仕事は順調であった。当時の千代田光学(現コニカミノルタ)が最初のお客となってくれ
た。納品した部品は精度もよく納期も確実と好評で、注文が殺到してとてもさばき切れない
ほどであった。もっと機械を入れたかったが購入資金がなかなか貯まらない。夜もろくに寝
ないでがむしゃらに仕事をした。そんなわたしをみて、友人がこう忠告してくれた。
「佐藤、どんなに一生懸命稼いでも、税務署がもっていってしまうから、儲けをためて機
械を増やして会社を大きくするというのは、君の理想論にすぎない。ほどほどにしておかな
いと体を壊してしまうぞ」と。
そんな中、始めて五年くらいたったころだと思うが、鈴木社長が工場にやってきた。
「この資金で工作機械を買ってきて、自社で使う自動旋盤を自分で作りなさい」と、
一〇万円のお金をわたしにくれた。
当時、旋盤一台が一〇万円はした時代の話である。それを一〇万円ですべて賄えというの
だ。ところがわたしも若かったせいか、素直に「はい」というわけで、中古機械屋さんを回っ
て、真っ赤に焼けた旋盤とかフライス盤を四台買ってきて、工作機械作りを何とかスタート
させてしまったのである。
昼間、自動旋盤で部品の加工をやりながら、合間を見ては、フライス盤のサビ落としをし
たり修繕をして使えるようにして、苦心に苦心を重ねて、 一年がかりで一台の自動旋盤を仕
上げたことを今でもはっきり記憶している。 一台できると二台日は半年かからない。 一台二
台と自動旋盤を増やして、徐々に増産態勢を整えていった。
以来、スターの精密部品加工部門の設備は、自分のところですべて賄うことになったので
ある。そしてこのことは、現在の業績を大きく支える工作機械部門のルーツとなったのだか
ら、何でも苦労はしてみるものだ。
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