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五、陣後に立って督戦す

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セールスマンの情報で新商品を

K社は、食品の某商品の専門メーカーで同業百数十社のうち、ベスト・テンに手が届こうとしている。しかし、届きそうでいて、なかなか届かない。それは、現在の主力商品三種類で売上げの八〇%以上を占め、それ以外の十数種でたったの二〇%以下である。その主力商品が競争商品の出現などで伸び悩んでいるからである。特に、売上げのトップを占めるドル箱商品に、この傾向がハッキリと見られたのである。

ベスト・テン入りするためには、どうしても強力な新商品の開発を必要とするのである。

開発部門では、いろいろな新商品の研究と試作を行なっているが、どうもパッとしたものがない。開発の方針は、「おいしいものを」であり、「うまいものをつくる」である。これは当り前のことである。

そして、誰にも思いつく最も平凡な抽象論である。この抽象論を具体化するための商品企画は、まず第一に、社内の意見を聞くことであり、第二には、営業部員からの情報を検討し、その中からこれと思うものをとり上げることであった。

このような開発企画の考え方自体に、新商品開発がうまくいかない原因があるのだ。「うまいもの」というのは、お客様にとって、うまいということであって、社員がうまく感ずるものが、お客様にうまいと感ずるという保証はない。

味覚については、一般に関東は塩辛く、関西は甘くて薄味である。

それを、自分達の味覚から、うまいと感じても、それは、その地方だけの片寄ったものであるかもしれないからだ。うまいか、うまくないかは、お客様の判定でなければならない。まず第一の間題点がここにあるのだ。

むろん、K社長は、社内の意見だけではいけない、お客様の好みをつかむことが大切である、ということを知っている。そのお客様の好みをつかむのに、その情報を営業部員の情報に頼っているところに、誤りがあった。

企業の運命は、売れる商品を開発するか否かにかかっている。しかもK社は緊急にこれを開発しなければならないのである。それにもかかわらず、この情報を営業部門に任せていること自体全くの間違いなのである。これは、経営者の姿勢の問題なのである。

企業の運命に関する重大事こそ、社長自らやるべきであり、そのためには、次元の低い内部管理は任せなければならない。そして、自らお客様の好みを知るための情報収集に当るべきなのである。自分の日で見、自分の耳で聞き、自分の肌で感じとる必要があるのだ。そこからつかんだ新商品のアイディアを、自らの意志において指令をすべきものなのである。それでこそ社長である。

試作品ができたならば、社長自らモニター・セールス計画をたて、自らその結果をチェックして、お客様の好みに合っているかどうかを速かに知らなければならないのである。お客様の好みに合っていると判定したならば、今度は拡販計画を自ら立てて、強力に推進するのだ。

これを「ワンマン経営」という。そして、経営はワンマンでなければならないというのが大原則なのである。

この大原則を知らないで、経営などできるものではない。ワンマン経営というものは、社長一人で何もかもやるということではない。こういうのをワンマン・コントロールといって、第二章でのべたようなことになってしまう。

ワンマン経営とは、「ワンマンの意志と責任において、企業の方向を決める」ということであって、方向を決める時には、自ら行動し、自ら担当部門の長を指揮しなければならない、ということである。決して、自分だけで決める、ということではない。

外部の情報と、社内の意見を、時間の許す限り、自ら、あるいは部下との討議を通じて、煮つめてゆき、最終決定を、自らの意志で行なうということなのである。つまり、部下の意見も充分に検討し、そのうえでのワンマン決定なのである。

社長自ら新商品の開発に取り組まず、実質的には部下任せでありながら、それが正しい態度だと思っていたところに問題があるのだ。いくら自分で決定しても、それは部下から得られる情報の中からの撰択にしか過ぎないからである。

K社の新商品が、どれもこれもパッとしない理由を社長に聞かれると、営業部員は「味はいいが値段が高すぎる」という問屋の意見を、そのまま受け売りしていたのである。

しかし、この意見が正しいかどうかは、この段階ではまだ分からない。何故ならば、それは消費者の意見ではないからである。

消費者の意見を聞かなければならないとしたならば、これは、モデル店を決めて、ある期間モニター・セールスをしなければならないはずである。

それをやらずに、間屋の意見だけを聞いていたのである。問屋とすれば、何百種類の商品を扱っているそのうえに、売れるか売れないか分からぬ新商品を、たくさんのメーカーから次々に持ちこまれても、それをいちいち挨拶していたらきりがない。

だから、値段が高いとか、変りばえしないとか、包装がよくないとか、何か売りにくい点を上げて断わるのである。

問屋にとっては、特定のメーカーとの関係が重要なのではなく、小売店からドンドン注文のくる商品が重要なのだということを知らなければならないのだ。

問屋の生態を知らず、断わる日実を真に受けて、消費者に直接働きかけることを忘れていては、いつまでたっても売れる商品など開発できないのである。

部下に経営計画を立てさせて

S社は業界でも五指に入る大手業者であり、業績もまあまあである。創業者社長は、数十年にもわたり、営々として今日を築いた。その間幾多の危険を乗り越えてきた筋金入りの経営者である。

しかし、寄る年波もあり、長男に会社を譲りたい、しかし、専務をしている長男が経営者として自覚と態度ができておらず、心配でたまらないというのである。

帝工学の勉強をさせようと、任せては見るものの、危なっかしくてつい口を出してしまう。またそうしなければ大変なことになることは間違いないというのだ。

親父からいろいろ言われる専務は面白くない。最高学府を出て、近代的なセンスを持ち、経営学(?)の勉強もしている。息子から見たら親父こそ、時代遅れの頑固もので、親父の言う通りやったら、みんなやる気をなくしてしまう、と言うのだ。

この親子経営には、どちらにも問題がある。まず父親の社長である。創業者社長に共通の行動力と決断力がある。それだけに幾多の苦難を乗り越えることができたのである。ピンチに立った時の、右するか左するかの決断……それは誰も分かってもらえない「孤独」と「苦悩」の中で行なわれた。

……この繰り返しで、そのような時には社員に相談をかけても、意見を求めても、それらは全くの「ムダ」であることを知っており、この決断こそ、企業の運命を決めることを息子に教えたいのである。

もしも、息子に帝工学を教えたいのなら、前々から企業の運命を左右する程でなくとも、危険を伴なう意思決定を機に応じて息子にやらせて、決定の重要さを教えるべきであったのだ。それをやらずに、すべての決定を自分でやってきたところに問題があるのだ。

とはいえ、そのようなことを創業者社長に望むことは、理屈としては正しくとも、厳しい現実の企業経営を戦い抜いてきた社長に、それをしなかったと責めるのは酷であると思う。

問題はむしろ専務にある。というよりは、専務の考え方…― 「全員経営」……を作り上げたところの伝統的なマネジメントの思想こそ、その責を負わなければならないのである。

S社長は業界のトップにならなければならない、という目標を持っており、専務もこれに異論はない。それにもかかわらず、長期経営計画の樹立に際して、専務のとった態度は、各課長に自主的な計画を立てさせ、各部長がこれをとりまとめ、それを役員会にかけて、簡単な審議の末に決定し、これの承認を社長に求めたのである。

社長は、専務に任せたい一心からこれを承認したのである。その計画書は、経営など分からず、上からは業界のトップになるには、どのような条件が必要かなどは全く示されず、自ら考えたこともない課長が、自らの立場から、マネジメント論の教えに従って、「実現可能な計画」を立てたものが土台になっているのである。

各課長のバラバラの意志が寄せ集められただけのものであり、お互の数字の関連など全くない。たとえば、売掛金回収計画と売掛金残高が一致していない。計画経常利益では、借入金返済計画など、できるはずがないのだ。計画した数字がおかしいのだから、これと実績を比較しても、事態を把えることはできないのである。

もともと、課長級の人で、会社の経営に明るい人など滅多にいるものではない。経理の分からない人に、経理的な計画を立てよと命ずること自体が無茶なのである。

それを全員経営とか部下の自主的な活動とかいう「美辞」にだまされて行なっているのである。そしてその結果は、売上目標は突破しながら、利益は大幅に下回ってしまったのである。人件費、経費の大幅な上昇で、というよりは、過少に見積っていたためである。

社員に見積をやらせると、あるものは原価意識を発揮して、そのくせその対策は何も考えずに過少に見積る。或いは経費をうるさく言われていると、過大に計上して、実績が下廻るようにして経営者の鋭鋒をかわそうとする。

いずれにせよその結果について、最終的な責任を負わない社員の行動は、このような無責任なものであることを知らなければならないのである。―私は社員の無責任を云云しているのではない。

結果について最終の責任を負わなければならない経営者が、自らの意志と責任で目標や予算を決めなければならない、ということを言っているのだ。

S社長は『「全員経営」などというきれいごとは通用しない。そんなことをするから、利益目標は大幅に下回りながら、昇給だけは間違いなく実現する、というようなことになる。危険このうえもない。専務の考えは間違っている』というのだが、専務の「全員経営」「民主経営」の考え方は変わらない。心配でたまらないと私に訴える。

そもそも「全員経営」なるものの実体は、経営責任のない社員の意志が、経営責任を負わなくてはならない経営者の意志に優先するという不思議な理論なのである。

「上から押しつけてはいけない」、「何ごとも部下と事前に話合いなさい」、「下の自発的意志を尊重しなさい」というような「教え」が後から後から出てくる。冗談じゃない。企業の業績は客観情勢に大きく左右される。その変化に対応する施策は厳しく難しい。部下と相談などしたら、施策が甘くなるか、機を失するか、するだけである。

「上から押しつける」というのは、会社の事情をよく説明せずに、決定だけを社員に知らせるから、そう社員にとられるのである。それが、「上から押しつけてはいけない」、「社員と相談せよ」、「社員の意志を尊重せよ」というように、理論がおかしな方に曲っていく原因になる。その責任は、説得を怠る社長にあるのだ。

人間というものは、自分で納得しない限り、自ら動く気持にはならない。そのかわり、納得すれば理屈抜きで動く。場合によっては、自分の命さえも賭けるのだ。

……とするならば、どうしてもムリを社員に要求しなければならない社長として、何故ムリを社員に要求しなければならないかをよくよく社員に説明して納得してもらい、協力を要請することこそ、社員を動機づけるものであることを知っていなければならない。

これが社員との対話である。社長と社員との対話とは、その本質は「説得」なのである。

自らの責任で、会社の生き残る道を決め、これを社員によくよく説明して理解させて協力を求めることこそ大切なのである。自らの意思も決めずに、社員と相談することは、絶対してはならないのである。

社員の自由意思に期待することこそ、社長としての責任を放棄し、会社を破綻に導く危険な考え方なのである。

評論家社長

A社は自社ブランド商品を自ら販売するという独立企業である。当然そこには独立企業としての誇りと生命力がなければならないのに、それらのものは全くといってよい程ない。品質もあまりよくなく、業界のランクも低い限界メーカーである。会社の中は沈滞ムードである。

昭和三十九年から四十年の不況の時に赤字転落してしまい、その時には社長が陣頭に立って拡販に努め、新商品を開発し、経費の削減を行なって、会社を救った。しかし、いったん黒字転換すると、社長自身がまっ先にホンワカ・ムードになってしまった。

不況時に閉鎖してしまった守衛所を復活し、いりもしない大きな会議室というよりは集会場のようなものを作って遊ばせておく。

その集会場は、隣接地が安いからといって、いりもしないのに買いこみ、埋め立てをし、そこに立てたのである。会社の業績は、赤字にならないというだけで、さっばりである。

その原因は、社長は全部部下にあると思いこんでいる。営業部員はもっと真剣に営業しなくてはダメだ。営業が会社の中にいてはダメだ。最近、地元に対する売上げが落ちた。A社と目と鼻のところにある会社に、他社商品が入ってしまったのは営業の怠慢だ。技術部門に新商品の開発を命じてあるが、いつまでたってもできない。だいたい技術屋はク我クばかり強く、技術的な完璧ばかり追求する。商売だから、もうかるものでなければだめだと、いくら言ってきかせても分からない。製造部長は部下の掌握ができていない。忙しい時には、部下に残業させなければならないのに、それができない。そのくせ、人が足りない、機械が足りない、とそんなことばかり言って言訳をする。総務部長も、日常の仕事はよくやるが、人集めになるとさっぱリダメだ。資材はもっと計画的な手配をしなければ、在庫が多くて資金繰りが苦しくて仕方がない。……等々、際限がない。そのくせ、自らは全く動こうとしないのだ。

A社長は、部下を管理することが経営であると思いこんでいる。そのためには、幹部社員はもっと経営的な自覚を持ってもらわなければならず、その自覚のうえに立って、自ら行動をしてもらいたい、自由に行動できるためには、あゝこう言わないで任せることにしている、こんなにやりよい社長は外にいないと思うのに、親の心、子知らずで全く困ってしまう、結局は部下の能力の問題だ、というような考え方をしている。

部下の能力が企業の業績を左右すると考えている社長は世の中に非常に多い。それはもちろん重要な要素ではあるけれども、他社よりも業績が悪い原因ではないのだ。人材などというのは、そう滅多にあるものではない。

だいいち、社長の目がねにかなうような人材を、特別の報酬も払わずに望むことこそ虫がよすぎる。

大企業になれば、中小企業よりは人材が多いだろうが、中小企業は、大企業と競合しているわけではない。大企業は大企業同士、中小企業は中小企業同士で競合しているのだ。競合関係にある他社より業績が劣るのは、経営者の態度が劣るのである。

私は必死になって、A社長を説得しようとした。その主旨は次のようなものだった。

『貴社の根本問題は人材でもなければ、部下の働き方でもない、あなたの会社が限界生産者であることなのだ。限界生産者は、やがては消え去る運命にある。

だから、社長がまず考えなければならないのは、限界生産者から脱出するには、どうしたらいいか、ということである。どのような条件を整えたならいいのかを考えぬかなければならないのだ。

小規模なのだから、商品の種類を多くしたらダメだ。このことはソニーを見れば分かる。商品の種類が多いとどれもこれも限界商品から脱け出せない。

だから、商品の品種を絞り、社長自ら全国をかけ巡って新得意先の開拓をするのだ。開拓した得意先は、営業部に任せるようにするのだ。

「社長は開拓営業、営業部門はそれを確保する」というのが、たくさんの優良会社の実例が教えてくれるところの業績向上への道だ。

一倉個人の意見ではない。

社長は商品の種類を絞ると、片寄って危険だというが、片寄りの危険は、商品の種類の少ないことではない。一つの業界に片寄ることなのだ。

現在でもあなたの会社は、唯一の業界にしか住んでいないのだから、商品の種類を絞っても危険度が大きくなることはない。とにもかくにも、今これを押し進めるより外にない。そして占有率を高め、業界の地位を確立することだ。

幸いにも、あなたの会社の商品は、他業界にも広く需要があるのだから、将来他業界に進出して、製造は専業、市場は多角化という理想的な経営構造を持つことができる。

あなたの会社の方向と未来像を明確に掲げ、目標を設定し、各部長に対する要望を方針として打ち出す。それらのことを明文化し、部長によく説明し、協力を求めてごらんなさい。部長さん方もきっとよく協力してくれますよ。今のように、何の目標も方針もなく、部長のやり方を批判しても、反感を持たれたり、やる気をなくすだけですよ』。

口をすっぱくして説いても、全く分かってくれない。こうなると、もう死ななきゃ直らないと思い、どうぞご勝手にと、その会社のお手伝いを辞退したのである。

組織いじりばかり

L社の社長は組織いじりが大好きである。一年に三〜四回変える。好きというより、どうしても経営がうまくいかないのは、組織が悪いせいであると思いこんでいるからである。

自社商品を持った独立企業であるが、業績は極めて悪い。その原因を、社長は非能率によるコスト高、納期遅れが多くてお得意先の信用がない、品質が悪く、クレーム続出のような状態がいつまでたっても解消されない、しかも各部門の横の連絡が極めて悪く、何を聞いても部下の答えがマチマチである、というようなところにあると見ている。

そのような事態は組織が悪いに違いない。どこが悪いのだろうかと、自ら工場にでかけて行って、お気に入りの係長や、自分が子飼いにしていた古参者に意見を聞く。しかも、そのメンバーはいつもほとんど同じである。工場長や部長・課長は、全くのツンボさじきに置かれる。

こうしてでき上がった新組織の案が、工場長や部長に示されて意見を求められる。工場長も部長も反対する。今の組織になってまだ三カ月もたっていない。今の組織だって、社長がたった三カ月前に工場長等の反対を押しきって決めたものである。

反対とはいえ、いったん決まったものは、その中でうまくやろうと苦心しているその最中に、もう新組織案である。自分達の意見を聞かずに、お気に入りだけの意見を聞くのは、社長の性癖だから心得てはいるものの、そんなことではなく、三カ月に一回ずうも組織を変えられては、もう組織の良し悪しの問題ではない。

どんな組織でも完璧なものはないのだから、よくても悪くても、 一年くらいは組織を変えてもらいたくない。三カ月に一回ずつ変えられたのでは、腰を据えて仕事などできるものではない。

というのが工場長等のいつわらぬ気持なのである。それにもかかわらず、工場長等の意見を聞くというのは形だけで、未だかつて意見がとり上げられたことはない。

工場長等の反対など無視されて新組織にきり換えられる。恐らく、三カ月後には捨て去られる運命を持った新組織で仕事をしなければならない工場長等は、たまったものではない。

L社の業績不振の原因は、組織にあるのではなく、商品構成と価格政策にあったのだ。いや、もっと根本は「経営姿勢」そのものにあったと言えよう。

L社の商品は数百種類に及んでいたが、本当に売れるのはせいぜい四〇〜五〇種類で、それらでさえも類似品が多いという状態だった。

ろくに売れない数百種の商品は、毎月数十種類ずつ少量の注文があり、それが生産活動を混乱させ、三カ月分にも相当する過剰在庫の原因だった。

始末に負えない程多種の商品をかかえていながら、過去三年間に、唯一つの商品も捨てていないのである。というよりは、捨て去ることを全然考えていなかった。そのうえ、無い物ねだりをする間屋の要求に従って、次々とろくに売れもしない商品を開発し、品種は増える一方なのである。

さらに困ったことには、売れゆきのよい主力商品が、最近後進国で急激に生産が増えて、それらの国への輸出が減っただけではなく、日本に逆上陸の姿勢さえ示しているのである。

そのために、急上昇してゆく材料価格……にもかかわらず、値上げが難しいというやっかいな事態になっているのである。

次第に、しかも確実に低下してゆく業績を挽回する手は、組織をいじること以外にないと思いこんでいるのだから救われないのである。

救われないのはそれだけではなかった。価格政策を全く持ち合わせていないのである。

L社の商品の最終価格を知るために、デパートやスーパーを回ってみたところ、何とL社の売価の四倍という事実を発見したのである。

L社の販売チャンネルは、たったの二段階なのである。L社←問屋←デパートまたはスーパー、という最短距離であるから、小売価格の五〇〜六〇%がメーカー価格でなければならないのである。

五〜六段階の販売チャンネルのメーカー価格でさえ、最終価格の三〇〜四〇%である。こんな分かりきったことと思われる事実にさえ目を向けようとしない経営者には、どうしても及第点はつけられないのである。

お客様あっての企業である限り、どうやってお客様に近づき、お客様の要求を知ろうか、という努力は全くない。つくるだけで、売ることはいっさい問屋に任せているという、経営姿勢が前記の事態を引き起こしているのである。この経営姿勢こそ、まっ先に問われなければならないのである。

陣後督戦型社長考

業績不振企業の社長で、最も多く見受けられるのが、この章に挙げた陣後督戦型社長である。

自ら陣頭に立とうとせず、部下の活躍に期待して業績を上げようとする。経営者として怠慢このうえない態度である。こんなことで業績が上げられるはずがない。業績が上がらないと、これを部下のせいにする。やれ自覚が足りないとか、熱心さが足りない、責任感がうすい、などと部下を批判し、こんなことではいつまでたっても「楽」はできないとこぼす。

どうしてもうまくいかないと、今度は組織をいじり出す。いくら組織を変えたって、事態の好転など望むべくもないのだ。というのは、業績の上がらない原因は、部下の働きや組織にあるのではなくて、社長が経営していないところにあるからだ。その実証の幾つかを、本章で解明してみたのである。

事業の経営とは、内部を管理することではなくて、外部に対応することである。

外部とは、お客様のことであり市場のことである。一つにはお客様の要求にどのように答え、変ってゆく市場の要求を見きわめて、自社をどうすべきかを社長自ら決めて、これを実現してゆくことなのである。

二つには、競合他社とどう戦を進めるかである。外部情勢こそ、社長のまず第一の関心でなければならないのに、外部に背を向けて内部ばかり見ている。こんなことで業績が上がるはずがないのに、これこそ経営だと思っている社長が多すぎる。

それにもかかわらず、経営者がこのような態度をとることは間違っていると教える人は誠に少ない。

反対に、内部管理こそ経営の本質であり、社長の重要な仕事だと説く人が多すぎる。組織管理の原則はこうだ、権限は委譲しなければダメだ、部下の自主的な意思を尊重せよ、等等……。内部管理、人間管理一辺倒である。

それらの教えは、経営者の考え方と行動を誤った方向に進めてしまうための、大きな推進力になっていることは、間違いない。

ひたすら内部を向き、部下の活躍に期待し、部下の活躍しやすい環境や指導や、組織づくりに憂き身をやつす社長の姿を、あまりにも多く見せつけられる私は、あゝ、ここにも誤った経営学の被害者がいる、と思わずにはいられないのである。

しかも、この被害者は、被害者としての自覚は全くといっていい程ない。それどころか、自分は部下の立場を考え、部下の活躍を援助してやる物の分かった社長だと思いこんでいるのだから手のつけようがないのである。

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