わたしが社長になってからの最初の方向づけは、電子クロックからの撤退であった。
電子クロックはプリンターが出る前の花形商品で、電子機器部門の主力を占めていた。と
ころが、クロックという商品は、将来は日本ではなくて、もっと賃金の安い国でやる仕事に
なる、という情報が入った。
わたしは直感的に撤退すべきだと判断した。もちろんその裏づけ調査もやったが、判断に
迷いはなかった。そして早い時期に余裕をもって時間をかけて撤退したから、債務は残らな
かったのである。大体、撤退となると、最後にデッドストックが残って、投げ売りで大きな
損が出るものだ。ところが最後に残った金型まで台湾に売って利益を出すというように、結
果としては実に手際のよいことになった。
もちろん売上は大幅に減少した。実のところ、 一九八四年をピークに五年間減りつづけた
のだ。これは創業以来初めてのことであった。しかし売上の長期減少は経営計画に織り込み
済みのことであった。万全の準備をして、意図的に時間をかけて撤退したからだ。次のプリ
ンターを主力にすえて、衰退商品はたとえ比重が高くても、いや比重が高いからこそ思い切っ
た切り捨てをやる、と腹に決めていたので、「スターは一体どうなっているんだ」という雑
音も気にしないようにした。五年後、 一〇年後の高収益態勢実現のためには、何としても商
品構造を切り替える、これは信念というより、もはや執念といってよかった。
それというのも、将来を見越して、自分の仕事の中でこれから悪くなっていくものを捨て、
良くなっていくものを育てるという経営原則を、二人の社長から徹底して教え込まれていた
賜物である。
このように、スターはこの四〇数年の間、 一本調子で伸びてきたわけでは、決してない。
円高で揺すぶられ、パソコン不況でやられと、業績の変動の繰り返しであった。現在だって、
一ドル一〇〇円の嵐が吹いている。
しかし業績が落ちたときに、必ず長期計画を手直しする。そして落ちた原因をどうカバー
するかという長期プランを立てれば、 一、二年で、どんなに悪くても四、五年で必ず回復して
いる。だめなものはだめだから思い切る。いいものはどんなことをしてでも伸ばす。それも
目先の採算ではなく、長期の採算でやる。この点が大事ではなかろうか。
何事も長期のソロバンで考えることができるようになると、経営はあまり難しくない、と
いうのが不遜であれば、要らない不安がない、ということになる。
一〇年計画を立てはじめたころは、周りの経営者から、「一年先のことも分からないのに」
「数字や理屈で経営できれば苦労はない」と、笑われたものである。なにしろ社員一〇人、
二〇人の会社のころである。まして工場の油にまみれた若僧のやることだ。笑われて当然で
あったかもしれない。
しかしながらスターの歩みを後から振り返ると、おおよそ一〇年ごとに大きな転換期を迎
え、それを長期のソロバンで乗り越えて、育っていったように思うのである。
社長は、 一年のうちで数回しか顔を出さないが、会社の将来への大きな方針を出す。専務
のわたしがその実行計画を考えて実践した、この社長と専務のコンビネーションは、また、
会社の仕組みとして、社長と専務の分業態勢の確立、ということでもあった。
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