久米仙酒造(本社那覇市、平良正諭輝会長)は昭和二四年(一九四九)に沖縄県・久米島で創
業し、昭和二七年(一九五二)には那覇へ進出した。伝統ある泡盛メーカーのなかでは後発企

業である。懸命に市場開拓に努めたが、沖縄という市場は、
新参者が簡単に参入できるほど生やさしくない。そこで平
良社長は昭和四五年(一九七〇)ころから東京、名古屋の食
品商社と特約契約を結んで、県外へ新市場の開発を進めた。
図表61 4で説明すると、従来の商品を新しい市場で展
開したわけである。さらに従来の一升瓶(一八〇〇ミリリッ
トル)と三合瓶(五四〇ミリリットル)の間の四合瓶(七二〇
ミリリットル)の卓上用グリーンボトルを新商品として開
発、これが大ヒットした。このグリーンボトルは、それま
でク島の酒クと呼ばれて家庭で飲まれていたサイズのお酒で
ある。これを居酒屋、スナック向けに販売した。新しい商
品によって、新しい市場、新チャネルの開拓を行なったの
が成功したのである。
だが、沖縄の本土復帰以降、久米仙酒造にとって新たな
問題が起きた。それまで自由に輸入できた外米輸入が規制
されるなど、種々の制約を受けるようになったことである。国産米ではコスト高になったの
で、上代価格(納入価格)を上げたが、高級酒市場には食い込めず、かといってコストダウン
の方法も閉ざされたので、苦境に陥った。
こうした久米仙酒造のことを大阪・柏原の米調整品商社であるタイメイフードの岡本泰明
社長が知り、同氏の仲介で中国・内モンゴル自治区ウランホトに合弁会社「内モンゴル万薬
酒造有限会社」を設立、同地で泡盛の製造事業を開始した。岡本社長はタイで米のビジネス
を二五年間行なってきた経験があって外国米を知り尽くしていたうえ、彼の人脈は、タイは
もちろんベトナム、香港、台湾の華僑、中国の共産党幹部まで及ぶほど幅広かったので、合
弁事業は日本人と華僑が一体となってスタートした。
原材料の米づくりは、戦前、満蒙開拓民団が行なった実績があった。とくにウランホト地
域は、地域の水耕にはあり余るほどの水をたたえているザラシンダムの水を利用して、完全
な無農薬、有機肥料ジャポニカ米を朝鮮民族系の人々がその地でつくっている。しかも水は
酒づくりに合った硬水で、いまでは黒麹菌、金麹仕込み、平均水温九度の清水仕込みの、内
モンゴル産泡盛である「響天」が立派に誕生している。
この久米仙酒造の合弁事業は、従来と異なった場所で、無農薬、有機肥料、オーガニック
(自然栽培)なモノづくり、米づくり、水づくりと、垂直に、つまり上へ上へと上がって独自
の新商品開発に成功したよい例であり、後述する新生産技術、国際取引といったニュービジ
ネスシステム戦略に立った戦略展開である。今後、久米仙酒造が取り組まねばならない課題
は物流システムの改善であろう。ちなみにコンテナの運賃は大連―神戸間が一八三〇米ドル、
神戸―沖縄間が三二〇〇米ドルである。
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