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集中した強い目的意識を持つこと

およそ十年ほど前に、富士の「やぶ北茶」を売っている駿河園という会社の一杉紹至社長が尋ねてきた。

BE研究所の行徳哲男氏の紹介で、赤字に陥った会社を再建してくれというのである。

経営をみて、驚いた。小さな会社で、年商は僅か七千万円で、年商の七倍もの借金を抱えて喘いでいた。借金は、年商の三分の一を超えてはならない。それが借金のメドである。三分の一を超えると、途端に資金繰りが困難になるのである。

年商の七倍もの借金があるというのは、それだけで異常な会社である。これでは、年商の全額をそっくり借金の返済に当てても、七年もかかるわけである。経費を一銭も使わず、借金の返済に七年もかかるような会社は、とうに倒産していて何の不思議もない。どうしてこんなに赤字を重ね、借金を作ったか、当然のことながら糾してみた。事情はすぐに分かった。

つまり、化粧品の会社、レストラン、不動産会社など、新しくやった事業がことごとくうまくいかず、整理してみたら、後に残ったのは借金の山と、先祖代々続いたお茶の小売店が二軒だけだったというわけだ。

借金は、決算書にゼロを一つ二つ余計につけて、銀行に持っていったら貸してくれたという。借金の名人である。

後に残ったお茶の小売店は、東京の新宿と池袋にあるデパートのコーナーに二軒だけだった。この二店で、月に六百万円前後、年間七千万円の売上にすぎなかった。

商品も、販売の状況も、残金がいくら使えるかも、社員の質も見たが、何よりも、社長本人にやる気があるかどうかを見たいと思った。

そこで、まず、商品のお茶を持ってきてもらうことにしたが、噛んでみたり、飲んでみたりしたが、これが旨くない。焙煎が下手なのだ。食べ物や飲み物は、おいしいことが一番大事である。たまには、健康に良いとか、独特の味が贔員を作ることもある。まず、おいしくないと二度と買われないのであるから、幾度も、焙煎をやり直してもらうことになった。

温度を変え、乾燥状況をみて、茶の葉の巻き加減を試した。香りの高い日本茶が出来上がったのは、十回ほどもやり直してからである。とうとう出来上がった。やれば出来るのである。

こうして作ったお茶を、美しい茶筒に入れて売りたいと願い、筒を見せてもらったが、その肝心の茶筒に今度はガッカリしてしまった。茶筒は、自っぽいアルミ色をしていた。いかにも安っぽい。とてもおいしいお茶が入っているとは感じられない。しかも、筒に巻いてある紙までが自ちぼくて安く見える。急いで作り替えなければならない。

私の友人に伊藤隆雄さんというデザイナーがいて、時々、商品開発や社名・店名の決定を手伝ってもらったりしていた。一緒にやった仕事も多かった。すぐに、この友人を呼んで、作り替えることにした。

まず、茶筒は、漆の黒色をイメージして高級感を出してもらうように頼んだ。筒の胴巻きも気に入らないので、何か良い案がないか、みんなで探すことにした。その時、伊藤さんが、広重の版画で「富士山の麓で茶摘みをしている光景」を、長野の人が持っているはずだという。本当に、富士のやぶ北茶にとって信じられないほどピッタリの絵がこの世にあったわけであるが、この絵を人を頼って探し出し、やっとの思いで許可をいただいた。少し薄クリームの和紙に、この絵を印刷してもらった時に、「これで、この商品は成功する」と感じたほどである。

しかし、この一本だけのデザインでは、複数の筒を並べた時にくどいと思い、もう一本別のデザインを作っておきたいと願っていたら、芭蕉に、「駿河路や花橘と茶の香り」という句があることを知った。 一日でこの句に惚れ、書家に書いてもらい、和紙に斜めに印刷をし、茶筒に巻いた。中身のお茶の旨さも、筒もよく出来上がった。

お茶を三本セットにする時には、広重の絵を真ん中に、両サイドに「駿河路や……」を入れることにし、二本の場合には、それぞれ一本ずつ、 一本の場合には、「広重」を買っていただくことにした。

商品作りは、ざっとこんな按配で、苦労はしたが、考えられないほど短期の二週間ほどで完成した。すべてを並行してやったからである。商品の出来には、私も、伊藤さんも、 一杉社長も満足していた。自信があった。次は、売ることである。

どんな良いものでも、売らなければ会社の維持はできない。 一杉社長に客層を尋ねているぶしゅうぎ時に、関東では不祝儀の引き物にお茶が使われることが分かった。これは、私にとってすごい好情報であった。電流に打たれたように閃きが走った。

そこで、すぐに、私は知人のサンライフの竹内恵司社長に電話で尋ねることにした。今、このサンライフは上場しているが、その頃は未上場の優秀な会社だった。主に冠婚葬祭が業務の内容だった。竹内社長は、人柄も尊敬できるし、何よりも男前が良かった。電話で、「竹内さん、不祝儀に毎月どの程度の引き物を使っているの」と、まず尋ねてみた。

「毎月、五千万円は引き物を買うよ」という返事があった。私は、胸を躍らせて、それを聞いていた。

「ここに、とてもおいしいお茶があって、見栄えもいいのですが、これを少し使ってもらうわけにはいきませんか」と言って、事情を説明してお願いをした。

そしたら、ほとんど間髪を入れず、竹内さんは、「じゃあ、牟田さん、すぐその人を、商品を持たせて寄越してください。良ければ、毎月、使う量の半分は買いましょう」と言ってくれたのだ。嬉しかった。涙が、思わずこぼれ落ちた。

半分と言えば、二千五百万円である。年間二億円である。本当に感謝の気持ちで一杯であった。

ところが、その日、私は、この嬉しいニュースを駿河園の社長に急いで伝えようと思ったが、肝心の一杉社長がいないのだ。

捜しに捜して、駿河園の社員の口をやっと割らせて聞いてみたら、ゴルフに興じているというのだから、腹が立った。また、「電話一本で、二億円もの年商が決まることなど、全く信じられない」というので、生返事をしていた。

やっと連絡をとったら、こんな調子であったから、すごく怒鳴った記憶がある。それ以降、この一杉社長には、ゴルフも、赤坂村や銀座村で飲むことも禁止することにした。もし禁を破ったら、本気でそれっきり指導しないことにしようと思った。

封印である。私は、自分の著書を、その時、 一杉社長にプレゼントしたが、その表紙の裏の見返しに、約束事を戒めに書いて渡した。社長本人がその気にならなければ、周りがどんなに言っても、動いても経営はうまくいかない。経営も社長業も、そんな生易しいものではないから、灸を据えたわけである。

やがて、 一杉さんは、竹内社長の好意を全面に受けて、月に二千五百万円のお茶を買ってもらえるようになった。勇躍して、報告があったことは言うまでもない。それでも、まだ、この竹内社長への恩を思う時に、人間としての情や義理が分かっていないと、愛の鞭を振るわずにはいられない。

一杉さんが竹内社長のサンライフから帰って来た直後に、葬儀店には、お茶の需要があることを強く説いて、調べてもらうことにした。

その時点で、東京に約六百軒、神奈川と埼玉と千葉に約六百軒、合計一千二百軒もの葬儀店が存在することが分かった。竹内社長のサンライフは最大手であった。それから一年間、 一杉社長は、竹内社長の紹介もいただき、また、教えてもらいながら、一生懸命に頑張った。

おかしい話であるが、結婚式は二人が一つの宴を開くわけであるから、年間、日本中で六十万人が結婚しても、披露宴は三十万組程度にしかならない。それに対して、葬儀は、必ず、一人が一人で死ぬわけで、しかも結婚式と異なって、 一人ずう式をあげるのであるから、成長性が高い。

来る日も来る日も、葬儀店へ営業をかけ、他に意識を向けず、ひたすら業に徹し励んだ。一年経って、売上は飛躍的に伸び、二十億円を超えた。それから八年が経ちた。

ある朝、行き掛かり上、私が会長を引き受けている「無学会」という社長ばかりの愉快なゴルフ会に行った。

そこに、封印が解けた一杉社長が入会したいと来ていた。きっと仲間が誘ったんだと思う。新入会員としての自己紹介があって、すごく嬉しかったことがある。それは、 一杉社長の挨拶である。

「私は、今から、八年ほど前に、牟田さんの門を叩きました。その頃は、会社の規模も零細で、大赤字で、絶望しながら毎日生きていました。もう、ヤケになって遊んでいて、自分には社長業は無理だとさえ思っていました。

その時、牟田さんに『社長業』という本をもらいましたが、何と、表紙を開いた見返しにサインがしてあって、『百億を目指せ』と書いてありました。こんなことはウソだと、そう思いました。また、もう一冊の『社長業のすすめ方』という本には、『たった三年間、寝食を忘れて業に徹すれば、生涯の富も、産も、幸福も築ける』と書いてありました。

不思議なことに、今、私の会社の年商は、七十億円ほどにもなり、百億はもう目と鼻の先のように思えているのです。夢のようですが、今は、人生、出来るんだという気持ちで一杯です。皆さん、ゴルフの仲間に入れてください」というような主旨であったように思う。

一杉社長は、ヤンヤの喝采を博して入会し、以後、 一緒に遊びのゴルフをやっている。ほとんど、人の才能は、意識の差だけであると思う。

物事は、大事であればあるほど、強い達成の目的意識がなければ成就できない。「一つのことを、長く持続して、集中的に念じ込むこと」からしか生まれないことが多いからだ。意識を集中していれば、人間だれでも、ほんの少しのヒントですぐに理解できるし、閃くことも多い。見るもの、聞くもの、すべてが血肉となって活かせるものである。

窮地を脱するすばらしい戦略や、工夫や、知恵は、いつでもそういう目的意識を集中している人からしか生まれない。商品の売れ筋も、物事の善し悪しの判断も、価値観の変化も、景気変動の先見さえも、集中していれば誤ることは少ないものだ。

苦労して開発した新商品の名前を、いざ全社を挙げて付けることになった時に、誰よりも良い名前を考え出したのは、当の担当者だったという経験が私には多い。指導先のことであるが、担当者が一番集中しているからである。

物置のメーカーとして有名な田窪工業所の田窪社長が「生ゴミの処理機」を作ったといって、尋ねて来た。全国のホームセンターを販路にして、「喰い太郎」という名前で売り出したいが、というので意見を聞きに来られたのだ。

ちょうど、野球の開幕戦があるというので、中学生のご子息も一緒に来て、私の意見を聞くことにした。

ところで、「喰い太郎」などと妙な名前をどうして付けたか、父親である田窪社長に聞いてみた。生ゴミの処理機にはライバルも多く、そのライバルを喰ってやろうとか、生ゴミを喰うバクテリアを中に入れるので「喰い太郎」と付けただけだという。どうも、自分でも納得していないから、良い名前がないかと言うのだ。そこで、この息子さんと一緒に考えることにした。

これまでの「喰い太郎」の新聞折り込みチラシの見本や、販売用のパンフレットが用意されていたので、息子さんと二人で文章を何回も読んでみた。

そうすると、「地球環境の汚染」のことが長々と説明してあった。何回も地球とか、環境とか、汚染とかいう文字が躍っていたので、地球という文字は使いたいと感じていた。聞いてみると、この息子さんも地球という文字が良いと言い、「地球」の上か下に何がフィットするか、言葉か文字を探すことにした。二人で色々な文字を並べ、考えたが、結果として、「地球の友だち」と、生ゴミ処理機に名前を付けた。

また、生ゴミの処理に使うバクテリアは、「地球の友だち菌」とした。これが、日刊工業新間がその年に選んだ商品名コンクールのベストテンに入賞した。

一緒に名前を考え出したこの子のすばらしい感性を活かして、「地球の友だち」を大いに売るのは父親の役日であるが、この子が大人の世界を垣間見た良い思い出になることを祈ってやまない。

何の気無しに読んだ折り込みチラシの文字にも、目的意識さえあれば、目に飛び込んで来て、見逃せないものがあったことを覚えておいて欲しいと願っている。

どうしても売りたいという強い意識がこびりついているというだけで、電車の中吊り広告を読んでいても、新聞に目がいっていても、飛び込んでくるものは多い。歩いていても、眠っていても、夢の中でも、日や耳が付いて行ったということも多い。集中とは、そういうものだ。

逆に、自分の担当している部門の業績回復に、自分の案を持たず、答えを社長に伺いにくるという幹部が結構多い。情けないことだ。

こういう幹部には、幾ら説いても甲斐がない。たとえ社長が、その時、指示して業績が回復しても、自分で考えたことでないと、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の通り、幾度も同じような失敗を繰り返すことになる。強い集中した意識を持たないからだ。

優れた工夫や、知恵や、戦略は、長く集中した強い目的意識を持っていないと生まれない。

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