人体ほど精巧にできている機械はないというが、機械は機械で長い間使いつづければ、疲れもでるし、故障もするようになる。物を造る機械には感情というものがない。そのため心労ということがない。ノイローゼをはじめ、神経性の病気などは人間特有の病である。
その代わり、人間には、それらの病気を癒す、楽しい、美しいなど、忘我という妙薬があスリ。
ことに、働き蜂、仕事の鬼などといわれているビジネスマン、とくに企業経営者は、この薬を常備薬とすることが肝要といえる。この常備薬を服用している人は、肉体の疲れはあっても心の疲れはない。疲れれば、すぐ服用して治してしまうからだ。
ある人は、休日ともなれば、魚釣り、盆栽、野菜作り、ゴルフ、散歩など、好きなことに時間を費やす。その間は、それに没頭して無我の境地に入る。頭にあったもろもろの感情は、いずくともなく散ってしまう。碁、将棋に熱中すると親の死に目にも会えぬ、といわれているが、なるほどと思う。
かねを出して魚を釣り、釣ちた魚は放してしまう。バカなまねをしていると思うが、魚よりもストレス解消という獲物のほうがよいのである。
ある大証券の社長(故人)と話し合ったとき「私は休日は一人で海釣りに行くが、船頭さんに、こちらから話かける以外は口をきかないでくれ、とことわって舟に乗る。ほんとうは、海の中の脚立の上で唯の一人で釣るほうがよいのだが」といっていた。船頭さんとでも話しながら釣ったはうが楽しいと思うのだが、全くの孤高の境地に自分をおきたいのである。果物、しかも南洋果実を作っている人がある。また、野菜作りを楽しんでいる人もある。
バナナ一本何千円につくのか、大根一本何千円にもつくのではないかと思う。散歩のついでに八百屋さんに立ち寄りしてもよさそうだが、頭脳洗濯代と考えれば大根は一本一万円でも高くはないのである。
前職時代の先輩が、盛んにゴルフを始めろといって奨める。そのわけをきいたら、君が始めてさえくれればブービー賞がもらえる、といっていた。その先輩は、いくつ叩いたかわからなくなるからマッチの棒を一打一本ずつ右のポケットから左に移すことにしているというから、「ここにマッチの大箱があります」といって笑い合ったことがある。なんといわれようと、それで食うわけではない。食うものを得つづけられる元気を得ればよいのである。
「ゴルフをやるやつは国賊だ」といっていた友人から三年ほどして葉書がきた。「ゴルフをやらずに死んでいくはど人生不幸なことはない」と。よほどご利益があったに違いない。
ある社長は「魚釣りなどやるやつは、よほどのひまな人か、のんき屋がすることだ」と吐き捨てるように言っていた。
それがいまでは、社長室は魚拓で飾られている。社員と旅行に行き、釣堀で虹マスを釣ったのが病みつき、いまでは何万円もする竿を何本も持っている、と。「よほどのひま人になりましたか」とからかったら「忙しいから行くんで、ひまだったら行きませんよ」。
忙しければ忙しいなりに、頭も疲れる。それを一時の閑を得てとり去れば、仕事も能率よく運ぶ。
そのこと私も家にいるときは、朝は野鳥とともに起床し、イワシを必ず食べるから、朝はイワシ定食と決めてある。その後は夕食までフル操業で、読むか、書くか、植木畑か野菜畑へ出る。植木の手入れも季節に関係ない。もっばら、読み書きに疲れるととび出す。原稿など熱中して書きつづけていると、簡単な字が書けない。いわゆる、胴忘れというものである。そこを空白にしておくわけだが、疲れがたまってくると空白も多くなる。ところが、剪定鋏を持って植木畑へ行き、三、四十分間剪定してから原稿用紙に向かうと辞書を見ないで空白が全部埋まる。なんとまあ情けない頭だろうと考える。
現職時代は植木の手入れなど休日に限られる。昼が長くなると、帰って、背広を脱ぎ、作業服に着がえる。よく、芝居の早変わりよりも早い、といわれたものである。
休日に、植木畑にいたら、なにかのセールスマンが近寄り、「井原さんはご在宅でしょうか」ときかれた。こちらは僅かでも時間が惜しい。「ご在宅ではありませんね」といったら、名刺とパソフレットを手渡され「お帰りになりましたら、よろしく」といって立ち去った。あとで女房から異議を申し立てられたが、それはど没頭するわけだ。精神衛生上、没頭ほどの妙薬はない。
それに、翌朝まで前日の、悩み、気がかりごとを残すこともよくない。私は、これを前日の借金といっているが、そうした借金はすべきではない。借金利息以上の負担増になる。
その点私は、先憂後楽主義で悩みごと、困難などは先に始末してしまうことにしている。決済、相談を求められれば即断にし、負担を後に残さない。
それが高じたためか、魚料理を食べるときも、食えない骨など全部取り除いてから食べ始める。先年、家内と二人での夕食を見ていた幼い孫が「おじいちゃんは、おばあちゃんのお魚の骨をとって食べさせている」と母親に話したという。私としては、目ざわりだから二人分の骨を取っただけであるが、孫の目にはそう映ったらしい。活動している人でないと休む楽しみは味わえない。
「世の中に寝るほど楽があればこそ、浮き世のバカは起きて働く」とある。いかにも怠け者のようであるが、寝るほど楽、といえる者は、働いて疲れた人に限られる。寝る楽しみが味わえることは、働けず、寝ている人よりもはるかに幸せなのである。
近年私のベッドにいる時間は冬は夜八時から朝六時の十時間だがよく眠れる。昔は、五、六時間の睡眠ですんだが八十才近くにもなると疲労の回復が遅いらしい。そのかわり、昼の仕事中ねむくなることは全くない。これを貧乏性、仕事の鬼とでもいうのであろう。
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