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一  志は変えるべからず

経営者の姿勢で欠くことのできないものに″初志貫徹〃ということがある。これをやり遂げよう、この士心で貫こうと堅い決意で出発しながら中途で目的を変えてしまう。結局はなにも成らずに終る。信念が弱いか、思いつき、日先の打算で出発するからである。

ことを成す人は、環境の変化などに戦術を変えて対応し、ときには戦略を変えるが、志そのものは変えないものである。

私事で恐縮だが、第二の会社で再建にあたった頃の話である。社内は膨大な借金と労使対立で火の車の状態、しかも第一次石油ショックがおこり企業環境は最悪のとき、再建五カ年計画を発表した。その目標を、

○ (借金を五カ年で返済し、無借金会社となす)

一(当時二部上場会社であったが、 一部に上場する)

二(無配当から二割配当を実現する)

三(ボーナスは年三回支給する)

その発表のとき、内外から夢物語などといわれたが、私は目標達成に執念を燃やした。

まず、借金返済に集中攻撃をかけた。財務の改善は、その日から効果が現われるから、あれこれ手を出して達成を遅らせるよりも、借金返済ひとつに絞ちたわけである。一日でも早く完済すべく他の犠牲はすべて無視する、という覚悟でとり組んだ。

幾十億円の借金をかかえていた当時、「千円でも余分なかねがあったら返せ」と指示する。すると財務担当長が、「それは焼石に水です」といっている。「五十億円の借金は、千円返して四十九億九千九百九十九万九千円になる。たとえ少額でも、なんとかやり繰りして返せ」といいつづけたものである。

今月は経費を百万円節約した、在庫が一千万円減った、といえばすぐ返済させる。前年一億円借金が減れば、「今年は一億八百万円返せ。八百万円は、 一億円の利息分だ、その分払ったつもりで借金を減らせ」と。かねというものは便利なもので、手許にあれば何かに使ってしまう。これでは、いつになっても借金を返せない。

マキタ電機製作所の創立者後藤十次郎氏と対談したときの話である。

後藤氏は、借金過多を解消するため、返済資金に充当すべく、毎月売上高の五%を強制貯金することにした。あるとき「今月は給料・経費などを払った後、現金がないので、五%の積立てができないが」というから、「銀行で借金してでも積み立てろ」と指示したという。こうして、全国でも有数の優良会社に成長している。

そのこと私も、無借金会社になってからの話である。十五億円ほどで省力工場を建てたときに、財務責任者から、こうきかれた。「無借金経営を貫くというが、建築費支払いのため手形の割引きぐらいはやらないと間に合わない。借金してもよいか」と。           ・

「当社はあくまで無借金を貫くつもりだ。一時借入れすることにも賛成できない」 

「それでは建築関係への支払いもできなくなる」

「その程度のことが判らないようでは困る。工事を一時中断すればよい」と非常識ともいえる指示をした。

「損害賠償しなければならないので損になる」「生産計画が狂ってしまう」と抵抗がでてくる。

「一時の損得ではない。無借金経営という初心を貫くはうが大切である」と退けた。志を変えることによる損のほうがはるかに大きいからである。結果は、借金せずに完了している。そのころ財務担当者に、桑名の山林王といわれた諸戸精六翁の人となりについて話した記憶がある。

翁は、二十才のとき親の残した千両の借金を返すため「立志二十力条」をつくり実行した。

第一条 川の渡賃一銭五厘を節約するため寒中以外は泳ぎ渡ること。

第二条 砂利道以外は、はだしで歩くこと。

第三条 旅籠に泊るときは夕食を済ませてきたとして泊ること。半旅籠(料金半分)ですむからである。

このほか、食事をだす家へ行くときは空腹で行くこと、腹持ちのよいものから食すること、など二十力条並べてある。翁はこれを実行し十年間で完済、さらにかねをためて桑名の米相場に挑み、その儲けで山林を買いつづけ後に山林王とまで呼ばれるようになったのである。それにしても、借金返済のためとはいえ、二十才の若さでよくこれだけの知恵がでたものである。また、よく、十年間もつづけたものである。初志一貫といえば、列子にこんな寓話がある。

北山に住む愚公という九十才に近い人は、高さ一万例もある、太行山と王屋山の二つの山を切り崩して南に通じる平坦な一本道を作りたいと考え家族に相談した。子と孫は全員賛成したが、その細君だけは賛成しかねている。

「あなたの力では丘の一角さえ崩せないのに、あれだけの山、それも二つを崩そうとしても到底無理でしょう。それに切りとった石や土はどうするつもりですか」

「渤海の浜へでも捨てればよかろう」といって三人の子と孫を連れ、石を割り、土を掘って、箕やモッコで渤海の浜へ運び始めた。なにしろ山から浜までの一往復が一年がかりというから気が遠くなる話。

これを見た黄河のほとりに住む智隻という男、笑いながら愚公に言った。「馬鹿もいいかげんにしたらどうだ、老い先短いあんたの力では山の一角さえ切り開けまいに」。すると愚公は「お前さんのような浅い考えきりないものにはわかりますまい。たとえわしが死んだとしても子は残る。子は孫を生み、孫は子を生む。子々孫々絶えることはなかろう。ところが山は切りとれば大きくなることはない。いつかは平らになる時がこようというもの」。これには智隻も二の句がつげなかった。

愚公の真心に感心した天の神が二人の力持ちの子供に山を背負わせ別の場所に移してくれた、という話である。

この寓話をあるわが国の学者は次のように評している。「世のいわゆる愚は却って智なり、世の智は却って愚なり」(知者がやったことが結果をみると愚か者がやったようになっていたり、愚かなことをしたようだが知恵者がやったのと同じ結果になっている)と。

だいたい昔から移り気のある人で、事業や蓄財で成功した者は少ない。あれこれと手を出し、かねと時間は費やすが効果は少ないからである。

また、新しもの好きといわれる人がいる。新しいものに目が奪われ、いままでのものごとに興味が失せていく人も大成はおぼつかない。時のムードに巻きこまれて自分の進路さえ見失なってしまうからだろう。限りある人間の力を分散しては中途半端になる、獅子でさえ弱い兎を捕えるのに全力を投入するという。限りある人の力でも一つに的をしばって考れば、たいがいのことは成る。

これも列子に出てくる″多岐亡羊〃という寓話である。楊子という人の隣りで羊一匹が逃げ、 一家総出、隣人の助っ人まで頼んで探しにでた。

「一匹の羊を探すのに、なぜ、大勢狩りださねばならないのか」

「逃げた方角にはわかれ道が多いからだ」

しかし、 一同は探すことができないで疲れて帰ってきた。わけをきくと、わかれ道の中にまたわかれ目があったからだ、といっている。

学問の道も、わかれ道、わかれ道と迷い込んでしまうようでは帰一する大切なポイントを見失なってしまうことに楊子は気づいたと。

なにごとを成すにも目的をしっかりと定め、それに、わき日もふらず突進することが成功への道なのである。

後でものべるが、私は二十才のとき生涯の信条、生活設計という死ぬまでのレールを敷いたため方向を誤ることはなかった。

あれもこれもと多くの目的をもって一つも成らないよりは、 一つでも目的を達成したはうがよいのである。

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