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十一 統率の失敗はこの一点にある

ことにあたって恐ろしいことは、以外なところに、抜け穴があったり、落し穴があることで、穴のあいた風船に空気を吹きこむように、いくら努力しても膨らまない。部下の統率もこれと同じように、万全をつくしたと思っても、いっこうに効き目がない。

いったんは膨らむが、たちまち、しぼみ、 一度はつくろったが次第にやぶってしまう。原因のわからない発熱のようなもので、トンプク薬ではなおらない。病源を取り除く以外、治療の方法はない。

まず、病源の第一は、信賞必罰を怠ることである。組織に活力がみられない、トップの命令が浸透していない、規律が正しくない、など業績の足を引くような状態に陥っているものをみると、賞罰が厳正に行なわれていない。社長もパートも新入社員も同じように見える。社長に威厳がない。はなはだしいのは社長に社内で出会っても目礼さえしない。これでは統率者が行方不明と同じである。統率者不在の組織に集団の力の発揮を求めることは木に登って魚を求めるより難しい。

もし、信賞必罰をもって部下に対すれば、社長が牙をむき、声高く咆嗜することはない。自ら、その指揮下に集まってくる。

「いかに社内規程とはいえ、この人間に対しては厳しすぎる」とか「規程のほうが厳しすぎる」といって罰を与えることをためらう。あるいは、「昔、恩ある人の関係者だから」といって罰することをためらったり、罰を減免する。はなはだしいのは肉親だから、親類だからといっていい加減な処置をして公平を欠く。

罰に手加減しておくと、いかにも、心の広く大きい人といわれるだろう、悪口ひとつ言われないと思うだろうが、これは自分よがりだけであって部下はそうはみない。統率者としての条件に欠けるとみる。信賞必罰を怠って功を奏した者はないことを知っているからであスリ。

前にものべた三国志の諸葛孔明が、軍律違反で馬謬を斬ろうとしたとき、重臣の一人が、「天下の戦乱の真っ最中に、あたら功ある知謀の士を殺すとは、洵に惜しいではありませんか」といった。それに、孔明はこう答えている。

「孫武が天下に武威を示すことができたのは軍法を厳格に適用したからだ。いま天下の風雲は急を告げているときにあたって、かりにも軍法を曲げるようなことをすれば、どうして逆賊を討つことができよう」と。

天下が急であるから、なお一層軍律を守らなければならない、というのである。また、鄭の国の宰相、子産は倒れて死の床についたとき、後任に予定されていたんでこう話した。

遊吉を呼

「そのほうが、これから国の政治をやることになろうが、そのときは、必ず厳しい態度で国民に臨むがよい。火というものは見るからにきびしいので人は恐ろしがり、かえって焼け死ぬ者は少ない。水は、その点、弱々しく見えるため、みんな、くみしやすいと教て、かえって湯れ死ぬものが多いものだ。そのため、そのほうも厳しい態度で臨み、へたに弱気になって、湯れ死ぬ人を増やしてはならない」と。

子産の死後、遊吉があとを継いだが、厳しくすることをためらったため、若い者どもが徒党を組んで盗みをはたらき、沼の辺に立てこもって大騒動になった。遊吉は軍を率いて討伐にかけつけ一日がかりで、ようやく鎮圧した。遊吉は早くに、子産宰相の教えを守っていたら、こうしたことにはならなかった、と反省したという。

第二の会社に関係した早々に、経営危機に陥り、労働組合はストを打ち、社長命令でもきこうとしなかったことは前にものべたとおりである。会社が明日にも倒れようか、というときに、周囲から「何をしても文句のいわれない会社だ」「社長の会社か労組の会社か判らない会社」「甘くて住みよい会社」などと言われていた。なぜ、こうなったかといえば、全く罰の行なわれない会社だったからである。罰が行なわれないから、社員は野放し状態になる。権利ばかり主張して、指示されたことをきこうとしない。きいても行なわない。これでは斜陽化するのが、むしろ当然である。やはり、企業マンとしての良識をあくまでも守らせる、守らなければ罰してでも守らせるという経営者の毅然たる態度が必要なのである。昔、楚の共王が晋と戦って破れ、自分も傷をうけた。

戦いが一時やんだので、次の作戦に備えるため、将軍の子反を呼びにやったが、胸が痛くて行けない、という返事。やむなく共王自ら子反の陣へ車で行ってみると、酒のにおいがすスυ。

共王は、そのまま引き返して「今日の戦いは、自分まで負傷するほどの苦戦だった。頼りになるのは将軍だけであった。その将軍が酒に酔いつぶれている。あれでは国のことも軍のことも、念頭にあるとは思えない。戦いはやめる」といって、軍を撤退させ、帰国するや、大罪を犯した者として、子反を斬罪としてしまった。かけがえのない干城の将よりも、軍律を守ることのはうが大切なのである。

昔から人事管理の重点は「厳」「寛」の均衡といわれてきた。厳にすぎては、命令に従わせることはできても、威服して従いはするが、心服することはない。「寛」にすぎれば、心が緩んで、甘えの構造が芽生えてくる。                          .

この均衡をどのように保つか統率者の腕のみせどころということになる。多くの例は、基本的に「厳」を優先している。

昔、魏の恵王が賢臣にたずねた。

「私の評判をきいているか」「きいております。たいへん慈恵な方という評判です」。恵王は喜んで「そういう評判なら私の将来は洋々たるものといえるな」「どういたしまして、国を亡ぼしてしまいましょう」「慈恵といえば、これ以上のことはない。それで国を亡ぼすとはどういうことか」「慈とは情深いこと、恵とは人に施すことを好むことです。情深いと罪を犯した人も罰することができません。施しを好むようでは功のない者にまで賞を与えることになりましょう。功のない人にまで賞をバラまいていたのでは国を亡ぼすのも当然といえましょう」と。

愛情にすぎると法は成り立たない。威信がなければ、下の者につけこまれる。罰も厳しくしないと、禁令も守られないのである。

この点について最も心したいことは、肉親、血縁の情にとらわれて公平を欠く、ということである。                                            」

自分の子、兄弟であるからといって過失を見逃して罰しなかったり、功もないのに抜燿したりする例を見かけるが、これでは、それ以外の者の過ちも見逃すことになる。

さらに、人情にはだされ、えこひいきに陥り、かえって善良な部下に背かれたり、経営者不信を招く。罪は罪として厳しく罰し、もし、人道的な配慮を必要とするなら他の道を選べ前職時代、人事担当役員であったころ、ある過失のため退職させなければならない社員に、再就職先を決めて、退職させたことがあった。孔明は馬談を斬ったが、その家族が生活に困るようなことはさせていない。厳と情の画然とした区分である。トップは情を失なうべきではないが情に流されて、必罰の基本を見失なってはならない、ということである。

別項で、トップの権は、賞、罰の二柄のみとのべたが、これを疎かにしたり、乱用するようでは、統率の全きを期待することはできない。

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