十八史略は西漢の五世、文帝について、次のように記している。
「漢が興り、政治をとるようになってから、くどくどしい苛酷な法を取り除き、人民とともに、長い戦争の疲れを取った。その上文帝は、慎み深く、倹約であったため、国の基礎は固まった。六世景帝が帝位を継承するまで五、六十年の間は、悪い風俗を改め、人民は純朴で人情に厚く、国家は無事太平に治まり、人々も、なんの不自由はなく、家々も豊かで、都会、田舎の米倉、野外の米倉にも米が温れた。役所の倉庫には財貨がはいりきらず、朝廷に集まった銭は何億貫という巨大な額に達し、永い間、積み重ねておいたので銭さし紐が腐って数えることもできない。
朝廷の米倉も、穀物が上へ上へと積み重ねられ、しまいには、外にはみ出し野積みにしたので、赤いカビが生えて腐り食べられなくなった。
また、 一度役についた役人はその子供が成長するまで、その職にとどまっていたので、自分の官職を倉氏、庫氏というように自分の姓とするものが現われるようになった。人々は行ないを慎んで法にふれるようなことをしなかった。
しかし、無事太平に慣れて法律はゆるみ、人民が富んだので騎り、わがままをする者も現われるようになり、貧乏人の土地を買い占めた富豪な連中は、村でわがまま勝手なことをし、皇族・諸侯・公卿以下に至るまで騎り、贅沢をして限度がなかった。
およそ、物事が盛んになると、やがて必ず衰えるのは当然の変化であって、免れることのできない運命である」
これから教てもわかるように、倹約をつづけて、満ち足り、これになれて騎り、衰えていく。歴史とは、この繰り返し、ともいえるのである。近年、わが国の将来を憂える人が多くなってきている。敗戦、貧困倹約から、経済大国、人々は満ち足り、飽食を嘆くありさま。
前記の言葉をかりれば「京師の外貨巨万を累ね、貫朽ちて校すべからず。太倉の栗陳々相因り、充温して外に露積し、紅腐して食うに勝うべからず」ということになる。
満つれば欠くる世のならい、ということからすると、現在のわが国の状態は憂うに足るといえるからである。企業にしても同じで、最好調とは最悪調への一歩であって、決して喜ぶべきことではないのである。
易経に「安けれども危うきを忘れず。存すれども亡びるを忘れず。治まれども乱れるを忘れず」という文句がある。
会社再建に協力した第二の会社を去る日、社員代表に″安けれども危うきを忘れず〃と書いた色紙を渡して、こう話した。
「私の入社前にピンチに陥ったのは、 ″安きにいて危うきを忘れた″からである。当社は、昭和二十六年に創業、十年後の三十六年に上場し、額面五百円の株が一万円に迫る勢いであった。
それから九年後の四十五年に私が入社した時、実質は赤字、株価も暴落し、借金過多で内外の信を失なっていた。それというのも三十年代の高成長で、危うきを忘れたからだ。
″会社とは潰れるものだ〃ということを強く認識している会社は、つぶそうと思ってもつぶれないものである。危うきを忘れなければ、会社経営にあたり″困難だ〃″不可能だ″という言いわけは許されないことである」と。
誰にしてもつぶれないと思っていた国鉄もつぶれた。うちの会社はつぶれることはない、と考えている者が多い企業は、つぶさなくてもつぶれていくものである。
「安けれども危うきを忘れず」の言葉がこの世に現われてから三千年、その間どれはどの国・企業o人間の興亡があったか。読んで行なわなければ、読まないのに同じ。読まなくとも、亡びた国や企業の原因について人からきいて知ることもあろう。にもかかわらず、自分も同じ轍を踏もうとしている。愚か、という以外にない。
「前車の覆轍は後車の戒め」ということがある。前の車の転覆したわだちの跡は、後から行く車にとっては良い戒めになるという無言の教えともいえる。
祖父が死んだのは、私がまだ小学校へ入る前のことであった。この祖父、中年から遊興に走って百ヘクタールともいわれた田畑を売って、なお借金まで残して死んだ人である。その後を継いだ父母の貧困を知りつくしている私は、祖父の覆轍だけは踏むまいと、自分を戒めてきた。今日まで麻雀や競馬などの賭事にいっさい手を出さないのも、このためである。
第二の会社が再建なって、再建のコツを問われることが多い。別に説明するほどのことではない。前車の覆轍を踏まないようにする、従来やってきたことの逆をやればよい、と答えるだけになる。
寺田紡績を興した寺田興茂七氏は、潰れそうになった会社を合併して大きくなった。合併するか、しないかを見定めるために、自分でその会社のすみずみまで見て回り、ムダがある会社と合併したという。前者のわだちの跡が大きいようなら、それを埋めれば立派に立ち直ると考えたからだ。
昔、中国戦国時代、 一方の雄、魏の文侯が、下っ端役人の不仁という男にとりもちさせて大臣たちと酒宴を張ったときである。
文侯が「ただ飲んでいるだけでは面白くない。味わわずに飲んだ者には、罪として大杯で一杯飲ませることにしよう」といった。ところが、 一同が賛成したが、最初に禁を破ったのは、言いだした文侯。
そこで、御前にまかり出た不仁が、大杯を文侯に差し出したが、侯は見ただけで、受け取ろうとしない。並み居る家臣も日々に、「いいかげんにしないか。わが君は、すっかり酪酎している。無理強いするな」といっている。
それに対して、不仁は言った。
「前者の覆轍は後車の戒めということがあります。前例を顧みて注意しろ、という意味です。家臣となることも、主君となることも、ともにやさしいことではありません。いま君が法を設け、その法が守られないような先例をつくられては、将来どういうことになるか、よくお考えになられ、どうあっても罰杯をお受けいただきたい」
文侯も、なるほどと考え、大杯を飲み干し、不仁を重く用いた、とある。現代社会にも、こうした場面をよく見うける。
酒席の冗談ごとぐらいに軽くみるべきではない。むしろ、酒席の冗談ごとでも守ることが肝心で、部下は一事が万事と受けとめるものである。
ところが、前者の覆轍を何回となく犯している者がある。性懲りもなく、と陰口きかれ、もの笑いの種にされている。その度に、ああ、いい勉強をした、といって失敗を繰り返している。成功することが勉強になるということを知らないのである。
これが酒席の失敗ならまだしも、同じ会社が同じ理由で二度も倒産寸前まで追いこまれた例がある。いずれも、倹約で起きて、奢多で倒れている。同じ轍を踏むにしても何をかいわんやということになろう。
企業が物財を蓄えることは、逆境に備えることで怠るべきではない。しかし、これに溺れ自分の志まで失なうことは厳に慎まねばならない。だいたい、財に溺れる者は創業者に少なく、二、三代目に多い。これは、創業者は穀難辛苦のうちに財を築くため、財貨の有難味を知りつくしていて、疎かにすることはないからである。
二、三代目の失敗の多くは、甘い考え方、言い換えれば己に克てない心の弱さからである。創業者は老いて、築いた財産を子にゆずるが、創業精神ともいえる根性までゆずっていないことが多い。ここに二、三代目の弱点がある。後を継ぐ者が、創業者の心を心として努めれば、財をさらに増やして次にゆずることができる。財を得て財に溺れず、に心してもらいたいと思う。
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