28永遠であるものはない企業に限らず、いっさいのものには寿命がある。今と同一の形態で永遠性を保つことはまずできない。そう考えておいたほうがいいのではないか。 ――一般に、企業の寿命は三十年といわれております。ところが幾多の厳しい経営環境の変化を乗り越え、長く存続し続けている企業も少なからず見受けられます。そのような企業を見ていると、企業はやり方次第でいくらでも存続し続けられるものであるとも思うのですが、松下さんは企業の寿命についていかがお考えでしょうか。松下 結論的にいえば、私は、企業に限らず、いっさいのものは永遠には存続しないというのが原則ではないかと考えます。すべてのものに、長短の差はあっても寿命があるのであって、企業もまた例外ではないと思うんです。 これについては私自身の経験した一つのエピソードがあります。それは十数年前のことですが、ある高徳な禅僧と対談したことがありました。そのときに私は、「和尚さん、禅宗は将来どうなりますか」とお尋ねしたんです。 そうすると、「それは自然消滅でしょうな」という答えが返ってきたんです。これには私も驚きました。他の人ならともかく、現に禅宗に身をおく、しかも高僧といわれるような人が、そう言い切られるのですから。その私の驚きを察したのか、その人はこうつけ加えられました。「松下さん、それは寿命ですよ。すべてのものに寿命がある。それがお釈迦様の説かれた諸行無常ということです。だから、禅宗といえども、時が来れば消滅するのです」「しかし、和尚さん、そんなことではあなたご自身、布教やお説教に力が入らないのではないですか」「いや、そんなことはありません。いつ寿命が尽きるか分からないけれども、その最後の瞬間まで私は禅宗に生きます。それが私のつとめですからね。しかし、それはそれとして『禅宗は将来どうなるか』と聞かれたら、いまのようにお答えするしかありません。それが仏教自体の教えなのですから」「そうすると和尚さん、私のやっている松下電器もいつかは消滅するということですか」「そのとおりです」 というようなことで、最後は笑い話になったのですが、私はこの会話から非常に啓発される思いがしました。 古代の中国の賢人は〝日に新た〟ということを言っていますが、万物はすべて、生まれ、日に日に変化し、そしてやがては消滅していきます。そういう姿をお釈迦様は〝諸行無常〟と言われたのでしょう。また古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスも「万物は流転する。きょうの太陽はもはやきのうの太陽ではない」と喝破しています。 そのように日に新たに変化していく姿の中で、いっさいの生物にはそれぞれに寿命があります。虫の中には何日という短い期間しか生きられないものもいるようですし、ある種のカメは二百年近くも生きるそうですが、長短の差はあっても、すべてはいつかは死ぬわけです。人間も例外ではありません。なかには百歳を越えて生きる人もありますが、いずれにしても、寿命があることには変わりありません。まして、個々の生物以上に複雑性をもった企業というものは、さきのお坊さんの言葉のように、時代とともに刻々と変化し、いつかは消滅していくということが考えられるでしょう。 私自身にとって、非常に印象深い例があります。私は少年時代、大阪のある自転車屋に奉公していました。ちょうどそのころ大阪に市電といいますか、路面電車が敷設され始めたんです。そのことから、私は「これからは電気の時代だ」ということを感じ、自転車屋から電灯会社に移り、さらには独立して電気器具の製造を始めるにいたったわけで、私にとってはきわめて重要な意味をもった事柄でした。 ところが、今日では大阪には路面電車というものはまったくありません。開通当時は最新の交通機関であった路面電車も、自動車の普及につれて、交通の妨げとなり、事業としても赤字となって、逐次路線が撤去され、全廃されてしまったわけです。日本で最初に市電が開通したのは京都で、明治二十八年のことですが、その京都でも昭和五十三年には市電はまったくなくなりました。ですから、市電の事業は社会の情勢の変化によって、一世紀足らずのあいだに消滅してしまったわけです。 そのような事例からも、やはりどんな企業でも永遠性というものはなく、二十年か五十年か、あるいは百年、二百年、五百年といったように長短の差はいろいろあると思いますが、寿命をもつのが原則であると考えたほうがいいのではないかと思います。 もちろん、個々の人間に寿命があっても、人類といいますか、人間社会というものは長く存続するものです。人間がこの地球上に生まれて、何万年か、あるいは一説には何百万年ともいわれますが、今後とも人間生活は長きにわたって生成発展を続けていくと考えられます。そういうことからしますと、企業というものも、人間社会とともに永遠に存続することは可能であるとも一応は考えられましょう。多くの企業の中にはそういうところもあるかもしれません。しかし、同一の条件、同一のかたちにおいて永遠性を保つことは不可能でしょう。同一の形態において存続しうるのは、二十年とか五十年とか、そういう限られた範囲のことであると思うのですが、いかがでしょうか。〔一九八〇〕
信頼の章
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