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10  復活

 一月中旬。厳しい寒さに包まれる五反田の街を冷たい風が吹き抜ける。今週は関東でも雪が降るかもしれないと予報され、オールウェイズ・アサイン社の社員も寒さに震えながら通勤する毎日を送っていた。  そんなある日、若宮は朝から一人で社長室にこもって、その日のタスクにあたっていた。  最近ではもう個々の社員らと親密に付き合うことはなく、識学による会社の変化に対応することばかりを考えていた。  デスクでパソコンと睨み合っていると、社長室のドアを叩く音がして、「すみません、佐伯です。入ってよろしいですか?」  とドア越しに声をかけられた。(そうか、今日は営業部全体の報告書を持ってきてほしいと、佐伯に頼んでいたんだった)  若宮は予定を思い出し、パソコンで行っていた作業に向けていた集中を解く。「ああ、どうぞ」と答えると、ドアを開けて入ってきた佐伯は、指示された通りの書類の束を持っていた。「おはようございます。営業部全体での報告資料をまとめましたので、提出に参りました」「そうか、ありがとう」  若宮は丁寧に挨拶をする佐伯から書類を受け取りながら、自分の態度におかしなところはないかと、他の社員に対するよりも無意識に緊張して自問自答している様子をふいに自覚した。  佐伯に降格人事を下したあの日から、若宮は彼に罪悪感を持っている。  以前、佐伯は降格されたことに対する礼まで言ってくれていたが、旧知の部下への辛い選択をしたことの心理的ダメージは、若宮にはまだ色濃く残っていた。「あのな、佐伯……」  書類を提出して出て行こうとした佐伯を、若宮は思わず呼び止める。「はい?」と佐伯が振り返るが、若宮はそれ以上かける言葉が出てこない。「いや……なんでもないんだ。じゃあな」  若宮は諦めて、そのまま佐伯を送り出そうとする。  すると、意外なことに佐伯のほうから話を振ってきた。 「……社長、実は聞きたかったことがあるんですが」  佐伯の言葉に、若宮はとっさに頷く。「ど、どうした?  なんだ、聞きたいことって?」「社長のおかげで、私は変化を、識学を受け入れることを決心できましたし、結果として落ち込んでいた成績も戻りつつあります。社長はあのとき、私を降格すれば、こういう結果が出るとわかっていらしたんですか?」  佐伯の率直な問いに、若宮は目を丸くした。(俺が、こんな結果になるとわかっていたかどうか、か……)  若宮はしばし無言で考えると、やがてポツリポツリと胸のうちを話し始めた。「本当のことを言えば、佐伯を降格したあとの結果がどうなるかは、全然予測できていなかった。降格にすることで、佐伯が発奮してくれる可能性もあるし、この会社を辞めてしまうかもしれない。一か八か、という気持ちはあった。それが正直なところだ。  それに、最初は、佐伯と山岸とで競争をさせようと思っていたんだ」「競争……?」  予想していなかった単語を、佐伯は声に出して繰り返した。  不思議そうな顔をする彼に、若宮はできるだけ細かく自分の考えを説明して聞かせようとするが、思うように言葉が出てこない。「あぁ。第一営業課の課長になった佐伯と、第二営業課長の山岸を競争させれば、きっといい結果が出るんじゃないかと思ってな。識学でも、競争環境が重要だって言われているだろ?  その部分を応用しようと考えたんだ」「でも、社長はこれといって、私たちを競争させるような指示はされませんでしたよね?」  たしかに佐伯は降格されたが、他部署との競争をことさらに意識させられた記憶はなかった。「ああ、二人を競争させることに関してはやめたんだ。さすがにうちの会社らしくないと思った。そもそも会社らしさってなんだよって話だけどな。  あとは、佐伯には必要ないと思ったんだよ」  若宮は、どうして降格した部下へ一から十までその理由を説明しようとしているのか、と自分の行動に疑問を覚えたが、佐伯へのせめてもの罪滅ぼしだと考えれば、安いものかもしれない。「私に必要ない、というのはどういう意味ですか?」「佐伯はもともと向上心が強くて、それに野心家だろ。普段は冷静な顔をしているけど、今まで一緒にやってきた俺はそれを知っているつもりだ。だから、たとえ降格されたとしても、かならずそこから這い上がってこようとするだろう、と信じてたんだ。  それに、佐伯みたいなやつが一生懸命にやっていて、周りが何も思わないはずがない。佐伯の存在が会社全体を変えてくれると思ったんだ。降格させられても、必死で頑張って成果を上げる佐伯の姿を見て、周りも負けずに頑張ろうと思ったはずだ。結果的に、山岸や他の管理職についても、佐伯に負けたくないという、いい意味での競争環境ができたと思う」  若宮の答えを聞いて、佐伯は苦笑した。  若宮の言う通り、降格の辞令が下りてから、佐伯は改めて本気で仕事に向き合ってきた。  それに比例するようにして、佐伯の率いる第一営業課全体での売上や利益率が飛躍的に上がっていったのだ。第二営業課や第三営業課も、その事実に刺激を受けてさらに発奮した経緯がある。「社長には、全部お見通しだったんですね」  苦笑交じりの佐伯の言葉に、若宮は首を振る。「いや、俺が佐伯を信じたかっただけなんだよ。社長は仕事に感情を持ち込むなって散々言われてるのに、こんなんじゃまた安藤さんに怒られるよ。まったくな」

そう言葉では自嘲してみせる若宮だったが、自身の選択は間違っていなかったと確信していた。  佐伯は、急に真剣な顔になって若宮に頭を下げた。「おい、やめてくれよ。俺が感謝されるようなことじゃない。佐伯が頑張ったんだよ」  若宮は慌てたが、佐伯は頭を上げようとはしない。「若宮社長、私のことを信じてくださって、本当にありがとうございます」  佐伯のその言葉は、たしかな重みと温度を持って若宮の心まで届いた。「いや、こちらこそだ。俺に、俺たちの会社についてきてくれてありがとう」  若宮も、座ったまま佐伯に頭を下げた。二人が同時に頭を上げたときには、両方が笑顔であることに気がついて、さらに声を上げて笑ってしまった。「若宮社長、変わりましたね」「変わった?」  不意に言われた言葉の真意が、その一瞬ではわからなかった。  佐伯は続ける。「変わりましたよ。社長らしくなったと言うか……。  以前は、部下の我々と親しく付き合ってはいても、我々を信じようとはしていなかった。だから、ご自分一人ですべて抱え込んでいたんですよね。  安藤さんがきてから、その抱え込んだものを、識学に組み込まれている仕組みに一部任せられるようになって、それで社長は変わったんだと思います」  佐伯の指摘で、変わったのは会社や社員だけではなく、自分もそうであることに若宮は気がついた。(そうか、俺はもともと誰のことも信じていなかったのか……上辺だけよくして、社員に頼らず、自分で全部やろうとしてたんだな……)    過去の自分の未熟さに呆れながら、若宮は佐伯の目をまっすぐに見つめて言う。「これからも、よろしくな、佐伯」「はい。これからもどんどん業績を伸ばして、またナンバー2の座に返り咲いてやりますよ」  にやりと不敵な笑みを浮かべる佐伯と、それを笑い飛ばす若宮に、窓からの光があたたかく差し込んでいた。

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