「奇貨おくべし」(これは掘り出し物だ。取っておけば将来、大儲けになる)。前にものべたが、大儲けした人の多くは、自分で儲けようと考えて儲けたものよりも、たまたま安いときに手に入れ、売る時に高くなっていた、ということが多い。
不況時、かね詰まり時期などに、物をかねに換えるために売り込みにくる。それを、たたきにたたいて、つまり足下をみて安く買っておく。好景気になったり、かねあまりになれば値上りするから、そこで利食えば必ず儲かることになる。
しかし、持ち込んできたもの全部買うわけではない。これは掘り出し物だ。必ず大儲けになると思う物だけを買うわけだ。なんだかんだと難癖つけるのは、安く買うためである。
ただし、よほど先見力のある人、物をみる日の高い人ではないと、傷物、偽物をつかまされて失敗することになる。その逆の場合もある。
「列頸の交わり」に出てくる商相如が、強国秦王から守った「和氏の壁」は、楚の本和という人が荊山という山から、まだ磨かない玉をえて属王に献上した。王はこれを玉を磨く人に見せたところ、ただの石だといったので、怒って本和の左足を斬ってしまった。次に武王が位についたので、再び献上したが、やはり石と鑑定されたため右足を斬った。次に文王が即位したので三度献上して磨かせたところ、稀にみる玉であった。それで和氏の壁というようになったと、韓非子にもある。石も磨けば玉となるというが、もとから玉であったから玉になったわけで、もともと石であらたら玉にはならない。それにしても文王にしてみれば、たいへんな掘り出し物だったわけである。
そのとき文王が、奇貨おくべし、といったかどうか知るすべもないが、ほぼそのころ、韓の国の豪商呂不葦の言とされている。
呂不葦はよく趙の都、部郡を商用で訪れるが、あるとき偶然、秦の皇太子である安国君の庶子の子楚が、人質となってここにきて貧しい暮しをしているという話をきいた。そのとき、呂不葦の霊感がひらめいたのであろう。「この奇貨おくべし」と言ったという。
不章は、早速、子楚のわび住いを訪れ「ひとつ、あなたを身分ある、かねもある盛んなお方に致そうではありませんか。そうなれば自然に私の家も栄えることになります」。子楚の、いまは人質の身でどうすることもできない、という言葉をきき流し、声をひそめていった。
「あなたの父上が秦王にいずれはなりましょう。となりますと、太子を選ぶことになります。正妃の華陽夫人には実子がいません。太子は二十数人の庶子の中から選ばれることになります。あなたもそのうちの一人ですが有利な立場にありません。
そこで、私は商人でかねを持っています。これから、あなたと一緒に秦まで行って華陽夫人に贈りものをして、あなたを太子に立てる運動をしようではありませんか」と。
子楚も大変よろこび、ともに秦に行って運動し、不遇、不利な子楚を太子にしてしまった。そして、子楚が独身であったのを幸いに、呂不葦の子を宿していた趙姫をなにも知らない子楚に嫁がせた。その生まれた子が天下を統一し、万里の長城を築いた秦の始皇帝である。自分も宰相になり、富貴を極めたわけで、史上稀な掘り出し物であったといえる。
これにしても、最初は、聞き流してしまいそうなことを小耳にはさんで、奇貨おくべし、といっている。部耶にも多くの人がいたろうし、多くの人が子楚のことを知っていたに違いない。しかし「奇貨おくべし」と考えたのは韓からやってきた呂不章一人であった。将来を読んだ、というより、将来をつくりあげた、といえるのである。
「志あれば道は開ける」とはよくいわれることだが、これこれを、なにがなんでもやり遂げようとする志のある人の前には峻険もなければ、激流もない。先見して行なった結果も理想に挑戦して得た結果も同じといえるのではないか、ということである。
コメント