千変万化の世にあって、固謳を脱ぎ捨て進取を身につけるのは、優れた処世であるが、不易のものを見失っては事を逸する。経営も同じである。
この世界には、人間的要素=文化と、機械的要素=文明との二つの側面がある。
四書五経を初め、古今東西の色々な古典を経いてみても、人間の本質は、五千年も前から少しも変化していない。つまり、人間的要素は変化しない。
母親は子供を愛する。五千年前は愛していなかったかというと、やはり愛していた。いまでも愛しているし、将来も愛する。要するに、愛は不変の人間的要素の一つである。
ところが、機械とか物質は、どんどん変化していく。昔はのろしが通信手段だったが、いまは電波になっている。その電波も、PHSが普及するぐらい無数に飛び交っている。乗り物も、駕籠から馬車にかわり、そして機関車や電車になって、個人単位で乗れる自動車が走り、さらにプロペラ機がジェット機になって、世界中を飛び交っている。
まず、私たちは、古典の勉強をすべきだ。そうしないと、せっかく五千年の歴史があって、人間の本質を教えているのに、また一から研究しなければならなくなってしまう。馬鹿馬鹿しいことだ。
同時に、文明の本質についても勉強する。機械文明とか、物質文明とかは大きく変わっていく。だから、その分野における未来予知能力がないと経営はできない。未踏の分野にこれからどんどん進出していく文明や科学やシステムを、積極的に研究していくべきだ。
つまり、人間的要素プラス機械的要素、情プラス科学が必ずテーマとなる。換言すれば、文化にプラスして文明を勉強していかなければならないということだ。文化と文明とは、およそ違う。
情を中心に、五官を通して感じるものを文化という。日で見て、すばらしいと思うから、絵を描く。その極致に立つと、「文化」勲章をもらう。歌舞音曲を極めると、同様に「文化」勲章をもらうわけである。つまり、五感を反映したものが文化だ。
文化は、「不変」をテーマにしている。だから、私たちは近松門左衛門の心中ものを見ても、シェイクスピアの悲劇や喜劇を見ても、今でも感動する。
一方、文明は、科学が中心である。科学とともに、機械文明、物質文明は発展していく。「変化」がテーマだから、止まるところを知らない。
文明の範疇に属するものを変化させきれない会社は、必ず潰れてしまう。経営者には、そういう物事の本質を見抜く眼力が必須である。いたずらに時代の混沌に飲み込まれてはならない。変化の中にも不易を見逃さないことだ。
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