佐々木専務は目を丸くされて、「ミクロンの精度のものを、これだけの工程をかけて、
個二五銭とは、とても信じられない安さだ。よくやっていけますね」と驚かれた。
「信じられない安さだ」と聞いて、今度はわたしが目を丸くした。
精密業界では、ネジ一本二五銭を、「信じられない安さ」と言われたことはただの一度も
なかった。まだ高い、あと五厘、せめて二厘下げると。 一銭下げろじゃない、厘の単位の細
かな値引き交渉を毎年のように続けてきたのだ。創業以来、 一度も値上げしないでやってき
た、と前に述べたが、値上げしようにもできなかったというのが本当のところだった。それ
でも儲かる会社にしたのだから、まんざらでもないと思っていたのだ。
ところが家電業界からみると、これだけの精度の部品が二五銭とは、信じられない安さだ
という。この大きな差は、 一体どういうことだろう。頭から水をぶっかけられた気がしたの
である。
「おれは精密技術を、なんで精密業界にだけ売っていたのだろう。よそには同じものを倍
にも売れる世界があるかもしれない」と、よその業界の人に工場を見てもらって、はじめて
教えられたのだ。わたしはこの佐々木専務との出会いの日を忘れることができない。わが社
の現在を築く、大きな、強い運をもたらしたからである。これも山田社長の将来を見通した
「方向づけ」があったからこそ、と思う。
「わが社の技術を、エレクトロニクス業界に売ったらどうか」
山田社長の宿題であった、業種転換の糸口がようやく見えてきたのであった。
早速、シャープの技術のスタッフに工場を見てもらい、「何か利用できる技術がありまし
たら、何でもご下命ください」とお願いした。同時に、地元にある日立製作所の工場にも売
り込みにいった。すると、世界一小さいテープレコーダーの共同開発、ビデオデッキのロー
ターシャフトの共同開発というように、次々に引き合いが出てきたのである。
ところが当時のスターには電気の技術屋が一人もいない。ネジの加工一本でやってきたの
だから当たり前だ。
そこで佐々木専務の豊富な人脈にすがって、 一人、二人とご紹介いただいて、エレクトロ
ニクスと機械の結合、メカトロニクスに対応できる態勢を整えていった。折からベンチャー
ブームで、大企業の優秀な技術屋さんがスピンオフして研究所を創設する例が多かったこと
も幸いした。われわれが独立に協力して、そのかわり若い社員を四、五人ずつ出向させても
らい、鍛えてもらった。こうして急速にスターの体質を変えていったのである。
そこから、以前のスターでは想像もつかない新しい分野の商品が、続々と登場するように
なった。世界最小のテープレコーダー、世界初のポータブルプリンターつき電卓、トランジ
スター回路を使ったマイクロブザー等である。そうなると時計部門でも、世界最小の超小型
クロックムーブメントを開発、海外専門紙にもとりあげられ、ヒット商品となった。どれも
一個何銭、何円どころか、 一〇〇〇倍、 一万倍で売れるものだ。
そして一九八〇年代に入って、とうとうわが社の新しい孝行息子が生まれた。このころは
パソコン時代の幕開けであった。かねてから着手していたパソコン用のプリンターの生産販
売を開始するや売れに売れて、電子部門の売上を前年の四〇%も押し上げ、全社の五〇%を
超えたのである。翌年も対前年二一%増の大ヒット商品となり、現在、メカトロニクス分野
の売上が全社の七〇%を占める主力となったのである。
その後山田社長には、何だかんだといいながら結局、六年間社長を続けていただき、
一九八一年にわたしに引き継がれることになった。いつのまにか社員も一〇〇〇人を超え、
一九八一年に名古屋証券取引所に上場、 一九九〇年には東京証券取引所第一部に上場して、
今日に至っている。
長々とわたしの経験を述べてきた。
ここでわたしが読者にお伝えしたいことは、ご推察いただけると思う。
社長にとって最大の役割は、会社の方向づけにある、この一点なのだ。
会社は永続的に繁栄しなければならない。そのためには社長という仕事に課せられた役割
意識の重要さもこの章のはじめに述べてきた。
その社長の役割としてとりわけ重要なものが、「会社を発展させるための将来の方向づけ」
であることを、徹底してご理解いただきたいのである。
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