あらゆる意味で、人間は場数を踏むことで利口になり、視野を広げ、成長するものである。人が人に惚れるのは、最終的には相手の性格に惚れてしまうものであるが、その性格は、場数の多寡によって形成される。
単純で明快な諺に、「可愛い子には旅をさせろ」とあるが、旅が我が子の世界観を広げてくれるからに外ならない。
親の庇護のもとにあった温室育ちの我が子を、旅が変えてくれるからだ。腹が減ったり、他人様の厳しさや小さな親切が身に染みたり、多様な考え方の人々に会って世界観を広げる機会になるからである。
いわば、鬼にも神にも会って、その度に忍耐や、勇気や、強さや、機転や、優しさや、痛さを会得する場となる訳だ。
旅だけではない。本を読むことも世界観を広げる場の一つである。小説も、伝記も、専門書も数多い。いろいろと手に取るうちに、その善し悪しも、好き嫌いも判断できるようになり、良書からは強い影響を受けるものだ。
経営者には、思想書や哲学書や芸術書も良い。中でも、伝記の愛読は必須である。伝記には、多少の脚色や誇張があるから、余計に分かりやすくて夢を膨らませてくれる。生き方を大きくしてくれるものだ。音楽や、芝居や、映画や、絵画といった文化や芸術も疲れた心を癒してくれるものだ。
志水陽光さんは、第二次世界大戦の時に、終戦を知らず、部下を率いて北満の広野で戦っていたが、いつのまにかソ連軍に囲まれていた。多勢に無勢で捕虜にされてしまい、極寒のシベリアで強制労働をさせられた人である。
一日、わずか一杯の高梁の粥をすすりながら、凍てついた土を一本のツルハシで掘る作業が続いた。
極寒の中でも、颯は衣服の縫い日にしつこくたかっている。その風が縫い日から逃げ出すと、人は必ず二日以内に死ぬ。栄養失調で体温が三度三度と落ちていく訳だが、すると縫い目に列をつくっていた風が逃げ出す。地獄のような収容所生活を送って、 一冬が過ぎると部下が半分に減ってしまった。春になって新しい部下を補充されたが、二冬目も同様で、冬を越せない人達が大勢死んでいった。
そんな時に、他の部隊に最初からいた一人の若い兵隊を見た。自分たちと同じように高梁の粥を一日に一杯しか食べていないのに、痩せてはいたが、眼を輝かせ、とても死にそうには見えなかった。早くから不思議に思っていた志水さんは、「君は、どうしていつも元気なんだ」と尋ねてみた。
その時の若い兵隊の答えを、志水さんは一生涯忘れられないと私に話してくれた
「私には、心に歌がある」と、若い兵隊は志水さんに言ったのだ。そんなことは幾度も聞いてきたし、幾度も学んできた。知っていたのに、結局、何も分かっていなかったのだ。
心を積極的に保つことも、教えられ、自らも勉強して知っていたが、初めて、その時、歌の存在する意味が分かった。
胸を衝かれた志水さんは、すぐに自分の部下を集め、「毎日、歌を歌いながら作業をして欲しい」と命じたのだ。しかし、部下は異口同音に、「歌なんか国の端にものぼらないし、出てこない」と反抗した。
志水さんは、それでも先頭きって歌い続けた。「麦と兵隊」「月の砂漠」「おてもやん」といった具合である。こうして少しずつ、少しずつ全員が口ずさむようになって、三度目の冬が訪れた。凍てついた氷土を掘る作業が、また始まった。
日本人も、ポーランドの兵隊もいた。 一様に疲れ、ひどく作業は手間取って能率が上がらなかった。時々、ソ連の兵隊が監視に来た。「来たぞ」と、前の方から合図がある。合図がきたら、ツルハシを動かして作業をする。「行ったぞ」と合図があれば、ツルハシを投げて作業を中止する。
しかし、歌を歌いはじめて三、四か月と続くうちに、志水さんの隊は群を抜いて作業が進んだ。不思議なことにツルハシもスコップもスムースに動いた。リズムに合わせて手が動いたのだ。歌声は口をついて耳に伝わり、心に響いた。地獄のような生活に、小さな小さな灯火がともった。
半年が過ぎると、全員があの若い兵隊のように眼に輝きを取り戻していった。その冬は、 一人の部下も死ぬことはなかった。
春になって、志水さんは、突然、ソ連人の上官に呼ばれた。そして、「君たちが全隊のなかで最も作業能率が高い。褒美に、内動を命ずる」というので、工場勤務になった。
工場の勤務になるや、朝・昼・夜の挨拶を笑顔で、大声で行うように全員に命じた。もちろん、心の中で歌を歌い続けるよう強く申し付けることも忘れなかった。
やがて、銃口を向けていたソ連の兵隊たちが、自分たちの食料であるジャガイモや黒パンを分けてくれるほどに変わっていった。ロシア語も覚え、意思の疎通が少しできるようになって、部下たちの顔に明るさも戻ってきた。
昭和二十六年、終戦から六年も経って、志水陽光さんの率いる部隊は、あの歌を歌い始めてから一人の落伍者もなく、日本へ強制送還された。歌こそすばらしい。家でも、会社でも、歌を絶やさないことだ。芝居や、絵や、映画で後ろ向きの考えを前向きに変えた人が大勢いるものである。
また、致命傷にならない小さな失敗も人間を成長させる場数には必須のことであるし、同じように成功の機会も人間を大きく育てるものである。金持ちの経験、貧乏の経験、顔から火が出るほどの恥ずかしい体験も大事である。
人間の器の大小、視野の広い狭い、魅力の根源はその人の世界観によって決まるものだ。しかも、その世界観が性格を形成することを、私は知っている。人が人に惚れるのは、性格に惚れるものだ。
オーナー社長には、特に、「鳥腋」の世界観が不可欠だ。鳥腋、鳥の目である。空を飛んでいる鳥のように、とらわれない自由な目で冷静に将来を見ていく先見の明が強く求められる。先見性はどこから出てくるかというと、天空高く飛ぶ鳥の目のような視点から出てくる。
飛んで、どこに深い森があるか、どこに蛇行した大河が流れているか……向こうに雪をかぶった山が連なり、陽が燦々と降り注ぐ田畑があって、そこに五穀が実り、果物がなっていて、獣がいて……ということを上から見る。
上から見ることが、今の日本人には大切である。しかし、それが日本人は非常に不得意だ。いきなり森の中に入って、迷って、何も見えないという経営者は、最も危険である。
だから、いま自分がいる位置を上から見てみる。この商品とか、この事業の将来性はあるかどうか、残された市場がどの程度あるかということを、冷静に判断できないとだめである。鳥轍の日で判断できないとだめだ。
世界観は、自分の経験からしか出てこない。本とか友達とか家族とか、学んだ師匠とか、そういうもので決まっていく。
しかし、そこにとどまらずに、天空高く大きく羽ばたき、鳥の日で時代の流れとか、事業の大局を見ていく。そういう鳥の目が不可欠の大事である。
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