「恕」相手を思いやる、といっても、恩着せがましかったり、私欲がからんでいるようであってはむしろ逆効果になるだろう。それが自然で、企むところがなければ相手は心から感激することになる。
たとえば、部下を叱る場合であっても、部下の非を直してやろうという真心があって叱るのと、部下を憎む心があっての叱りでは相手にはすぐわかる。もし、非を改めるものであれば、その場限りで終り、あとまでつづくことはない。また、叱られた者が逃げ口もない、いいわけもできないはど追いつめることもない。信長は怨みを後に残して光秀に殺されている。街道一の親分清水の次郎長は人前で子分を叱ることはなかった、という。
前職時代のトップは厳しく、雷の落されない者はなかった。しかし、思いやりの怒り、雷は落すが、そのあとは夕立が去ったような爽やかさであった。
ある夕方、外出しようとしているトップに出会った。「○○支店長をさっき、どなりつけたが、いまじぶん恰気ているだろうから慰めに行こうと思って」という。
トップが、わざわざ慰めに行ったら、落ちた雷の効き目もなくなりそうだが、実はこのはうが効き目も高まる。思いやりに感激するからだ。また、先輩常務と席を並べていたときである。
「いまトップに頭が上がらないほど怒られてきた。なにしろ、扇子で机を叩きながら怒るので扇子がバラバラになってしまった」
ところが翌朝、トップの部屋から出てきた先輩常務の顔はニコニコ顔。わけをきいたら「新しい扇子を買ってきて、いま届けにいったら″もう一度、バラバラにできるね〃といって大笑いしていた」という次第。心にくいまで相手の心を見通している。
ある部へ行ったとき部長が若い社員を叱りつけている。「貴様のような人間を生んだ親の顔がみたい」とまで言っている。後で私は部長を戒めた。「私が、部長を、そう言って叱ったら、どう思うかね。部下を叱るのに親まで引き合いに出すことはない。どうせ出すなら、親を褒めるがよい。『君の親は、そういう教育はしていないはずだ』といったら、親の立場を良くすることになる」。
菜根諄に「人の悪を攻むるには、はなはだ厳なることなかれ、その受くるに耐えんことを思うを要す。人を教うるに善を以てするに高きに過ぐることなかれ、まさに、それをして従うべからしむべし」(人の悪を責めて善をさせるのにもあまり厳しすぎてはならない。その人が心から服し、実行できるように心がけなければならない)とある。ところが、トコトンまで追いつめてぐうの音も出なくする者がある。楚の項羽が部下から見放された理由の一つは峻烈な″怒″にあったようだ。
項羽に従ったことのある劉邦の臣韓信が項羽を評して「項羽が怒ると、そこにいる家臣はみな恐怖にかられ、ひれ伏してしまう。しかし彼は部下に任すということを知らない。部下を信頼できない者は、いかに威厳を現わしても、 一凡夫の勇で大事はできないものです。
また、項羽は表面、礼儀正しく、人の悲しみには涙も流します。ところが部下が大功をたてても賞を与えることをためらいます。あれは、婦女子の情けに過ぎません。そのため私は項羽を見限ったのです」と主である劉邦に告げている。項羽はこの韓信に亡ぼされているのである。いわば、相手の立場も考えない怒りが身を亡ぼしたともいえよう。
「父の道は当に厳中に慈を存すべし、母の道は当に慈中に厳を存すべし」(父は厳格の内に慈愛。母は慈愛の内に厳しさがなければならない)。言志四録にある文句だが、職場などでの指導も、これであれば部下も反感を抱くことはない。
「赤心を推して人の腹中におく」は、真心を相手の腹に押しこむ、という意味である。
後漢の始祖劉秀(光武帝)が銅馬の諸賊を討ち、ことごとく降服させた。しかし、部下諸将のうちには果たして心から降服したかどうか信じ難いと考える者があるし、降参した諸賊もこれからどうなるのか不安でならなかった。
そこで劉秀は降った将兵を各自の陣営に帰して整列させ、その中を武装もせずに馬に乗り悠々と巡視して回った。これを見て、降服した連中がいうには、「爺王(劉秀のこと)は自分の真心を他人の腹の中に推し込んで、少しも疑っていない。どうして、この人のために、死力を尽くさずにおられよう」と。
これは、相手の心を推察し不安を解消させた、いわば、相手の立場になった効果である。こうして劉秀は賊将までも心服させ天下統一に成功したのである。
昔、殷の始祖湯王があるとき外出すると、猟師が鳥や獣を捕える網を四方に張りめぐらして神に祈っている。「天より降り地より出で、四方より来るものは皆、わが網にかかれ」と。これを見て湯王は「やれやれ、四方八方からくるものをことごとく捕えたら、すっかり捕り尽くしてかわいそうだ」といいながら、その網の三方を解き放して、改めて神に祈った。
「左へ行きたいものは左へ行け、右に行きたいものは右へ行け。それもいやで、せっかくの私の思いやりを受けないものは、止むを得ない、わたしの網にかかるがよい」と。
これを伝えきいた諸侯は、「湯王の深い愛情は人間のみならず、鳥獣にも及んでいる」と。これら諸侯は、湯王の深い愛情を知っていたので、湯を補けて、夏の条王を亡ぼし、殷の国を建て天子の位についてもらうことにした、と十八史略にある。湯の徳が無言で諸侯を率いた、ということになる。
現代の組織内でも、怒り、叱るなど過ぎた権力をふるまって部下を腐らせ、前進ラッパをふいている人がある。どれはど高くふかれても勇みたつ人はなかろう。
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