MENU

心の躍動と死生観

誰しもそうだが、特に事業家は、できるだけ積極的に物事を考えながら、自分の念ずるところをしっかり捉えておくことが肝要である。

たとえば、女の人がいる。母親という女は、自分の子が病気になると、夜も寝ないで看病する。その子が亡くなると、「自分も命を断ちたい。あの子にとってかわりたい」と思う。恋する女がいて、男に振られると、自殺する人もいる。そんなことが、古今東西、絶えない。それは、「命よりも大切なもの」が、各人にあるからである。妻という女は、主人に裏切られたら、恨みもするし、時には死にもする。

同様に、社長から金を取り上げると、社長は死んでしまう。きれいごとではなく、金は本当に大切だ。業績を落として、円形脱毛症になったり、胃潰瘍になったり、癌になったり、高血圧になったりしている社長を何人も知っている。

自分にとって一番大切なものが必ずある。その大切なものを悩みなく、心を躍動させて追求していく姿勢が最も大切だ。そうしないと、おもしろい会社はつくれない。

そのためには、きちっとした死生観をもっている必要がある。死を知っている人は、生を知っている。だから、 一生懸命にやる。自分の一番大切なものに没頭して、それを追求できる。そして、人を傷つけたりしなくなる。

生きる、死ぬという死生観が、事業経営では物すごく大切だ。どのように死ぬかということは、難しいことではあるが、社長たるもの、常に覚悟しておくべきである。前述したように、西郷隆盛の死生観は実にすばらしかった。

私は、友人の奥さんから、夜中に呼ばれたことがある。電話がかかって、私が病院に行くと、友人は、目をつぶっていて、もう虫の息だった。

医者がそばにいて、「間もなくお亡くなりになりますから、お別れを言ってください」と言った。私がグッと彼の手を握ると、彼も少し握り返したような気がした。冷たくも何ともない手だった。「あれっ、元気だな」と思った。

そして、彼は、家族らを呼んで、お別れの言葉「ありがとう」と一言つぶやいて、目を閉じてしまった。

誰もが、それっきりだと思っていたら、実は、それで死ななくて、死ねなくてというべきか、一年生きていた。おかしいと思うかもしれないが、これは本当の話だ。

彼のことを、私は大好きだった。死ぬまでユーモアがあって、おもしろい男だった。ただ、本人は死ぬつもりで、遺書も書いていた。また、その時は、本当に臨終の気持ちでいたはずである。ところがどうして、生き返ってしまった。

それから、TさんというF社の社長が癌になり、末期で、やはり私は医者に呼ばれた。夜中の二時ぐらいに、埼玉の山奥の病院へ行った。奥さんも、子供たちも、みんな泣いている。ものは試しと思い、耳もとで、「Tさん、あんた、会社が大変なのに、いま死んじゃ、だめじゃないか」と十回ばかり叫んだら、パッチリロを覚まして、この人も二年生きた。本当に分からないものだ。

必要とされれば生き続けると前にも書いたが、それは真実である。「あんたは、いま死んだらだめだよ。必要なんだから」と言えば、必ず生きる、神が死なせない。

私は覚悟を決めていて、いまわの際に、家族、子供たちを枕もとに呼んで、「ありがとう。楽しい人生だったよ」と言いたい。そして娘や息子に、「お父さんは、立派なコンサルタントとして生きてきた。牟田學という名前を世間の社長さんたちに、高らかに言ってほしい。小さな会社を指導して、たくさんの上場を果たしてきた。いい会社をいっぱいつくってきた。誇りを持って、胸を張って、牟田學の息子だ、娘だと言いなさい」と結んで、死んでいきたいと思っている。

こういうセリフは、茶番にならないために、死ぬ間際の、間際の、本当の間際に言わなくてはいけないから、なかなか難しいことも知っている。そういう生き方を―貫き通したい。

禅宗では、夜誓願を三回唱えて、チーンと鉦を鳴らす、その瞬間にスーッと息を引きとることが大往生だといわれている。なかなか、そんなにうまくはいかない。私は、そういう死に際に立ち会ってから、 一年生きた、二年生きたという人を、いままで何回も見ている。

どのように死ぬかは、非常に難しい問題だ。時には、本当に涙にかきくれるような死もある。中国で一番悲しい死は、項羽という武将の死だといわれている。寵愛を一身に注いだ虞美との死別である。

自分のライバルの劉邦、後の漢の高祖と、項羽はいつも争っていた。武運が項羽に味方せずに敗れ、敵の包囲を破って逃げる。逃げに逃げて、揚子江にたどり着く。鳥江という港で、そこの漁師が向こう岸へ渡そうとする。しかし、虞美人がとらわれの身になっていることを知り、立ち尽くしてしまう。そして、悲憤憾慨し自ら詩をつくった。

「力は山を抜き、気は世を蓋う時、利あらず、離逝かず離逝かず、奈何にす可き虞や、虞や、若を奈何にせん」(我が力は山をも抜き、気概は世を蓋うほど灌っているしかし、時が我れに味方しないで、戦いに敗れ、愛馬の雛も進まなくなった離が進まなくなっては、どうすることもできないああ、虞や、虞や、お前をどうすればよいのだろう)

これが『史記』にある有名な「槻山蓋世の歌」である。日本では、詩吟で「咳下(項羽が敗れた安徽省の地名)の歌」として広く親しまれている。

そして、項羽は、自分の首に自らの刀を押さえ、 一思いに切って死ぬ。いわゆる「自到」をなした最初は、項羽だといわれている。

人間の死に方には、いろいるある。おかしいことを言うようだが、死に際のことは、必ず一回、準備をしておいてもらいたい。ジタバタしたら、あの世まで格好悪い。いや、人間味があって、面白いかも……

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次