さて、名君に選ばれた名宰相は、どのような人材を求めたか。歴史上の名宰相の、人材としてあげた条件を考えてみると、現代のそれと表現が変わるだけで違うところはない。
その第一は、執念である。ある経営者は、現代企業■ ンの条件として「執念」をあげているが、 一念岩をも通す、やり遂げるものこそ人材ということである。学あり、地位あり、財力があっても、やり遂げる根性のないものは結果を得ることができない。
執念のある者は、知らなければ学び、足らなければ借り、補ってことを果たす。経営は結果である。結果の得られない者は企業マンとはいえないのである。
第二は、自分の専門以外から発想のできること。つまり、創造力である。ある著名会社の社長は「わが国の産業が世界を征服したのは、そこに働く人たちが専門以外の勉強をしたからだ」といっている。機械設計の専門家が専門外の食料品工場を見て、機械製作に役立つ新しいことを考え出せる人、という意味である。
創造は専門から生まれるよりも、別の面から生まれることが多い。多く学べば創造の源も多くなるからである。ことに変化を予測するためには、現在の自分の仕事以外からヒントを得ることが多いものである。第三の人材の条件として抽象論や過去の事例などを具体化して成果の得られることである。
具体的事例を示さなければわからない人間は、人の真似きりできない人間である。
知恵をだせ、意欲をだせ、根性を発揮しろなどいずれも抽象論でしかない。
これを具体化して企業に役立つことを考えだせる人である。また、ことわざ、故事など過去のものであるが、これを新時代に活用して成果の得られる者が、これからの人材としている。
現代では、通常の仕事は機械におきかえられ人力を必要としない。つまり、機械ではできないことのできる人間だけがこれからの人材といえるのではないか。さて、前職時代、貯蓄推進委員会の会長でもあり、日中関係改善に尽くしていた岡崎嘉平太さんと話し合ったときのことである。
「自分が旧制高校の学生であったころ、郷里の先輩でもある、日露海戦当時の参謀、藤井大佐を友人とお訪ねしたことがある。大佐は退役されて少将であった。私はこわいもの知らずで閣下にこういうことを言った。
強大なロシアのバルチック艦隊が東に向かい、わが国艦隊と決戦することは必至となった。
敵艦隊が、対馬海峡を通過して日本海に入るか、遠く津軽海峡を通るか、旗艦三笠艦上で開かれた参謀会議でも、津軽通過説が大勢を占めた。対馬通過を主張したのは藤井大佐一人。その結果、連合艦隊司令長官の東郷大将は軍議決定とし、全艦に、○日○時○分、津軽に向け抜錨すべし、という密令を出した。
これを知った藤井大佐は再び会議を開くよう進言した。会議は再開されたが、ことここに至って主張を変える参謀はない。それに遅れてきた一人に東郷大将は、貴官はどう思うか、ときいた。その答えが、藤井参謀と同じということであったので、大将も、しばらく待とう、ということになった。
しばらくして入ったのが″敵船見ゆ″の信濃丸からの電報。対馬に向かうことがわかり、ここで迎撃態勢に入る。
敵船見ゆの報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し、の電報が大本営に発せられたのもこのときであろう。かくして、対馬通過を目指したバルチック艦隊を完膚なきまでに撃破したのである。
とすれば最後まで対馬直進を主張した藤井大佐は、海戦大勝の最高殊勲者ということになると」。それを岡崎さんは藤井大佐の前で言ったわけだ。すると藤井閣下は厳しい目をして「お上からお手当をいただいている参謀が自分の考えをのべただけだ。なにが殊勲なのか」といわれ、首をすくめたという。
現代でも、心ある将というものは、あくまで所信を貫くような人を選ぶものである。それを是と考えれば、それに従い、非と思えば従わないまでだ。要は、所信ものべない人間や、唯唯諾諾族などは近寄らせもしないということである。
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