MENU

八 大器は己を補う人を用う

ある小会社を創立した人から相談をうけた。

「会社を大きくしたいと考えているが、私は文字どおりの浅学非才の身、いま二十数人の会社を十倍、百倍にしたくても力が及ばない。自ら省みて、ここらが当社発展の限界かとも思うが、どうか」ということであった。

企業の大小、発展の速度など、すべては社長の器量で決まる。俗に「蟹は甲に似せて穴を掘る」というが、十の能力の社長は十の企業が限界、百の能力者は百が限界という人がいる。残念だがそのとおりだ、と思う人も少なくない。

しかしこの考え方は誤りである。

相談された社長にこう答えた。「浅学非才は私も同じだ。自分の才能のなさを嘆くに足らない。十の才能で百の事業にしたければ、九十の能力者の協力を得ればよい。十の能力者を九人求めても百になる。育てるか、他から求めるか、あるいは求めながら育てるか、方法はいくらでもある。社員でなくても、社外に能力を貸してくれる人もあれば施設もある。もし社長が大志を遂げようとするなら、自分の非力を嘆かず、能者を求め用いる雅量の足りないのを嘆くべきではないか」と。

蛇のロミシン中興の祖といわれた嶋田卓弥さんから生前きいた話だが、松下幸之助さんと会ったとき、「小学校五年きり出ていないような私は、松下さんにお目にかかれるような人間じゃありません」というと、松下さんは「嶋田さん、私は四年しか行ってない。五年は立派なことです」といわれたのが強く心に残っている、と。

世界の鉄鋼王カーネギーにしても学校に行けず紡績会社の糸巻工から出発している。カーネギーの墓石に「自分より優れた人の協力を得る天才がこの下に眠っている」と刻まれているという話はよく知られている。

カーネギーには優れたスタッフが二十八人もいたとか。人間に完全・万能はない。それで完壁を要求される経営を営もうとすることじたい無理な話である。技術面は得意だが営業は苦手な社長、営業は得手だが財務は苦手な社長というのが普通で、各分野に文句なく明るいという社長はそういないものである。

「大器は己を補う人を用う」というが、中国の歴史をみても、大成している者のすべては、己の足らない点を補う人傑が得られるまで求めに求めつくしている。すでにのべたとおり、劉邦が天下を得たのは、張良・爺何・韓信という自分に欠ける専門能力者の協力を得たからである。

また三国志の雄、蜀の劉備は、一騎万を敵とする豪傑関羽・張飛に加えて、知将として諸葛孔明を得るため三顧の礼を尽くしている。

三国志の一方の雄、魏の曹操は、司馬仲達を首に縄をまいてでも引っばってこい、といわんばかりの熱意で得ている。さらに呉の孫権も、赤壁で三万の兵をもって八十万の曹操の大軍を破った周喩はじめ、魯粛・諸葛瑾・呂蒙・陸孫などの今に名をとどめる名将の協力を得ている。

蜀・魏・呉の三国が、天地人を比べ相当の格差があったにもかかわらず数十年間の鼎立を可能にしたのは、それぞれが優れた能者の協力を得ていたからともいえるのである。三千年も昔、殷を亡ぼして天下を得た周の武王の弟に周公がいた。

周公はわが子伯禽が魯の大名に封じられると戒めて言った。「私は天下を得た武王の弟であり、現在の成王の叔父にあたる。しかし、自分は髪を洗う間も、何回も洗いかけた髪を掴んだまま来客と会い、 一度の食事のときでも三度も口中の食物を吐き出し、待たせることなく会うようにして、賢士を待遇した。それでも天下の賢者を失ないはせぬかと心配している。おまえも、魯に行ったら、 一国の君主となるからといって、人民に騎りたかぶってはならない」と。「三度哺を吐いて王師を迎う」の教えである。

このようにしてまで自分に協力する人傑を求めたものである。もし、社長が大志を果たそうとするなら謙虚に人に接し、その助言をきくことである。

本田技研を興した宗一郎氏は藤沢武夫氏を用いている。藤沢がいなければ今日のホンダはなかった、とまで言っている。ソニーの創立者井深大氏は盛田氏を用いて大をなし、トョタは神谷正太郎氏を用いて営業基盤を固めている。

このように大志の前には物財でなく、己を助ける人材を求めているのである。

わが国の歴史をみても、木下藤吉郎は、加藤清正・福島正則など武将はいたが知将がいない。軍師、竹中半兵衛を得るため、七度足を運んでいる。もし、足軽頭程度の志であったら考えも及ばなかったろう。

いかに天分が備わっているとしても、自ら限界がある。その限界を突き破るにはまず、人を求め用いて自信をつけ、着実に志を大にしていくことが肝心である。

「輔車相依り、唇亡ぶれば歯寒し」という諺がある。どちらも欠くことができない、密接な関係をいうことである。

これは、晋の献公が、虞と続の国を亡ぼしたときの話である。

献公は、まえまえから続を伐とうと考えていたが、それには虞の領土を通らねばならない。かつて虞公には賄賂を贈って通してもらったことがあるので、今度も領地内の道を借りたいと申し入れた。

虞の国では、その申し入れに反対する賢臣の官之奇は真剣に虞公を諌めた。

「続と虞は一体です。税が亡びたら虞も亡びることになります。唇歯輔車とは、車の両側を挟む木と車とが一緒になって物を運ぶのだし、唇と歯は別々のものだが切り離すことはできないと申しますが、ちょうど続と虞の関係と同じです。仇ともいえる晋の国の軍を通すなどはもってのほかです」と反対した。

しかし、賄賂に目のくらんだ虞公は、いくら説いてもきかず通過を許してしまった。そこで官之奇は、災いが身に及ぶのを恐れて、 一族を引きつれ国を去った。そのとき「晋』は続征伐のついでに、かならず、わが虞までも亡ぼすだろう」と予言した。果たして晋は虞の領土から攻め入って続を亡ぼし、帰途、虞に宿営し、不意を襲って虞を亡ぼしてしまった。

車と木が離れ、唇と歯が分かれては用をなさない。企業経営も同じで、相より、相補ける者が一体となるところから力はでるのである。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次