分とか器量は、磨けば光ったり、育てれば大きくなる。しかし、「自分が何者であるか」は、なかなか分からない。
「自分自身」は、霊性を訓練することで、分かるようになる。
たとえば、神様がいる。おかしなことを言うようだが、「神は、何のために自分をこの世に遣わしたんだろう」ということを、霊性を働かせるとだんだん悟るようになる。そうすると、多くの支持者が現れて、人々に自らの信念するところを説いて歩くことができるようになる。
ただし、そうしているうちに、ややもすると自惚れが出てくる。自惚れは、厳しく戒めなければならない。そうしないと、逆に自分自身を見失うことになりかねない。とにかく、私は、次のように固く信じて、いつも行動している。
「企業が危機に瀕すると、多くの社員を食わせていけなくなるから、神様は、自分にコンサルタントという職業を与えてくださったのだ。たとえ、飛行機事故が起こっても、自分はまだ多くの会社から必要とされているから、死なないに違いない。それに、エイズだ、エボラだ、O1157だと、たくさんの病がはやっても、自分はかからないに決まっている」と。だから、01157の最中でも、堺にも、大阪にも行って、ガブガブ水を飲んでも平気だ。
飛行機に年じゅう乗っているが、平気である。「ヒョッとしたら……」と、自惚れてはいけないが、謙虚さを保ちつつ、そういう強い使命感を身につけていくことは非常に大切なことだ。
会社にCI (コーポレイト・アイデンティティ)があると同様に、個人にもPI (パーソナル・アイデンティティ)がある。各人がアイデンティティを明確にする。
そして、「人間一人ひとり、もし神が遣わしたとすれば、なぜ遣わしたんだろう」と考える。
すると、「この商品を自分が売っているからだ」とか、「この商売を自分がやっているからだ」ということに突き当たっていく。それを大いに磨いていく。そういうところから自分自身を知っていく。誰もが自分を中心に物事を考えるが、そうではなくて、なぜ偶然にも人として生まれたかを知ることが大切である。
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