その次に、戦後65年の間に、日本人の意識があまりにも華美というか、行き過ぎた贅沢感覚を身に付けてしまったということだ。
戦後、我々は非常に貧乏な中から立ち上がってきた。しかし、いつしか日本は世界一贅沢な国になってしまった。たとえば、いま我々が食べている食事は、本当に世界一高い。お米にしても、コシヒカリだとかササニシキだとか、有名なブランド米は10キロ7千円もする。
こんなに主食の値段が高い国はないだろう。中国では米を10キロ500円ほどで買える。じつに日本の10分の1の価格である。だから、飲食店で主食のおかわりをしてお金を取るのは世界中で日本だけだ。
アメリカに行ってもヨーロッパに行っても、飲食店でパンのおかわりが有料な店などない。なくなれば黙って追加してくれる。日本はご飯をおかわりすると、 一膳100円、200円とお金を取られる。こんな国は他にない。
主食に限らず野菜にしても、東南アジア諸国と価格を比較すると日本は10倍高い。なぜそんなに高くなるのか、スーパーに行ってみれば一目瞭然である。日本のスーパーで野菜が泥つきのまま売られることはまずない。機械なり、手作業なりできれいに水洗いした野菜がビニール包装されて販売コーナーにならんでいる。形も均一で、曲がっているきゅうりなど不恰好なものは売れないからと、出荷の際に選別される。
世界中を見渡しても、きれいに洗って形や大きさも揃ったものが袋詰めされて売っている国などない。
ニューヨークでもロンドンでもフランクフルトでも、人参やじゃがいもは泥のついたような状態で大きな箱に入って売られている。そこから消費者が必要な分量だけカートに入れて、レジで目方を計ってお金を払うというのが一般的な野菜の買い方である。あるいは、肉にしても、松阪牛など特別なブランド肉でなくても、和牛の値段はヨーロッパの肉、アメリカの肉、オーストラリアの肉に比べて値段が2倍する。では海外の肉が和牛に比べて格段に味が劣るかといえば、決してそんなことはない。
20年前に牛肉の規制が解除されて、アメリカンビーフやオージービーフが日本のスーパーにも並ぶようになったが、年々改良を重ねて、日本人の嗜好に合うように霜降りでおいしい肉がたくさん売られている。それでも、アメリカやョーロッパの肉は日本の半値以下なのだ。この事実をみると、日本人の生活がいかに豊かになったかを感じずにはいられない。
食料品だけでなく衣料品についても、世界中でこんなに高級ブランドの好きな国はない。20代の若い女性が何十万円、何百万円もするブランド物のバッグやアクセサリーを身につけているのを見ると、本当にびっくりしてしまう。
このように、服や食べ物、そのほかにもあらゆるものが、日本は海外に比べて豊かである。そして、この豊かさというのは非常に物質的と言おうか、消費中心の贅沢さが行き過ぎているように思うのだ。
エコロジーの視点からも経済的な視点からも、今後はこの「贅沢でなければ豊かではない」という発想を改めて、心の豊かさを満たしてくれるような、消費以外の贅沢を見つけ出すよう、日本人は価値観の転換を図らねばならない。そういう意味ではバブル崩壊以降に物ゴコロついた若者はマイカーを持ちたがらないし、お金がなくても楽しく過ごすことが、上の世代よりも得意なようだ。
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