10責任をとる覚悟責任をとる。戦国時代の武将は、自分の命を捨てて部下の命を救うのが当然であった。今の時代なら、みずからの「職」をかけて事に臨む。そうでなければ指導者の資格はない。 ――今春、経営トップに就任する予定です。そこでぜひ、指導者が備えておくべき要件についてお教えいただきたいのですが……。松下 ひと言でいって、指導者とは責任をとるということですな。責任をとれない人は、指導者たる資格はない。昔は、指導者の心得というのは、みんなのために死ぬということでしたわな。高松城水攻めの話はそのいい例です。 秀吉の毛利攻めで、水攻めにされた高松城は、食糧もだんだん尽きはてていき、城兵はただ死を待つのみとなった。 そのとき、城の守りの大将、清水宗治は、「わしの首と引き換えに、城兵を助けてくれ」と秀吉に申し出たんやな。秀吉は宗治の態度に感服し、〝待ってました〟とばかりそれを聞き入れた。 宗治は、みずから船をこぎ出して、船の上で従容として切腹したでしょう。それを見守っていた敵、味方の将兵はみんな拍手をした。自分の命を捨てて、部下の命を救うというのが、戦国の武将の心がまえやったんですな。この宗治の精神が、指導者の精神だと思うな。「一将功なりて万骨枯る」というが、「一将死して万卒生きる」というのも一面の真理です。 一国の首相であれば国民のため、会社の社長なら社員のため、部長や課長なら部下のために、大事に際しては自分の命を捨てるんだ、という心意気をもたないとあかん。今はそういう指導者が出なければいかんですよ。 命をかけるといえば多少ウソになるというなら、命をかけんでも職をかける、指導者は当然、それをやらないといかん。その気がまえで臨めば、そのことに誤りがなければ成功しますよ。〔一九七六〕
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