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第四章 オーナー経営の鉄則と事業後継のやり方

同族会社のオーナーシップ

同族会社の体質とその強み

同族会社の最大の欠点は、人材が集まりにくいことだ。

また、何人かの兄弟で経営している場合、強力なリーダーシップを発揮できる決定権者、良い意味での独裁者が実質的に不在になってしまうことである。独裁者がいる場合でも、その独裁者のために、かえって老害が起こりやすい。歳をとっても、独裁者は会社をなかなかやめられない。独裁者がやめてしまうと、求心力が失われ、会社全体がまとまらないという事態がよく起こる。いずれにしても、後継者を選びにくい。

内部にいる他人がいつも言うことは、「同族会社なので、非同族の意見が通らない。出世もできない」ということで、不満が常に渦巻いている。

同族間の争いが絶えないという欠点もある。どちらかといえば、愛憎、愛と憎しみの二極が同居しているケースが多い。他人が弟をけなすと、「なに言ってんだ」と怒るくせに、弟といつも喧嘩しているというような、非常におかしな構図ができてしまう。また、弟の言動に対して、兄が体面を保つために「鶴の一声」というのがあって、社員を首にしたりする。これも、同族会社の一つの特色で、大きな欠点である。

さらに、同族会社には、金銭の分配、地位の配置でトラブルが起こりやすい。以上のような欠点が全体的に非常に多い。しかし、そういう欠点をすべて取り除いてしまえば、同族会社ほど強みを発揮できる態勢はない。そのためには、正義に満ちた独裁者、卓抜の手腕をもつ人が強烈に必要とされる。

私は、血族の争いが絶え間ない会社に、次のような手を打ったことがある。

その会社に全く関係ない、財界の大物を私が説得して、「この会社はトラブルが多くてしょうがない。先生ぐらい偉い人の言うことだったら、みんな、ハハーッと聞くだろうから、そこの会長になっていただけないだろうか」と言ったところ、「君が頼むんだったら……」と、すぐに引き受けてくれた。

その会長に、 一々お伺いを立てるようにさせたのだが、すると、その人物のあまりの大きさに、全く争いがなくなってしまった。つまり、独裁はしていないのに、そこにいるだけで独裁の形になってしまう。それぐらいに偉大な人物が会長になったために、その体面を保たなければいけないと、みんなが緊張したからである。私には、そういう経験がある。現実に今でも、そこの会社はその人に会長を頼んでいる。

とにかく、正義に満ちた独裁者、卓抜の手腕のある人が必要な場合が結構多い。そういう人物がいれば、たちまち争いがなくなる。「君、そんなこと言ったってなあ」といわれたら、それでおしまいになる。その会長は、あまり多くをしゃべらない。会社に行って、まず、「どう?」と聞くと、相手が説明する。そして、「あ、そう。任せた」でおしまいだと、私に話してくれた。

私の知っている社長が、その会長とほとんど同じことを言っている。その社長は、会社に行って、部下に「どう?」「あ、そう」「じゃあ任せた」と二言だけ言って、ゴルフ場へ一日散に行くというほどのゴルフ気違いだ。幸福な人で、私もそうなりたいと思っているのだが、なかなかそうはいかない。

兄弟会社の成功鉄則

兄弟仲よく事業経営ができれば、 一番の理想だが、うまくやれる例は三割もない。七割以上はおかしな経営をやっている。

兄弟が二人いて、弟の一人が非常に気が強い場合、彼は大概やめる。あるいは、やめさせられる。そして、残ったもう一人の弟は脆弱で、長男の意見に迎合していく。弱々しい人だけが残るが、その弟は本当の人材とはいえない。

それでは、どういう工夫が必要か……弟が二人いたら、長男が弟二人の会社をつくっていく。

自分ができるだけ若くて元気なうちに人生計画を立案し、いついつまでに次男、三男の会社をつくってやるということを決めておくことが大切である。

兄弟にほとんど手腕がなくてもやれる事業が数多くある。たとえば、賃貸マンションを弟にやる。そこにいい不動産の流通業者がいれば、自動的に家賃が入ってくる。人手はほとんどいらない。手腕がなければ、そういうもので食わしていっても構わない。こうした配慮が必要だ。マンションを二、三棟あげるようにしていけば、弟も一生食いっぱぐれがない。血を分けた弟でも、手腕のない人間にとっては、こうした処遇のほうが幸福である。親身な心遣いが、兄としてできなければだめだ。

織田信長でも、源頼朝でも、兄弟が相争ってきた。古くから兄弟の争いは、変えることができない姿である。人間の情は、有史以来、少しも変わっていないからだ。周りの文明が変わっているだけである。

まず、このように兄弟会社の失敗がないようにする、さらに、もっと積極的に兄弟会社を成功させるためには、リーダーである自分が、予め人生計画をつくり、兄弟に発表しておく。また、親族の面倒をみるようにしておくべきだ。そして、「これから十年、努力をして、おまえの会社をつくってやる」と明言し、そして、 一子相伝の原則をあくまでも貫く。 一子相伝でやっていくのが、本当は一番良い。将来のことではなくて、兄弟会社のトラブルが現実に起こっている場合にはどうすべきか。ここで、具体的な事例を紹介しておく。

Aさんは、二世経営者だ。父親が数年前に二つの会社と六つのパチンコ店を残して他界してしまった。他界する前に、中心的会社の代表に彼の弟を、パチンコ店の代表にAさんを据えた。

実は、Aさんは、父親の商売が嫌いで、長男でありながら、かつて家を出てしまった経緯がある。弟が長いこと父の経営を手伝っていたが、十数年前、父親の強い説得にあって、サラリーマンからパチンコ店の経営者になったのである。

とにかく、出戻ったAさんは、弟の会社を核にしてグループ会社をつくり、Aさんがグループの代表、弟が専務として今日まで経営してきた。

ところが、弟は、Aさんが戻ったことを、あまりよく思っていない。グループとしての経営も、代表者が二人いてギクシャクしている。非常に経営しづらい。

時々グループを解消したいと考え込んでしまうこともあるが、色々なしがらみがあって、それもできない。

何事もそうだが、現実の問題に直面したなら、自分はどうしたいかという意思をはっきりと示さなければならない。「自分の会社にしたい」のか、あるいは、「二人仲よくやりたい」のか、いずれかの選択をして、はつきり意思を伝えることが大切だ。ヘビの生殺しは最悪だ。どちらかにサイを振ることが答えである。しったがって、まず第一に、 一緒にやりたくないのなら、 一日も早く会社を分けるべきだ。

私がこんなことを言うのも、互いに敵意さえ感じているように見えたからだ。相談に来たAさんも、弟のことを決して良くは言わなかった。こういう状態で、代表者が二人いるのは、本当に良くない。将来にわたって考えれば、いまのうちに会社を分けるほうが正しいという判断も成り立つ。

第二に、弟が折れれば、 一緒のままの方が良いに決まっている。兄も、ナンバーツーとしての弟の辛さを分かってあげる。ナンバーツーとは、本当に辛いものだ。兄弟が互いに折れ合い、 一年、二年と経つうちに、だんだん我慢が身についてくるようになる。仲よくやっていくのが、 一番いいことだ。

心底、 一緒にやりたいのであれば、さらに一歩踏み出して、弟と一緒に事業経営の何たるかを勉強し、ともに目覚める必要がある。二人で一生懸命に勉強すれば、互いに分別が身について、悪いようには決してならない。そのようにして、初めて意見が同じになる。

第二に、即効薬として、前項で述べたように、非常に偉い人を会長として会社の中に引き込むことだ。そうすると、兄弟仲がおさまる。会長なら会長の地位を与えて絶対的権力を持ってもらう。会長の言うことは、両方が聞くように、最初から約束事をする。そうすると、非常にうまくおさまる。

東京銀座の三愛の社長、会長をやられた田中道信先生という方がおられる。販売の鬼といわれ、私が非常に尊敬する佐賀県の先輩でもある。田中先生は、大島康広さんが社長をやっているプラザクリエイトという名古屋の会社、最近、店頭登録したばかりだが、そこの特別顧間を引き受けている。これは、やはり、大島社長が事業をやっていくうえでの考え方をおさめてもらうためにお願いされたことだと思っている。

私の知り合いで、もう一人、「喜代村」の木村清さんという社長がいる。社長が非常にアイディアマンで、どんどん突っ走ってしまうタイプであるために、会社に人がなかなか定着しない。そこで、田中先生に会長を引き受けてもらい、社員と社長の間に何かあったときには中に入って、両方が相談できるようにした。そうすると、うまくおさまる。人の配置の妙である。

Aさんがはっきり意思表示できないのは、パチンコ店が嫌いで、 一度外に出た負い目があるからかもしれない。しかし、職業に貴賤はない。ニコニコ堂という有名な会社は、誰もがスーパーマーケットだと思っているが、売上の半分以上はパチンコである。映画の松竹なども、そうだ。レジャー産業としてのパチンコは、決して卑下すべきものではない。ソフトバンクの孫さんの父親も、パチンコ店をやっていた。孫さんといえども、それを財にしたからこそ、世界を変えていくような事業を興すことができたのである。Aさんは、もっとプライドを持つべきだ。この相談は、今後のAさんの決断を待っているところである。

私は、七割ぐらいの会社で兄弟が仲が悪いと書いたが、残り三割の仲良くやっている会社も数多く知っている。

兄弟経営の場合、簡単に言ってしまえば、片方が折れるとうまくいく。あるいは、全く別の性格で、お互いに補完し合えれば理想的だ。

私が尊敬している尼崎工作所の山村俊郎社長の会社では、実にうまくやっている。自分が会社全体を見て、営業に長けた弟が営業担当の専務取締役として手腕をいかんなく振るっている。タイプも全く違って、兄がやせ型で、弟は太っている。これぐらい体つきまで違うと、なおさら良い。本当におかしなことだが、二人の奥さんを見ても、それぞれタイプが全く違う。察するところ、兄と弟では女性の好みまで違うようだ。うまくいくはずである。

非同族の登用と同族の人事

優秀な他人には、地位をあげる。

優秀ではない同族には、禄をあげる。地位ではなくて、相応の金をあげる。繰り返すが、優秀でなければ、同族といえども地位にはつけないのが正しい配慮である。それが、逆になっている場合が多い。ひどい同族会社では、優秀な他人に禄も地位もあげないところがある。大体の会社が、給料は結構あげるが、地位はあげない。絶対に役員にはさせないという会社もある。そんなやり方は、だめに決まっている。考え方が全く逆である。

優秀な他人には、地位をあげると書いたが、地位をあげるためには、その人間にそれ相応の見識がないとだめだ。もちろん、禄は稼いだことに対してあげていい。戦いで勲功を立てた者に対しては、それに報いるために禄をあげる。しかし、その人に見識がなければ、部下は使えないから、どんなに勲功を立てても地位はあげない。魅力がなければ、部下はついていかない。ついていかなければ、人は使えない。魅力がある他人であれば、必ず地位をあげてほしい。以上をまとめると、次のようになる。

同族会社の一番の問題は、身内の争いである。争いを上手に処理するには、優秀な他人を上手に採用し、活用することが一番大きなアドバイスである。

二、所有と経営の分離

欧米型オーナーシップと税制への着眼

所有と経営の分離という欧米型オーナーシップが、近い将来、必ず本格的に日本に入ってくる。

欧米は、資本主義の歴史が日本よりかなり古い。日本では、坂本竜馬が明治維新のときにつくった亀山社中という貿易商社のような船会社が、最初の株式会社だと言われている。それから百三十年ぐらいしかたっていない。

特に、資本主義が資本主義らしくなったのは戦後だから、たかだか五十数年ぐらいのものである。歴史が非常に浅い。それに対して欧米は資本主義の歴史が長いので、いろいろな工夫をしている。政策一つでも、安定した公平感のある税収を得て、また国際競争力を大きくつけるために、経営者の息子が経営者になれるような税制になっている。遺産相続をはじめ諸々の制度が、資本主義にとって非常にうまくいくように工夫されている。日本の場合は、そうなっていない。潰れるものは、潰れるに任せている。下からあがっていって、上で倒れても、また次が下からあがっていくという成り行き任せ、 一種のアナーキーで経済は活性化できるという、政府の役人の非常に無責任な考え方でやっている。

ところが、アメリカとかヨーロッパの税制は日本とかなり違うことに事業家も目覚め、大きな声で旗を振らなければならなくなってきた。医師は、相続税が非常に安くなっている。宗教法人も、税制で優遇されている。そして、圧力団体を持っている農協も、またしかり。これは、農業経済の名残で、現在、そんなに多くの農民が働いているわけではない……たった二百万人にすぎない。事業で働いている人たちは、六千六百万人もいるのに、「なにやってるか」と、私は声を大にして叫びたい。中小企業の組合も、横の連絡も、何にもない。

政治的圧力が全然ないから、何と言われているか…… 「あいつらは馬鹿だから、働きバチみたいに働かせて、税金をうんと取ってやれ。それでも、コツコツためていくから、ためたやつをみんな、死んだときに相続税で取れば、何も残らない。ざまあみやがれ」と、いくぶん茶化して言えば、こんな嘲笑が聞こえてくる。私は、本当に腹が立つ。長い間、「馬鹿にするな」と腹に据えかねている。その一つのことが税制である。本当に、もう少し事業家のみんなが力を合わせて、意見を言わないとだめだ。これでは、日本の国力が落ちてしまう。日本の企業の国際競争力が落ちてしまっているのも、税制が一端の原因である。だから、アメリカ化とかヨーロッパ化が、徐々に浸透してくれば非常にいいと思っている。

プロの経営者の育成と登用のやり方

欧米型資本主義と日本の資本主義との事業経営における根本的な違いは、欧米ではオーナーが幾久しく残っていけるという点である。そういう仕組みに、やがて日本も変わらぎるを得ないと、私は考えている。変わらなければ、こちらから役人の首を切るぐらいの覚悟が必要だ。事業家にとって本当の死活問題だから、政治家の首でさえ切るぐらいの強い団結力を持ってほしい。

アメリカは、プロの経営者の育成が非常に盛んだ。つまり、雇われ社長に経営をさせる。私も若い頃、雇われ社長をだいぶやった。経営者が日本の税制の不合理にまだ目覚めていない時期だったので、実際、いやになるほど苦労した。

たとえば、アメリカの自動車業界で、フォードの社長をやったリー・アイアコッカが、クライスラーに行って、会長になった。ライバル会社の社長や会長に、当然のごとくなってしまう。世界は、それぐらいの社会になっている。日本でそんなことをしたら、「あいつは不届きだ。恩知らずだ」……何だかんだと、寄ってたかって叩かれるに違いない。

しかし、プロ野球でさえ、監督がスカウトされて、あちこちへ行ったりしているのであるから、ましてやプロの経営者は……と、言いたい。そういう社会の方が、自分の事業とか財産を長期にわたって守っていきやすい。事業経営にもオーナーシップがあるのだから、そうしたほうが良い場合が多い。大阪にコナミという上場会社がある。

菱川文博さんが長い間、雇われ社長や会長をやっていた。この人は、もともと兵庫県庁にいて、青年局長とか県民局長とか企画部長を歴任した人物である。その後、自分より若い上月景正さんというオーナーに、「うちの会社を上場させてくれ」と頼まれた。

手腕があると見込んだから、上月さんも頼んだのだろうが、相手は何と元役人である。菱川さんは、快く引き受け、最初、会長を二期、それから社長を三期務めて、見事に会社を一部上場させた。雇われ会長、サラリーマン社長として猛烈に頑張った。ただし、相当の悲哀もあったらしい。

ほとんどのオーナー社長の悪い点は、雇われ社長を採用しても、独裁権をいつまでも自分で持っていることである。協議制になっていないから、雇われ社長は非常にやりにくい。何のことはない、オーナーが経営者になっている。そうすると、オーナーに相談に行く部下が次から次へとでてくる。「社長はこう言ってましたが、どうでしょうか」と、オーナーに相談に行く。オーナーがまた、別の指示をする。頭が二つになって、経営が混乱するケースが非常に多い。

私は、業績の悪い会社の雇われ社長をやったので、菱川さんよりもまだよかった。業績の良い会社で、しかも上場させようという目標があった場合は、非常に辛い立場になる。菱川さんは割り切って、リレーのランナーみたいに、創業者から限られた期間だけ委託されて事業をやったのだろう。事実、本人も、割り切って経営を行ったと告白していたが、雇われ社長はいつでも、結果を求められるから、やはり相当に辛い。これは、私も同じだった。

そして、雇われ社長にとって非常に大切なことは、引き際だ。オーナーとしては、引き際のきれいな人を雇う必要がある。不正をしたり、乗ち取りを起こしたりしない人でなければならない。人間的に非常に高潔な人を選ぶべきだ。

サラリーマン社長になる人たちにとっては、社長・会長の時代が頂点になる。菱川さんの場合は、会長二期と社長三期で合わせて五期務め、そして退職金をもらって、悠々自適に暮らしている。上場させて、きれいに退職した。こういう人は、非常にまれだが、自分がオーナーシップを発揮していこうとするなら、そういうプロの経営者を雇うべきである。

雇う人は、社内から出してもいいし、社外からスカウトしてきてもいい。そうすれば、息子の出来がかなり悪くても、会社はうまくいく。日本も、徐々にそういう時代に入ってきている。

オーナーとしては、雇われ社長の処遇をきちんとやる。高い給料を支給し、退職金も多くだす。アメリカでは、ある意味で、オーナーよりも雇われ社長の方が給料が高いケースが非常に多い。オーナーの十倍、二十倍と取っている人もいる。プロ野球の選手みたいなものだ。そのように処遇を厚くしても、会社が黒字であればいいという考えだ。

そして、最初から、オーナーと経営者の間にいろいろな協約を結んでおく。日本ならば、「ライバルの会社に行かない」「自分で独立して同業をやらない」などが、雇う上での条件となる。大きな条件だけは、確実に押さえる。あとの細かいことは任せるという基本姿勢が非常に大切である。日本にはプロの経営者がほとんどいないから、分からないかもしれないが、この基本姿勢は大切だ。

また、オーナーとしてプロの経営者を雇った場合は、プロの経営者と人間関係を上手につくっていくことも忘れてはならない。任せるものは任せて、そして、側面的に援助していくという関係を保つ。コナミの場合は、オーナーの上月さんと社長・会長の菱川さんとの間が非常にうまくいったのだろう。対外的に、菱川さん本人は相当に苦労したようだが、二人の間は非常に良かったと思う。

二、分社経営とオーナーシップ

分社経営の強み

なぜ分社するか……会社には、業績的にみて適正規模というのがあるからだ。誰が何と言おうとも、適正規模がある。年商三十億円ぐらいの規模で儲かる会社もあれば、百億円ぐらいがベストで、それを超えるとあまり儲からなくなるという会社もある。そういうことで物事を判断して、常に儲かる規模にしておく。

分社には、いろいろな含蓄がある。なぜ、A社では三十億円が儲かる規模で、B社では百億円が儲かる規模で、C社になると十億円が一番いいということになるのか……それは、それぞれの社長の性格や世界観によって違いがでてくるからである。つまり、十億円ぐらいまでは社長一人が機関車になって走っていけば、会社はうまくいく。ところが、三十億円ぐらいになると、社長だけではうまくいかなくなる。社長と役員の力が相侯って、会社が動いていくようになる。

会社の規模が二十億円を超えて六十億円ぐらいまでになると、社長個人と役員にプラスして部課長クラスに優秀な人間がいないとだめになる。つまり、規模の拡大によって、社長の主要な役割である決定さえもある程度まで分業化していく必要性が起こる。スムーズに決定できないくらいの規模になったら、分社したほうがいい。そういうことが、分社する理由の一つである。

もう一つ、分社は、本来、業績をよくするためにやるのだが、もちろん、業績が良くても分社したほうがいい場合がある。

百億円を超えると、仕事の分担を大きく変えていかなければならなくなる。社長は、理念とか長期計画の分野に専念する。役員は一年ぐらいの戦略を立案し、実行を部長以下に任せる。

三百億円以上になると、会議で決めることがますます多くなる。社長は、政治的に動くことが仕事の中心となる。そのように、自分自身も変えていかなければならない。自己の変革が嫌だとか、あるいはもっと事業を活性化して、どんどん多角化していこうというのであれば、分社を積極的に進めていくことが必要だ。

分社は、手法的には社内分社からスタートするとやりやすく、確実である。子会社をつくる時には、まず社内で株式会社と同じような独立したセクションを設け、そこの責任者を「社長」と呼ばせる。しかし、実質的にはまだ分社していないという形を一年ぐらい続ける。それから、独立をさせて、正式に分社することが重要なポイントとなる。

なぜかと言えば、分社しても自分がオーナーを続けたい場合は、そこの社長が自分に対する忠誠心をもっているかどうかを見極める必要があるからだ。人格的に底が浅くて、オーナーを立てないようなら、分社の社長にするなどもってのほかである。だから、社内分社で一年間くらい様子を見て、もし、不適当だと判断したならば、分社しなくても構わない。人物、人となりをよく見てから分社すべきだ。

分社する場合でも、自分が会長をやり、少なくても五〇%以上の株をオーナーとして持っておくようにする。これは、大切なポイントである。持ち株の比率はオーナーの地位にかかわるからだ。

分社で独立した社長に、株を全く保持させなくても一向に差し支えない。持たせる場合でも、 一〇%以内とする。たとえば、 一〇%持たせたとして、その株を退職時に時価評価で買い戻してやれば、最初、五百円株だったものでも何十倍になって本人の退職金に上乗せされるから、決して悪い待遇ではない。

分社していく方針なら、今後、子会社がたくさんできていくわけだから、最初からそういう規則をきちっとつくっておく必要がある。社員持ち株制度を導入する際にも、 一〇%以下が大原則である。その場合にも、必ず白紙委任状を取る。要するに、退職する時、すべての株を時価評価できちんと買い取ってあげる。絶対、第二者に回さないようにさせる。万一、ヤクザなどに回ったなら、それこそ一大事だ。そんなことがないように、自紙委任状を取って、条件を書いておく。

それから、配当優先株というのがある。これは、株主としての議決権を一切持たせないという株で、発行株数の三分の一まで発行できる。この株をもっていても、議決には参加できない。したがって、本当の株主ではない。議決権は持てないが、あとから時価評価で買ってもらえるメリットはある。議決権がないものであれば、 一〇%を越えても多少はいい。

いずれにしろ、社員にあまりたくさんの株を持たせてはいけない。多く持たせるほうが悪いのであって、ものの勢いでだんだんエスカレートしていく。二〇%なんていうのは論外だ。オーナーを続けるためには、そういうことが大切である。分社した会社が、社長の経営能力不足で潰れた場合に、オーナーはどう対処すべきか。

独立採算制の社内分社で、二、三年やってみたが、赤字をだしたという場合には、そこの「社長」を一旦、本社に戻し、もう一度二、三年かけてしっかり実力をつけさせてやると、本格的に独立してやっていけるようになることも多い。そういう対応が大切だ。いきなり独立させた場合には、分社が潰れたら潰れたで、迷わず潰す以外にない。その場合、社員はすべて引き取る。借金もすべて本社が持つようにすれば、どこにも迷惑はかからない。分社するからには、予めいざという場合の周囲に対する影響を考えておく必要がある。

新しいオーナーシップ

これからは、ストック。オプションが流行ってくる。ストック・オプションとは、成果報酬として株をあげることだ。

たとえば、分社して、独立した事業をやらせる。そこの雇われ社長に、「一億円の経常利益を出せばいい」と言ったのに、五億円出したとする。経常利益が、法外に出たわけだ。そこで、「税金で持っていかれるぐらいなら、報酬をあげるが、株であげる」ということにする。ただし、株も、○ ・五%とか一%ぐらいで、せいぜいあげても一〇%止まりである。それ以上は絶対にあげない。

日本でもこれから、ストック・オプションが確実に流行っていく。ストック・オプションは、単なる雇われ人という意識を越えて、それ相応にオーナー意識が高まり、経営にとってプラスに作用する。また、ボーナスと違って、時価評価したときに物すごく高い金額になるので、受ける者にとっても非常にありがたい。

四、店頭公開・上場を目指すには

業績と経営形態

店頭登録したり、上場したりして資本市場から資金調達することを、男の生き甲斐と考えている社長も数多くいる。

なぜ、店頭公開や上場をするのか、それは、まず、資金調達力が増すからである。たとえば、何らかの目的で五千円という金額を調達するとする(もちろん、これは説明を簡単にするために、単位を極端に小さくしている)。

銀行から借金をすると、利率が仮に五%とすれば、五千円に対して三百五十円の利息がかかる。おまけに、五千円を、十年にわたって分割返済するとしたら、五百円、五百円、五百円……と十年間返し続けて、やっと元金がゼロになる。当然のことながら、元金はすべて返さなければならない。

金利は初年度が三百五十円で、次年度からはだんだん減っていくが、とにかく、 一年目は三百五十円と返済金五百円で合計七百五十円を、内部留保金という形で余計に確保しておかなければならない。そうしないと、返せない。経常利益から税金を持っていかれるから、返済金のだいたい三倍の経常利益を出しておくことが不可欠だ。経常利益から、まず税金で五七%持っていかれて、純利益が出る。純利益から配当金と役員賞与を払い、その残りの内部留保金で銀行に返済していく。そういうことをきちっと考えて経営をやっていかなければならない。

ところが、五十円額面の株式を一株売って、五千円調達したとする。紙きれの印刷代が一円か二円かかるが、とにかく五千円調達した。元手が五十円でもゼロでも構わないが、調達した五千円に三割配当しても、 一株当たり十円である。残りは自分のものだ。元本を返済する必要も、何もない。あとは配当しながら、ずっと事業を続けていくだけである。配当率の上下はあるだろうが、株主にはプレミアムが物すごくつく。

上場するのに手数料が多少かかるが、たとえば、六十円かかったとして、四千九百四十円は使える金になる。借金と株式上場とは、システムが全然違う。だから、多くの社長は上場を目指すのである。

しかし、上場とは、形式的には確かに紙きれを相手に売ることに違いないが、実質的には財産を売ることだということを知っておいてほしい。ベースがそこにないと、大きく間違ってしまう。

株式で資金調達するには、東京、大阪、名古屋、福岡、広島、札幌、京都、新潟などで上場または店頭登録をする。

その際、まず大切なことは、業績である。東京の場合は、大体、直前の経常利益を四億円以上出していないと、上場できない。大阪で一億円、名古屋で一億円、地方で五千万円以上である。店頭の場合は、 一株当たりの配当が十円以上ないと、上場の資格がない。上場したいなら、必ず右のような金額を経常利益で達成しなければならない。

審査の対象としてこのほかに、純資産すなわち税引き前利益、それから発行株数、株主数、一般株主の比率、配当、会計士の監査、会社設立後何年かという通年……などの項目がある。東京の場合は、税引き前利益が四億円と述べたが、純資産でいうと十億円ないとだめだ。会社を評価して、十億円以上の財産がないといけない。大阪で二億円、名古屋で二億円、地方でも二億円ぐらいだが、店頭では二億円あれば良い。

発行株数は、東京で四百万株以上、大阪で二百万、名古屋で二百万、地方で二百万、店頭でも二百万以上ないといけない。

株主数も、大体、東京では八百人、大阪で三百人、名古屋で三百人、店頭で二百人ぐらいとなっている。

一般株主の比率は、公開時に、東京で二〇%、大阪で三〇%、名古屋で二〇%、地方で二〇%、店頭でも二〇%ぐらいである。

会計監査は三年以上受けていないといけないし、また会社設立後の通年は三年以上ないとほとんどだめだ。

以上が必要条件だが、詳しくは監査法人とか、証券会社に聞けば分かる。私は、コンサルタントとして、これまで数多くの会社を上場させてきたし、今も指導先の中で二十社近くが上場をもくろんでいる。そして、上場を目指す会社には、まず第一に売上と経常利益を上げさせるようにしている。

もう一つ、上場を目指すなら、経営形態ということについて熟知しておいて欲しい。上場に際しては、子会社、関連会社のすべてが合併させられる。合併しないで、子会社などの社長を兼務したままでいることは認められない。要するに、上場する一社の社長にしかなれないということである。そういう経営形態をとることが条件づけられている。上場への手の打ち方

株式を公開したいなら、まず第一に、公開の目標をはっきり決める。これから何期後に上場するという時期を決め、その時期までに業績を必要条件に近づける。二番目に、持ち株を整理する。要するに、株の再配分を行う。自分の持ち株の比率が七〇%ぐらいないと、上場したときにあまリメリットがない。社内持ち株制度をやっていて、社員たちが三〇%も持っているなんていうのはだめである。せいぜい一〇%以内にする。発行している株を自分の手元に集めたり、整理していく。

二番目に、監査法人とか幹事証券会社とかを選んでおく。

監査法人、すなわち公認会計士や会計事務所を選ぶ時は、相手によって能力の差が物すごく大きいことを知っておくべきだ。できるなら、監査法人の方がいい。コンピュータを駆使した計数管理とかは、組織をもたない一人の公認会計士ではできないからである。だから、個人ではなくて監査法人を、しかも有能な監査法人を選ぶ。特に、資本政策に詳しい、たとえば法人税、所得税、相続税に詳しい会計事務所がいい。そうしないと、かえって上場が不利に働くことさえ起こる。

会計士は、経営戦略についての知識が非常に乏しい。そのために、固定費がめちゃくちゃに増えたりして、上場をあきらめぎるを得ないというケースも相当に出てくるから、用心してかかるべきだ。

銀行が、証券会社を通して会計事務所を紹介したりすることがよくあるが、それは社長と自社に義理があるからではなくて、銀行のほうに好都合だから紹介しているだけの場合があるので、冷静に判断しなければならない。ちょうどその時、ライバルの銀行に負けたくないから、上場のタイミングを何とか早くさせようという、単なる我田引水の理由で紹介しておきながら、もっともらしく協力を装う銀行もあるので、冷静な対応が求められる。それから、証券会社は、大手ではほとんど差がない。証券会社は、どこも商売だから、上場させたいと思っている。増資とか資金の運用で、将来の長きにわたって手数料を稼げるからである。

証券会社は二つの役目を持っている。 一つは、公開のために経営指導をする。もう一つは全く逆で、会社の上場を審査する。片方では指導して上場させる。その片方では、この会社は良いか悪いかを審査する。二つの相反することをやっていることになる。大手と準大手は、特に大手は、どこを選んでもほとんど同じである。そして、主幹事証券会社を、普通は、 一社決める。そうすると、そこを中心にほかの証券会社、大体、六社から七社ぐらいが公募に協力をする。手数料の取り分は、主幹事が五七%、あと、二位が一人%、三位が一〇%、四位が六%、五位から七位が四%とか三%ぐらいとなっている。大体、証券会社の手数料は一億円とか二億円で、かなり大きい。だから、その金儲けのために一生懸命やらぎるを得ないという側面もある。

四番目に、公開準備のプロジェクトチームを社内につくる。社長が長になって、二、二人の優秀な、主に経理とか事務畑の人間を中心に、上場の準備を図っていく。

五番目に、会社の基盤をつくる。上場すると、余計な金が多くかかる。特に、事務経費、固定費が非常に多くかかる場合が多いので、注意すべきだ。

株式公開のメリットとデメリット

会社にとって、株式公開の本質は何かと言えば、第一番目は、資金調達である。公開の一番大きなメリットは資金調達力の増大だ。先述したように、「五十円が五千円に」という具合に、返す必要のない金を資本市場から調達することができる。

二番目は、会社に信用がつき、知名度もつくので、人材の獲得がやりやすくなる。

二番目は、経営者や社員の経営能力が向上する。つまり、会社全体が本格的な経営になる。

四番目は、事務的な経営になる。これは、メリットとデメリットの両面があるかもしれない。

一方、上場には―デメリットも幾つかある。

従来は、上場の一番大きなデメリットは、自分の会社ではなくなる、つまり二代目までは続くが、三代目までは続かないといわれてきた。「会社は公的なもので、 一個人のものじゃない」と、はっきり言われてきた。

ところが、平成八年四月から、自社株の買い取りが法律的に認められるようになった。上場すると、ほとんど三代は続かなかったが、これからは少し長く続く。上場した暁でも、自社の株を市場から自社の利益で買い取ることができる。買い取った株は、破り捨てる。破り捨てることで、自分の持ち株の比率が高くなっていく。そうすると、二代目までしか続かなかったものが、三代、四代と、上場しても続くようになる。未上場の場合でも、自社株の買い取りができる。上場していなくても、他人が持っている株を評価して、自社の利益で買い取ることができるようになった。買い取ったなら、同様に破り捨てる。そうすると、自分の持ち株比率がどんどん高くなる。こういうことが意識的にできるようになった。

そういう法律や税制、その他いろいろなものに対しては、公認会計士とか税理士で詳しい人がいるから、デメリットにならないようによく相談をする。

二番目は、買い占めが起こることもあるので、十分に用心しなければならない。

二番目は、総会を開かなければならないので、総会屋が来ることもある。

四番目は、事務とかの固定経費の増大が起こる。

五番目は、経営者の責任が非常に重大になり、業績が落ちると株主総会で吊るし上げを食

ったり、場合によっては社長をやめなければならないような事態も起こる。以上に述べたようなメリットとデメリットを総合的に判断して、上場をめざすかどうかを決めるべきだ。

上場すれば、当然、創業者利潤が得られる。プレミアムがついた大きなお金が入ってくる。自分の財産である株を売るわけだから、抱えている借金と差し引きしても相当のお金が残るはずだ。最低でも何十億円、多い人は何百億円も残る場合がある。

ところが、先述したように、日本では相続税だ、なんだかんだと全部持っていかれるような仕組みになっているし、どのみち、金は地獄の底まで持っていけない。だから、上場しないという判断が出てきてもおかしくはない。外部に頼らずに、資金調達をはじめ経営の全般を内部の努力で上手にやっていく方が大切な場合も多いことを知っておかなければならない。

たとえば、サントリーは有名である。上場はしていないが、宣伝がうまいので、会社名も経営者名も世間が知っている。

五、事業後継のやり方

後継者を選ぶ妙手

後継者は、他人だったり、自分の子供だったりする。

私も、いま会社を五つばかり経営している事業家の一人だ。結婚して、子供が女、女、男という順で二人でき、子供に会社を譲りもするし、子供によっては「会社は継がない」という子もいて、他人にバトンタッチをしたりする。

いろいろなことを多岐にわたって計画を立てて、人生を考えていかなければならない。他人に会社を譲るのなら、その他人を教育しなければならない。息子に譲るのなら、息子を教育する。娘婿も教育しなければならない。事業を自分一代で終わらせてしまったら、全く甲斐がない。

子供に譲りたいと思う社長は、どの子に譲るか、よく考えておく。子供の計画も、自分が何歳になった時に、その子が何歳で、孫がどうなって……ということをきちっと書いておく。何歳でバトンタッチをするかが、朧気ではだめだ。特に年配の社長は、そういうことを入念に書いておくことが大切である。

自分の子供がストレートに後継社長になるのではなく、ワンクッションを置く場合は、「後継者候補」について、その人がいま何歳かを書いておく。なぜかといえば、子供の年齢が若い場合は、要するに間にピンチヒッターの社長を入れなければならないからである。子供以外に、何人かの優秀な後継者候補がいるなら、計画に、それらの人たちの年齢も書いておく。

自分が社長である場合には、まず二十歳下の次期社長、つまり後継者を育てる。私は、今年の一月一日で、ちょうど六十歳になったが、私より十五歳とか二十歳下の者に期待している。

自分の息子がまだ若い場合は、 一旦、自分より十五歳とか二十歳下の他人をリリーフとし、その後に、息子を会社に入れる。他人が十年とか十五年間、社長をやってから、息子にバトンタッチをする。その間隔が、十年とか十五年あれば良いと考えている。後継者をどのように選んで、育てていくか、こんな質問を受けたことがある。

「私には、十五歳の長男を頭に、十二歳の次男、六歳の三男がおります。将来、どの子供を後継者にしたら良いか、心配になることがある。長幼の序を重んじて、長男をトップにしたほうが良いのか、それとも、能力本位で選んで、他の子供をトップにしたほうが良いのか」ということだった。

正直言って、子供の能力は、特にまだこのぐらいの年齢では分からない。何に向くかなんて、親の日でも分からない。粗野で乱暴だとレッテルを貼るが、子供のときはみんな粗野なもので、何に向くと言ってみたところで、単なる思い込みに過ぎない。子供が優しいと、「この子は経営者には向かない」などと言う人が多いが、実際にはほとんど逆だ。優しい人は、

経営者によく向く。強さは、同時に優しさだからである。優しさは、強くないと出てこない情だ。いずれにしろ、この程度の歳ではなかなか判断がつかない。前述したように、ミキハウスという会社が、その典型だ。父親が、長男は経営者に向かないと判断し、次男を後継者に据えた。ところが、長男は奮起して、親の会社よりはるかに名立たる会社をつくった。そういうことが、よくある。

手腕がなければ、会社をおかしくしてしまう。経営者にするのなら、まず事業の手腕を身につけさせることが一番の先決だ。能力や向き。不向きまでは、まだ分からない。五年、十年という長い日で子供をよく見て、腰を据えて判断するようにする。そのうえで、子供にあった修業を積ませる。

私は、自分の息子をまだ合理化協会の後継者にしていないが、もう一つのオーナーである

印刷会社の方は私が会長になって、部下を社長にした。そのとき、私のような激しいタイプではなくて、どちらかというと落ちついた者を後継者に選んだ。それは、正しい選択だったと確信をもって言える。なぜ、そうしたかといえば、創業者たる私が、まだ生きていて、依然、激しい性格であるから、逆に温厚な者の方がいいと思ったからである。私が猛進する性格だから、守成に近い形で事業を続けていける人物を選んだ。それで、実際に会社もだいぶ大きくなっている。

私は、会長になるときに、

「私は、君の何倍も偉い。給料は、いつでも君の三倍だ」ということにした。

彼が百万円取ると私が三百万円、彼が二百万円取ると私が四百万円、彼が五百万取ると私が一千万……このようにして、後継者が創業者や先代を立てる構造を最初にちゃんとつくっておいた。

その何年後かに、「君もだいぶ偉くなったから、給料は、私と同じにしよう。ただし、私がかなり譲歩してやっていることを絶対に忘れないように」ということで、給料は同じにしながらも、あくまでも一線を画しておいた。

創業者とか先代社長を立てない人は、後継者としてだめだ。花道は、自分で飾るわけにいかない。後輩が飾ってくれるべきものだから、私は意図的にそうした。金が欲しいからでも何でもない。先輩を立てる人を後継者にもってこないとだめだということを肝に銘じておくべきだ。平成十年に、私は会長職を辞めて、社長を会長にし、専務を社長にした。私はオーナーという呼ばれ方をしている。

出処進退をわきまえていることが、非同族の後継者には非常に大切だ。つまり、私のオーナーという立場は、幾代経ても変わらないという条件が必要である。

部下が、社長を長く務める。その時に、ごくわずかだが持ち株を持ってもらう。それは、退職時に高い時価評価で買い戻され、退職金にプラスされる。そして、部下は、会長職になり、相談役になって、引き続き長い間、給料を取ってもいい。ただ、オーナーという立場は、私がずっと貫いていく。世の中が変わり、ついには私の給料の何倍も取るようになるかもしれないが、それでもいいと思っている。そういう状態を覚悟の中に入れて、きちっと後継者をつくっていくことが何にも増して大切である。

友人との共同経営の場合、後継者はどうするか

「友人四人と共同出資でつくった会社で、出資額は全員同額、現在、私が取締役社長を務めていますが、後継者の問題はどう考えたらよいでしょうか。四人とも同じ年齢で、それぞれ同じぐらいの息子がいます」という質問をされたことがある。これは、差し迫った問題としてではなく、将来の懸念として提起された問題である。そもそも、共同経営を選択した出発点から間違いだと思う。私は、共同経営がうまく行われているのをほとんど見たことがない。

創業の苦しい時代には、互いに寝食を忘れて協力し、兄弟のように事業を営んでいた人たちでさえ、売上が伸びて利益が増大するにつれ、相争うようになる。共同経営は、そういう要素を多分に含んでいる。それは、人間そのものが背負っている業のようなものだ。人間は、特に経営者は所有欲が深く、また、そうでなければ社長業はしょせん務まらない。しかし、それぞれに能力や努力に差があり、時には富にも差がある。時間が経つにつれ、地位や分配や働く場所などに自然と序列が出てくる。こういうことが縫れる原因で、会社を分離したいとか、独立したいという内紛が起こってくる。

共同経営の成功のためには、自分がその会社を「所有したい」のか、「経営だけに協力したい」のか二者択一の決断を最初からしておかなければならない。その覚悟が曖味だから、多くの場合、みっともない結果を招いている。

所有したいと強く願うなら、最初から過半数の株をもつべきだし、純粋に経営だけに協力するつもりなら、事業成功の暁に株を高い評価で買ってもらえばいい。

私が質問を受けた社長は、これらのポイントを曖味にしたまま共同経営をスタートさせてしまった。だから、その回答としてせいぜい言えることは、第一に、現在と同じように、四人の息子たちが引き続き将来もオーナーになって、仲よくやっていくことをそれぞれに教えるべきだということだ。第二に、四人とも息子がいるのだが、息子によっては会社に入らないで、別の道を行くという人間がいるので、そういう場合には、その株を後継者の手元にできるだけ多く買い集めるようにする。もう一代ぐらいの期間がかかるかもしれないが、株の比率を五〇%以上にもっていくことが大切だ。急がないで、徐々に後継者の持ち株比率を高めていく。互いによく話し合えば、株を売ってくれる人も出てくるはずである。これは、息子の時代の処置の仕方だが、五〇%以上の株を持つように努力することを考えるべきだ。息子がいないで娘ばかりの場合、後継者はどうするか

これは、二十年ぐらい半導体関係の電子部品をつくってきた、二十一名のこぢんまりとしたベンチャー企業のB社長の事例である。

娘ばかり二人で、息子は一人もいない。それで、親が婿を決めようと思っていた矢先に、長女が自分で勝手に婿を選んでしまった。来年四月にその婿を自分の会社に入社させ、自社で一応育てつつ様子を見たうえで、後継者にするかどうか判断したいと思っているが、多少迷っているという。

詳しく聞いてみると、相手は一人っ子ではないが、長男で、ほかに姉と弟の二人がいる。そして、現在、B社とは全く畑違いの職業に就いている。ただ、本人のほうから、B社長に、「育ててくれ」と言ってきたという。

社長の本心としては、自社の社員と結婚させたかったのだが、親の目で見ると、いずれの社員も少々頼りない部分もあって、どうしても娘を強く説得できなかった。結婚は、好きか嫌いかで選ぶ時代だから、ある程度まで自然の成り行きに任せるべきだ。

ただし、独身の娘をもっている世の社長なら、自社の優秀な社員と結婚させたいと、心のどこかで思うのが当然である。

もしも、自社の社員と結婚させたい気持ちが本当にあるのなら、それなりの策を用いる必要がある。たとえば、時々、娘を会社に連れてきて、 一緒にお茶を飲んだり、その社員の下でアルバイトをさせたりすれば、相愛の関係が自然にでき上がるものだ。そして、食事をしながら、父親が意中の社員をそれとなく褒めるようなことをして、雰囲気作りをしておけばよかったが、そういう努力をB社長は少しもしなかった。 一言のほのめかしも、まして見合いも何にもしないで、社長一人が心の中で思っていてもだめである。この場合、結婚相手は長男で、あと二人、姉と弟がいるが、完全な養子という形は不可能かもしれない。相手が先方の末っ子だったり次男であれば、問題は少ない。

実は、私も息子一人に娘二人がいて、会社を何社か経営しているので、そのうちのどこかに、いずれ息子や娘婿を当てはめたいと思っている。

長女が結婚した相手は、 一人っ子だった。彼は大企業のサラリーマンで、海外取引の仕事をやっていて、今一番おもしろい時期だから、「こっちへ来い」と言うのも非常に問題が多い。将来的にも、 一人っ子の彼を婿養子として引きずり込むことには、多少の遠慮が私にもある。ところが、次女は、うまい具合に末っ子の相手と結婚した。語弊を覚悟で言えば、もらったも同然だ。現在、彼は合理化協会に籍を置いている。

本気で探せば、いろいろな結婚相手がいる。だから、長女だけで一喜一憂しないことだ。そして、時々、娘に、「相手が一人っ子とか、あるいは男兄弟が一人だと、大変だ。その点、末っ子はいい、気軽で。次男坊もいい」などと、酒飲みながら大きな声で言ったりしておく。

そうすると、父親の影響を意外に受けて、そういう日で結婚相手を見るようになる。さらに、「おしゅうとさんで苦労したくないね」と言って、最後のとどめを刺す。わざわざ、そう言っておくことが大切だ。もちろん、長男と結婚した長女がそこにいるときは、私もそんなことは言わないようにしているが、長女が不憫である。子供への愛情は同等なので、長男と結婚した長女がどこか苦労しているように見えて仕方がない。親として正直な感想であるc

次女と水入らずで食事をしたりする時には、「ママは、苦労しなかったねえ」と、妻と目を見合わせて、ふとつぶやいたものだ。なぜかと言えば、私の父親も母親も、かなり早く死んでしまったからだ。そして、先述の三愛におられた田中先生と一緒に夫婦でゴルフを月に一回やっているのだが、田中先生の奥さんからも、「私ね、おしゅうとさんで苦労したの」と、年じゅう言われているので、私の妻も大いに理解を示してくれる。

次女の前で、「田中さんの奥さんと、この間、ゴルフしたんだよ。おしゅうとさんで、何十年と苦労してこられたと言われてたぞ」と、わざと言う。そうすると、妻が、「そうよねえ。私は、そういう苦労がありませんでしたが……」と言って、掩護射撃をしてくれる。そういう、阿昨の呼吸が大切だ。

考え方としては、自分の子供が女ばかりだったら、次男とか末ち子とかと結婚させるのが一番良い。それには、父親の今後の努力が必要だということだ。心掛けて、そういう場をつくるようにすべきだ。

B社長の長女が結婚した相手は、「育ててください」と言っているのだから、かなり脈がある。父親の日では軟弱に見えても、育つものだ。私は、「後継できると思うし、社長としての勉強をさせなさい」と申しあげた。引き込むタイミングと根回しをよく研究して欲しい。

もう一社の事例を紹介しておこう。この会社は好業績の連続で、これから五、六年で現在の三、四倍の売上を目指しているのだが、やはり、子供が娘ばかり二人で、後継の問題で悩んでいる。だれかが跡を継いでくれるにしても、外部から優秀な人材を求めたいと思っている。ただ、山陰の小さな町なので、なかなか人材が見つからない。これも、直面している間題というよりも、将来についての質問だ。

とにかく、好業績の連続で、うらやましい限りだが、どこの会社にも悩みはあるものだ。娘の一人が何らかの形で跡を継いでくれるのだろうが、地方だと、良い人材がいないということだ。これは、これなりに深刻である。

こういう場合は、できるだけ娘を東京とか大阪の大都会に出すようにする。大都会には人材が数多くいるから、その一人と恋をして連れてくる……何を無責任なと思われるかもしれないが、私は大真面日である。本当に大真面目だ。そもそも、地方に残っている有能な青年は、跡継ぎをしなければならないから地方に残っているというケースが多い。私は、地方にいる社長のそういう苦労を、いやと言うほど身近に知っている。冗談で言っているようだが、すべて本心からだ。大都会には、「田舎へ行ってみたい」と思っている青年も多数いる。娘が二人もいるのであれば、そういう「遊学」もいい。

それから、ゆくゆくは所有と経営を分離するとか、あるいは他人やプロの経営者をピンチヒッターとして登用することを考えているのなら、何歳から何歳までの間は他人に委ねるという方針を、「社長の人生計画」にきちっと書いておく。そうすれば、必ずその通りになる。

書いたことから前後しても、大体二、三年の差にすぎない。いままでの私の経験から言えば、ほとんど書いた通りになる。「社長の人生計画」に、まず書くことが大切だ。娘が何歳で、相手が幾つだと「人生計画」に書いて、時間をかけて探せば、結論がおのずから出てくる。

女ばかりでも、子供がいるのは何よりである。子供が一人もいない場合も多い。そうすると、もっと苦労する。中には、会社ごと売ってしまう人もいるぐらいだ。やはり、相当に残念がる。

「創業の任」と「守成の任」

『戦争論』を書いたクラウゼヴィツによれば、歴史に残っている戦争は、三百八回ある。三百八回の戦争のうち、攻撃で勝ったのが三百回、守備で勝ったのが八回だ。つまり、攻撃をしないと、ほとんど負けるということである。守備で勝つことは滅多にない。

現代は、資本主義社会で競争が原理だが、ウエートを攻守のどちらに置くべきかと言えば、業績が悪ければ、もちろん守りではなくて、攻撃をする。その最たるものが、増客である。

ここでもう一度確認するが、攻撃には三つの項目があった。①増客すること、②売価がより高く、粗利益もより多い商品を売る、あるいは、安い商品なら数量を余計に売ること、③経営態勢を整えること、この三つである。

業績を伸ばすためには、攻撃にウエートをおく。いまの三倍、三倍の増客をすれば、売上が伸びていく。「攻撃こそ最大の防御」だ。

その「攻撃こそ最大の防御」を推進していくためには、カリスマ性が必要である。社長自らカリスマになる。人は、自分にない強さをリーダーに求めるものだ。教祖様になるということだ。すべてに強力な推進力を持った人間になる。

そのためには、まず第一番目に、性格の中に先見性を豊かにすることが必要である。

二番目に、戦闘力を豊かにする。ライバルを強く意識することだ。

二番目に、異常性、要するに、鬼や神のごとくならなければいけない。特に、事業の創業期には、異常性が強くないとだめだ。根性とか、粘りとか、健康とかも人並み以上であることが大事である。

四番目に、行動力が並はずれて豊かである。

五番目に、説得力も強くなければいけない。

六番目に、たった今、鬼や神と言ったが、恐怖性、恐れられるものを持っていないといけない。

以上の六つのことを身につけていくことが、カリスマ性を身につけていくことになる。カリスマは、非常に個性的である。異常性とか、常人では考えられないぐらいの強い精神力とかが、カリスマの基本をなしている。強い個性を身につけ、「攻撃こそ最大の防御」を推進して欲しい。

大胆と細心の使い分け方

創業、すなわち事業を興す時には大胆に、逆に、守成は細心にというのが基本である。創業時は大胆にやっていかないとだめだ。大胆でない人は、チャンスをなくす。大胆が、創業時のテーマである。

一方、守りに入ったなら、細心がテーマとなる。状況に応じて使い分けができないとだめだ。

創業してから十年、二十年たって、市場の中での占有率がかなり高くなった時は、社長は自分の性格を変えて、大胆を縮小して、守成を身につけていかなければならない。

小林一三さんは、創業者だったから、阪急電鉄をつくり、宝塚をつくり、映画会社の東宝をつくり、デパートをつくり、次々に手を打って、ついには大臣になり、東電の社長までやった。その後を清水雅さんが引き継いで、阪急グループのリーダーになり、東宝の社長もやったが、彼は守りに徹した。創業者で、事業の多角化を推進してきた小林一三さんが亡くなったので、守りに徹していったのである。清水雅さんは、守りでは相当な器の人だった。

東宝の当時の副社長で、清水さんの直接の部下だった馬淵武雄さんに、私が「清水雅さんは、どういう人物ですか」と聞いたら、「清水さんは、守成の人だ。それも、たぐいまれな守成の人だ」と言っていた。映画会社のことごとくが低迷を続け、どうしようもなくなった時でも、黒字を見事に出していった。

波瀾期に、何かやろうとした時にも、創業期の心構えたる大胆を忘れてはいけない。また、一応安定したなら、細心の注意を払って事に当たるようにする。

いざ、後継者として息子が会社に入ってきたら、「創業の任」と「守成の任」を、よく叩き込んでおくようにする。先に書いたように、創業時は、激しく野性味豊かな方がいい。息子にも、関連会社などの創業時には、そうなれと教えておく。

事業が軌道に乗り、守成になると、自分の性格を変え、大局をよく掴んで、バランスとか平和とかいうものを重視していくようにする。創業や守成の状況に応じて、性格を変えることを自分の息子に叩き込んでおく。もし、息子が偏った性格であるなら、有能な部下を用いて補完しつつ、凌いでいくようにさせる。

会長業と社長業

社長は、やがて会長になる。社長業の席を次代に譲り、会長業に就くときに注意すべきことは多い。

社長には社長の仕事があり、会長には会長の仕事がある。これを逸脱すると、互いに窮地に陥る。

私は、経営指導の一環として、どんな大企業でも中小企業でも、「事業発展計画書」を作成してもらうことにしているが、これを後継の便利な道具として使っている。まず会長になる時を、明確な年月日をもって事業発展計画書に刻んでおく。

後継社長が、自分の経営を急ぎすぎて失敗することも多い。また、会長を立てることを忘れたり、人間本来のエゴが出て、威張ったり、贅沢を求めたりしがちである。だから、後継の時期が見えてきたなら、「お前を社長にするが、その時、いきなり自分の経営をしてはいけない。私がやってきたことを最低五年間、多少は曲げてもよいが、ほとんどそのまま踏襲して欲しい」と言明しておく。

会長職に就いても五年間は、長期戦略と経営の大方針や理念については、社長として事業発展計画書を長い問作成し、発表してきた自分が、引き続き書いた方が良い。新任社長は、短期戦略や戦術、日標設定や達成のやり方に腐心すべきなのだ。つまり、会長業と社長業を上手に分担することを強く勧めたい。これが第一の注意事項である。

この五年間は、いろいろな意味で含蓄のある年限だ。会社によっては、社内分社をして、社長に就く人物の手腕、力量、人格を確認したりもする程である。

第二の注意事項は、五年が過ぎたなら、会長は政治的な動きに集中し、実務は社長に任せることが肝要である。

会長は、銀行とのつき合いや、業界への顔つなぎなどを受け持ち、社長は現業に専念する。

この場合、報告の欠落はトラブルの元凶である。社長が要所要所を報告しないと、必ず、会長は社長の頭を越えて直接に幹部から情報を得るようになる。やがて頭が二つある状態にな,って、社長を辞めさせぎるをえない。

私の場合、印刷会社の会長職を十五年ほど務めたことがあると先に書いたが、会社にはほとんど顔を出さなかった。顔を出して、せいぜい年に二、三回位だった。それは、私の選んだ社長が、①優秀だった、②私を良く立ててくれた、③私にきちんと報告してくれたからである。

それに、他の会社の会長職の有り様をつぶさに見ていて、同じ轍を踏まないようにしたからである。これは、有名な会社での事実であるが、経営の神様とまで言われた会長が、社長職を譲った後だったが、売上の低迷に気づき、業績の悪化に我慢ができず、社長を飛び越して自らが営業本部長に返り咲き、業績を回復させてしまった。以後、社長の信用の失墜と手腕への不評が長く続くことになり、世間は社長を飾りだと喘った。私は必ずしもそうは思わなかったが、結果として不幸で短慮な出来事だ。私の好きな神様も、この件だけはどこかポイントがずれていたとしか言いようがない。こういう場合の一方策として、有能な参謀を社長につけてやることが非常に有効である。参謀の口を通して自分が喋るようにする。こういう形でのアドバイスなら、何をどうしようが、どこもおかしくない。

また、会長が社長を兼務する事態も決して良いことではない。手腕を問われる布陣だということだ。長く続けては評判を落とす。

長命で、九十歳を越え、百歳にも手が届くような人によく接するが、こういう人は、最後まで何かの仕事をもっている。家庭の仕事の分担でも、会社の仕事の分担でも、国の仕事の分担でも同じである。社長は、その分担したものを、ある種の慈愛で認めてあげる度量が必要である。会長職でも相談役でも、ある程度まとまった金を使える権限を持ってもらうべきだ。世界一周でも、趣味三味でも、とにかく小遣いに不自由しないようにしてあげたい。花道は自分で飾れないし、人間はだれでも自然に歳をとる。

息子の鍛え方

息子を鍛える上で、親ばかにならないために、両親はどうすべきか。「先代は偉かったけど、息子の代になったらだめだ」なんてことが、よく起こっている。頭が良いとか、悪いとか、そんなことは全く関係ない。    ・

それを避けるために、私自身が家庭でどのようにやって、また私の指導会社でどのようにやってもらっているかということについて、以下で述べる。

私を含め、社長たる父親は、とにかく非常に忙しい。だから、母親が子育てに専念しないといけない。母親は、娘に対しては、同性であるから、無理なことでも相当に厳しく教えていくことができるので、娘はしっかり育つ。息子は、自分と同性ではないから、どうしたらいいかわからないというのが、母親の正直なところだ。

そこで、私は妻に、「俺は忙しいから、お前が、俺の言葉を息子に代弁してくれ」と言っている。私は息子の情報を怠りなくキャッチし、「こう言ってくれ」「ああ言ってくれ」と、妻にお願いしている。年じゅう忙しくて、妻を通して言う以外にないから、そうしている。同様に、できるだけ指導先にも、ワン・クッションおいて息子を教育してもらうようにしている。

小さい時は、総じて母親がそばにいてくれるので、子供は母親を尊敬している。大きくなり、二十歳を過ぎて、特に勤めに出たりすると、「母親は意外に無知だった」ということを知り、逆に父親は偉かったことを自覚するようになる。これは、本当だ。 一時期、母親は損な性分になる。ただし、子供がもっと歳をとると、みんな母親を慕うようになる。父親が死んだ時は、あまり涙を流さない。母親が死ぬと、わんわん泣く。結局、男は損な性分、損な役回りになってしまうが、それが現実だ。

私は、息子とよくキャッチボールをしたものだ。あるいは、相撲をとる。子育ての時、少しでも暇があると、そうして接触してきた。

妻が、

一お父さん、小さな子を相手に相撲して、なんで、ギャッというほど投げ飛ばすの。キャッチボールにしても、なんで、恐ろしくなるぐらいのスピードで放るんです」

「じゃあ、お前が、やってみなさい」と言うと、妻はボールを優しく放るし、相撲をとっても自分が負ける。

しばらくたつと、だんだん強くなってきた子供が、

「お母さんと相撲とっても、キャッチボールやっても、おもしろくも何ともない。だから、お父さん、やってよ」ということになる。

また、思いきり踏ん張って、勢いよく放り投げてやる。息子がギャッと泣く。それでも、負けん気を振り絞ちてかかってくる。これが、父親の役目だ。それを忘れてはいけない。私は、そうやって育ててきた。

そういうことを、母親にも誤解がないように教えていくことが大切である。父親は、息子に対して乱暴なことを多少する。

父親の愛情=慈愛と、母親の愛情=悲愛は全く違う。つまり、そばにいて、「痛かったろう」と、涙を流すような母親の愛情がないと、人間はできそこなってしまう。冷たいばかりではだめだ。母親の役目と父親の役目は違うことを知っておかなければならない。父親と母親の愛情と役目の違いをわきまえた上で、息子を鍛えていくことが非常に大切だ。

それから、息子を鍛える上で、良い師匠を得て、他所のメシを食わせてもらうことも大切である。創業から守成を見通した事業発展計画書のなかに、いろいろな息子の鍛え方をきちっとスケジューリングしておくべきだ。

たとえば、私は、千葉県で一番大きな印刷会社である渡辺印刷の社長(当時)に頼まれて、息子の師匠になってあげたことがある。

この社長は、あえて包み隠さず言えば、傷療軍人で片足がない。私が千葉で講演していると、社長の奥さんが、泣きながらやってきて、

「私の主人は、傷疾軍人で片足がありません。今、床に伏しています。その原因は、長男が跡をとらないで、作家になりたいと言ったからです」と訴えた。

「じゃあ、相談に応じましょう」ということで、家に行った。床にやせ伏していた父親が起き上がって、

「息子を預かっていただきたい」と言う。

「預かりましょう。いつまでに息子さんを社長にしたいんですか」

「私が六十五歳になるまでに、あと五年です」

それで、息子を預かって、徹底的に鍛えた。とにかく甘ちゃんだから、鍛える以外になかった。それまでにも、彼は方々に預けられていたが、印刷会社ということで、預け先はすべて下請けの印刷会社だった。しかし、そこでどんなに機械を動かす勉強をしても、印刷会社の社長になれるわけがない。

私は、最初に、その息子を私の自宅へ連れていき、 一晩、語り明かして、「明日から、合理化協会へ来い」と、説得した。

作家になりたいくらいだから、自分は文章が相当うまいと思っている。試しに、「セミナーの案内状、ちょっと書いてくれ」と言うと、確かに一時間ぐらいでスラスラと書いてしまう。

ところが、「こんな文章、人の胸を打つわけないじゃないか」と、元の文章が一つも残らないぐらいに赤線で訂正される。何度も何度も、書き直しを命じられる。そのうちに、「おれは作家になろうと思ったけど、文章が下手だったんだな」と、自覚するようにもっていった。

次に、社長たちが大勢集まっているセミナーの司会をやらせた。最初は、震えている。紙に書いたものを読んでいるだけだ。「お前、もうちょっと司会の勉強をしなさい」などと、私が演壇から言おうものなら、それこそ声も出なくなってしまう。こういうことで、三か月ぐらい司会をやらせ、その間、チェックしながら、場数を踏ませる。最初は原稿を書いて、それを見ながら話す。しかし、徐々に原稿を見ないでしゃべれるようにしていく。さらに、ショート・スピーチをどんどんやらせていくと、ついには非常にうまくしゃべれるようになる。

司会兼鞄持ちとしてあちこちの講演先に連れていき、内容を後ろで聞かせる。すると、「うちのおやじは、こういう経営をしてない。これは、だめだ」と自ら目覚めていき、半年もたつと、自分の会社のことがハラハラ気になり、居ても立っても堪らなくなる。「会社を覗いたら、自分も少しは経営のことがわかるから手伝ってあげようか。おやじは、どういう経営をしてるかな」と思って、暇を見つけては自分の会社にすすんで帰っていくようになった。こうして、わずか一年ほど預かり、会社に戻してあげた。

会社に入ってからも、いろいろな会合で話や司会をしたわけだが、「おやじよりうまく、堂々としている」という評判が、たちまち社員や得意先の間であがった。

そんな折、千葉市に新しい営業所を設けたので、私は、売上を大きく伸ばしてあげようと、彼の会社のメイン銀行の記念講演を催した。彼に司会を務めさせ、講演後のパーティーで、参加した大勢の社長を彼に紹介して、それらの会社の印刷物がすべて彼のところに集まるように心を配ったりした。こうして、今は、「ああ、この人は父親をはるかに超えている」と、周りの全員が思うような立派な社長になっている。

我田引水で恥ずかしいが、仲間とか師匠とかがいかに大切であるかということだ。余談になるが、私は彼に、女性の日説き方から縁結びの仲人、そして、父親の葬儀に際し委員長までして、そばで色々と面倒をみてあげた。渡辺社長の名誉のために書いておくと、今では千葉県でも有数の印刷会社の経営者として活躍中であるし、社長達のまとめ役でもある。私にとって、弟のような存在である。

成功の積ませ方、失敗の積ませ方

今、書いたように、私は、渡辺印刷の息子を預かって教育した時に、まず現実に目を向かせ、彼の作家になりたいという夢を容赦なく打ち砕いた。ある意味では、挫折を味わわせた。

次に、合理化協会の仕事を通して、時には試行錯誤にまかせながら、徹底的に鍛え上げたが、必ず要所要所でバックアップすることによって、大きな失敗は一度もさせなかった。そして、一人前になって巣立っていってからも折に触れ、仕事を援助したり、お客様を紹介したりして、成功体験を積ませてきた。後継者を育てていくには、成功体験と失敗体験をバランスよく積ませていくことが大切である。

私は、セミナーの質疑応答の時間に、こんな意見を言われたことがある。

「後継者の育成では、成功体験も重要だが、どちらかというと失敗を恐れずに挑戦していくようにさせないと、結局、第二の創業者とはなり得ず、現在の創業者から見れば、いつまでたってもただの良い子で終わってしまう。また、失敗はさせられないという社長の親心から、新製品の開発段階では後継者を関わらせないということであれば、結果的に後継者の育成が遅れ、その人が社長になった時には、活力のない企業になってしまうのではないだろうか。専務であろうが、常務であろうが、失敗した数が多いほど成功も多くなると思う。後継者の若さと活力を潰していくような社長であれば、空しさだけしか残らない」と。この意見に対して、どのように考えるか、 一人一人の社長に是非とも聞いてみたいと思っている。失敗の数と成功の数はほぼ同じにするのが、確かに後継者を育成するうえでの原則である。

失敗をたくさんしたら、同じように成功もたくさんする。ただし、最も重要なことが、そこに抜けている。致命傷にならない失敗をさせるということだ。言い換えれば、致命傷になる失敗は絶対にさせてはならないということである。これを忘れないで欲しい。「親心として」とかいうことは、 一切関係ない。

私が預かった後継者は、その後みんな成功しているが、育成法はその子の性格によっても随分違ってくる。つまり、失敗にめげない性格かどうかを見極めることが重要である。

また、周りが失敗を許してくれるかというと、多くの場合は許してくれない。私にも苦い経験があるが、私の部下の小さな失敗にもかかわらず、彼の進退を左右するような干渉を外から受けた。「彼を首にしてくれ」と、押しかけられた。その辛さは、苦労人でなければなかなか分からない。

本当の親ならば、甘ちゃんの子を育てるかもしれないが、私は他人だ。愛の鞭を振るう。いままで後継者を預かって、失敗したためしはない。失敗の経験も相当させるが、必ずそれ以上の成功をさせるようにしている。育て方は、その子の性格にもよるし、預かったときのスタイルにもよる。

簡単にいえば、まず、私の真似をかなりさせる。つまり、私という基本を勉強させる。しばらくすると、私を超えるように徹底的に教育する。私と同じ事業をやらないのだから、私と全く違ったこと、つまり独自のものを自分でやれるようにしてやる。

確かに、新事業とか新商品を、後継者にいきなりやらせてはいけない。そういう場合、時間の経過ということが非常に大切だ。新しい事業を自分の弟や息子に任せたりすると、ほとんどの場合、その新事業に対して社長自身が疎くなっていく。最初の仕事は、どんなものでも水物で、社長にもどうなるか分からない。それを、他人に任せっきりにすると、とんでもない方向へ走って、致命傷になることが多い。私も苦労を積んで、大部そういうことが分かるようになった。

ところが、現業ならば任せても、 一週間に一回、社長に報告があっただけで、状況がピンとくる。長い問やってきたことだから、特に創業者には、状況がすぐに分かる。

新事業とか新商品は、できるだけ社長が「長」になってやっていく。たとえば、社長が一週間、 一か月間、あるいは一年間やって、その後を任せる。事業によって違うが、 一応、社長がやって、その後を任せるようにする。そうしないと、現業は掴みやすいが、新事業は掴みにくいので、数多くの会社が失敗する。これは、理屈ではなくて、私自身のキャリアから会得した独自のノウハウである。そして、実際にもほとんどそういう結果になっている。

もう一度念を押すが、新事業をやるときは、まず社長自身がやる。むしろ、任せるのは現業である。新事業は社長が長になってやる。そして、この事業はどういうものかということをある程度掴んでから任せる。そうしないと、失敗が起こる。

小さな失敗はかまわないが、致命傷になる失敗は、後継者にさせてはいけない。

私は、よそ様の子供を預かって育てて、こんな経験をしたことがある。その子がアメリカに長い間留学して、いよいよ帰ってくることになった。帰り先は父親のところと私のところと二つあるわけだが、その子は父親を選択しないで、私を選択した。その子は、私を第二の父親というくらいに信頼している。逆に言えば、私にとって、これくらい厳しく重いことはない。しかし、事実として、父親のところへ行かずに私のところへ来る。だから、 一旦、預かったからには、責任を非常に強く持って育てていかぎるをえない。

この厳しさは、自分で他人の子を預かり、立派に育ててみて、初めて分かることである。そういうものだ。これこそ、遊びを許されない実務である。小さな失敗の経験はいくらさせてもいいが、大きな失敗をさせてはいけない。特に、新商品とか新事業には注意して欲しい。

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