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四先見の妙

先を洞察するというとき、小さなことから将来の変化を見ることもあれば、大きなことから時代の移り変わりを知ることもある。

前述の「歯牙に懸くるに足らず」は小から大を洞察するものであり、雲行きをみて台風来襲を予知するように大局から将来を判断することもある。                  ・

さらに、過去の体験から、あるいは歴史から将来を知ることもある。時には天を師として先を見ることもある。それらについて私なりに考えていることをのべてみたい。

昔、魏の白圭という宰相は、堤防を巡視するとき、蟻の通る小さい穴までふさがせ、百尺もの大きな家の壁のちょっとした隙間も塗りつぶさせたという。千丈の高い堤も蟻の穴のために潰れて大洪水となり、高楼もわずかな隙間から入った火で焼け失せることを見通していたからである。「千丈の陽は嬢蟻の穴をもって潰ゆ」(韓非子)。

節約に努めている経営者は、自分の会社が潰れることのあるのを知っているからだ。つねに学んでいる者は、ことある時に役立つことを知っているからで、いずれも先を思ってのことである。

「玉杯象箸」の故事は、箸一ぜんから国の滅亡を洞察した話である。いまから三千年前、六百年つづいた殷の最後の王として、悪虐無道随一といわれた村王の時代である。付王が象矛の箸をつくった。当時としては大変ぜいたくなことである。これを知って箕子が嘆き、諌めもした。

「あの王は象牙の箸を作ったが、この次は素焼の器を使わないことになるだろう。象矛の箸と土器では釣り合わないから、玉の杯を作ろう。玉杯と象矛の箸を使うようになれば、あかざや豆の葉など粗末な野菜を吸いものにしたり、短い荒い毛織の着物をきたり、かや葺き屋根の家に住むような貧乏生活をやめ、山海の珍味を盛り、豪邸で、錦を重ねるという具合に、次々にぜいたくの釣り合いを求めていくようになったら天下の富を集めても足らなくなるだろう。税も重くしなければ足らなくなる。当然に人は不満を抱いて国は乱れて亡びることになる」と。

諌めた忠臣がかえって付王に殺されているのを見て、箕子はいつわって狂人となり奴隷の仲間に入った。

付王は箕子が予想したとおり、だっきぜい姐己の色香に迷い、酒池肉林の贅をつくしたため人民に背かれて周の武王に亡ぼされている。

死ぬとき財宝を身につけ自ら火を放って死んだという。箕子は象矛の箸から国の滅亡を洞察したわけである。

銀行時代私も融資担当の先任常務から、分不相応な事務所を建てたり社長が高級車を乗り回しているような会社への融資は一応警戒してみること、といわれたことがあった。村王ではないが、釣り合いの賛沢を懸念してのことである。

木の葉が落ちるのを見て感ずるものは、よほどの風流人ぐらいなもので、多くは見過ごしてしまうものである。

しかし、 一葉落ちるのを見て時世の移り変わりを知れ、という教えもある。坪内逍逢作の戯由に「桐一葉」というのがある。

豊臣家の部将片桐且元が、豊臣家の衰亡を予想して関東方につこうとして大坂城を去ろうとしたとき、別れを惜しんで見送った木村長防守が言った言葉が「桐一葉落ちて天下の秋を知る」、つまり桐を片桐の桐と豊臣の紋(五七の桐)にかけて、豊臣家滅亡を意味しているのである。

また、昭和二十八年三月にスターリンが死んでいるが、その一ヵ月後であったろうか、株式新聞の編集長だった石井久氏(立花証券)が「桐一葉落ちて天下の秋を知る」の一文を掲載したため株価が暴落したことがあった。いわゆるスターリン暴落である。

しかし、スターリンの死が株価の崩落を招いたというより、朝鮮動乱終結後の反動不況がもたらしたものである。

当時私は、銀行の証券課長であったが、スターリン死亡の三ヵ月前には、売れる株のほとんどを売り終えていた。朝鮮動乱景気が長期化するものと思い、思惑輸入が増大していた。その決済のため国際収支は悪化し、当然に引き締め政策がとられ、景気は悪化して、株価は下がると予想したからである。

これは後日談になるが、 一期間に大きな株式売却益を出したということで監督官庁に呼び出しをうけ、不健全な行為であるということで叱られた。下がると思うから売りました、といっても、それがいかん、とまた叱られた。平身低頭、平あやまりに、あやまって帰ろうとしたら呼びとめられた。「家内が株をやっているのだが、いまどんな株を買ったらいいかね」「現在、日立が四十円、東芝が二十五円ぐらいですから、長期持続のつもりで買っておくのもいいと思います」といっておいた。

人に勧めたのだから自分でも買っておいたら、いまどのくらいな財産になっているだろうか。いくら、先見の明があっても行なわない先見は、悔いを残すだけである。さて、横道にそれたが、石井さんの桐一葉にしても逍逢の芝居にしても、その言葉はどこからでているのか。遠く二千年も音にさかのぼる。西漢の高祖劉邦の孫にあたる、劉安が著した淮南子という本にある。

「一葉落つるを見て、歳の将に暮れなんとするを知り、瓶中の氷を見て、天下の寒きを知る」(木の葉が一枚落ちるのを見れば、年の暮れが近づいたことがわかり、瓶の中の氷を見れば、世の中全体が寒くなったのがわかる)。

小さな現象から大きな根本を知る、ということに解され、小さなことから大きな変化を知るということにもなる。

また、小さな兆候から衰え亡びようとする形勢を察することに用いられる言葉である。そのことでは私にもこんな体験がある。いまのべた、石井久さんの桐一葉の記事から約二年後の昭和三十年は朝鮮動乱終結後の不況に見舞われた年である。

その年の一月私は自宅の新築を思いついた。大正十二年の関東大震災で母屋が倒れ、その古材で建てたため老朽化していたからだ。

どこで、それを知ったか、近くの工務店主が来て「大工道具が錆びてしまうほどの不景気。ぜひやらせてもらいたい」という。

大工道具が錆びることは武士の刀が錆びるようなもの。深刻な不況であることがわかる。その話をきいて、迷いも消え、即座に依頼したわけだが、資金手当がついていない。木造建て五十坪の計画をしたが、住宅金融公庫の標準建築費でも坪当り三万五千円。坪当り四万円は必要である。

しかし、手持ち資金はゼロ。退職金見合いの借金が百五十万円限度。母のへそくり五十万の計二百万円。

ところが、自分たちは新築の家に入っても、死んだ父と、戦死した弟の墓石はまだ建てていない。墓石二基で二十万円。残り百八十万円が新築資金となる。この百八十万円で、電機メlヵlの株を一株八十六円で二万株買ってしまい、建築関係者の手間賃、材木代金等、五月下旬から支払う約束をとりつけ三月に着工したわけだ。信長は生涯に一度の冒険をしたというが、 一課長の身分で大きな冒険である。

仕事始めの日、関係者の前で「いまが一番の不景気。不景気のドン底と考えて新築に踏みきった。もし、いまより材木代、手間賃が安くなるようであったら、私は景気や株価の見通しについて話したり、書いたりしないことにする」と大それたことを言ったものであった。しかし、支払いが始まるころになると、株価が上がり、七月には輸出入信用状が一千万ドルの黒字と発表され株式市況も活気づいた。夏になると、空前の豊作、米代金撒布、金融緩和を材料に大幅値上り。

結局同年末に家移りしたわけだが、新築費四百二十万円は株の値上りで賄うことができた。陰陽の理は天の教えだが、先見の妙は天を師とするに如かずともいえそうである。

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