ここで別の観点から、わたしの体験をまとめてみたい。
それは、本書のテーマである「長期計画」への取り組み、ということである。二人の素晴
らしい社長から、社長の方向づけの「計画的な実践」ということも徹底して教えられたので
あった。
戦後間もなくの特殊事情があったとはいえ、大会社で中卒技術者の限界を感じて、「思う
存分、伸び伸びと好きなことをやってみたい」という極めて素朴な、野望とはいえない動機
から創業に参画し、無我夢中で仕事をしてきたことは前にも触れたとおりである。
先代の社長も二代日の社長も、「これからかくあるべき」と長期の方針を出すと、社長の
手帳に「何日の何時の役員会で、わたしの指示に佐藤君はこう返事した」とメモをして、そ
の後会うたびに、あのときの話はどう進展しているか、どんな手を打っているのか、と聞い
てくるのであった。
わたしがいい加減な返事でもしようものなら、「何を言っているか、君はこうこう返事し
ているではないか」と、言い逃れができない。まだ二〇代のころから、五年先、 一〇年先の
漠然としたテーマ(当時のわたしには、何がなんだか分からないようなものであった)を指
示されて、やいのやいのと、せかされるわけだ。中卒で何の知識もないわたしである、日先
の仕事をこなすだけでも精一杯、先のことなどどうでもよいじゃないか、社長もイジが悪い
よというのが、当初の正直な気持ちであった。
ところが社長は手をゆるめてくれないのである。
「まだ佐藤君は分かっていない。日先の利益も大事だが、将来の利益の方がもっと大切な
のだ。君はまだ若いが四〇歳、五〇歳になって会社が落ち目になったら、何のために事業を
続けたのかということになってしまう。 一〇年先の目標をしっかり見据えて、いま何をやる
かということでないとだめだ」と。
もちろん、当時のわたしにだって将来の夢も野望もあった。将来ボロ会社にするために頑
張るバカはいない。見様見真似で、三年先、五年先、 一〇年先の目標を設定して、計画的に
実践するクセを、しだいに身につけていったのである。
町工場の、零細企業の一〇年計画は、こうして生まれたわけである。
当初は、よく分からないままに長期の目標を設定されて、いまの会社の資金力とか人材と
か販売力でどう実現していくか、盲点はないか、しゃにむに実践していくうちに見えなかっ
たものが見えてくる。実践のスピードもあがり、いつしか目標をクリアしていたことに気が
つくのであった。
もしこの長期目標がなかったら、旧来の仕事をこつこつ続けるだけしかなく、「何でこの
ごろは儲からなくなったのか、うまくいかないのか」と、落ち目の商売に今ごろになって、
がっくりきていただろう。将来の経営目標を決めて今の商売を何とかそれに近づけることこ
そ、おれの仕事だ、と自覚するようになったわけである。
社長から、次の大きな方向づけが出されるたびに、 一〇年計画に新たな修正がなされる。
これの繰り返しを年々行っていくうちに、いつしか「今度は社長がこう言ってくるに違いな
い」とおおかたの予測がつくようになった。「どう手を打っていけば五年後、 一〇年後も繁
盛しているのか」を考えることが、習い性となっていた。
そうすると、お得意先の方と雑談していても、相手のちょっとした一言が耳に残るように
なった。新聞に目を通していても、よその業界のニュースも気になる。町の雑踏の中でも、
飲み屋のカウンターでも、今までは目にも耳にも入ってこなかったもの、一般の庶民やエリー
卜の暮らしぶりや流行や話題も気になった。海外との取引が増えるにしたがって、国内だけ
でなくよその国の気になる情報も、どんどん耳に入るようになっていった。わたしの中の事
業や商売のアンテナが次第に感度の強い、広範なものに強化されていったようだ。
試行錯誤の繰り返しの過程で、やがて一〇年先は想像つかなくても、二〜三年先ぐらいな
らどう動くのか予測できるようになっていたのである。つまり、できの良くないワタシにも、
少しは先の見通しがつくようになっていた。
コメント