社長の野望は、
数字と実証に裏付けられた
長期経営計画によって
先見の明となる
はじめに
社長にとって「事業の将来を的確に読むこと」ほど大切な仕事はない。
しかし、すべての社長が、その「先見の明」に恵まれているわけではないから難しい。
真夜中に突然、寝床から起きあがり、事業の見通しをあれこれ考えて朝まで寝つけない、
というような経験は、社長なら二度や三度はおもちのはずである。
それでは、どうすれば先の見通しがつくようになるかといえば、事業のク長期計画クを立
ててみる以外にはない、とわたしは確信している。
長期計画なしに先見の明なし、と断じてよい。
「社長という仕事を選んだ以上、俺の人生でこれだけはやり遂げたい」。まず、さまざまな
夢や野望をはっきりと絵に描いてみることだ。三年先、五年先、 一〇年先の自分の事業の理
想像を思いめぐらし、精一杯欲ばることが大切だ。たとえ他人に言ったら笑われるようなこ
とでもかまわない。それが事業推進のエネルギー源なのだから。
しかしそれだけなら、絵に描いた餅、である。なんとしても夢を実現しなければならない。
そこで社長の夢や野望の裏づけ作業が必要となる。
夢や野望という形のないものを、どういう方法で経営計画の中に組み入れるか。実は多く
の社長が、自分の野望の計画化ノウハウをご存じないために、いたずらに号令をかけたり気
を揉むばかりで、なかなかよい手が打てずにいる。
その方法を一口で言うと、野望を数字におきかえることである。
経営に限らず、この世の中は「数字の約束ごと」がつきものなのだ。数字だから見える、
読める、ということがある。数値にしてみてはじめて、社長の欲をコントロールできる手掛
かりがつかめる。社長の野望という形のないものを、数字におきかえる過程で、数字は「経
営の生きた知恵」となり、社長の野望はいつしか洗練されて、「先見の明」となるのだ。
逆のことも言えよう。
会社の数字は、社長の意図・方針を明確に反映していなければならない。
たまたま帳簿にいくらよい数字が並んでいたとしても、それが社長の考え方を明確に数値
化した結果でなければ、先見の明にはつながらないということである。偶然よかったという
ことで、状況が変化すれば、またまた夜も寝つけないことになる。
このごろ、「日本経済は一大転換期を迎えて先の見通しがつかない時代だ」、とマスコミも
専門家も口をそろえて言う。
わたしは学者じゃないので難しい理屈はよく分からない。しかし一〇年前も二〇年前も
三〇年前も、日本は一大転換期を迎えていたような気がする。マスコミは「大変な時代となっ
た」と当時も騒ぎ、事業家はいやおうなしの対応をせまられてきた。
考えてみれば、経済の仕組みは生き物そのもので、常に変わっており、その変化に対応し
ながら、事業を続けていくことが社長の宿命なのである。見えない未来をなんとしてでも見
極めて、決断して手を打つことが社長の仕事なのだ。目先の変化にいちいち驚いてオタオタ
していては務まらない。泣き言をいってられない、言い訳無用の仕事である。
社長業は、厳しくて難しい仕事だが、しかし、これほどやり甲斐のあるわくわくする仕事
もないのではないか。目を吊り上げていつもハラハラしながら経営を続けるのか、生まれ変
わっても社長人生を選ぶほどに生き甲斐のある経営を続けるかは、 一に長期計画を持つか持
たぬかに、かかっているのだ。
さて本書では、五年先、 一〇年先まで繁栄できる長期計画の立て方をテーマに、わたしの
全体験を包み隠さず公開した。
社員六名、掘っ建て小屋の工場で事業をスタートして以来、「零細企業の分際で」と笑わ
れながら、町工場の時代から一〇年計画を立てつづけて、おかげさまでどうにか一部上場企
業に育った。 一方、小売、卸、建設などさまざまな業種の若手経営者に長期計画を指導して
きて、その中から上場規模の優秀会社が輩出してきた。不遜を覚悟で言わせてもらえば、わ
たしの長期計画のノウハウは、経理や会計の専門家にではなく、現役の社長にとって、優れ
て実践的なものと自負している。
今回ご縁があって、日本経営合理化協会の牟田學理事長からの強いご要請で、本書が生ま
れた。題して「野望と先見の社長学」とした。
だれのためでもない、社長が自らの夢と野望を実現させるために、本書の内容を実践して
いただければ、これに優る幸いはない。
平成六年一月吉日
佐藤誠一
※本書は、 一九九四年に出版した「野望と先見の社長学」の新装版である。
第一章
社長の最大の役割
社長の抱く夢や野望を、多くの人間の協力で実現させていくためには、その
大前提として、社長が周りから尊敬される存在でなければならない。尊枚のな
いところに真の協力関係は生まれない。
そのために最も大切なことは、社長という仕事に課せられた世の中の役割を
確実に果たすことである。立派な社長として尊敬されるのは、社長にしかでき
ない役割を、自らのビジョンをもってやり抜くからである。
そして社長のさまざまな役割の中で、最も重要なものは、事業の将来を見通
して、さらなる発展の方向づけをすることと、その方向づけの実践である。こ
れができなければ、企業の永続的な繁栄はない。
長期計画は、このような社長の役割意識と社長の野望や夢がむすびついた、
社長自身の人生設計でもあるのだ。ここが、事務や経理の担当がつくる長期計
画と根本的に異なる点である。
経営者の誇りと恥
社長は誇り高い存在でなければならない
誤解を恐れずにあえて言うが、「社長は偉い」と、自他共に認めるようでないといけない。
多くの人から「あなたがいるからわれわれの幸福がある」「あなたのおかげで快適に過ごせる」
と尊敬され畏敬されてはじめて、社長といえるのだ。そして協力も得られるのだ。
社長とは、それだけ誇り高い、立派な存在でなければならないと、わたしは思う。
ところが、「俺はエライ」と自負している社長のうちで、他人から見て「あの社長は立派だ。
偉い人物だ」と認められるような社長が何人いるだろうか。
ここで統計的にはいささか乱暴な計算をしてみよう。
総務庁の平成二年調査によると、現在の日本の法人の数は、おおよそ一五六万社とされて
いる。もちろん、それらの会社には休眠会社や社員のいない会社も含まれるが、それでも全
国に一〇〇万人以上の社長がいることになる。さらに、どの会社にも経営者と言われる人
が三、四人くらいはいると考えられる。すると、現在の日本には、経営者と呼ばれる人達が
五〇〇万人もいることになるc
一方、日本の人口はおよそ一億二〇〇〇万人で、その半分は高齢者と未成年者だから、
会社経営者となると半分の六〇〇〇万人の人達が対象となる。また、最近では女性の経営
者も多いようだが、基本的には男性が多い、ということから考えると、そのまた半分の
三〇〇〇万人しか経営者の対象はいないということになる。つまり極論を言えば、現在の日
本では、およそ三〇人に一人が社長で、六人に一人が経営者ということになるのである。女
性経営者におしかりを受けては困るので、経営者の対象を五〇〇〇万人としても、五〇人に
一人が社長で、 一〇人に一人が経営者ということになる。
そうなると、仮に、人込みの中で「社長!」と声をかけると、何人もの人達が振り返るほ
ど、珍しくも何ともない職業なのだ。どこかのバーで社長の数を数えたら、ホステスより多
かった、という笑えない話もある。希少価値で言うなら、いまわたしの地元の静岡にいる芸
者さんは、わずか一二人で、社長などよりはるかに貴重な存在である。
これは、先代の社長が話してくれたことだが、昔、新橋の花柳界で「社長」といえば、日
本郵船の社長ただ一人で、あとの社長は「イーさん」「ハーさん」「ウーさん」呼ばわりだっ
たそうである。
大正の終わりから昭和の初期、日本で最も華やかな仕事で、お国のためになる仕事をして
いたのが、日本郵船であった。当時の三菱重工のトップですら「社長」と呼んでもらえなかっ
たという。
初代社長はわたしに、この話を通して、社会的に重要な役割を果たすような社長であれば、
おのずと周囲から尊敬の念を抱かれ、だれからも「社長」と呼ばれるようになる、というこ
とを教えてくれたと思っている。
社長が社長としての役割を果たして、周囲がそれを認めたときこそ、「社長は偉い」とい
うことになるのだ。つまり役割意識に欠けている社長は、社長とは名ばかりの、しがない存
在なのである。
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