ある経営者は「経営とは変化に挑戦することである」といっている。これからの企業環境がどう変わるか先見して、これに対応することが経営の要諦だということである。とすれば、変化に対応するには早く変化を先見しなければならない道理で、先見の遅速が勝敗を決するともいえるのである。
しかし、神ならぬ身の人間が先を適確に見定めることは至難の業である。うかつに先見しようとすれば怪我のもとになる。また、勇を借りて進退すれば逆流に竿さす愚にもなりかねない。そこで、もし変化を先見しなくても、確実に対応できるにはどうあるべきか。私なりに考えた。
結果は「厳しさに挑戦する」ということであった。つまり、企業環境が好転することについてはいっさい無視し、悪化する、厳しくなることだけを考えて経営にあたる、ということである。言い換えれば、不況当然、好況例外とでもいえる心構えである。つねに逆境に身をおくともいえる。さらに言い換えれば、つねに危機感を抱いた経営をするということになる。
景気好転を予想していて、もっと悪くなることがあるかもしれない。金融が緩和するといえば窮迫することもある。円安になって為替差益がでるといえば、いや、円高になって差損になることもあるという具合に、厳しいことだけを予想して経営するということである。こうした経営であれば、悪環境に対応するための厳しい経営態度が貫かれピンチに陥ることもない。好環境による収益はプラスアルファと考えればよい。
よく、ケチ会社などといわれるところがある。好況時にかかわらず節約に徹している。「易きにいて危うさを忘れず」の心を貫いているのである。ということは、同じ先見であっても、厳しさだけを先見する経営といえるのである。
次に、これも私なりに「経営とは理想に挑戦することである」とも考えてみた。
度々のべているとおり、大志あるものは、将来はこうなろう、こうしようという目的をもつものである。理想を描く。そしてそれを達成しようと努力する。大事を成した人に例外はない。
とかく、理想を掲げると、それは理想論だ、いまの現実からは考えられない、といってとり合おうとしない。しかし、人間社会で口にされている理想論はすべて実現可能なことなのである。
いま隆盛を誇るスーパー長崎屋の創立者、岩田孝八社長と対談したことがあった。
「私は湘南のある市で、戦後、かき氷屋から出発したが、将来有望な産業は小売商と考えた。小売商といえばデパートが理想だが、それだけの資金余力がない。スーパーを三百店も出せばデパートに匹敵するようになる、と考えた」
つまり″デパートに匹敵する小売店″という大きな理想を掲げたわけである。
「統制解除を待って衣類呉服を商うようになり、掛で仕入れて現金で売ることにし、その間の資金歩溜りで、将来の店舗候補地を買って店舗数を増やした」と話してくれた。現在では、当初の理想を立派に果たしている。社長の手帖は今日以後のものはあるが前日分はない。一日終れば切り捨てている。理想に向かってまっしぐら、の意気込みででもあろうか。
それにしても、仕入れた掛代金は期日に払わなければならない。売上げの停滞は許されない。滞れば不渡り倒産である。まさに背水の陣ではないが「之を死地において後に生く」(自分を絶体絶命の場に陥れて後に生きる)の離れわざである。
理想といえば、私がアメリカの、アーカンソー州の開拓計画を視察に行ったときである。一月のリトルロックは厳寒、公園の噴水も凍りついている。
開拓事務所で何人か机に向かっている。
「現在この州は全米の州のうち下から二番目の貧乏州だが将来は豊かな州になる。近くを流れている川に日本の大型商船がのぼってくるようになる。そのときは、また、ここにきてもらいたい」といっている。いまにも、ほろ馬車が走ってきそうな砂漠地帯。どう考えても、まともな話とは思われない。
「せっかく日本から来たのだから記念に、ここの土地でも買っておいてはどうか。いまなら、 一ヘクタール(約三千坪)二十ドル(当時日本円で七千二百円)で買える」ともいってくれた。
「この計画は何年先に完成するのか」ときいたら「さあ―、五十年か百年先だろう」
「それでは、皆さんの在職中は完成しないね」
「それはもちろんだ。でもわれわれの後を継いでくれる人は何人でもいるよ」
彼らの遠大な理想挑戦には、ただ唖然とするばかりであったが、いずれは完成することになる。
リトルロックからワシントン行きの飛行機に乗るとき、 一人のアメリカさんに聞かれた。
「座席が決まっている飛行機へ乗るとき、日本人は人を追い越して行くが、早く乗ると、早く着くと思っているのか」と。性急な日本人は理想を定めるにも期間は短いようである。
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