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第七章 販売戦略の決め手

「日本には、過当競争などない」というと、反撥してくる人も少なくない。

実は、過当競争のなかで大激戦を展開していると思いこんでいるだけなのだ。

「過当競争がないどころか、現にわれわれは死にものぐるいで戦っているの

だ」と言い張る人もいる。

そこで、

「戦っているのなら、敵がおりますね。戦いというものは、敵の弱点を調べ

て、これを衝くのが常套手段です。では、あなたのところにも、敵について

調べたものがあるでしょう。それを拝見させていただけますか」と切りこむと、

「サァー、それは……」と答えられない。

戦っているのは意識だけで、ほとんど何もやってはいないのだ。メチヤクチ

ャに動いているだけだ。

敵を知らず、己れを知らず、ただ暗闇のなかで刀をふりまわしているだけな

のだ。敵を切っているのだか、味方を切っているのだか分からないのだ。ヒョ

ッとしたら、我社のセールス活動を調べられて、それを運用されているかもし

れないのである。

どこの会社でも、ライバルはほぼ分かってはいるが、では、その敵とどう戦

うかということになると、あまりよく分かっていない。

そして、この戦い方の最も優れたものこそ「ランチェスター戦略」なのであ

る。

目次

過当競争の本質

ランチェスターグラフ

昔の戦いならば、我軍の損害は、死者何名、負傷者何名と分かるのだが、販売戦では、我

軍の損害はどれだけかといっても、どう調べたらよいかも分からない。

売上高も、対前年比が高くなっていると、我社は敵に勝っているような錯覚を起こす危険

がある。市場戦においては、対前年という物差しは絶対に使ってはならないのである。

市場戦での勝敗は、あくまでも占有率なのだ。それをハッキリさせるには、ライバル数社

の売上高を調べて(方法は後述する)、それをグラフにしてみる以外にない。

これを、私はクランチェスターグラフクといっている。これについては、すでに第五章の

三一三貢以下で簡単に触れたが、ここで詳しく説明しておこう。

売上高というものは、市場活動の物差しである。そこで、あなたの会社として、マークす

る必要がある数社の売上高を調べる。マークすべき会社は、必ずしも我社と同一事業を行っ

ているとは限らない。いや同業以外の方が多い。我社の事業とかなリラップしていれば、調

べたほうがよい。

というのは、その会社全体の売上高が、会社の力として我社に対する圧力となるからであ

る。これらの数社と、我社の売上高を同一のグラフに書きこむのである。これがランチェス

ターグラフである。これを毎年一回、書きこんでゆくのである。(第36

表〉がそれである。

このグラフは、興信所の調査報告書をもとに、それぞれの会社の過去四年間の売上高の数

字を年度ごとに記入したものである。それぞれの会社の決算月が違うのに、どう記入したら

いいかというと、年度の中央なり、年度末なりにその年度の数字を記入すればよい。

売上げ上昇の大きな会社と小さな会社、売上げ絶対額の低い会社、横這いの会社など様々

である。

この〈第36

表〉のように、売上高の差は年ごとに大きくなってゆく。

限界生産者は、E社のように横這いのものが多く、上位との差はグングン開いて優劣がハッ

キリしてゆく。ザッとこんなような状態である。これが冷厳な競争社会の実相なのである。

自分の会社は、絶対にE社のようになってはならないのだ。そのためには、我社としてど

うしなければならないかである。

何が何でも勝ち抜くためには、正しい競争の原理を知らなくてはならない。

それが、ランチェスターの法則である。この法則を十分に理解し、どう戦ったらいいかを

決め、勇敢に実践しなければならない。戦いというものは、単なる勇気や努力だけでなく、

正しい競争原理を知っておく必要があるのだ。

ランチェスター戦略とは

フレデリック・ウイリアム・ランチェスター(一人六八年〜一九四六年)は、イギリスの

航空工学のエンジエアだった。

第一次世界大戦をはじめ、数多くの戦闘について、両軍の兵力量と損害量についての計量

的な分析を行い、

「兵力量と損害量の間には、ある種の法則がある」

ということを発見した。

これが「ランチェスターの法則」といわれているものであり、この法則を使った戦略を、

ランチェスター戦略という。戦闘の経験から生まれた実戦的理論であり、「いかにして敵に

勝つか」の基本法則である。

これこそ、戦闘の科学である。空理空論ではない。数々の戦争で、その実効が実証されて

太平洋戦争では、ランチェスター戦略のために、日本軍は各所で痛めつけられたのである。

そして戦後は、今は亡き田岡信夫氏が販売戦略として日本に紹介し、企業の販売戦に応用

されて、成果をあげている。

ランチェスターの法則は、物量法則であるために計量化が可能である。

企業戦争においては、占有率を確保し、拡大してゆくための物量法則となる。それには、

二つの前提条件がある。

0 彼我の武器効率は同一である

② 地域戦の法則であって、総合戦の法則ではない

右の二つの制約条件があるということは、逆にきわめて実戦的だということである。この

二つの条件がなければ、ランチェスターの法則はまったく使いものにならない空理空論に

終ってしまったであろう。それほど、この二つの条件は重要な意味をもっているのである。

この点を考えてみよう。

まず第一の「武器効率は同一である」という点である。

武器効率が同一だからこそ、ランチェスターの法則は使いものになるのだ。この論理的大

欠陥がなければ、まったく使えないのである。

この点について、旧日本陸軍の『作戦要務令』の中にあるク戦捷の要クを考えてみよう。

それは、次の通りである。

「戦捷の要は有形無形の各種戦闘要素を綜合して、敵に勝る威力を要点に集中発揮せし

むるにあり」

まさに、 一点の欠陥もない完全無欠の論理である。完全なるがゆえに、実戦ではまったく使

いものにならないのであるc

問題は、「有形無形の各種戦闘要素を綜合して」ということである。それが戦闘準備の段

階だろうと、作戦計画の樹立の際であろうと、有形無形の各種戦闘要素を綜合することなど

まったく不可能だからである。つまり、観念論にしかすぎないのである。これは、事業の経

営においても、まったく同様のことが言える。

さらに、ランチェスターの法則は、完全な物量法則であって、質的な条件は完全に抜け落

ちているということである。このような非現実的な法則であるからこそ現実の役に立つと言

えるわけだが、それはどういうことなのだろうか― ―この点を考えてみよう。

この法則の前提を繰り返せば、次の二点であった。

① 彼我の武器効率は同一である

② 地域戦の法則であって、総合戦ではない、つまり、限られた戦場における法則であ

すでに作戦要務令のところで述べたように、忙しい戦場において、すべての量的。質的条

件を同時に考えることは、まったく不可能である。

ところが、ランチェスターの法則では、彼我の質的条件は同一なのだから、考えなくても

よい。「量的な条件のみを考えればよい」というのだ。そして、量的に多い方が勝つという

のである。

こんなに有難いことはない。こうして、戦闘をきわめて単純にしてしまったのである。

だから、戦闘では、量的条件を、敵に勝るものにすれば、量的なことはまったく考えなく

てもよくなってしまう。そして、指令官は質的条件だけを考えればよいのである。

「戦闘においては、質的条件を無視して、量的条件のみを考えることにより、量的条件を

無視してよいことになる。その結果は、はじめに無視した質的条件のみを考えればよい」と

いうことになってしまう。

言いかえると、戦闘においては、圧倒的な兵力、圧倒的な武器を揃えることにより、戦闘

に勝つことができる― まさに、太平洋戦争末期の状態そのものではないか。

ランチェスターの法則のもう一つの条件は、″地域戦′の法則であって、総合戦の法則で

はないということである。これは、小兵力、小企業が大軍や大手企業に勝つ道を教えてくれ

るものだ。

つまり、小兵力であっても、地域戦において敵に勝る兵力をもつことによって、戦いに勝

つことができる、ということである。

これの典型が、ベトナムとアメリカとの戦争である。

アメリカ軍は圧倒的な大軍を投入したが、ベトナム軍はアメリカの大軍とは戦いをさけて、

民衆の中に混じってしまった。

そして、グリラ戦である。アメリカ軍の小兵力の部隊や、兵靖線の中継基地などを、それ

以上の兵力で襲うことによって、ベトナム軍は勝利をおさめた。アメリカの援軍が来た時に

は、グリラの姿はなかった。

総兵力ではアメリカ軍の方が圧倒的だったが、個々の小ぜり合いでは、常にベトナム軍の

方が優勢だったのである。これこそ、ランチェスター戦略そのものであった。小が大に勝っ

たのである。

桶狭間の戦いは、今川軍五万と信長軍三千の戦いではなくて、桶狭間という局地戦で信長

軍の方が優勢だったので勝ったのである。

二つの法則

ランチェスターの法則は、きわめて簡単な法則が二つあるだけである。

第一法則(一騎打の法則)― ‐刀と槍、空中戦、自兵戦、二大勢力などの戦闘の法則で、

戦略地域(またはチャネル)の攻撃目標の決定に役立つ。

第二法則(集中効果の法則)――飛び道具(鉄砲、大砲、ミサイル)の戦いの法則で、地

域攻防戦の作戦樹立に役立つ。

この二つの法則は、別々のものではなく、二つの法則を一つの戦闘に適用してゆくのであ

る。

C 一騎打の法則

簡単なモデルで説明しよう。

A軍一五名とB軍一〇名で一騎打をしたらどうなるか。まず、A軍の一〇名とB軍の一〇

名が一騎打をすることになる。体力技量は互角だから、それぞれ一〇名が相打ちで戦死。A

軍は五名残り、B軍は全滅で、A軍の勝ち。

「ナーンダ、あつたり前じゃないか」……その通りである。人数の多い方が勝つ、占有率

の高い会社が勝つ、これがすべてである。

この、何とも当り前のことがサッパリ分かっていない社長が意外に多いのである。

さらに、自らの会社が競争に巻きこまれていることさえも知らないのである。

大消費地を狙うな

第一法則から導きだされる教訓の第一は、「大消費地を狙うな」ということである。この

ことをまったく知らないどころか、逆に、日本中のローカル企業にとって、大消費地こそあ

こがれのマーケットであり、そこに進出しては手痛い日にあっているのである。

O県の建材問屋では、県内と隣県の営業所はすべて黒字であったが、大消費地である大阪

の営業所は十年来の赤字続きであった。私が「大阪営業所は撤収すべきである」と、口をスッ

パク言っても、社長はついに私のアドバイスをきいてくれなかった。

G県のアパレルメlヵlでは、地区別の売上高では、最重点の東京が一四番目だった。そ

の得意先は零細問屋で、しかも都内の得意先は微々たるもので、大部分は近県の三流店だっ

た。

F県のF社は、事務用什器で県内占有率が三〇%を越すという一流企業だった。その業

績をふまえて東京進出を行ったが、東京では苦戦に次ぐ苦戦だった。そのために、東京に社

内の精鋭を集めたが、東京の壁は厚く、やっと軌道に乗った時には、東京であげた売上高よ

りも、地元の売上減少の方が大きかった。

企業戦争というものは、占有率の争いであり、占有率の大きな会社が勝利者なのだ。だから、自らの力で敵に勝る占有率を確保できる相手と戦うべきである。勝つ見込みのない相手

と、勝つ見込みのない地域では絶対に争ってはいけない。勝つ見込みのない戦いをするのは、

我社をつぶすことに通ずるのである。

敵の強いところに近よるな

第一法則から生まれる第二の教訓は、「敵の強いところに近よるな」である。

囲碁の格言にもまったく同じものがあるが、どちらも戦いだから別に不思議ではない。囲

碁のク厚味クに相当するものが″占有率´である。

0社は業務用のオフコンのメーカーであった。本社は東京。全国的に営業活動を展開して

いた。業務用オフコン業界のナンバーワンだつた。

特にY県に強く、占有率は六〇%を越していた。社長がお客様のところへ表敬訪間をする

と、お客様は、

「お前の会社のコンピュータなど買いたくないが、どこでもお前のところの機械を使って

いるから、仕方なく買ったのだ」と、憎まれ口をききながらも買ってくださる。これが占有

率の強味である。

地域ナンバーツーのA社が懸命にせり込んでくるが、むこうの動きは手にとるように分か

る。だから、少しも恐ろしくないという。

ところが、S県になるとA社が圧倒的に強く、0社にとっては文字通リクロの上のたんこ

ぶクで、社長も営業部も必死になって売り込みを行うが、どうしてもうまくいかない。優秀

なセールスマンを充ててもダメで、かぇって負け犬根性をもつようになって退職してゆくと

いう。ほとほと手に余るテリトリーなのである。なにしろ、こちらの動きはすべてA社に筒

抜けで、ただちに対応策をとられてしまう。

0社とA社は、自らの占有率の高い地域と低い地域をみると、占有率の高い地域は常に有

利で、低い地域は常に不利である。占有率の大きさで、販売成績が変わってしまう。セール

スがいかに優れていようと、占有率の力にはかなわないのである。

このことは、「いかにして敵に勝る占有率を確保するか」こそ、社長の最大関心事である

べきことを示している。

では、占有率を高める方策は何か……これもランチェスター戦略が教えてくれるのである。

P社長いわく、

一最近東北地方に対する市場戦略の展開を始めましたが、まだ占有率が低いので、訪問先

の前にライバル会社の車があると入りにくく、ライバル社のセールスマンが帰るまで物陰で

見張っていて、それからお店に入るのですよ。

地元では反対に、ライバル社のことなど無視してお客様の店に入ってゆくと、ライバル社

のセールスマンは用件もそこそこに退却してしまうのに……ですよ。やはり、占有率なので

すよ」と。

雪印乳業は、戦後はじめてアイスクリームを売りだした時に、東京、大阪、名古屋などに

は目もくれずに、ローカルの県庁所在地さえも避けて、小都市だけに絞って販売を開始した。

大都会や県庁所在地は、ク明治´″森永クの大手が押さえていたからである。

ローカルの小都市を制した後に県庁所在地に進出し、ここでシッカリと根を張った後では

じめて大都市に進出したのである。

行商の理論

YKKがサッシに進出した時には、ファスナーではすでに世界一の座を確保していたが、

サッシではまったくの新参者だった。

YKKが立派だったのは、ファスナーで世界一の威力も、サッシ業界には通用しないこと

を知っていたことである。そのために、先発業者が強い大都市、中都市、県庁所在地には近

よらず、山陰地方の小さな建具店を一軒一軒攻略していった。そして、次第に大きな市場に

打って出た。私はこれをク行商の理論クと呼んでいる。

徒手空拳の商人は、まず行商から始める。わずかな商品を背に、部びた山村漁村を回る。

山中の炭焼小屋、峠の一軒家、海岸の見張小屋まで訪れる。こういうところには、競争相手

はいない。まさに独占業者である。

爪に火をともすような思いで金をためて、大八車を一台買い、今度は多少ましな商品を積

んで村から町、町から村へと回って商売する。これで元手を貯めると、小さな町の場末に店

を借り、次に丁稚小僧を一人雇う。ここで商売がうまくいくと、いよいよ城下町のはずれに

店を持つ。さらに成功すると、城下町の一流の商店街に店を構え、ついにはお城への出入り

を許される― ということになる。

これがものの順序である。行商の理論こそ大切である。ムリや高望みは破綻のもとになる。

イトーョーカ堂の店舗立地戦略

イトーョーカ堂の店舗立地は、常に三流の商店街である。他の多くのスーパーは、まず二

流商店街または駅前を狙う。

そこは、他の多くのライバルと舷々相摩す激戦地である。

イトーヨーカ堂は、それらを横目で見ながら、三流商店街でトップの売上げを確保し、常

に他社を引き離した高い利益をあげている。

右の実例は何を物語っているか。

すべて、我社が優位にたって行動できる地域でなければ、販売の実績をあげることはでき

ないということである。その優位にたつ条件とは、いうまでもなくランチェスターの第一法

則であり、「人のゆく裏に道あり花の山」である。

そして、どんな小さな会社でも、優位にたつ地域の選定は、自らの意志で決定することが

できる。

大きな会社や力の強い会社は大きな地域を、小さな会社や力の弱い会社は小さな地域を、

自らの意志で決めるということである。

あるいは、地域のかわりに特定の業種や業態に絞ってもよい。この場合、地域戦略に対し

てクチャネル戦略クといわれている。

どちらの戦略をとろうと、いっさい自由である。

②集中効果の法則

モデルで説明しよう。

A軍三名とB軍二名で銃撃戦をした。A軍もB軍も、ともに一人一分間に六発の弾を敵に

射かける。そして、射撃の腕は全員が同じである。両軍の一人一人は、 一分間にそれぞれ何

発の騨丸を相手から射かけられるか。

A軍の二人は、B軍の二人から一人六発、計一二発を射かけられるから、 一人当り四発。

B軍の二人は、A軍の二人から一人当り六発、計一八発を射かけられるから、 一人当り九発。

つまり、弾に当る危険は、 一人当りにすると、A軍は一分間四発、B軍は一分間九発にな

る。これを法則化すると、

「飛道具の戦いでは、 一人当りの危険度はその人数の二乗に逆比例する」

ということになるのである。

この法則を戦力と置きかえると、相手に与える危険度が戦力だから、A軍″九ク対B軍ク四″

となる。つまり、戦力は両軍の人数の二乗に比例するのだ。

ノルマを廃止して売上げ急増……お客様訪間とは、敵に射かける弾丸である

I社は、小型事務用什器のメーカーで、業界有数の実績を誇っている。そのために、不

況の影響をあまり受けないのである。その秘密は、強力な販売体勢と優れた市場戦略にある。

私の勧告で、特約店任せの販売から、市場戦略に基づく蛇口作戦に切り換える時に、営業

課長がどうしても納得しなかった。夕販売ノルマクを外したからである。営業員というものは、

会社の商品を売るのが役割で、定期訪間が役割ではないというのである。何しろ、「売上げ

ノルマを外して定期訪間を確実に行え」という社長の方針だったからである。

これは、社長と私で十分な検討を行った上での決定であった。この決定の前に、私は、穴

熊社長に、自らお得意先訪間をするように提案し、社長自らこれを行い、意外なほど実績が

上がって喜ばれたからである。

その戦略方針は、以下の通りである。

① 地元のY市だけに限定して、Bクラス納入業者に対して定期表敬訪間を行う

② 訪問先は、大手のK社がガッチリと握っているAクラスの業者には絶対に近づかな

I社のメインディーラーは業界の四位で、Aクラスの″尻″なので、上位三社の押さえて

いるデパート、大手スーパー、大手納入業者に不用意にアプローチをかけると、「こやつ、

生意気な」とばかりに、ガツンと叩かれることを心配したからである。

社長は三日がかりで、深夜まで営業課長を説得し、売上げ減少があれば、それは社長の責

任であって、営業課長の責任にはならないことを強調して、やっと納得させたのである。

定期訪問回数は、お得意様一社につき、社長は月一回、営業課長が月四回とした。

回り始めて分かったのは、上位三社のセールスマンは、月一回がやっととのことだった。

たちまちI社の売上高が上がりだした。集中効果の法則では、五回対一回は気¨HNで、

効果はク二五対一´である。てんで、勝負にならないからだ。

この間、上位三社の情報を、いろいろ集めた。特にナンバーワンのS社の情報である。

私が特に重視したのは、大手のS社は、日本一のK社の系列なので、K社とS社との関係

がどの程度のものか、ということであった。

K社とS社は、資本的にも人的にもまったくかかわりがなく、K社の要請による社名のみ

の借用だった。また商品の益率はあまりよくないこと、そして重要な情報として、S社の社

長は、すでに七十歳を越えている、ということがわかった。

これなら、S社の得意先を奪っても、K社からI社に対する圧力は、あまり気にしなくと

もよい。その上、七十歳を越した社長の率いる会社は、活力が弱いことを私は知っている。

私はI社長と相談して、Aクラスの会社への切り込みを敢行したのである。K社の反撃は

なかった。Y市には、″こわいものクがなくなった。上位三社はいずれも弱かった。

たちまち、Y市におけるI社の占有率は四〇%にまで上がった。

この頃になって、やっとK社の反撃が始まった。市販価格がI社の三割安の競合商品をぶ

つけてきたのである。

ところが、流通業者に相手にされなかった、「何も三割も安い商品を売って、粗利益を減

らす必要はない。I社の商品が立派に売れているではないか」と。これが占有率四〇%の強

味で、プライス・リーダーの地位をI社が握ってしまっていたからである。

Y市で圧勝したI社は、セールスマンを増強し、Y県全域に徹底的な定期蛇口訪間を行い、

Y県の占有率を三〇%以上としてしまった。「I社のセールス来たる」の情報が入った途端に、

他社のセールスマンは浮足立って姿を隠すのであった。完全なク負け犬夕になってしまった

のである。

この戦略の成功は、I社のメインディーラーに大きな刺激を与えて、各地の営業所からI

社長に対して販促指導の申し込みが殺到した。メーカーの社長が、そのディーラーに対して

販促指導を行うということになってしまったのである。

家具にランチェスター戦略を使って

T社は、大阪の家具問屋だった。卸だけでなく、家具小売店ももっていた。その一つであ

る奈良県のK市の店舗は、開業以来業績が上がらず、社長の頭痛の種だった。社長のたって

の依頼に負けて店を見に行った。四階建で、総売場面積は二千五百平米くらいであった。

売場を一巡してみて、呆れてしまった。家具什器類は何もかもある。

什器類では、スモーキングスタンドからマガジンラック、シガレットケースから額縁まで

ある。

さらに、ベッド、カーテン、ナイトスタンド、絨緞、その上に子供用自転車から滑り台ま

であるのには、果れてしまった。当然のこととして、品種ごとのアイテムはきわめて少なかっ

た。いわゆる″田舎陳列クである。

「あなたのところは、間屋の方でク何もかも主義クで大ピンチに陥り、私がこれを重点主

義と商品のグレードアップで建て直してあげたはずだ。その時に、ク何もかも主義″はいけ

ないことを学んだはずだ。それを、なぜ繰り返すのか」と、まずはお説教である。これに対

して、「小売店は違うと思いました」という社長の答えである。実は、あるコンサルタント

に指導を受けていたことを自状した。

「バカ言え。その証拠に売れないじゃないか。お客様は見くらべて買うのだ。見くらべる

ものがないのでは、お客様は買ってくれないのだ」と教えてやった。

私の勧告は、「地域一番の品揃えをする」ということだった。これが見くらべて買うお客

様の要求に応える道である。

そのためには、まず競合店を調べなければならない。競合店の品揃えが分からないでは、ク品

揃え戦略クの立てようがないのである。

この店舗より売場面積の大きな店が市内に何店舗あるかをきいてみると、三店舗あるとい

う。そこで、この三店舗の品揃えの調査である。品種ごとに、婚礼セットならば何セット、

鏡台何アイテムということを調べる。

品揃え戦略における兵力とは、品種ごとのアイテム数である。これをT社の店舗に適用す

るのだ。T社は売場面積でナンバ14なのだから、工夫を要する。

大型店で一番売れるのは婚礼セット、二番目が鏡台と順位がきまっているのが家具小売業

である。

まず、婚礼セットのアイテム数をきめる。これは、競合三社のうちのナンバ11のアイテ

ム数より多くするのだ。多くすると、そこにク集中効果の法則クが作動する。見くらべるも

のが多くなるからだ。その効果は、陳列アイテム数の二乗に比例するのである。

他社よりも二割多ければ一の二乗対T 二の二乗でク一対一。四四クとなり、五割多ければ

二・二五倍となるのだ。

これは数量法則だから、質的な条件― 知名度、立地条件、商品のグレード、価格などに

よって、売上げが計算値と違ってくる。しかし、数量はランチェスターの法則で決まってく

るから、あとは質的条件だけを考えればよい。

右のような考え方に基づいて、売上げ金額の大きな品種順に、競合三社の最大アイテムの

二〇〜三〇%増のアイテム数を新たに加える。どんなものが売れるかは、T社の問屋部門の

売上げで分かっているのだから、売上げの上位から順に選べばよい。

こうして、スペースが満杯になったところで打ち切る。売場スペースはナンバ14なのだ

から、品種数はナンバ14以下になるのである。

次は、質的条件として、プライスゾーンは競合他社より一〜三割高くする。

キャンペーンは、チラシ広告を主とし、年四回― ‐春。秋のブライダルシーズン前と―夏

と暮れのボーナスシーズンである。

チラシ広告は折込というような横着をせず(折込はお客様が見る確率が非常に低い)、全

員が全市、全戸の郵便受けに蛇日配布とし(これはお客様が見てくださる確率が高い)、そ

れ以外に、ブライダルシーズンには駅頭でも配布を行うのだ。これくらいの努力をしてこそ、

後発と店舗面積ナンバ14という不利をカバーできるのだ。

私の勧告は、社長に大筋では理解していただけたが、品種数が少なくなるのが不安だとい

う。ムリもない。多品種主義からの大転換だからだ。そこで、妥協として、「一階だけは社

長の好きなようにする」ということにした。

結果は正直なもので、確実に売上げが上昇し、まもなく黒字転換したのである。

クロレラ販売戦略

D社は、米穀販売業であった。半年ほど前に、ある大手の業者から、クロレラの県内一手

販売権をとりつけて売りだしたが、さっぱり売れないという。「まだ特約店が二店しかでき

ていない。どうしたら売れるか」という相談である。

今、どんな売り方をしているかを聞いてみると、大手の元売会社の方式だという。それは、

全県を碁盤目に割り、その一つ一つをテリトリーとして人口を調べ、 一人当り売上げ目標に

人口を掛けて販売目標とするというものだ。

そして、テリトリー内の薬局に、クロレラ取り扱いのお勧めと説明会の案内ハガキを出し、

その会場で特約店の申し込みを受ける、というものだった。

こんな安易な方法で売れれば苦労はない。販売のタハ″の字も知らない机上の空論にしか

すぎないからである。売れないのが当り前である。

私は、商品販売の難しさをよく説明した。忍耐強く、あせらずにやらなければダメなこと

を強調して、さて、販売法は…ということになった。

私は、D社周辺の住宅地図を持ってきてもらい、そのなかの社長がよく知っている一軒の

薬局に印をつけた。特約店候補である。それを中心として、半径三百メートルの円を描き、

これを、その薬局のテリトリーとみなした(三百メートルというのは小型の商圏の大きさで

ある)。

次に、その薬局にD社長自ら出向いて、クロレラの仮の特約店をお願いする。契約金なし

とし、持参のチラシに、その薬局のハンコを押してもらう。

「契約金はなし。仮の特約店だからといって、クロレラを売るつもりなど毛頭ないけれど、

チラシにうちの薬局の判を押してさえおけば、これは素晴らしい広告だ」と考えてくれれば、

特約店契約はできたも同様である。

チラシは、D社の社員がドア・コールによって配布する。新聞折込は、効果がごくわずか

だから、やらない。

ドア・コールで、一日四百枚はいけるけれど、二百枚で我慢する。売れた場合は一箱のマー

ジン分を薬局に差し出す。D社の販売手数料はいただかない(ここが肝心)。これで薬局にク貸

しクができるからである。

この″貸しクがモノをいうのである。

また、クロレラを一梱包預かってもらい、店には陳列しないようにする(ここもミソ)。

ドア・コールは、それ以後一カ月一回、三カ月ごとに訪問瀕度を見直すというものであっ

た。

始めてみたら、案ずるより産むがやすし、巡回員が売る気をだしても一日せいぜい六十軒

しか回れないが、ポチポチ売れだした。私の作戦と訪問軒数が違うが、巡回員のやる気に水

を差すようなことはしない方がよいと、私が譲歩した。

売れた家のリストを、マージンとともに薬局に持参し、「この人たちが買いにくるかも知

れないから、お預けしたクロレラの現物をいくつか店に陳列してもらいたい」とお願いした

ら、即時オーケー。ついでに、クロレラのポスターを店頭に貼ることも了承してもらった。

売れゆきの調子が次第についてきた。それにつれて、巡回員(パート)もふやしていつた。

一年後には、D社の主力商品の一つになってしまった。食品よりもマージンが格段によい

ので、D社長はニコニコである。

私は、D社長に説明した。新商品は、このようなク心理作戦クが最も効果的であること。

このやり方を広げていって、全県をカバーした時に、元売会社がはじめに狙ったような特約

店網ができ上がるのであって、はじめに特約店網をつくって売るというようなことは不可能

であること。金だけかけても特約店はできないこと。金をかけずに(最小限は必要)、手間

をかけることこそ本当であること……をである。

二年目には、この特約店綱は県別の売上高で両横綱の一つになるまで成長したのである。

もう一つの横綱は、町内会長、婦人会長などにうまくクこねクをつけて成功した販売網だ

とのことである。あなただったら、この二つの方法からどちらを選びますか。

ドーナツ作戦

T社は、県都M市の事務機販売業だった。後発のために先発業者の陰になって、苦戦の連

続であった。県都なので、官公庁関係の機関や施設が多く、学校の数も多い。民間企業の本

社や大手の営業所などもバカにならない数である。しかし、先発大手の壁は厚く、いかんと

もなすすべがなかった。

私は、冷厳な市場原理を説明し、厚い壁を破る努力がムダであること、T社の生きる道は

先発大手の壁のないテリトリーにあることを強調した。

そのテリトリーとは、どこか。これは、県都によくある現象であるが、県都内だけで十分

に売上げも収益も得られるので、近隣にはあまり出ていかなくてもやっていけるために、近

隣が空白地帯になる。これをク灯台もと暗しクという。

私の勧告にしたがって、T社長は県都の周辺都市を回ってみた。そこには、ガラガラの空

白地帯があった。

T社長は、俄然張り切りだした。市内は現在のお得意先だけとし、新規得意先の開拓はや

めて、周辺地区に力を入れたのである。

それから三年ほどで、T社は周辺地区にガッチリと地盤を確保することができた。こうい

う作戦をクドーナツ作戦クという。自社のテリトリーとして中心部が空白だからである。

その間、市内の既存のお客様への定期訪間を怠らなかったために、ただの一社も失うこと

がなかったと、T社長は私に語った。

それだけではない。かなりの力を貯えたので、市内への攻勢をかけるべく、テスト的な活

動― お客様訪間を仕掛けたところが、三年前とは変わって、かなりの手応えがあった。

T社が強くなったので、活動の自由度が高くなったのである。

高密度布陣

東京の池袋にク福しんクというラーメン専門店がある。そして、池袋とその周辺地区に

二十数店ほど出店している(この書が出版される時には、さらに店数が増えているかもしれ

ない)。

いずれの店舗も、いつも超満員である。最近では、新店舗を開いても、初日から既存店と

同じ盛況である。

お客様は、新規店としてではなく、″福しんクの店として考えてくださる。それは、池袋

の超高密度地域なればこそできる高密度布陣だからである。

しかも、どの店に入っても、磨きぬかれた店舗、明るい照明、心のこもったサービスが、

お客様の心をシッカリとつかんでいる。それは、差別化というようなダサイものではなく、クユ

ニークな店″である。

もう一社、福岡市の天神にある″めがねの愛眼クが、やはり高密度布陣で、三十店舗以上

もある店のうち七店舗が天神だけに集中している(この数字はかなり以前のものだから、現

在はもっと増えているかもしれない)。

いずれの店も高収益をあげていて、勢力重複などカケラもみえない。どうみても、七店舗

の相乗効果である。

感じのよいユニフォーム、お客様の身になっての行き届いたサービス、磨きぬかれた店…

クめがねの愛眼″では高密度地域の特性をわきまえて、それらを、お客様のために最高度に

活用しているのである。

各社にみるランチェスター戦略の展開事例

井関農機と佐藤造機

佐藤造機は、すでに倒産してしまった会社である。井関農機は、りっぱに生き残っている。

両社は、農機具のメーカーで、ともに似たような規模だったのに、明暗を分けたものは何だっ

たのだろうか。

その最大の違いは、販売戦略であった。

農機具といえば、その主要得意先は農協の経済連である。

佐藤造機には、戦略がなかった。ただ全国の経済連への売り込みだけであった。しかし、

そこには、久保田鉄工とヤンマーという大手三社が頑張っていた。どこでも二社の後塵を拝

さぎるをえず、販売不振の末につぶれてしまった。

佐藤造機の誤りは、ランチェスターの第一法則を知らず、大手二者との一騎打だったから

である。当時の経済誌では、ホンワカムードが原因だと書かれていたが、これは二次的なも

のにしか過ぎないのである。

井関農機は、本拠地である愛媛県と、工場のある熊本県だけに絞り、全力をあげて販売を

行った。ランチェスターの第二法則そのままにしたがって、久保田とヤンマーと戦ってきた

ために、この二県では必要な占有率を手に入れることができたのである。

弱者は常に戦場を絞り、ここに全力投球することこそ生き残る道であることを、我々に教

えてくれるのである。

片岡物産とナカバヤシ

戦前から、紅茶といえばクリプトンクと決まっていた。そこへ、戦後に殴り込みをかけた

のが片岡物産のクトワイエングクである。

片岡物産は、トワイエング一本に絞り、売場は日本橋の高島屋のギフト用品売場だけとい

う徹底的なクドリル戦法″をとった。そこで、高級品イメージによる集中的な販促を行った

のである。

そして、高島屋のギフト売場で四〇%の占有率を手に入れた。マーケットの主導権を手に

入れたのである。途端に全国の大手業者がトワイエングに殺到したのである。

ナカバヤシは、アルバム一本で成功した。総合力では、コクヨの足許にもおよばないが、クフ

エルアルバム″という、台紙の増減自由な新製品一本に絞り、文字通りのドリル戦法でコク

ヨのアルバムを追いぬいたのである。

シャンソン化粧品

東海道新幹線の下り、静岡市のすぐ手前右側に、シャンソン化粧品と書いた煙突が立って

いる。

同社は、化粧品の訪問販売を行っている高収益会社である。エイボン・レディのむこうを

張って、シャンソン・レディと称する若い女性によって訪問販売をやっている。

テリトリーは、静岡県内に限定して、一歩も他県に出ない。それだからこそ、他社よりも、

はるかに高密度の訪間を行うことができる。それが高業績を生んだのである。

資生堂やカネボウのような全国的な知名度はまったくないが、静岡県一円での知名度は抜

群である。

一時、細川隆元のク時事放談クのスポンサーとして、「シャンソン、シャンソン」とコマー

シャルをやっていたことがある。私は、「全国ネットでのテレビコマーシャルなどムダである」

と思っていた。もっとも、しばらくしてやめてしまったが、その誤りに気がついたのであ

ろう。

数年前、静岡駅前に立派なビルを建てたが、小さいので安心した。「本社ビルを建てると

会社はつぶれる」というパーキンソンの法則にしたがうような心配はないであろう。いつま

でも、ローカル企業で伸びてもらいたいものである。

地域特性と市場戦略

ダイレクトメールを突き返された

大阪府に本社のある商事会社が、北陸三県に進出する第一弾として富山市に営業所を開設

し、営業所開設の挨拶状とダイレクトメールを送った。

ところが、金沢市に発送したダイレクトメールと挨拶状が返送されてきた。完全な拒否で

ある。普通ならば、無視されて紙屑籠に直行ということになるのが……である。

社長は、そのわけが分からずに、私に尋ねてきた。

それには、明白な理由があるのだ。加賀百万石、前田様のご城下の金沢市にとっては、高

岡までが本来の領地で、富山市は外様なのである。だから、富山県は今でも呉羽山を境にし

て、富山地方と高岡地方にわかれ、別々の市場を形成している。また、越後と信州の経済的

な境日は、長野市のド真中を流れる信濃川なのである。だから、長野市は両方の経済圏が入

り混じり、事情を知らない人には、わけのわからぬ市場となっている。

「外様のくせに、前田候のご城下で商売しようとは何事か。けしからん」というわけで、

ダイレクトメールが送り返されてきたのである。

このような現象は、全国いたるところにある。

日本の自然な経済圏は、江戸時代の藩である。藩は地理的、気象的条件によってできたも

のだからである。それを、藩の勢力を弱めるために、明治維新による廃藩置県で、旧藩の領

地を切ったり貼ったりして現在の県ができた。だから、市場戦略には江戸時代の藩の地図で

研究する必要がある。

その地域内に開設した営業所は、その地域特性にしたがわぎるをえないのである。だから、

名刺に書かれた営業所の所在地は、非常に重要な意味をもっている。

富山市には飛騨地方の出身者が多い。親せき関係も多い。だから、高山を攻めるには、同

じ岐阜県から攻めてもうまくいかない。ある大手の食品会社が、岐阜営業所から高山を攻め

たが、どうしてもうまくいかないので、私に問い質しにこられた。答えは、「富山市の営業

所からでなければならない」である。

金沢市にゆくと、すぐに気がつくのが、名鉄タクシー、近鉄タクシーが営々と営業してい

ることである。これは、何か経済的理由があるのか、ということになる。

北陸三県の県民性を表現するたとえ話に、「食うに困ったら、富山県人は泥棒をする。石

川県人は乞食をする。福井県人は詐欺をする」というのがある。富山県人のバイタリティ、

石川県人の温和さ、福井県人の頭脳性を意味している。

北陸三県と簡単に片づけたのでは、市場戦略はうまくいかない。さまざまな特性の違いが

あることを忘れてはならないのである。

青森県の八戸市は南部藩、青森市は津軽藩、そして昔から犬猿の仲。八戸市のスーパーに

お伺いした時に、インストアベーカリーとして青森市の会社が入っていた。どうしてもシッ

クリいかず、結局、袂を分かつことになってしまった。

広島県の福山市は備後であって、岡山の池田藩である。福山市の人々の顔は徹底して岡山

に向いている。かつては、広島市の会社が、ドッと福山市に営業所や店を開いたが、今はす

べて広島に引き上げてしまった。

天領、譜代の藩であった地域と、これに隣接する外様藩だったところは、未だに経済的交

流が少ない。監視する側と監視される側だったのだから、うまくゆくはずがない。有田のあ

る会社が佐賀に店をもったが、売上げ不振で引き上げざるをえなくなったのである。

城下町と宿場町

日本の都市の発祥は、城下町と宿場町であって、例外が栃木県である。そして、今でもそ

の特性をもっている。

城下町であった都市は保守的であり、宿場町であった都市は開放的である。

城下町でも、ク御三家クのあった名古屋、水戸、和歌山は、今でも独立した経済圏を形成

していて、県内の経済とうまく溶けあわない。特に名古屋は、日本一入りにくいマーケット

であることは、多くの人々が知っている。

栃木県は、日光東照宮という観光、鬼怒川温泉という行楽、産物は麻・かんぴょう・タバ

コという多彩さ、いずれも県外と密接な関係があり、当然のこととして他県人大歓迎である。

だから、栃木県ほど他県から入りやすいところはない。他県企業進出など意に介さない。

阪奈(大阪―奈良)高速道は、とっくの音にできて、ご存知のような交通量だが、阪和(大

阪―和歌山)の高速道は、未だに開通していない。浪花、堺の商人のプライドが紀州様に近

づかず、県境にあるたった数百メートルの丘のような和泉山地(山脈ではない)を越えよう

それが阪和高速道ができない理由である。住民は道路建設に反対ではない。まったくの無

関心なのである。だから、高速道はク関空″までである。

進出の難易

福岡市は、九州の首都ともいうべきで、九州進出のほとんどの企業が、まずここに営業所

をだす。

そのために超過密になって、こんなに商売のやりにくいところはない。市場戦略的には、

新規進出は避けるべきである。

これと同じようなケースが、四国の高松市である。高松市のメインストリートを通ってみ

たら分かる。東京、大阪、その他の日本の名だたる会社の看板ばかりが日白押しで、地場の

影はきわめて薄い。中小企業などは、まず商売にはならないだろう。

四国攻めは、平安時代から戦国時代まで、常に阿波に上陸している。私は、四国攻めでは、

まず徳島に上陸することをお勧めする。

ついでに、四国の県民性をたとえ話で紹介しよう。

四国の人は、まとまった臨時収入があったらどうするか。香川県人は、欲しいものを買う

(豊かだから)。愛媛県人は商売を始める(商才あり)。徳島県人は貯金をする(堅実型)。高

知県人は呑んでしまう(自然の恵み豊かで暮しやすい)というものである。

広島県と島根県は、同一の経済圏である。中国山脈が両県の境にあるが、低いので昔から

交流がやりやすかったからである。浜田市へ行った時に、現地の人は、「広島県浜田市ですよ」

と言っていた。

これに反して、岡山県では中国山脈が高く、鳥取県との交流は少ない。

入りやすい県としては、栃木県に次いで、静岡県と宮崎県がある。自然の恵みが豊かで、おっ

とりしているからである。

陸の孤島というべきは、長野県の飯田と熊本県の人吉。完全なポケットは、淡路島である。

形状からみると、面の市場、線の市場、点の市場という分け方ができる。その外に半島、離島、

辺境がある。

それぞれの地域では、地理的条件と気象条件にしたがって産業や政治が生まれ、歴史的な

へんせん  ヘ

変遷を経て、今日にいたっている。そこに、さまざまな地域特性が生まれ、多様な市場を形

成している。

市場戦略は、それぞれの地域特性を見きわめ、それに順応しながら展開されてゆくもので

あって、これを見誤まると、成功はおぼつかないことを忘れてはならないのである。

ランチェスター戦略を展開する

これまでのまとめとして、ランチェスター戦略を定義づけておこう。

-498-

ランチェスター戦略とは、市場を細分化し、優先順位をきめ、これにしたが

って一つ一つのテリトリーまたはチャネルに、敵に勝る戦力を投入することに

より、その地域またはチャネルの占有率を高めてゆく戦略である。

戦闘というものは、両軍の総兵力と総兵力の戦いではなく、特定の地域において、その戦

闘に参加している両軍の兵力と兵力との戦いであって、その兵力の強弱によって勝負が決ま

るものであるc

前述のように、桶狭間の戦いは、今川義元の本陣だけにおいての局地戦であって、今川軍

五万の大群は、桶狭間の戦いに関しては無いのと同じだったのである。

ベトナム戦においても、ベトナムのグリラ軍の方が、 一つ一つの局地戦でアメリカ軍より

強かった。それがアメリカ軍を泥沼戦に引き込んで、ニッチもサッチもいかなくしてしまっ

たのである。

『三国志』において、呉の陸遜が、揚子江岸に延々たる布陣を敷いていた蜀の玄徳軍を破っ

たのも、玄徳の本陣だけを強襲したからである。この敗戦に大ショックを受けた玄徳は、自

帝城で死んでしまったではないか。

すべて、ランチェスターの法則どおりである。

ランチェスターの法則ほど変幻自在で応用範囲の広いものはない。その人の知恵と能力に

よって、絶大な威力を発揮する。

″強クがク弱″に勝ち、ク大クがク小クをやっつけてしまうのは当然として、″弱″が″強″

を破り、ク小クがク大クをキリキリ舞いさせるのもランチェスターの法則の威力である。こ

れを考えてみよう。

①先手、先手と働きかける

テリトリーの細分化は、自らの意志でどのようにでも決められる。敵が強ければ小さく、

敵が弱ければ大きく決めればよい。

それは、特定の得意先における特定商品にまで細分化が可能である。どのように決めよう

と、それは無形なるがゆえに、敵には分からない。

敵は、攻められても、なかなか気がつかない。気がついた時には、痛めつけられている。

痛めつけられてはじめて気がつく。これが先手でなくて何であろうか。

攻撃の優先順位の決定も、投入兵力の大きさも、敵に知らせるわけではないのだから、敵

がそれに気がついた時には、すでに手遅れである。

②最強の戦力とは、″訪問回数´である

社長は、自らの訪問回数はもちろん、役員や管理職、セールスマンの定期訪問回数で敵に

勝るようにすることが肝要であり、このことこそ心がけ次第で、どんな会社でも可能である。

訪問回数とその効果とは、どんな関係があるか、〈第37表〉をご覧願いたい。

この表は、売上高と訪問回数の間にどんな関係があるかを示したものである。

ここにあげた三つの会社の営業日報から作ったものなので、セールスマンの考えによって

それぞれの訪間をきめたものかどうかは分からないが、そのようなことはどうでもいいと思

われるほど、そこにはハッキリした共通の特徴がある。それと同時に、訪間をどう直したら、

より大きな成果をあげることが可能かということが明瞭に読みとれるのである。

それにしても、日本人という人種は、よくもこれほど同じようなことを考え、行動するも

のだなと痛感させられる。売れる会社への訪問よりも売れない会社への訪問回数の方が圧倒

的に多いのである。

同じような行動を三社ともとっているということは、管理職以上の人が、訪間の重要性を

知らずに放任しているということである。

もしも、これを、計画的な訪間とし、客先でどうしなければならないかを教育するならば、

成果は見違えるほど大きくなるということである。

右の改善は、賢明な読者にお任せするとして、本題にもどることとする。

訪問こそ、大きな成果をあげて、ライバルに差をつける戦力であることを、十分に理解し

ていただきたいのである。

市場戦略の成否はここにあり、との信念のもとに、全社をあげてのお客様訪間とその支援

を実行する会社こそ、勝利の栄冠を手にすることができるのであるc

③変幻自在な戦略

前述のように、テリトリーの細分化は、状況の変化により、いつでも集約・分割が可能で

あり、優先順位は戦況の変化― 彼我の力関係の変化、商品構成の変更、得意先の方針変換、

市場の変貌などの要因で必然的に変わってゆく。いや、変えるべきである。

定期訪問基準も、得意先格付も、定期的見直しが必要である。これが変われば訪問も変わっ

てゆくc

占有率が高まってゆくにしたがって、上位からの圧力も強まってきて、これに対処する戦

略も変わる。ある限度を越えると、今度は戦略の自由度が高まる。

新たな敵の参入や出現によって、戦略も内部の体勢も変える必要がある。特に異業種から

の参入は業界全体を大きくゆさぶる。

以上のような、大小、緩急さまざまな変化に素早い対応が可能なのがランチェスターの法

則である。

④いかなる業種・業態にも適用可能

そこに販売がある限り、ランチェスターの法則はいかなる業種・業態にも適用できる。

私がお手伝いしたなかには、進学塾、美容院、自動販売機のオペレーターなどもある。い

ずれも立派な企業であり、ランチェスター戦略の適用の例外ではない。そういう、より深い

認識がランチェスター戦略にとって必要であろう。

倒産寸前の会社がランチェスター戦略で東北地方制覇

M社は、仙台の衣料品問屋で、社員は二十名にも満たない限界企業で、売上げ不振から赤

字に

私がお伺いする直前に、営業部長が、営業員数名を引きぬいて独立するという事件があり、

残った社員は若手と女性だけで動揺していた。このままでは倒産必至である。

私はさっそく展示場をかねた倉庫を見せていただいたが、商品構成そのものに赤字の原因

を発見した。

それは、赤字会社共通の「何もかも扱う」という何でも屋である。こうした品揃えは、大

手総合間屋のやり方であって、小企業のやり方ではないのだ。

小間屋が、何もかも扱うという誤りをおかす原因は、「大手が多品種を扱っているのに、

我社が小品種では、はじめから競争に破れていることになる。せめて、商品の種類くらいは

大手と互角でなければ、戦いにならない」ということだけしか頭にないからである。

そこで、ク多品種少アイテムクという商品構成になり、「お客様はどんな買い方をするか」

ということをまったく忘れてしまっている。そのために、四七九頁以下ですでに述べた大阪

の家具問屋の事例と同様に、「見くらべて買う」というお客様の購買態度を満たすことがで

きなくなる。このような店には、お客様は三度と足を運ばなくなってしまい、売上げ不振を

起こしてしまうのである。

多品種少アイテムの考えが間違っていることについては、専門店を見ていただきたい。品

揃えは単品種で、そのなかでの多アイテム化を行い、「見くらべて買う」というお客様の希

望を満たしているために、お客様がきてくださるのである。そして、立派に利益をだしてい

るではないか。「お客様の要求を一店で満たす」― ,これが専門店である。

ランチェスター戦略では、兵力の多い方が勝つ。この法則を、専門店では、特定の品種に

おいて多アイテム(多兵力)を揃えて、少数アイテムの店に勝つのである。たとえ、相手が

大問屋であっても、特定の商品の品揃えで大手に勝れば、その特定商品では大手に勝つこと

ができる。これが″局地戦′である。そして、この局地戦こそ専門店の行き方(戦略)なの

である。

ランチェスターの第一法則は、ク大クがク小クに勝つ方法を教えていると同時に、夕小クが

ク大クに勝つ道も教えてくれるのである。

このことは、大手とて、大手意識にドップリとつかっていたら、いつ″小の虫クに食い荒

らされるか分からないということである。前述のように、アルバムのナカバヤシは、アルバ

ムだけに絞って、コクヨの一角を食ってしまったではないか。同じ農機具を作っていながら、

佐藤造機はク大の虫´に挑戦してやぶれ、井関農機はク大の虫クを避け、ク小の虫クを食べ

て生き残ったのである。

自動車業界でも、ク大の虫クであるトヨタやニッサンは、大型車から小型車まで総合戦で

争い、スズキやダイハツはク小の虫クなので、軽。小型自動車に絞って、立派に生き残って

いるc

では、マツダの破綻は、なぜだろうか。その回答は、三菱とホンダがだしている。

どちらの会社も、大手のトヨタやニッサンには負ける。しかし、これを補うものをもって

いる。三菱は重工業、ホンダは二輪車である。つまり、 一種の多角化である。

多角化というものは、うまくいくと相互扶助の関係となり、不足を補い合うことができる。

それがうまくいった実例である。

そもそも、三菱という会社は不思議な会社で、重工業においては、三菱グループという他

に比をみない強固な団結で、相互扶助のメリットを十分に享受している。そのくせ、世界一

どころか、国内だけをみても、日本一の会社は少ないという、まことに不思議なグループで

ある。

では、マツダではどうすべきであったろうか。

一例として、マツダの得意の分野に限定することである。それは、ロータリーエンジン、

近くはリーンバーンエンジン(省エネエンジン)などにみるエンジン技術である。それも、ロー

タリーエンジンのように、トップの道楽はやめて、あくまでも実用エンジンに限定すること

である。

その生産方式は、日本の多くの会社に見られる中途半端な外注ではなく、むしろ、外注を

本命とし、内作はほどほどにする。そして、あくまでも実用エンジンの開発に全力をあげて、

これで世界一を目指すというビジョンが考えられる。

外注本命というのは、日本ではあまり考えられないというよりは、外注に関する認識自体

が不足している。本当にコストダウンを図りたいのなら、二次下請、いや二次下請まで社内

製作と同様なウエイトを置くと同時に、高い目標を設定し、大企業にはない、中堅企業や中

小企業の品質とコストの両方を手に入れるべきである。

外注のメリットは、数字的には、私の社長学シリーズ『増収増益戦略篇』を参照していた

だきたい。生産においても、中小企業独得のユニークな考え方により、コストを大幅に下げ

ながら、賃金の方は格段によくすることができることを、私は長年にわたる中小企業に対す

るお手伝いで痛感している。

中小企業のもつ優れた潜在能力を引きだす道を、一日も早く開いていただきたいのである。

さて、話を衣料品問屋のM社にもどそう。

M社の商品構成は、紳士物、婦人物、子供物、寝装品…とある上に、ジーンズまであった。

紳士物は、まず背広からはじまつて、ブレザー、スラックス、コート、ヮイシャツ、ネク

タイ、靴下、 ハンカチ、ベルト、ネクタイどめ、サスペンダー…と、ないものはない。冬に

なれば、マフラーから手袋まで扱うことは間違いない。

婦人物も、スーツ、ワンピース、ブラウス、スラックスからはじまって、下着、肌着、ア

クセサリーにいたる。年齢層はジュニアからはじまり、ハイミセスまである。

子供物はトドラ(幼児)から、ボーイズ、ガールズまですべて揃えている。寝装品も、す

べてのレパートリーをカバーしている。ジーンズは、子供物まであるのだ。

このような品揃えの場合に、ランチェスターの法則から、どんなことが言えるのだろうか。

それは、集中効果の法則の逆をゆくものだということである。

文字通り、洋品のすべてを揃えているのである。これがM社の品揃えの誤りである。

私は、M社長に右のことを説明して、その誤りを正すところから始めた。それは、次のよ

うなものだったc

① 寝装品は切り捨てる。ただしパジャマだけは残す。

② 紳士物は、ブレザー、スラックス、ワイシャツの二つを柱とする。他は縮小または

切り捨てる。

0 婦人物はミセスを主とし、下着、肌着、アクセサリーはすべて廃止する。

0 子供物はトドラ(幼児)のみとする。

⑤ ジーンズは現状通り。

寝装品は、最も弱かったから、切り捨ては当然である。寝装品は専門業者がおり、これと

戦うことなどできるはずがないのである。扱うこと自体はじめから間違っているのだ。パジャ

マだけ残したのは、当初は切り捨てる予定だったが、お客様の要望が強かったからである。

お客様の意見では、「大メーカーのパジャマは、アイテム数が少なくて売りにくい。M社は

アイテム数が多いから売りやすい」というものだった。

大企業の、お客様を忘れたクコスト第一主義クがお客様の不評を買っているのだ。もしも、

大メーカーの社長がお客様のところを回っていたら、こうしたことは起こらないのである。

紳士物では、背広は、当然、専門業者でなければやれない商品であることを説明したのだ

が、高額商品だっただけに社長は未練があった。仕方がないので、「在庫を置かない」こと

を条件として取り扱うことで妥協した。私としたら、他の商品が売れるようになれば、自然

消滅するという見込をもっていたからである。

プライスゾーンは売れ筋を中心に絞り込み、それより安いものと高いものを少しずつ上下

に配置する。プライスゾーンの一格高いものの売上げに注目し、これの在庫は売れ筋商品の

半分の回転率を目安とする。これをやらないと、お客様の要求が高い方に移るのを見逃す恐

れがあるからだ。

売れ筋より安いものは、売れ筋商品を売るための夕囮商品クとして必要なのだ。料理のメ

ニューにク松竹梅クとあるのと同じ理屈である。ク竹クを売りたい時は、それより安いク梅″

が必要なのだ。人間には見栄があるからだ。

ワイシャツは、はじめからM社の商品のなかで品揃えが最も充実しており、売上げ実績も

よかったので、これを紳士物の最重点商品として思いきった充実を行う。将来はクワイシャ

ツのM社クとお客様から言われるようになり、これで東北地方のナンバーワンになることを

目標とする― ―ということにしたのである。

問題なのは婦人物だった。品種も売上げも多かったが、何もかも主義とヤング中心という

限界企業として最もまずい考え方をしていたからである。

何もかも主義の悪いところは、すでに述べたとおりであるが、困ったのはヤング指向であ

る。

たしかにヤングのマーケットは大きい。大きいという理由だけで、猫も杓子も、草も木も、

ヤングヘヤングヘとなびく。そこには超過当競争が起こっている。それも、小さな業者ほど

ヤング指向が強いのである。「早く大きくなりたい。それには大きなマーケットがよい」と

いうわけである。しかし、この願望がかなえられることはまずない。超過当競争による売上

げ難と低収益で、いつまでたってもウダツが上がらないのである。

「人のゆく裏に道あり花の山」で、私はミセス物を中心とすることを勧めたのである。

これは、穴熊だったM社長が私に尻を叩かれてようやく実行したお客様訪間によって、ミ

セス物の要求が強いことが分かっただけでなく、店格の高い店はどこの要求が強いことも確

認されたからである。小さな業者は常に小さなマーケットを指向し、そこで大きな占有率を

確保することこそ存続から繁栄への道なのである。

ミセスになると競争はグッと小さくなり、プライスゾーンは上がる。M社にとってこんな

有利なマーケットはないのである。アンダーウエア(下着)を捨てるように勧告したのは、

ここまで手を広げる余裕がないからである。というのは、過去の実績を調べても、ろくな売

上げがない。それは、アイテム数が足りないからである。

厄介なのは子供服であった。トドラから十二歳まで、それも男女両方である。広い年齢層

に男女両方の品物で、他社に勝る品揃えなどできるはずがない。これは、社長自身が感じて

いたので、すんなりとトドラだけに決まったのである。

こうして、第一段の商品の絞り込みが行われた。私はさらに社長に申しあげた。

「これで商品の絞り込みが終ったわけではない。あくまでも暫定的なものだ。将来は売上

げの実績を見て、売れるものはさらにアイテムの充実を行い、売れないものは淘汰してゆく

のだ。

そして、将来は何かの商品で東北地方でナンバーワンにもってゆく。ナンバーワンの商品

を育てることに執念を燃やすのだ」と。

私とすれば、近い将来に子供物を切るのが望ましいと思っていた。そして、紳士服、婦人

物、ジーンズの三本建てでしばらく進み、次にはジーンズを切って紳士物、婦人物の二本建

てとなり、最後には、そのどちらかを切って文字通りの専門問屋になる。

私としては、婦人物を切るべきだという意見だった。婦人物は大手間屋が目白押しだが、

紳士物専門間屋は数が少ないからである。

その時は、さらに高級品も扱い、状況によったら品種を増やすことも考える。安物を除い

た紳士物または婦人物で東北地方一番の総合間屋になるというビジョンをもたなければなら

ない。これが私のM社長に対する次の段階へのアドバイスだったのである。

商品の方向づけは決まった。あとは販売である。

私がお伺いした時の第一発のハッパが、「お客様のところを回りなさい」だったわけだが、

これを行った社長は、今までの営業任せがいかに間違っていたかを痛感させられたという。

いちばん驚いたのは、セールスマンがお客様のところをあまり回っていないことであり、

配送サービスの悪さであった。

回っているうちにお客様と親しくなり、いろいろな要求や悩みなどを聞かせてもらえるよ

うになったのである。前述のクミセスク物の要求も、このなかの一つであった。

販売方針は、お客様の要求と売上げ実績の分析と合わせて検討した。そのうちの一つが〈第

38

表〉である。それぞれの都市の得意先売上げを合計し、その都市人口で割ったものである。

これには、周辺の人口は含まれていないが、周辺の人口も、ほぼ都市人口と比例すると考え

れば、 一人当りの売上げ比率は変わらないからである。

この表を見て、あなたはどんな感じをもたれるだろうか。

ベストテンの七つまでが、人口が少なくてク市クになれない″町″であり、ナンバーワン

の瀬峰町は、仙台市北方約五〇キロメートルにある。ここは、戦略を展開してゆくうえで、

拠点としての重要性をもっている。ここが一人当り売上げがナンバーワンというのは、将来

の楽しみがあると、私には感ぜられるのであった。

ナンバーツーの宮崎町にいたっては、県北の西寄り、奥羽山脈の麓の小さな町から、道筋

ぞいで七〇キロメートル以上ある。山形県にぬける道もないク行き止まり″の町である。周

辺の人口も少ないことは、三方を山に囲まれていることで推定できる。むろん、東北本線も、

東北縦貫道も無縁の町である。

宮崎町のお得意様は一社で、M社長は一回もお伺いしたことがないばかりか、セールスマ

ンさえ訪問したことがないという。お得意様の方から買いに来てくださるという。

社長が力を入れ、セールスマンの訪間の大部分を投入している地元の仙台市は、ランクが

一一位で、まったく訪問しない宮崎町がナンバーツーなのである。仙台で弱いのは、限界企

業だからであり、宮崎町で強いのは、大手が無視しているため、M社の出番があるのだ。つ

まり、弱者は大市場に弱く、小市場で強いのである。

この表では、十一位以下ではク市クだけにしているが、実際には二三位までに町が六つあ

るので、市と町は同数となり、しかも町の方がだんぜん売上高が多い。市では弱く、町では

強いのである。社長の意図とはまったく反対だったのである。

さらに地域別に見ると、仙台市を境にして南は亘理町(第五位)、岩沼市(第八位)、角田

市(一三位)と、亘理町以外はランクが低い――つまり、県南に弱いのである。

これは、亘理町と角田市はク磐城の国クであって、岩沼市以北はク陸前の国クであるから

だ。国が違うのは、江戸時代まではク経済圏クが違っていたということである。県南で売上

げ実績が低いのは、そのためであると考えられるのである。

右のような検討の後、新戦略を打ちだした。当然、それは夕弱者クの戦略である。

すなわち、計画的な中級品化を行い、従来の仙台重点主義を捨てて、大手の手の届かない

ローカルに重点をおき、社長をはじめとする営業員の全力をあげての定期訪間をベースにす

るというものである。

全県を仙台市、東北部、県北部、県北西部、県南部として、

① 仙台市は限界的地位なので、大手との全面的対決を避け、紳士物はワイシャツ、婦

人物はミセスの、それぞれ中級品を最重点商品とした。これは、社長のお客様訪間の

結果、店格の高い店は一様に中級品不足を訴えていたからである。

中級商品を主力として中級の得意先を絞り、この得意先に対して、敵よりはるかに

多い訪問回数を実現する。これこそ、仙台市の業者の最大弱点だからである。

② 東北部は、多賀城―塩釜―石巻―涌谷―豊里―志津川―気仙沼という線の市場とし、

ここを最重点地区として従来に数倍する定期訪間を実施する。M社が有利に戦いを進

められる有望市場としての利点を生かして、敵を圧倒する

6 県北部は、M社のナンバーワン市場である瀬峰町を中核とし、同心円的に面戦略を

展開する。

0 県北西部は、古川市を拠点として、鳴子、宮崎、小野田などの山麓都市を攻め、さ

らに余力がある場合は、大和、三本木などにも進攻する。

⑤ 県南部は、M社が苦戦している地域なるがゆえに攻勢はとらず、有力な得意先を選

び、拠点の強化を行うことにより、将来の攻勢への足場を確保する。

限界企業としては、強気にすぎるようだが、仙台と県南への投入資源を減少することと、

得意先ABC分析による訪問先の絞り込み、さらに、社長の得意先訪間とセールスマン一人

当りの訪問回数の増加などの総合的な手を打つことにより、とにかくやってみる。あとは、

結果を見て作戦を再検討することとしたのである。

M社長の頑張りにより、その期― 私がお伺いしてより十力月後――は、経常利益一千万

円を達成してしまったのである。

私がいつも感ずるのは、「あっけない」ということである。相手― それが何十社あろうと、

戦略など何もないのだから、こちらが戦略をもって臨むと、相手はなす術がないのである。

翌期は、「経常利益四千万円に挑戦します。ムリは承知の上で頑張ります」と言う。

それから九年後の電話では、「紳士物を主体とした戦略のお陰で、東北地方でナンバーワ

ンになってしまった」ということだつた。

その途端に奇跡が起こった。トワイエング紅茶が、占有率四〇パーセントを達成した時に、

全国のデパートや一流問屋がいっせいにトワイエングに飛びついたのとまったく同じに、M

社にも衣料関係の大手業者が殺到して、様々な協力を申し入れてきたのである。ナンバーワ

ンの特典が、ここにあるのだ。

倒産に瀕していた、たつた二十名ほどの限界的零細企業が、十年もたたないで、紳士物で

東北地方を制覇してしまったのである。

その原因は、

① 社長の徹底したお客様訪間により、お客様のニーズをシッカリとつかんで、これを

忠実に実現した。

② ランチェスター戦略の導入により、他社には戦う術を与えなかった、というよりは、

気づかれなかった。

ということにある

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