Y社は、現在売上三〇〇億円をあげる優良な食品問屋である。
ところがY社が佐藤塾に入った当時は、地元の老舗ではあるが、売上三〇億円の典型的な
地方問屋にすぎなかった。しかも食品の問屋さんは数が多すぎて、「利益を減らしてもシェ
アをとる」ような過当競争が当たり前で、とにかく儲からない会社であった。
Y社長は、なんとかして儲かるようにしたい、と真剣であったが、過当競争に翻弄されて、
突破口を見いだしかねていたのである。
わたしのアドバイスは次のようなものであった。
「ヨソから仕入れることばかり考えていてはだめだ。君の会社にとって、一番大事なことは、
ヨソで売っていなくて、収益率の高い商品をもつことだ。それには自主開発商品を造ること
だ。自前の商品をもたずに、この競争に飲み込まれていては、いずれ体力を消耗して、どこ
かに吸収される運命だぞ。将来のことを考えたら、とにかく考えてばかりいないで一度やっ
てみることだ。何かないだろうか、ぐらいじゃ社長ではない。何がなんでも高収益商品の柱
を築くんだと腹をくくれ。そうすれば執念が生まれてくる」と。
当時の地方問屋が、自社ブランド商品を開発することなど考えられない時代であったから、
Y社長も当座は「そんな無茶な」という顔であったが、佐藤塾で経営数字を徹底的に鍛えら
れてもいたから、「このままでは近い将来、Y社は吸収合併で消滅する」というわたしの指
摘が、単なる脅しではないことも分かっていた。
地方問屋としてふさわしい物は何か、Y社長の懸命な商品探しが始まった。その詳細は省
くが、試行錯誤のすえ、土地の食材を活かして、弱小な問屋でも売れそうということで、わ
さびの入った振りかけということに決まった。
ようやく発売にこぎつけたY社の自主ブランド商品は、社長の不安をよそに注文殺到で
あった。利益率がこれまでの五倍ある新商品は、 一年目にして売上一億円の大ヒットとなっ
た。この新商品による一億円の売上は、従来商品五億円に匹敵する利益を稼いでくれたので
あった。これを契機に、Y社の快進撃が始まり、今日の基礎を築いたのである。
Y社長が、今は思い出話として、「あのとき塾頭に、老舗もなにも、吸収されて無くなっ
てしまうと脅されなければ踏み切れなかった。先を見通して手を打つことが社長の最重要な
仕事だ、とやっとこのごろ分かるようになってきた」と、しみじみと語るのである。
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