MENU

一一 自らを信ずる

ことを成すには、まず自分を信ずることである。

自分の能力では、これはできそうもない、困難だと考えているようでは、成ることもならなくなる。他の人にできて自分にできないことはない、と強く自分にいいきかせることが成功への第一歩といえるだろう。昔から、勝ちを信じないで勝った者はいない。自分でさえ信じられないなら、やらぬことである。

人間の自惚れほど困ることはないが、勝つ自信がないと思っている指導者はど困る者もない。たとえどんな小さな可能性でも見いだしたなら、それを大きくしていこうと努めることはど、男児としての魅力はないものである。

指導者が無限の可能性を抱いていれば、部下も、その可能性を全面的に信じないまでも、一績の光ぐらいは見いだすものである。これが相互の励みにもなる。

第二の会社の再建計画を社員に発表したときのことである。

一前項にのべたとおり目標〇、一、二、三計画を知らされて、まともに信ずるものはいなかったのも当然かもしれない。しかし、そうなってくれたら、どんなに素晴しいことかという淡い期待も、また、もったに違いない。

再建計画を発表したとき、社員にこうつけ加えた。

「皆さんは、この目標を信用できないようだが、窓の外を見てもらいたい。いま太陽が出ていて真っ昼間、すべてが明るい中で、どんな光も、明るさにまぎれて見いだすことは難しい。しかし真の暗闇では、遠くの小さな光でも見いだせるはず。″明中明なし、間中明あり〃というじゃないか。その明りが、〇、 一、二、三だ。私はかならず達成できると確信しているが、皆さんも信じてもらいたい」と力強く話した。

長いトンネルから先の明りを見いだしたときは格別のもの。必死の財務改善と併行して、社員の協力を得るために、一二(ボーナス支給三回)だけは早期に実現させようと、翌年に三回目のボーナス支給を突然発表したときなど、 一緩の光明どころか、闇夜に万燈を得た思いであったろう。僅かの人でも、心に一綾の光明を見いだせば、光明の数は増してくる。これが組織の中を明るくし、活性化となって現われる。

上が可能性を信じてことにあたれば、自然に下にも反映される。武田信玄の歌ではないが、成ることまで成らぬと思い込んでしまうから、能力まで引っこんでしまう。できる、必ず成功すると考えれば、ない力までどこからともなく出てくる。

可能を妨げるものに「杞憂」がある。つまり取り越し苦労、無用な心配である。遠謀深慮は必要で、経営にも欠くことはできない。しかし、あり得ないようなことや心配してもどうにもならないことを心配するほど愚かなことはない、ということである。

自分に万一のことがあったらどうするか、そのための準備をしておくことはトップとして当然である。しかし、葬儀の日のお天気が雨だとどうなるか……これは余計な心配で、どうなろうと、いかんともしがたい。

大橋の下に野宿していた乞食のおやじ、子供に向かって「江戸中丸焼けになったら住む家がなくなるから、こうして住んでいる。ちゃんはなかなか先が見えるだろう」という小咄がある。あり得ることを予想して備えることはよいが、過ぎると心配が心配を生んで、意欲さえ失なわれてくる。自らを信じられない経営者には、このような心配症が多いようである。言志四録に、こんな文句がある。

「人情、事変、或は深看を倣して之を処すれば、印て失当の者有り。大抵軽看して区処すれば肯繁に中る者少なからず」(人間社会で起るもめごとや、事変を余り深く考えて処理しようとするとかえって失敗することがある。大抵は軽く考えて処理すると核心をついていることが多い)。

深く考え過ぎるから、あれこれ、取り越し苦労までするようになって頭も狂ってくる。「困難に直面したら楽観主義になれ。順調のときは悲観主義になれ」これも私の自論である。

再建計画実施にあたって、ともかく借金返済の一点にしばって全力投球にあたったが、犠牲にする面をあれこれ心配するときりがなくなる。たとえば金利負担の軽減のためには売掛金の早期回収、受手の短縮、在庫の圧縮を計らなければならない。これを実行して手形期間を短くすれば売りにくくなるt、在庫を圧縮すれば納期遅れの心配が生ずる。

しかし、他の犠牲は一時の損であるが、金利は借金のある限り永続して負担となる。また、 一時の損といっても、短縮、圧縮されてもなお販売するにはどうすべきか、知恵をだすことを期待してのものである。事実、その後に借金が減るにつれ士気も高まり、むしろ販売高は累増しているのである。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次