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「社長という病」の克服法

「社長という病」の克服法  疲れ切った社長さんたちに必要なものは「希望」です。暗夜の航路でなにも見えなければ、やがて船は暗礁に乗り上げて沈んでしまうかもしれませんが、わずかな灯台の灯があれば、安心して進めます。そのわずかな灯が「希望」です。しかし、その希望は待っているだけでは来てくれません。希望はそれを願い、望む者だけが手にするものです。

 希望を手にするためには、「考え方を変える」ことが必要かもしれません。

いままでは、「こうでなければならない」という固定観念でものごとを決めつけていたかもしれませんが、そういう考えを一切捨てて、新しい考え方を持ってみるのです。

その「新しい考え方」とは、いままでとは違った角度から持っているものを眺めてみることです。

長い間、決まった角度から見続けたものを、まったく違う異なる位置から眺めてみる考え方です。

それを得るには、一切を否定しないで聞く耳を持つことです。

それにより、ものごとの見方が変わります。

現在、著名な作品として世界中の人に読まれている本があります。私はこの本に高校時代に出会いました。

そして、後にこの本に再会したのは、私が事業で取り返しのつかない失敗をし、人生の希望を失い、この世を去ろうと考えたときでした。人生で最もつらい時期に、再びこの本に出会うことで、私は救われました。最近は復刻版として、どこの書店にも置かれています。

 その本の名は、『夜と霧』。

一九四六年に出版された作品で、著者のヴィクトール・フランクルは心理学者です。

「夜と霧」というタイトルは、ヒトラーによって出された命令の名称で、その目的は、ユダヤ人を始め、ナチスに反対するあらゆる人間を、夜間に逮捕し、密かに強制収容所に送り込むことでした。一夜で、一家族がまるで霧のように消え失せてしまったことから、この題名がつけられました。ゲシュタポにより逮捕された家族が、その後どこに連れて行かれ、どうなってしまったのかほとんどわかりません。

多くの場合、強制収容所に着くなり、ガス室で殺されるか、運よくそれを逃れても強制労働を余儀なくされました。「夜と霧」は、ナチス強制収容所における想像を絶する地獄を象徴する言葉に置き換わっています。有名なアンネ・フランクやコルチャック先生なども同じ時期の人です。

この「夜と霧」で、フランクルは「希望」を多くの人々に伝えてくれました。想像すること、創造すること、考えること、想うこと、素晴らしい過去を振り返ること。

過去のすべてがよい記憶ではなく、たとえ嫌な過去であったとしても、それは「あなたの人生の証ですよ」、それは「あなたの大切な過去の宝物ですよ」と語りかけています。

未来だけに希望があるのではなく、過去にもたくさんの希望があった。それを思い出してほしいというメッセージにも聞こえます。

いま、希望がないという人がたくさんいます。

また、希望をまだ見ぬ未来にだけ向けている人が多いようです。

 もし、私たちの人生がフランクルのように、明日をも見えなかったとしたらどうなのでしょうか?  不安だらけの人生になってしまうのでしょうか?  それともフランクルのように、人生の宝物を思い出して生きようとするのでしょうか?  フランクルは絶望の中で希望を見つけ、「どんな状況でも意味がある」と言いました。

「それでも私は、人生にイエスと言う」のイエスとは、感謝するという意味にも聞こえます。

 一九四五年アメリカ軍によって解放され、フランクルは奇跡的に生命を救われ、戦後、「ロゴセラピー」(人が自らの生きる意味を見出すことを助けることで、心の病を癒す心理療法)を提唱し、希望を失い、悩み続ける多くの人々を救いました。

彼は次のような言葉を残しています。

そもそも、我々が人生の意味を問うてはなりません。我々は人生に問われている立場であり、 我々が答えを出さねばならないのです。祝福しなさい、その運命を。信じなさい、その意味を。

どのような状況になろうとも、  人間には一つだけ自由が残されています。それは、どう行動するかです。

人間が本当に求めているのは、安全などではありません。

目標に向かって努力し、苦悶することなのです。

 私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけません。

 幸せは、目標ではないし、  目標であってはならないのです。

 そもそも目標であることもできません。

 幸せとは結果にすぎないのです。

 涙を恥じることはありません。

 その涙は、苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。

「夜と霧ダイジェスト」ヴィクトール・フランクル  もし、会社がなくなり明日から一文なしになったら。

 もし、余命数カ月と医師から宣告されたなら。

 もし、交通事故に遭い身体を動かすことができなくなったら。

 もし、明日命を失うとしたら。

 あなたはなにを考え、どうしたいですか?  フランクルはかつて、そのすべての希望を失いました。

 すべての持ち物は奪われ、身体中の毛を剃られ、囚人服を着せられ、腕には番号を入れ墨され、人間としての人格などなく、番号のみでしか呼ばれない。

 彼は、一糸まとわぬ裸体にされ、晩秋の夜に水に濡れたまま立たされました。

眠るときにはわずか二メートル半の板の上に九人で横たわる。

上を向いて寝ることも、寝返りも打てず、足を曲げることさえできません。

しかし、彼はそれでも眠るように努力しました。

目を閉じれば、その世界には静寂があり、わずかな安らぎがありました。

目を開けた世界では、なにも罪を犯していないのに殴られ続け、嘲笑され、身体の痛みよりも心にダメージを与え続けられます。

日中は強制労働と仲間の死体処理や穴掘りにより、精神状態がおかしくなっていきます。

もう、いつ殺されてもおかしくはありません。

他の者たちは早く死んで楽になりたいと願っています。

でも、フランクルは最後の最後まで生きようと決心します。

彼の「希望」は、殺されてしまいました。

それは愛する妻のことでした。

なにもかも失ったかに思えますが、それでも彼には妻との思い出が残されていたのです。

目を瞑れば、そこにはいつも笑顔で優しい妻の姿があるのです。

その妻との会話は何千回も続きました。

これがフランクルの残された希望だったのです。

「どのような状況になろうとも、人間には一つだけ自由が残されている。それは、どう行動するかだ」  どのような過酷な状況であったとしても、人間は「生きて、生きて、生き続けることだ……人生の闘いだけは決して放棄してはいけない……」と彼は伝えてくれました。

 私たちとフランクルの時代はまるで違いますが、私は彼の言葉で、もう一度、いや何度でも「生きよう!」「闘おう!」と決心しました。

 一人ぼっちで孤独だと信じていた私は、そばに誰もいなくても、フランクルと同じように父や母、家族、友人に語り続けました。

 両親に愛されていた子ども時代、初めての子の誕生、楽しかった思い出、素晴らしい仲間たち、みんな優しかった……。すると、苦しみもつらさもすべて素晴らしい過去に思えるようになりました。

私はその過去に語り続けました、「ありがとう」と。私にも新しい希望が生まれたのです。人生に追い詰められ、苦しくつらいとき、誰もが希望を失います。不幸の主人公と化し、自分を責め、人を責めてしまいます。

人が希望を失うときが「絶望」なのかもしれませんね。でも、どんなときも希望は人生においての大切な処方箋になるように思えます。

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