人間の人生は、良くもなり、悪くもなるのだ、ということだ。
長い間、病に苦しめられて、どんなことをしても、助かり得なかった私は、結局、最後に、苦しみ悩み本当に、生命がけで取っ組み、漸く考えついたことが、いつか、あなた方の幸せにもなる、ということである。
つまり、人間の日々の人生に活きる刹那刹那、ちょっと笑うこと、冗談言うこと、その刹那にも、その心の思い方、考え方が、やがて、我々の生命を、完全になしあたうか、なしあたわざるかという事実が、産み出されるのである。
もっと解りやすくいえば、我々の生命の中にある肉体はもちろん、精神生命も、一切の広い意味における人生の事柄を、心の運用いかんによって、決定することが出来る、という真理を、私は悟り得たのである。
それを悟り得たばかりに、医者という医者が、片っ端から匙を投げた私の病が、本当に驚くような経過で治り、しかも、いまあるがごとき長い寿命を、堅固に活きているという幸せを味わっているわけである。
もしも私が、あなた方のように、少しのことでも気にかけて、心の運用を誤っていたら、六十までも生きられなかったことは当然である。
というような悟りは、こういうことから開けたのである。
「人間の心で行なう思考は、人生の一切を創る」これが数十年来かかって考えて、苦心の末、ようやく悟り出した、人間の生命に絡まる宇宙真理であった。
これは簡単なことで、さっきいった真理を、逆に考えればすぐ解ることである。
人間の、思ったり考えたりする〝心〟の作用というものは、〝霊〟の働きで動いているとすると、その霊という気は、宇宙を創っている創り主である宇宙本体が霊なのだから、やはりそれに通じている、ということである。
電灯に抵抗の強いものを当てると、ショックはたちまち変圧器にきて、すぐヒューズが飛ぶ。
それは結局、つながっているからである。
そうすると、この宇宙霊という気の元が、一切の万物を創る力があるということである。
この当然である連結関係を繰っていくと、人間の心で思ったり考えたりするということが、あだや疎かに出来ないのだということに、すぐ気が付くはずである。
まことに、峻厳侵すべからざる宇宙真理である。
だから、どんな場合があっても、消極的な方面から、物事を思ったり考えたりしてはいけないのである。
この法則を厳として自覚し、常に、この法則を乱さないように活きるならば、人生は、期せずして、大きな調和のもとに満たされる。
そして、無限の強さと、生命の無限の自由というものが、自然的に出てくる。
これが、仏教でいう〝無礙自在〟である。
だから、どんな場合にも、心の思考作用と、宇宙を司る宇宙本体の創造作用──物を産み出す力──とは、別々に分れているのではなく、本質的に、一つのものであるということを忘れてはならない。
だんだんと講演が進むに従って、どんなに心の思い方、考え方が重大であるかということが、自然に解ってくる。
しかし、今日は、ただ、人間というものは、人間自身の心の中の思わせ方、考えさせ方が、自分の生命の全体を、強くも、弱くもするのだということを、厳格に悟ろう。
また悟らなければならない。
人間の心に、何かの観念が出ると、その観念の型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働き出し、その観念の型が、良ければ良いように、悪ければ悪いように──わかりやすくいえば──思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。
そういうように真理が出来ている。
人間の境遇だとか、その人の現在に同情するということはないのである。
真理というものには同情はない。
峻厳侵すべからずである。
どんなことがあっても忘れてならないのは、心というものは、万物を産み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様である、ということである。
パイプに穴が開いていたら、洩れてしまう。
だから、そっぽを向いていたら何もならない。
パイプでわからない人は、光を通す窓だと思いなさい。
電流を通ずるワイヤーだと思えばよい。
今まで気付かずにいたかもしれないけれども、人生の一切は、健康であろうと運命であろうと、肉体も、心も、また環境も、すべてが人の心によって創られているものである。
科学研究の人間には、このことがわからなかったのである。
現在でも、わかってない。
ようやくわかりかけてはいるが、どうすればその心を処置することが出来るかということが、わからずにいる。
とにかく、人間として生まれた以上、健康的にも運命的にも、理想通りの正しい人生を建設しなければならない。
だから、怠らず注意深く、自分の心の中の思い方や考え方を積極的にすることに努力しよう。
そのために、観念要素の更改とか、神経反射の調節とか、積極観念の養成とか、修練会(注─天風会では毎年夏に修練会を行っている。
)に来て、安定打坐で、雑念妄念を綺麗に洗い浄める方法を教わったわけである。
なおかつ、心の中で、消極的なことを、思ったり考えたり、神経を過敏にしたりする人間がいたら、その人間は、真理を冒瀆する〝バチ当り〟だと遠慮なくいおう。
みずから、尊い宇宙本体の力を拒否し、否定している人だ。
尊い慈悲の力を、自分で踏みにじっている人だといおう。
神経過敏な人間は、現在の苦しさから逃れたい、死ぬのが恐ろしいという。
それじゃ、生まれる前が恐ろしかったか……。
死ぬことは、生まれる前と同じ境涯に入るだけのことじゃないですか……。
いわゆる、安定打坐の無念無想の状態は、死と一歩の境ではないか。
大死一番の境涯である。
もっと、人生を、余裕のある心の状態で活かしなさい。
そこで、毎朝眼が覚めたら、甦りの誦句というのを、厳かに、自分の心に、自分自身で、口誦んで植えつけていく。
〝甦りの誦句〟。
これは修練会で毎朝、私が朝のご挨拶のときに、あなた方の耳に入れるけれども、これは極めて大事な誦句である。
本当に、これを自分の心のものにしなければいけない。
もっと理想からいえば、この誦句のとおりの心でなければならない。
そうすれば、いま、〝いのち〟がなくなるような、健康上の危急に直面しようと、運命がどうなろうと、即座に、その運命が開かれ、その健康が回復される。
さあ解りましたね。
それでは誦句を唱えよう!
朝旦偈辞(甦りの誦句)
我は今、力と勇気と信念とをもって甦り、新しき元気をもって、正しい人間としての本領の発揮と、その本分の実践に向わんとするのである。
我はまた、我が日々の仕事に、溢るる熱誠をもって赴く。
我はまた、欣びと感謝に満たされて進み行かん。
一切の希望、一切の目的は、厳粛に正しいものをもって標準として定めよう。
そして、恒に明るく朗らかに統一道を実践し、ひたむきに、人の世のために役だつ自己を完成することに、努力しよう。
第一章生命の力
およそ人間として完全な活き方をするには、本当に心を積極的にしなければいけない。
いかなる場合にも、心を清く、尊く、強く、正しく持たねばならない。
この先決的に必要なことが、何をおいても完全にできなければいけない。
その何よりも大切である積極的な心を作るためには、まず第一に何が必要であるかを悟ることにしよう。
現代の人間は、肉体が自分であると思っている人が多いのではないか。
しかし人間というものは、その正体をつきつめていくと、何も見えない、また感じない、霊魂という気である。
その霊魂が、現象界に命を活動させるために、その活動を表現する道具として肉体と心が与えられている。
いわば画家の持つ絵筆、大工の持つ鉋と同じようなものが、命に対する肉体であり心である。
これを正しく理解し、正しく応用した人にのみ、その命に、限りない強さと、喜びと、安心と、平和とが与えられる。
しかしこのありがたい事実が我々の生命の中にあるのに、多くの人は、命というとすぐ肉体を考えるために、そこで大変な間違いを犯してしまうことになる。
そもそも生きているという不思議な命の力は、肉体にあるのではなく、霊魂という気の中に霊妙な働きを行なう力があり、それはあたかも回っている扇風機にそれを回す力があるのではなく、電気がこれを回しているのと同様である。
この例でも人間の命の力を正しく理解できるはずだが、人間だけは、肉体それ自身に活きる力があるように思うところに大変な間違いがある。
肉体が生きているのは、霊魂という気の力が肉体を活かしている、というのが本当の悟りであるにもかかわらず、この本当の悟りを正しく自分の心に持って活きている人が極めて少ないために、ともすれば、わずかの不健康な状態が肉体に生じてもすぐ心配する。
それというのも、霊魂という気から送りこまれる微妙な力が量多くありさえすれば、不健康な状態は直ちに健康状態に回復するという原理を知らないからである。
考え方が全然違うために、もっともっと尊く活きられる人生を、尊く活きていない人が多い。
おそらく、ほとんどの人がそうであったろうと思う。
したがって人間はまず第一に、「人間の生命に与えられた活きる力というものは、肉体に在るのではなく、霊魂という気の中にある」ということを、正しく、はっきりと理解する必要がある。
これが最も正当な自己認証である。
ところが、この自己認証が確立していないために、くしゃみ一つしても、せき一つしても神経を過敏にしてしまう。
心が肉体に消極的に注がれると、肉体の生きる力の受け入れ態勢が妨げられ、本来の強さを発揮することができない。
したがって可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。
特に病のときは病を忘れる努力をすべきである。
一言でいうならば、「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」心が積極的方向に動くのと、消極的方向に動くのとでは、天地の相違がある。
ヨガ哲学ではこれを、「心の思考が人生を創る」という言葉で表現している。
私は、はじめてこの文字を見たときちょっと理解ができなかった。
しかし、自分の病を考えの基礎において人生や生命を研究するにつれ、この重大なことが次第にわかってきた。
それ以後の私は、自分でも驚くほど丈夫な体になったばかりでなく、思いもよらない長生きを重ねていく幸福を味わっているのである。
しかし、世の中を眺めてみると、物質文化の非常に進歩している現代、なんと病人や不運の人が多いことか。
これはみな、心の置きどころが積極的か、消極的かということで、その肉体の生きる力の受け入れ態勢が左右されるということを知らないからである。
この点をもう少し詳しく考えることにしよう。
いかなる理由で、心の行なう思い方や考え方が、生命を強くもし弱くもするのかというと、それは精神生命に、命を活かす力となる宇宙エネルギーを受け入れる第一機能があるからである。
宇宙エネルギーは、まず、心の働く場である脳髄で受け入れられ、それが神経系統に送られ、命を活かす力となる。
宇宙エネルギーには建設の法則を行なう力と、破壊の法則を行なう力がある、いわゆるプラスとマイナスである。
この建設と破壊の比例配合が常にプラスが勝っているときは建設の作用が現実に行なわれる。
あの人は丈夫だ、あの人は運がいいというのは、宇宙エネルギーの受け入れた結果にプラスの多いときである。
マイナスの要素が多く働くと、破壊の作用が行なわれ、運が悪くなり、健康も悪くなる。
この宇宙エネルギーの名称を、哲学では精気、霊気、先天の一気などという。
すなわち、これがこの世の中で、あらゆる気の元であり、他方、電気、磁気、水蒸気などは後天の気である。
この宇宙創造の源の気を、私の哲学では仮に〝宇宙霊〟と名付けている。
これを人々は神といい、天之御中主神と名付け、あるいは如来と呼び、アラーというように、いわゆる神・仏という名を付けたのである。
名前の詮議は第二とし、根本的、実在的なものこそ一切のものを生み出す中枢の力であって、この現象界に存在するもののすべては、みなこの根源的実在物、いわゆる私の名付けた〝宇宙霊〟から生み出されたものである。
この世のすべてが造物主の分派であるというのは、このためである。
宇宙エネルギーの受け入れ過程は、脳髄から神経系統に受け入れられて、それから肉体に伝えられ、我々が現象界にその命を活かす道具として与えられている肉体を活動させているのである。
また他面、人間が生きるためのエネルギーを受け入れる物質として、昔から五つのものをあげている。
第一が空気。
これが人間の肉体を活かす要素の大部分を占めている。
第二に食物、第三に水、次に土と太陽光線の中の活力。
これは私が医学生時代に教えられたことである。
しかしながら、考えねばならないことは、これらが肉体を活かす作用を行なう原動力にはなっていないということである。
自動車のエンジンで考えてみよう。
エンジンを回すには燃料が必要である。
これに電気的発火装置があってはじめて、エンジンは快適に回り始める。
もし油だけでエンジンが回るなら、人間の体も、空気を吸い、食物をとって、水を飲み、土の上で生活をし、日光があれば、いっまででも生きていることになる。
しかし、それだけでは人間は生きていけない。
それと同時に、その生命を活動させる一つの作用を起こすものが肉体になければならない。
それを我々の習った医学では全然考えていなかった。
もし我々の習った医学のいうとおりで生きているなら、胃が悪ければ胃の薬、肺が悪ければ肺の薬を飲めば、病はみな治るはずである。
ところが、これは医者のよく知るところであるが、文献やデータでは、この薬を使えば必ず効果があると思われる場合でも、患者によっては少しの効果もない、効いたかと思うと、かえって薬の副作用が出たりすることがある。
私がまだ今のように真理を知らないときは、何度か、自分の処置の間違いではないか、それとも薬のデータの間違いかと、ずいぶん考えさせられたものである。
しかしそうではなく、その原因はあらゆる活動の原動力的要素となるべきものが完全でないからである。
モーターだけをいくら立派に造っても、電圧が低ければ回らないのと同様に、健康と運命とを正しく保持し、生き甲斐のある人間として人生を活きたいと欲する者は、何をおいても、人間の活きる命の力を豊富にし、受け入れられる活き方を考えなければいけない。
命の力を豊富に受け入れられる活き方とは、いかなる場合にも心の態度を積極的に保つことであって、どんな場合にも最高度に引き上げられた自己認証をゆるがせにしないことである。
というと、何か非常に難しいことのように考えるかもしれないが、要するに消極的にものごとを考えなければそれでよいのであり、そうすれば、最高度まで引き上げられた自己認証ができたことになる。
わかりやすくいえば、どんな場合にも、人間というものの生命は、一切の生命をしのいでいる力の結晶だ、と正しく思いこんでしまうことである。
そしてこれを、いかなる場合にも、心にしっかりと堅持することである。
この悟りこそ、理想的人生建設の何よりも大切な先決問題であり、人生の本当の幸福の宝庫を開く鍵のようなものである。
たとえどんなに宝の充満している金庫があっても、これを開く鍵がなければ、中の宝は結局ないのと同じことである。
つまり、心一つの置きどころ、積極か消極かというだけで、人生の幸福の宝庫が開かれるかどうかが決まってしまう。
ところで「心とは何か」ということを考えてみよう。
心というものは、人間の生命の本質であり、絶対に眼に見えない霊魂という気の働きに対する名称である。
気の働きがないかぎり心という現象は生じてこない。
さらにわかりやすくいえば、心というものは、霊魂という気の働きを行なうための存在であり、心が思っ
思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。
そして心の行なう思考は、すべて個人の命の原動力となっている霊魂を通じて、その霊の本源たる〝宇宙霊〟に通じている。
しかもこの〝宇宙霊〟は一切の万物を創造するエネルギーの本源である。
この絶対関係を真剣に考えると、思考は人生を創る、ということに断然結論される。
この絶対関係を揺るぎないものにすれば、宇宙エネルギーの受入量が多くなり、人間は期せずして生命の強さを自由に獲得することができる。
これはただ単に肉体の生きる力のみではない。
このような理解が深くなれば、思考作用の運用方法が、どれだけすばらしいものであるかがわかると同時に、宇宙霊の創造作用と人間の思考作用とが決して別々のものでなく、むしろ本質的に一つのものであるということが必ず明らかになってくる。
この偉大な事実が正確に悟れると、人間自体の生命の力の認証を最高度に引き上げた考え方を心に堅持することができるようになる。
そうすれば、自分の命を欲するままに力強く活かすことができ、今までとは全然違った、自己に対する新しい考え方が、本当に力強く組み立てられる。
ありがたいことに、万物の霊長たる人間は、その心の態度によって、〝宇宙霊〟がこれに順応して働きだす。
したがって、運命や健康も、自己の欲するままに完全に造り得るようになる。
心が積極か、消極かという態度に応じて、〝宇宙霊〟はそれに順応して働き出し、その人生を良くも悪くもするのである。
この悟りが、本当に正確なものになればなるほど、健康も運命も、何も特別な手段を施すまでもなく、完全になるのが自然の作用であり、宇宙の真理である。
とにかく、人間に生まれてきた本当のありがたさ、これを正しく認識しなければならないということである。
そして、きょうからは、たとえ人生にどんなことがあっても、自分は力の結晶だ、という正しい悟りで健康上の問題や運命上の問題を乗り越えていかなければならない。
この悟りが終始心の中に満ち満ちていれば、何もたいした努力をしなくても、いつも元気一杯な状態で人生を活きていくことができる。
日頃私が「元気か」というのはこれである。
中には「元気です」という人もあれば「ハイ」と答える人もあるが、時には「元気だといいたいが、元気といえる状態でないから俺はいわない」というような顔をしている人もあるが、健康や運命に関係なく、いつも元気でいられるのが人間である。
今後はこの真理を絶対に貴重な悟りとして、たとえ我が身に何事が生じようと、またいかなる事態に会おうとも、完全に活きるための根本基礎となる心の態度を、断然消極的にしてはならない。
いつも、「清く、尊く、強く、正しく」という積極的態度で終始しなければならない。
そうすれば、自分でも不思議なほど、元気というものが湧き出してくる。
そしてその元気つまり元の気が、ただちに「先天の一気」を呼びよせ、つまり原動力となり、健康的にも、運命的にも、すべてのことが完全に解決されてくる。
元気という気が出たときに、人間と宇宙霊とが完全に結びついたことになるからである。
事実、元気が出たときには、何ともいえない爽快さを感じるものである。
とにかく、元気はつらつたる状態で活きることこそ、最も必要かつ大事なのであるから、心の置きどころを常に積極的にするために、「自分は力だ」ということを、断じて忘れてはいけない。
そこで、事あるごとに、時あるごとに、自分が力の結晶であることを忘れないために、暗示の誦句を与える。
力の誦句
私は、力だ。力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。だから何ものにも負けないのだ。
病にも、運命にも、否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。そうだ!強い、強い、力の結晶だ。
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