私は借金返済のために、これまでに三度も苦労を重ねた。
十八才から三十二才の十四年間祖父、父と三代ゆずりの借金返済で苦心し、六十才から七十才までの十年間、会社の借金返済で四苦八苦を体験した。苦しくもあったが、いい体験もしたし、変わった楽しい思いもした。僅かずつでも返済し借金が減っていくのをみているのは楽しいもので、返済経験のない人にはぜひ一度味わってもらいたいと思うほどである。いずれも私が借金したものではない。祖父の道楽と会社の放漫経営のあと始末である。といって、それを責めるつもりは全くない。「おかげさまで、いい勉強をさせていただきました」といいたいくらいである。
よく、経営者のうちには、借金は心を引き締めてくれるもの。返してしまっては心が緩む、という人があるが、私のように借金苦を体験したものは、借金を完済したはうが心が引き締まる。にがい体験が自動ブレーキ化しているからである。
よく、若いうちからかねをためているようではロクな人間になれない、という人がある。私も若い頃にさんざんいわれたものである。私の場合は貯金どころではなく、借金返済に追われていたのであるが、少しのかねも節約しているのをみて、他人は貯金とみてくれていたらしい。
そういう人たちのいいぶんは、貯金などよりも、自己形成に役立つことに使え、ということであったろう。しかし実は、自分を楽しませるための浪費にすぎなかったのではないか。
その証拠に、貯金するかねがあったら自己形成に使え、といっていた人に限ってロクな人間になっていない。
ここでいいたいことは、若いうちからの貯金の目的である。使うためのものではなく臆病避けのため、といいたいのである。
「サラリーマンもサラリーマン根性を捨てれば出世できる」といったのは阪急の小林一三氏である。サラリーマン根性のもとは″臆病″である。なぜ臆病になるのか。もっばら経済的理由からである。
もし経済的に不安がなければ、勇気に行動力も伴う。堂々と主張もすれば、思いきった計画もたてられる。
なにも、 一生食えるだけの準備をせよ、ということではない。大木の倒れるのを防ぐために、大木と同じ太さの支柱は必要ない。細い丸大三本あれば足りるのである。その準備もできないということでは、世の人の上には立てない。
私にとって、借金苦の中で売らずに持ち耐えた土地がどれはど度胸を大きくしてくれたか計り知れない。辞表を叩きつけて百姓をやっても食うぐらいは食っていける、という自信からである。備えあれば自信がつくから度胸がでるのである。
また、西郷南洲を気取って「児孫のために美田を買わず」といって老後の準備もしない者がある。こういう人間に限って、子や孫を頼りにしている。自分の老後のための美田ぐらいは買っておくべきだろう。
現代企業が求めている人材の要件は、創造性、執念、国際的人材などといわれる。これら一つを満たすにしても経済的不安のうちにかなえることは難しかろう。経済的不安をなくして心おきなく励むことでなければなるまい。
私は常に、個人、企業の両方の立場からも、「いかなることがあっても動じないだけの資 ・金的準備は怠るべきではない」「かねというものはピンチに備えるものである」といいつづけてきたc
このことを我々は、昔から蟻とキリギリスの寓話で教えられてきた。しかし、寒さを知らないキリギリスにはそれに備える能さえ神は与えていないのである。関係した会社で中間管理者を前にこう話したことがある。
「いまの時期を″天高く馬肥ゆるの秋〃といっている。秋は、食欲の秋、健康の秋といわれるように気分も爽快、湊刺を思わせるが、本来の意味は、危険信号、音の警戒警報にたとえられる文句なのだ。
昔の中国は、しばしば北方の異民族に侵され、その防戦に悩まされていた。秦の始皇帝が万里の長城を築いたのも、それらの侵入を防ぐためだった。
彼らは北方の草原で放牧、狩猟を主な目的としていたが、春・夏を過ぎるころには馬も肥え、冬越しの準備のため、集団となって本上に侵入し、財物をかすめとって風のように去って行く。これを恐れた住民は、秋になると、また、あの匈奴が襲ってくるぞ、防戦の準備はよいか、と戒め合って警戒を厳重にしたのである。
さて、こうした中国の悩みは二千年以上もつづいたが、いまは全く平和になり、昔話になっているに過ぎない。
ところが、現代のわが国の企業には、秋に限らず匈奴の襲来がある。企業収益を脅かす企業環境の変化である。戦後からでも、昭和三十年、四十年不況、四十六年のニクソンショック、四十八年の石油ショック、六十一、二年の急激な円高など。その間犠牲を強いられた企業は限りなくある。無防備を匈奴に襲われたからである。
また、乗馬と騎射を得意とする彼らの疾風の速さは、近年の技術革新の速さにもたとえられよう。これに対応するためには、頭脳蓄積とともに資本蓄積も怠ることはできない。とくに、ここで戒めたいことは、会社の好調のときに準備を怠るということである。好調に恵まれて得た会社の利益というものは、逆境のために備えよと神が与えてくれたものと考えるべきである」と。
菜根諄に「衰颯の景象は、すなわち盛満の中にあり、発生の機絨は、すなわち零落の内にあり。故に君子は安きにおりては、よろしく一心を操りてもって患を慮るべく、変に処しては、まさに百忍を堅くしてもって成るを図るべし」(衰退の兆候は最盛期に現われ、新生の芽は衰退ドン底期に生じる。そこで、順境にあるときは、心をきつく引き締めて逆境に備えるようにし、逆境のときは忍耐強くしてピンチ脱出に全知全能を傾けるべきである)。
健康でいるときは病気を忘れ、裕福になると貧時の苦を忘れる。順調に歩みつづけているときは、つまずくことのあるを忘れる。いずれも心のゆるなからである。心がゆるむから銘記している戒めまで忘れて悔いを残す。貧すれば鈍し、忘れっぼくなるというが、豊かになってからのほうが忘れることが多くなるのではないか。
貧時の忘れは、たわいもない笑い話ですまされることが多いが、豊かになってからの忘れは、身も企業をも亡ぼすほど大きいものである。
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