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福相と笑顔

人相ということが、よくいわれる。徳を積んだ人と徳を積まない人とでは、人相の違いがはっきり出てくる。特に、「男は四十歳を過ぎたら、自分の顔に自分で責任を持たなければならない」と、よく言われる。これはリンカーンの言葉だ。

四十歳を過ぎたら、政治家は政治家らしい顔になっていなければならない。事業家は事業家らしい顔になっていなければならない。それは、ハンサムとかハンサムではないとか、そんなことに関係なく、豊かな顔になっていなければならないということだ。

「皮膚の色つやとか、形とか、健康状態だけではなくて、その人の人生を刻んだしわが顔についてくる」と、人相学者も言っている。よく笑う人は、目じりにしわが寄ってくるのが当り前である。目じりにしわが寄ってない人はだめだと、よく言われる。それから、眉間に縦じわが入っているのも、やはり、悩みが多い顔で、だめだということになっている。

最近は、医学的にもいろいろな形で、そういうことが立証されている。顔には神経が非常に集中している。人相学は、医学と非常に共通点がある。特に、中国の東洋医学は、そういうことを色々なことに関連づけて明確に言っている。

四書五経の一つである『易経』をはじめ、いろいろな書物が、顔には形相、色相、心相の二つがあると言っている。大きな意味では、普通、福相と凶相の二つを人相と言う。どんなに地位が高くても、あるいは財産や名誉があっても、顔に凶相がついていたら、その人を友達に選んではいけないし、得意先のメインにしてもいけない。こういうことを、はっきり知っておくべきだ。

凶相の典型として、『史記』に「長頸鳥塚」という言葉が出てくる。その謂れはこうだ。滝議が越王匂践の参謀中の参謀だったことは前に書いた。ところが、疱贔は、匂践と手を切ることになる。

右腕としてひたすら戦に勝利をもたらした池議が、なぜ越王匂践と手を切ったか、これが非常に問題である。

ある時、疱議が自分の親友である文種に、「共に越を去ろう」と誘う。ところが、文種は断った。仕方なく、疱量は文種を残して去っていく。そして、間もなくして、文種は些細な出来事を理由に、越王に首を斬られて死んでしまう。なぜそんなことを越王がするか、滝量は知っていた。

滝量は、越王のことを「長頸鳥塚」の人、首が長くて鳥のようなくちばしをしている人物だと言っている。それは、象徴的に言っていることだが、結局、「苦をともにすべきも、楽をともにすべからぎる人物」という意味だ。

共に事業を興し、 一生懸命に苦労しながら、ある程度の規模になって事業が安定すると、兄弟を切り、仲間を切り、だんだん友達も失っていく人物が世の中に結構いる。長く一緒に事業をやってきた部下や、中には親兄弟までも疎んじて、クビにする人が多い。

大企業のなかにも、私は、そういう人を知っている。 一見、親しくしているが、あまり近寄らない。

人相が悪いからだ。凶相、つまり、福相ではないからである。その典型が「長頸鳥隊」の人である。現実にも、「苦労をともにすべきも、楽をともにすべからぎる人物」がいることを忘れるべきではない。そういう人たちには、できるだけ近寄らないほうがいい。

福相を人相学では、まず第一に曲眉、眉が曲線を描いているといっている。それから、豊頬、頬が豊かだといっている。さらに、大耳、耳が大きいこともあげている。

人相以外では、鞭体といって、体が鞭のようにしなやかで、あまり太っていない人は福だといわれている。また、清声、声が清いともいわれている。声に響きがある人に悪人はいない。以上の五つの要素があって、凶相と福相に区別される。

実際には、人相は、状況によって変化する。昼と夜で違ったり、あるいは苦労している時と苦労していない時でも変わってくる。

ところが、心豊かな人は、苦労してる時に笑っている。楽しい、多少油断してもいいような時には、むしろ苦虫をかみつぶしたような顔ができる。状況とは反対の顔ができる。こういうことが非常に大切だ。また、歌うとか、笑うとかできない人はだめである。生活が豊かにならない。

「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように」とか、「一人酒場で飲む酒は……」と、涙を流しながら歌ってばかりいると、そういうことを心に念じた歌だから、その通りになってしまう。人間は、自分の心の中とか、自分自身が分からないものである。分かってると言う人ほど、本当に分かっていない。

風邪を引いた時は、ピンクっぽいパジャマを着て、ピンクっぽいシーツに、ピンクつぽい枕で寝るようにする。風邪がひどい時には、暖色に染まっていたほうがいいということを、脳が感知しなくても、人間の皮膚が感知している。逆に、暑くてしかたがない時は、空色や水色のシーツに包まれて寝るほうがいい。色の学者がそう言っているし、医者もそう言っているくらいだ。

これと同様に、自分が感知しなくても、人相が悪い人とつき合っていたらだめだ。たとえば、何か苦しい目に遭ったとする。その時、足を引っ張って、ますます苦しみを拡大するような人がいる。これは、友達ではない。顔を合わせたときに、どんなに上手を言っていても、友達ではない。人相から見抜くように心掛ける。

苦しい時に、陰で色々と支えて、助けてくれる友達も意外に多い。これこそ、本当の友達だ。そういう友達は、大切にしなければならない。

人相を良くしようと思うなら、鏡に向かい、いつも笑う練習と歌う練習をする。これは、非常に大切なことである。

先述した志水陽光さんのように、「心に歌がある」ということは非常にいいことだ。歌がない人はだめである。

歌は、五官の中の口を通して耳へ響く。そして、心へ響いて、愉快になる。

最初、声が出なくても、歌うにつれだんだん心が和んできて、福相になる。真理とは、こういうものだ。だから、歌を歌う練習をして欲しい。鏡へ向かって、笑う練習をする。

高島陽さんという、コンサルタントの大先生がいらっしゃる。

この人は、「地球と並行になって七年寝た」と言っている。その間、病院で周りの人がばたばた死んでいくので、ある時、鏡を見ると、自分も死にそうな顔をしていたという。戦後すぐ、肺結核で肋骨を六本取った。死の病だといわれていたが、肋骨を取ってから、鏡を見て笑う練習をした。陰気な病院をあわてて退院し、自分の家に鏡を二十枚以上も置いて、笑ったという。

自然、自然に体が丈夫になり、いつの間にか病気も治っていた。肋骨を取り、しかも、当時三十歳を超えていたにも拘わらず、その人の身長が十二センチも伸びた。

それからというもの、常に姿勢を正しくして、笑うことに努めている。いまでも、実に穏やかな人だ。そういう色々な工夫を試みて、心ができるだけ安らかになるようにして欲しい。

長い長いスパンで物事を考え、将来において我が家系から大人物を輩出しようとするなら、穏やかに生きることが、いかに大切であるかということを子孫に教え続けていかなければならない。

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