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十三 財を任す者

自分の財布を人に任すには慎重であるが、会社の金庫を社員に任す場合は案外無関心な経営者が多い。

それなりに部下を信頼していることで悪いということではないが、ただ、真面日で、間違わなければそれでよい、というものではない。福を招くも災いを招くも、財務責任者の適否によることも少なくない。優れた企業体質を誇るもの、発展力に優れている企業を見ればすぐわかる。優れた財務管理者が金庫の前にいることに気づくだろう。

さらに、その管理者が、計数に明るく、計算が正確で、金銭その他物財の保全も健全というだけではない。 ″徳性″ ″知性″ ″公共性″ ″柔軟性″ ″先見性〃などを兼ね備えていることを知るに違いない。

そして、企業の盛衰は、この一心に存す、というほどの責任感を秘めていることも推察するだろう。

つまり、財務責任者は、その地位のいかんを問わず、仁・知・勇を備えた経営者であり、戦略者でなければならない、ということである。只は古来財貨を意味するが、貝を得るには才が必要で合わせて財という字になっているという。

しかし、その財も、用いようによっては福ともなれば災いともなり、味方ともなれば備ともなる。かねは魔物と考えさせるか、人の命の次と考えさせるかも財務責任者の腕次第ということになる。

そこで、私なりに考えたわけだが、会社の財務担当者として、どういう人間を選ぶか。大げさにいえば、会社の将来の勝敗をわかつ重要問題である。そこで、まず、第一の条件としたのは″徳〃である。立派な人格の持主である。

まず私は、別項で「企業のかねは仁に使え」と書いた。仁は忠と恕である。かねを忠に使えとは、いうまでもなく自分の会社、そして国家社会のためである。 ″恕〃は、思いやり、相手の立場になるという意味で、企業の相手、つまり、顧客・株主・従業員のために使えということになる。

当然のことと言うかもしれないが、当然でない経営者、中間管理者も少なからずいると思えるからである。

社長から、金庫・社印o社長の個人印鑑まで預けられていたのを幸いに会社のかねを横領したという新聞記事を見るにつけ、悪心を起した人間を怨むより、悪心を起すようにした者のほうを怨みたくなる。

また、ある会社の支払いは百二十日手形払いにしていたが、現金で払ってもらえる手もある。財務部長に利息を払えばよい。でなければ相応の接待をすればよいという仕掛けである。前職時代「新聞紙部長」という話をきいた。リベートとか袖の下を新聞紙に包んで持ってくる。なにげなく部長は机の引出しに入れるから、といっていた。それが上場会社であったから驚く。もっとも、その会社は間もなく倒産している。

こうした、ドブ鼠、白蟻を飼っていると、知らぬ間に大黒柱も空洞にされることになる。これは例外だろうが、会社の幹部がしている経費の公私混同を見逃し、諌言のできない財務責任者もいれば、はなはだしいのは、社内の公私混同を発見できない盲目財務責任者もあれば、判っていても止めさせられない者もある。同じ穴の鼠としか思えない。

次に、財政を健全化するため企業がムダを省き倹約するのは当然であるが、これを進める勇気もないものもいる。倹約が人の徳を高める道であることを知らないからである。

財務責任者の心しなければならない第一は信義を守ることで、いわば約束厳守の精神である。企業財産の最たるものは内外の信用といえる。これを損なうものの多くは、金銭に原因していることを肝に銘じなければならない。次に″知性″についてである。

前に、管理者は戦略者であれとのべた。戦略者とは、相手に勝つための経営資源を見いだして、それを巧みに利用することのできる者である。

これを端的にいえば、財務責任者は、会社の営利、健全、公共性の三目的を達するために、いかにすべきかを考え、実行することといえる。

たとえば、資金不足を解消するために、金融機関に頼みこむだけでは能がない。貸借対照表の資産の部にあるものはすべて資金である。

また、損益計算書の支出の部、場合によっては収入の部からも資金は捻出できる。それらは、自分の管轄外などといっている者に財務を任せておくわけにはいかない。

不渡りはどこから出るか。財務の窓日からだ。それを自分の管轄外とは、自ら自分の肩章を外しているようなものである。

次に、これは公共性とも関連するが、財務担当者は常に、会社の営利、健全、発展に心くばりをしていなければならない。その場合、正しさを失なってはならないということである。とかく、早く利益を増やしたい。少しでも支出を減らしたい。責任者として当然なことで、結構なことである。

たとえば、節税に過ぎて税のがれを計ったり、収益の伸びにブレーキをかける。逆に投機までして利益を高めることを考える。経営上、いずれも正を失しているものである。

第二の会社で私は、絶対に投機に走ってはならない、と戒めたことは前項でのべたが、「ギャンブル」とは何か。「知性の足らざるを自ら暴露するもの」と話した記憶がある。

また「会社はなんのためにあるか」。一つは利益をあげるため、つまり本業から利益をあげるのが正しい、ということになる。従って、本業から利益をあげることに全知全能を傾けることが正しい。余裕資金を投資して得た利息・配当などは自然にでてきた副産物と考えればよい。

また、財務責任者は、蓄え備える、という女性本能を常に発揮せよ、と戒めた。男性は、原始時代から、いつでも食糧が得られる、衣・住も得られるという自信かうぬばれがある。そのため、将来に備えようという本能が大きく現われてこない。その点女性は、出産・育児など、食の得られない時もある。そのために、何ものでも蓄えておこうと考える。

財務担当者は、夏きり知らないキリギリスであってはならない、ということである。ただし、ためる知恵はでるが、出す知恵もなければいけない。

かねを残す秘訣は、入ったかねを絶対出すな、ということにつきるが、これでは命が危うくなる。「必要以外は」とつけ加えれば、生きながら残すことができる道理。このバランスを計る知恵も必要になる。

さて、「かねは時なり」とのべた。かねをためて、有効に運用して利益を得るにも時を見る目が肝要、ということである。

ということになれば、財務責任者には、先見力も要求されるということになる。経費支出、設備投資、借金の時期、余裕資金を運用するにしても、先の見通しもなく行動することは、危険極まる。まず、先々の変化を予測する能力が必要ということである。

よく、財務・経理などは、各部からの入金・出金を正確に処理しているとすればと考えがちである。社内各部門の尻拭い役と考えている者など早く交替してもらわねばならない。近年では銀行がサービスしてくれることになっている。また、才・知のなかに、柔軟性、弾力性、機動性と表現されることも含めると、経営上の進退がある。進み退くは兵法の常。経営にも進退の時がある。「危」を常に予測しているのが、財務責任者といえる。しかし、この危をあまり意識しすぎると好チャンスを失なう危険がある。時には、危を冒すための支出を惜しんではならないこともあり得る。要は、進退両面に配慮する人が好ましいということである。

以上、財務責任者の適格性についてあれこれのべた。尽きるところは、人格・才知・進退の勇ある者となる。言い換えれば「己に厳しい、細心大胆なもの」といえるのではないか。

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