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七、間違い社長列伝

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店舗拡張社長

K市にMという大衆料理店があった。旦那さんが庖丁を握り奥さんがお客サービスをしていて、あとは皿洗いのおばさん一人だけだった。

献立も味も、サービスも雰囲気も値段もすべて庶民的で気楽に呑み喰いできる店であった。

だから、いつもお客がたてこんでいた。私もファンの一人で、K市べ行った時には必ずMに立寄っていた。ある時、M氏夫妻で揃って私のところへ相談にきた。

相談は、今の店は借店舗で、家主から立退き要求があり、他所へ移らなければならなくなり、用地を探したところ、すぐ近くに適当な用地が見つかり、ここに新店舗をつくりたいという。

ついては、その新店舗の設計案ができたので、私の意見をききたいというのである。

M氏の広げた図面は三階建で、三階を住居として、 一階と二階を店舗にするというものだった。一階と二階の店舗面積の合計は、いままでの店舗の三倍以上もあった。

私は、M氏に三階建を三階建とし、三階を住居として、一階だけを店舗とすべきであると勧告した。それは、次のような要旨であった。『あなたは、何故自分の店がはやるのか本当に知っているのだろうか、それはあなたの庖丁と奥さんのサービスという家庭的なところにある。お客さんはその気楽な雰囲気を求めてくるのだ。

それを、 一階と二階を客席にしたら今までの三倍もの広さになる。当然、板前もやとい、サービスに二人や二人は必要となる。

そうなった時には、いままでのような家庭的なサービスはできなくなってしまう。ということは、お客様があなたの会社に求めていたものが失われてしまうということだ。そうなっては、お客さんは失望して、あなたの店に来なくなってしまう。商売というものは、お客様の求めているものを提供することによって成立つことをくれぐれも忘れてはいけない。

私が店は一階だけにしなさいというのは、三階まで客席にしたらお客様の求めているものを提供できなくなるからなのだ。不用意に客席を拡げるようなことをしてはいけない』と。

しかし、やがて完成した新店舗は、原案通りの一階と二階を客席にしたものだった。

新店舗に呑みに行って、M氏に新築祝は述べたものの、店の雰囲気は全く変り、料理も一流の大衆料理が三流の割ぽう料理になってしまっていた。

それでも満員の盛況なので、「この盛況が続けばいいが」と思いながら帰ったのである。

その後一回行ったけれど雰囲気は落着かず、料理も酒もあまり喉を通らなかった。

今後Mに行く気は全くなくなってしまったのである。それから数力月たった。私の心配は現実のものとなった。

心配なので様子をきいたところ、最近はお客の入りが落ちてきているという。私の勧告の意味をくみ取ってくれなかった、ということもさることながら、M氏を説得できなかった私の力不足を、こういう時にいやという程反省させられるのである。

世話役社長

S社長は年中三つや四つの世話役を引受けている。工業会の理事長、経営者の経営研究会の幹事、業界で行なっている社員の外国派遣研修生の予備教育の世話人など……。

私は、社長はそんなことをしてはいけない、かつて、石田バルブの社長が業界の世話役をやりすぎて、自らの会社をつぶした話など持ち出して説得する。S氏は、それは分かっている、しかし、誰かやらなければならないし、ほかに誰もやるものがない、ということで頼まれると、つい引き受けてしまう、というのだ。

改選などの時は、S氏を再選させるための陰謀(?)が行なわれたりする。人のいいS氏は、こうしていつも他人のために大切な自らの時間を費やしすぎて、自らの会社の経営がどうしてもおろそかになる。

『輪番で、やらなくてはならないような役なら仕方ないだろう。それも、適当にやって再選の声など起こらないようにし、さっさと次の番の人にバトン・タッチすべきだ』と、悪知恵(?)をさずけても、やはりダメなのだ。こうなると、もう「世話好き」なのだから、 一生やめられないのじゃないか、と思われてくる。

『一倉さんは心配するけれど、会社の経営の方は手を抜いているわけじゃないから大丈夫だ』と言う。しかし、それは本人がそう思っているだけで私の目から見ると、やはりそのために大きく抜けていると思われるものが少なくないのだ。

こちらで心配をしているのに、他人の世話ばかりやいて、会社の経営をオロソカにしている。勝手にしろ、会社がどうなったって知らないぞ、と私は心のなかで思う。

しばらくS氏との関係がないが、最近会社の業績が思わしくない、という風間を耳にすると、やはり心配である。

S社が何とか立直ってくれることを祈るや、切なるものがある。そして、まだ世話役をやっているのだろうか、もしそうならば、今度こそそれらの世話役をいっさいやめて、経営に専念してもらいたいものである。

会社の経営は、世話役をいくつも持ちながらできる、という程簡単なものではないはずである。全力を傾注しても、なお足りないというのが本当なのである。全く、世話役というのは、意外な程手間のかかるものなのである。三つも四つも持ったら、とても本業の社長業など、できるものではないのだ。

だから、大ていの社長は敬遠し、人のよい社長に押しつけてくる。私に言わせたら、押しつける社長が悪いのではなくて、押しつけられてしまう社長が悪いのである。

押しつけられるのではなくて、好きだからやる人もある。こういう人は、社長をやめて世話役に専念してもらうのがいちばんだ。

本業の社長よりも、世話役のほうが好きだというのなら、好きな道に進むのがいちばんよいからである。社長の重大な社会的責任を自覚しておるならば、世話役などやれるはずがないのである。

また、話は違うが、お客の接待でもないのに、ウィーク・デーにゴルフに出かける社長がいる。自分だけの楽しみのために、本業をおろそかにしているのだったら考えてもらいたい。

社長が何をしようと、注意する人は誰もいないのだ。それだからこそ、なおのこと社長は自戒して、かりそめにも、このようなことがあってはならないのである。

職位記述書社長

U社におうかがいした時に、U社長はうちの社員の動き方が消極的で困るとぼやかれた。業績が芳しくないので、社員に気合をかけるけれども、少しも効果がない、というのである。

U社には立派な職位記述書があり、これが非常に重視されている。

その記述書たるや、社員の一人一人にまで及んでいるという、全くの行き過ぎだったのである。これが、社員の行動を消極的にしているのだ。

職位によって何をしなければならないかを決めていることは、逆に言うと、それ以外のことはしなくともよい、あるいは、してはいけない、という意味を持っているからだ。

社員の関心は、職位記述書に向いてしまい、これに違背しないように心掛ける。というのは、それが最も楽であり、無難だからである。

人事の異動や組織変更の時には、必ず一人一人にまで、職位が決定され、記述書が検討され不合理と思われる箇所が改訂される。

そのために、職位記述書は次第に厚くなり、間接部門の人員がふくれ上がってゆく。どうみても、必要人員の二倍以上はいると、私には思われるのである。

それでいで、開発部門や営業部門は弱体なのである、何故こんなものをつくるのかと、質問すると職位記述書がなければ、誰に何をやらせていいか分からないではないか。それでは人を使えない、という返答である。困った人である。

U社長の最近の大きな悩みは、新工場の生産がなかなか軌道に乗らないことであった。遠隔地でもあり、なかなか目が届かないから、一度診てくれ、という。

新工場に出かけて、まずあきれたのは、三〇名程の小世帯だというのに、守衛所があって守衛がいる。ほとんど来客などないはずなのに立派な応接室がある。すべてがお役所的なのだ。こんなことをしていて、業績がよいわけがない。本社も工場も、不要な人員を切って、浮いた賃金を同地域の平均より一割以上も低い賃金ベースの引上げに回せば、それだけで社員は今までより働くだろう。

その応接室で、工場長の説明は、まず立派な職位記述書についてであった。あいた口がふさがらないとは、こういうことなのかも知れない。

私は、『今、工場長がやらなければならないことは、職位記述書をつくることではない。 一日も早く混乱している工場の生産を軌道に乗せることなのだ。それ以外のすべてのことは後回しにすべきだ』と思わず声が高くなったのである。

本社に帰って、今度は社長のつるし上げである。『あなたが職位記述書を重視するから、こんなことになる。ことの本末も、優先順位も判断できないような幹部をつくりあげたのは、社長自身なのだ。

社長は、今何をしなければならないかを、考えなければならない。

社長のおっしゃるように、本当に新工場の混乱が当面の最大問題なら、そして事実営業活動の足を大きく引っぱっているのなら、社長自ら新工場に泊りこみ、生産が軌道に乗るまで陣頭指揮をすべきではないのか。

それを、遠隔地だ、目が届かない、と言ってすましている。軌道に乗っている本社工場は、任せても心配がないのに社長が陣頭指揮をし、任せたら、なかなか軌道に乗りそうもない新工場は、ボンクラ幹部を工場長に任命して任せている。全く逆な行動だ。

新工場こそ、社長のビジョンを実現するための重要な柱なのだから、社内の最有能、最適任者を任命することだ。その人が抜けることによってその部門がどのような打撃を受けようと、蛮勇をふるって強行しなければならない。

道に乗っている仕事は凡人でも何とかこなしてゆけるが、新しいことを凡人にやらせてもダメだ。

新しい仕事は、人材でなければ成功は覚つかないし、人材を軌道に乗っている仕事につけることは全くもったいないことだ』と、非礼を承知で直言である。

企業を存続させ、社員の生活を保障しなければならないという重大な社会的責任を負っている社長なればこそ、私は厳しい忠告をせぎるを得ないのである。

世にいう、職位記述書だとか、責任権限論などという組織論は、平穏無事の時にはそれでいいかもしれない。しかし、何かことある時には、これにとらわれると、これがブレーキになって、事態の解決を遅らせるか、場合によっては不可能にしてしまう。

社員はこのようなものに明記してないことは、自分の責任ではない、と思いこんで当然起こすべき行動を起こさなかったり、この例のように、何が大切かが分からなくなってしまうことになるからである。

また、ある会社では、「定員制」をとった為に動きがとれなくなり、重大な事態を招きそうになったことがある。

それは圧延機についての定員を十年程前に決めたのである。ところが、十年前に比べたら、賃金ベースは三倍以上になりながら、製品の売価は十年前とほとんど変らない。さらに五年後には賃金ベースが現在より確実に上がり続けることが予想されても、一製品の売価はどう考えてもそれを賄うだけは上がらない。

そこで、定員を減らそうとすると、労働組合が反対する。この定員制は、科学的な調査と検討のうえで決めたものだから、減員は労働強化になるというのだ。

私は、人事の責任者に毒舌をはいた。『あなた方はどうかしている。定員制なるものを提唱している連中は、企業経営には全くの素人なのだ。素人の主張する観念論を、経営のプロであるあなた方が、何故聞くのか。定員制なるものは、つぶれる心配のないお役所にしか通用しない理論なのだ。客観情勢の変化に対応するための、機動力と弾力性を持たなければならない企業に、定員制など邪魔になるだけなのだ』。

定員制や標準時間は、「科学的」というふれ込みのために、それが実施されると、その時から人々の考え方が固定されてしまう。

一方、外部情勢は急激に変り、定員制や標準時間を守っていたら、会社はやっていけなくなる。

新しい事態に対処するための新しい考え方で、採算を合わせていかなければならないのだ。定員制や標準時間の妥当性は、あくまでも「今までと同じ考え方とやり方」という前提に立ってのことである。

そして、企業というものは、今までと同じ考え方とやり方では、たちまち破綻してしまうのである。

企業は戦争なのだ、戦争に勝つためには、企業内のすべての資源を最有効に活用しなければならない。それは、観念論ではなく、勝つための知恵と行動なのだ。

長期的、短期的な状況判断に立っての緩急順位に従って、限られた資源の重点配置こそ絶対に必要なのである。重点配置の原則を忘れて、企業戦争に勝つことはできないのである。

不動産社長

世の中は広い、全く常識では考えられないようなことにぶつかる。S社がその一例である。

S社長から、会社の具合が悪いから手伝ってくれというお話があった。ここ数年来、だんだんと経営が苦しくなってきて、最近は資金繰りに追われっ放しだという。

赤字はどのくらいかと聞いても、それさえも分からない。資金繰りが苦しいところをみると赤字らしい、というのだ。むろん資金繰計画などない。

とにかく、資金繰計画をたてなければダメだ。いつ、いくら足りなくなるか、それをどうするか、を決めておかなければ、経営も何もあったものではない』と、こんな分かりきったことを言わなければならない。

社長に聞きながら、資金繰計画作りにかかった。こうした社長のあげる数字は、資料は見ずに頭の中にあるものを言うだけだ。しかも、それらの数字がいかにデタラメかを私は知っている。だから、資料を見せてくれと言うと、メモだかなぐり書きだか分からぬような帳簿というよりは帳面を出してくる。しかも満足に記帳されていない。これはえらい会社にきてしまったものだと思いながらも、いろいろ社長に聞いていった。

ところが、社長の言う支払手形の決済日別の金額が、やっと見つけ出した支手一覧表と食い違うのである。しかも決済日が三日後に迫っているのだ。

集金の見込みはない。『このバカ社長、三日後の支手決済額を知らずに、集金の見込みもない。三日後に、あなたの会社はつぶれるのだ』と怒鳴りつけると、そんなことはない、と蛙の面に水である。

何故つぶれないのか、その理由を社長は説明してくれた。

支手決済日には、集金できただけの手形を銀行に持ってゆく。銀行は不足額を計算し、それを充足できるだけの単名手形を書かせて、その場で割ってくれるというのだ。

その秘密は、以前にS社で買った土地が値上がりして、現在、億円台になっている。しかもさら地である。それを抵当にとってあるからなのである。

それにしても、ひどい社長、そしてひどい銀行があったものである。この例ほど極端ではないにしろ、膨大な額の不動産をもっている会社の社長で、経営に真剣味を欠く人に、既に五〜六人ぶつかっている。不動産がその原因だと思われるのである。ここに人間の弱味がある。頼るものがあると、どうしても心にゆるみができるのだ。

人間誰しも人情としては、最悪事態にそなえる資産を持ちたいのは、うなずける。しかし、これは善し悪しである。むしろ害の方が大きいのではないだろうか。特にそれが土地値上がりによる不労所得の場合には、その害が一層大きいように思われるのである。

だから、社長たるものは、資産はすべて事業に注ぎこみ、本業以外の手段によって収益をあげることは考えないのが本当であろう。

このような背水の陣をしいて、真剣に経営に取組むべきであろう。いかなる苦境やピンチにあっても、それを乗り越えるものは、自分自身の努力以外の何物でもなく、最後に頼れるのも、自分以外の何物でもないのだ、という自覚と認識を持つことこそ、社長として大切なことであろう。

融手社長

話のついでにもう一つ、あきれかえる話を紹介しよう。

T社におうかがいした時に、試算表に「金融手形」という科目があった。念のために聞いてみると、「融手」だと言う。私は後にも先にも、融手を堂々と記入している試算表を見たのは、この会社だけである。

預貸率は高いのだから、融手など発行せずにもっと借金して融手を整理しなさい、と言うと、金を貸してはくれないのだと言う。おかしなこともあるものだと、いろいろ聞いてみると、成程おかしいことがあるのだ。

その銀行は、預金は本店に吸いあげられて、貸出しの枠はごく少ししか本店から与えられていない。これでは、取引きする会社などあるはずがない。そこで、そのかわり手形を持っていらっしゃい、割りましょう、ということになる。

そこで、正規の手形だけでは足りるはずがないので、借金に相当する融手を持ち込む。銀行はそれを承知で割引く。このようにして、この地方の企業間には、融手のネット・ワークができ上がっていた。

どこかの会社がパンクして、連鎖反応でも起こしたら大変なことになる。どうなるにしろ、銀行は損をしないようになっているからいいかもしれない。しかし、企業はどうなるのだろうか。

私はT社長に、『そんな銀行と取引きしてはいけない。早々に定期を解約して、貸出しをしてくれる銀行に積みなさい。それが正しい態度です』と言うと、社長いわく、

『借金したら、返さなくてはなりませんからね』と、私は思わず『当り前だ』と叫んでしまったのである。融手のために、社長の魂は全く腐り果ててしまっていたのである。

パテント社長

S氏は、すばらしい発明の才能を持っている。持っているパテントの数は二桁である。ちょっとした着想などは問題にせず、ほしい人にロハでやってしまうくらいである。

絶えず数社からパテントを譲ってもらいたいという話があり、また考案の依頼も、さばききれない程ある。S氏は、自分のアイディアを商品化して儲けようということで、自分で会社を起こして社長になる。資金はパテントを一つか二つ売れば簡単にできる。

すばらしい発明の才能とはうらはらに、経営能力はゼロに等しい。むしろ非常識とさえ言える面がある。

例えば、社用で旅行したり、飲食したりしても、領収書をとらない。

経理担当者が『領収書をもらってきてもらいたい。さもないと経費で落せない』と社長に言うと、『社長が自分の会社の金を使うのに、領収書なんか必要ない』と言って、聞き入れないのである。

そのくらいだから、経営がうまくいくはずがない。生産財だろうと、消費財だろうと、マーケットの大きさがどうであろうと、そんなことは一切おかまいなしに、自社製造、自社直接販売以外に全然考えない。全くムチャクチャなのである。

外注先には、社長の無知を知られて高い値段で買わされる、売り方は知らない、滞貨はできる、というようなわけで、たちまち行きづまる。どうにもならなくなると、会社を解散する。

借金はパテントを売って整理する。しばらくすると、また会社を起こす。そして失敗し、借金はパテントを売って片づける……というようなことをもう何回も繰り返している。

私がS氏と知りあったのも、S氏のパテントを使わせてもらうための交渉だった。私の職業柄、何かとS氏から経営の相談を受けるようになったのであるが、阿果みたいな相談ばかりである。

私はS氏に、ズケズケと言ったのである。

『あなたの発明の才能は誠にすばらしい。しかし、天は二物を与えず、それ以外のことは、人並みにできることはないと言ってよい。会社の経営などできるはずがない。

だから、あなたは発明考案に専念することが、あなた自身にとっても、会社にとっても、最もいいことなのだ。できもしない経営などやろうとするから失敗する。そして、それは大きなムダだ。あなたの、儲けたい気持は分かる。

しかし、会社を幾つ起こしたって、あなたには会社の経営で儲けることはできないのだ。あなたが会社の経営に失敗して、その尻ぬぐいに、既に数億円もパテントを売っている。

会社など経営しなかったなら、あなたは今頃は物的資産数億円、それにパテントという含み資産を数億円持った、大資産家になっているはずだ』。

いくら口を酸っぱくして説いても、聞き入れる気配は全くない。会社をやるんだ、の一点張りである。

一芸に秀でている人は、それ以外のことは常人以下の場合でも、それに気がつかず、何もかも秀でていると思いこむらしい。

だから、何事をやっても、他人に秀でた業績を上げられるとうぬぼれてしまう。このうぬぼれは、死ななきゃ直らないのではないかと思われる。他人が親切にそれを指摘しても、これまた絶対といっていいくらい受け入れない。

一芸に秀でている人は、その反面、自分の欠陥は何かを自ら絶えず反省し、他人の忠告に耳を傾ける必要がありそうだ。

社宅社長

S鉄工の社長は創業者社長であり、デッチ奉公からたたきあげて、ある業界のトップ企業にまで育てあげた名社長である。私の尊敬する社長の一人である。

丈高く、肩幅広く、まさに偉丈夫である。その眼は辛酸をなめつくした深い色をたたえて静かである。人柄はまさに「仏さま」としか言いようがない。人間が、ここまで立派な人柄になれるものか、と思われる。お話をおうかがいしていても、ただただ頭が下がるだけである。

この社長のただ一つの間違いは、その立派な人柄から出た。社員を思う真心のあらわれである社宅なのだから世の中は皮肉である。

創業当時から苦労をともにしてきた社員に対して、社長は社宅を次々に建てて、安い家賃で貸してやった。ところが、その人達が停年を迎えた時にやっかいな問題が起こった。

社宅であるから、停年になれば当然のこととして、社宅を出なければならない。しかし、二十年も四十年も会社のために働いた人を、停年だからといって追い出すわけにはいかない。また、それらの人達には、新しく土地を買い、家を新築するだけの力はない。

といって、アパートに入れば、権利金、敷金を出し、数万円の家賃を払うことは、再就職しても収入が減る時に、とてもムリである。

そうしてもらうより外にないとしても、これを見ている若い人達は、自分達もああなるのか、と不安を与えてしまう。

といって、出てもらわなければ、社宅に入る資格を持った人が待っているのに、その人達の希望は満たしてやれない

現実の問題として、安い家賃は社員の魅力なのである。その人達は、俺達には社宅を貸してくれないのか、と不満をもつ。まさに進退窮まったかの感がある。それが、社長の善意から出ているだけに、なお困るのである。

社宅を不用意につくるとこのようになる。

独身寮のように、結婚すれば必ず出てゆくものはいいけれど、家族ぐるみ住まわせるのは、勤務の都合上、自宅を離れて遠隔地に勤務する場合以外はやめた方がよい。それよりも、持家制度にして、本人のものになるような方法をとる必要がありそうだ。

社長というものは、何をやるにも、先の先まで読んで手を打たなければならないという、全く、たいへんな職業であると、つくづく思うのである。

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