動いて働かず
T産業の社長S氏は、物すごいスタミナ社長で、毎朝早く自宅を出て、一〜三社を訪問して所用をすませた後、十時頃には営業所に顔を出す。そして、昼頃まで約二時間大奮闘である。引きもきらずに、社長当てにかかってくる電話に応対して、商談をさばいてゆく。
その間、営業部長は、全く商談には関与せずに、せいぜい社長の質問に答える程度である。重要な商談には、全くロボット的な存在でしかない。
お客は、重要な商談には、営業部長は全く決定権がなく、社長でなければダメなことを知っている。だから、社長が営業所にいる時をねらって社長に直接電話するのである。
この大奮闘で分かったお客の苦情や、営業部の不手際を、営業部長を呼びつけてガミガミとガ鳴りたてた末に、「部長が無能だから社長ばかり忙しくていつまでたっても苦労が絶えない」と、さんざん叱言を言うのが日課の一つである。
もしも、 一言でもこれに反論しようものなら、大落雷がある。部長は何も言わずに、頭を下げるだけである。部長は、動けばその動き方が悪いと叱られ、動かなければ動かないで叱られる。毎日毎日が、忍耐力の修業そのものである。
S氏は昼食もそこそこに飛び出して外部活動である。夕方、四時か五時頃、今度は工場に現われる。そして、各部長を交替に呼んで叱言である。伝票類は一枚のこらず目を通し、寮の電話料が多いといって総務部長が三十分もお説教を受ける。
工場を回って、完全に止水しない水道蛇口を見つけると、設備課長を呼びつけて大目玉である。
製造部長は、社長が来たという情報が入った途端に……というよりは、すぐ情報が入るようにしてある……現場に出て運搬工に早替りする。机に向っていると、部長が率先垂範しないから、製造部の能率が上がらないのだと決めつけられるからだ。
週一度の部長会議は、午後六時頃から始まる。初めの四時間は、社長の完全独演会で、一週間の総ざらえとして、部長の一人一人がつるし上げられてゆく。誰も一言も口をきかない。実際に会議に入るのは、十時か十一時である。会議といっても、それは社長案の説明であり、それがそのまま何の検討もなされず、会議の決定事項となる仕掛けである。会議が終わるのは、いつも十二時頃なのである。
T社の幹部は、S氏の言そのままに、無能であり、無気力であり、積極的に行動するものは一人もいない。そして、その原因は、S氏の言動そのものなのである。しかし、S氏はこのことを全く自覚していない。
このような氏のもとに、有能な幹部がいつくはずがない。みんなやめてゆくのである。当然のこととして、無能なものが残ることになるだけなのである。
S氏は、行動力は抜群であり、しかも無能幹部をかかえての経営だけに、自らしばしば商談のために外国に飛ぶ。
S氏を空港に幹部総動員で見送った次の瞬間に、会社全員にリラックス・ムードがわき起こる。鬼のいない間の洗濯である。
社長がいる時は絶対にできなかった昼間の会議が行なわれるし、事務所には笑い声が起こり、現場では鼻歌が聞かれる。残業するものなどいない。それにもかかわらず、売上げも生産も、少しも落ちないのである。
つまり、社長がいくら気合をかけても、それは全く効果がないということなのである。人間は上司から、他人から、どのようなドライブがかかろうと、それだけでは自分の行動を変えようとはしないのである。
表面的には、それらのドライブに応えているように見えても、それはゼスチュアにしかすぎないのである。
相手に自分の意図をよく伝えるための努力を怠って、自分の思う通り働かせようとしても、相手は納得しない限り、自ら働こうとはしない。働くふりをして、上司の顔色を見ながら動いているだけにしかすぎないのである。
そして、ドライブ型社長は、例外なく、自分の考えを部下によく説明し、納得させる努力は全くといっていい程やっていない。そのくせ、自分では、それをやっていると思いこんでいるのである。付言すればT産業は倒産してしまったのである。
無能な部下ばかりだ
N社は、従業員二百人余りの中小企業合理化モデルエ場で、U社のオンリーさんである。
社長は、自社の専門技術のエキスパートであり、さらに生産技術の素養も深い。自らの持っている技術で、現場の隅々にまで目を通して、改善を指令する。新しい仕事の引合いをもらうと、社長は図面を見ただけでたちどころにどういう型、どういう治具、どういう工具を使えばよいかを見つけ出す。それが極めて独創的である。まさに神技である。
そして、その指令は、製造担当重役も、製造部長も通り越して、直接製造課長に下されるのである。時によると、課長さえ通りこして、主任に直通である。これでは、素通りされた幹部が面白いはずがない。「社長どうぞご自由に」という気持になる。「うちには、大将と兵隊しかいない」というのが全幹部の気持である。
まれに、積極的に仕事に取組む幹部がいると技術的不備を探し出して、コテンパンにやっつけて、「もっと勉強しなければダメだ」とお説教である。社長は励ましているつもりなのだ。
こうして部下のやる気をなくさせてゆく。技術屋社長には、部下のやることのすべてに口を出さなければ気が済まないのである。
「合理化モデルエ場」とはいえ、オンリーさんの悲しさ、親会社の強引な値下げ要求を、長年にわたってのまされ続けてきているので、業績は極めて悪い(「合理化モデルエ場」とは、業績の優れた企業に与えられるものではないのだ。「内部管理」の優れた会社に与えられるものなのである。そして、「内部管理」や「能率」は、優秀企業の条件ではない。)
N社の長年にわたる苦い経験は、「どうしても自社製品を持たなければならないこと」を、いやというほど思い知らされている。そこで、自社の技術でできるマスプロ製品や、時にはもうかるという噂の「キワ物」商品などに、やたらに手を出す。
そして、いつも超短期間で製品化を計り、社長自ら現場で職長、時には直接作業者を指揮して試作から生産までやってしまう。
幹部は誰も手を出さない。陰で、「あれもまた失敗するぞ」と、失敗を期待しているかのような口ぶりである。そして、その期待はいつもみごとに(?)的中するのである。
社長は、失敗の原因を、いつも技術の未熟と幹部の「やる気」のないことに帰しているのだから救われない。失敗の原因は全然別のところにあるのだ。
それが「マーケット」にあることを社長は、全く知らないのである(この点は非常に重要なので、本章のまとめとして、「企業の成果は外部から得られる」でふれることとする)。
新製品がうまくいかないので、また再び生産能率と取り組む。それだけでは苦しいので、また新製品に手を出し、苦しいが故に開発を急ぎ、失敗するとまた生産能率に帰る。このようなことを十年来繰り返した末につぶれてしまったのである。
社長は、口を開けば幹部の批判である。消極的だ、管理能力が低い、指令をしても、返事だけで手を打たない、日標を与えても、それを達成するための条件設定ができない、いくら言っても、合理化のために必要な情報が社長のところに上がってこない、経済計算がまるっきりできていない、外注工場の整備ができていない、安易に外注をする、もっと社内加工に振りむけられるはずだ……と際限がない。聞いているだけでウンザリする。
幹部は誰も社長のこのようなお説教を素直に聞こうとはしない。自分達のやることなすことに、いちいちケチをつけられて、素直になれるはずがない。幹部には幹部で言い分がある。「社長の場当り主義こそ、新製品失敗の原因だ。社長の技術的指令は、こういう欠陥がある。社長の言う通りにしたら、外注工場は逃げてしまう。われわれに任せてくれないで、やれるわけがない……」ということになる。
社長がうるさく言う程幹部はやる気をなくし、これが業績不振に拍車をかけ、業績不振が社長のアセリをさらに大きくして、幹部にさらにうるさく指令やお説教が飛ぶ。
誰も社長に積極的に協力せず、両者の距離はますます離れ、社長は全くの孤立である。こういう社長にぶつかると、私は自分の無力を痛感させられる。社長の仕事は部下を管理することでなくて「事業の経営」であることを口をすっぱくして説いても、全然分かってもらえない。
合理化モデルエ場に指定される程、優れた技術と設備を持っていて、なおかつ苦しいのなら、社長自ら親会社の部長、重役、社長に、単価値上げを必死になって掛け合うべきなのに、それは営業課長に任せているのだ。
自ら無能の烙印を押している課長に、である。営業課長では、敵に軽くみなされるのは、分かりきっているではないか。それは、営業課長の能力の問題ではない。
営業課長に任せていること自体、それだけの比重しかないと、相手に評価されるからである。現在の仕事では将来の収益が保障できないなら、十年先を考えて事業を選択し、五〜三年先の目標を決定して、社長自らこれと取組むべきである。
社長とは、会社の将来を築く人である。会社の現在について、収益増大の有効策を発見して、これを自ら行なう人ではないのである。現在の運営は、明確な目標と方針を与えたうえで、部下に任せるものなのである。
空しい努力
T産業の社長や、N社の社長のような、叱咤型の社長は、非常に個性が強く、バイタリティがある。その上頭脳明析で、よく勉強もする。
そして、異常な熱意と執念に燃えて経営に取組んでいる。その姿には頭が下がる。それだけに、部下が自分の思うように動かないとがまんができずに、ガミガミやり出すのだ。
そのガミガミは多くは部下の個々の行動についてである。個々の行動などは、人それぞれの能力や性格やキャリアによって、同一の事柄に対して相当違ってくる。それを、いちいち自分の考え通りにいかないからといって、とがめていたら際限がない。
それだけではない。このようなガミガミは、百害あって一利ないのだ。いや一利だけはある。それは自らの優越感を満たすことによる、ストレスの解消である。
しかし社長のストレス解消の被害者になる部下はたまったものではない。このようなことを百年繰返しても、部下の能力はまず向上しないであろう。
また積極性も増さないことも間違いはない。それどころか、社長の目を盗んで、自らのストレス解消を、会社の時間と費用を使ってやりかねないのである。
E社の社長も、徹底したワンマン・コントロールであり、社長のハンコがない限り、社員は鉛筆一本買うこともできない。
社長に提出する書類は、何時何分から、何時何分までかかり、所要時間何分と記入する欄がある(こんなことを本当にその通り書く社員などいないことをご存知ないから、おめでたい)。
棚卸など全くうるさい。そして最近「わが社の合理化も理想の域に近づいた。棚卸の精度が、ついに九九・五%になった」と自慢タラタラである。アホらしくて、とても真面目に相手などできない。
箸の上げ下ろしまでうるさく言われる社員は、出張先で得意先を招待する時など旅館の最高級の部屋に泊り、芸者と遊んで、それらの費用は接待費の中に、ドンブリ勘定としてぶちこんでしまうのである。
T社のI社長は物すごく経費がうるさい。「第二の利潤」というやつである。「第二の利潤」なるものは、大部分の会社では、その成果などしれたものである。いま時、経費を節約して、それで利益が増える会社などあるはずがない。そんな会社は、既につぶれてしまっているからである。
経費の費目の一つ一つを見れば、それはごくわずかな額である。やたらと費目数は多いけれども……。そのような経費を節約することは、極めて難しい。それを、社長の指令で強行すれば、社員はたちまち逃げ道を見つけ出す。
I氏の経費節約の指導方針は、「各個撃破」作戦である。材料費が多いと見ると、これの低下を指令する。すると材料費が外注費に化けたり、修繕費に計上されたりする。費目上の材料費が減少すると、今度は外注費である。外注費節減の指令がとぶと、次の瞬間から外注費は購入品や材料費に振替え記帳される。何のことはない、絶対額のトータルは全く変らないのである。だいたい、社長が部下の行動の一つ一つまで押えることなど、全く意味がない。
風船の一個所を押えれば、その部分は凹んでも、それと同じだけ、他の部分がぶくらむだけのことなのである。I氏はこのことに気付いていない。I氏だけではない。
この章にあげた、ガミガミ型社長連には、この風船の理論が全く分かっていない。空しい努力であるとともに、全くもったいないことである。
そのうえ、もっと悪いことが起こることさえある。0社の社長は、文字通り、何もかもやっていた。会社の中の日々発行される伝票はもちろん、出勤簿から外出許可証にまで目を通す。
蟻一匹も社長の目から逃がれることはできない程であった。だから、物すごく忙しい。会社だけでは時間が足りず、毎日書類を自宅に持ち帰って、夜中の十二時、 一時までもかかる。
その社長は、ある日の夜、帰宅の途中に自ら運転する車を自ら電柱にぶっつけて死んでしまった。連日連夜の激務に疲れ果てて、自動車を運転して帰る時に、交通量の激しい大通りは緊張して何とか無事だったが、自宅近くになって、横道に入り車の通行はほとんどなくなったところで、安心をして居眠りが出たのであろうと思われる。
社長の死をいたむとともに、それ程真剣に経営に取組むのなら、何故「真の経営者」のあり方について、考えてくれなかったのだろうと、やりきれない気持になるのである。
社長の死後の0社には、ワンマン・コントロール会社の例にもれず、後継者となれる人材がいない。大きな利益が上がってはいたが、それは六カ月の売上げに相当する、膨大な在庫をかかえての空虚な利益であり、資金繰は極めて苦しかったのである。
伝票の一枚一枚までチェックをするという、全くの枝葉末節に関心を向けながら、過剰在庫という大問題に目を向けなかった0社長は、死者に鞭打つことになるけれども、社長としては落第生であった。
企業の成果は外部から得られる
ワンマン・コントロール社長の考え方と行動の致命的な欠陥は、自らの関心の焦点が、企業の内部に向き部下の方に向いてしまって、外部に向かない点にある。それらの社長にとって外部に対する関心は、あくまでも二次的なのである。
一般にワンマン・コントロール社長に対するいましめは、「人材が育たず、部下のやる気をなくしてしまう」ということが最も強調されているのは、的外れである。
そのような欠陥を持っていることは間違いないけれども、それは最大の欠陥ではな社員の能力と活動は、企業発展の重要な要因ではあっても、決定的なものではないのだからだ。
N社は、 一六〇人程の小企業であるが、N社におうかがいして、部長、課長と話合った時、その人達は極めて優秀な人達が大部分であったのに驚いた経験を持っている。それにもかかわらず、N社は長年の低業績の末に、三年前から赤字転落して苦しんでいたのである。
私がかつて勤めていたF社はつぶれた。F社の課長、若手に、俊優が大勢おり、現在それぞれに活躍している。散り散りになって消息が分からないものも多いけれども、私の知っているだけで、既に社長が二人いる。みなそれぞれ立派にやっている。
その中のM氏のごときは、まだ二十歳台で数百人の会社の社長である。それにもかかわらず社員の質とその働きいかんが、社運を決めると思っている社長は多い。そして、それは社長の目から見た社員の仕事ぶりから、実感として裏付けられるように思われる。
社長から見たら、社員の仕事のやり方は、実にまだるっこい。読みも浅く、抜け穴だらけである。報告書一つ満足に書けず、社内の横の連絡の悪さに至っては、全く話にもならない。……というように映るのである。
しかし、それらは、衆に優れた能力を持っている社長の目にそう映るのであって、社員はそれぞれにいっしょう懸命自らの任務を果たそうとしていることを考えてやらなければならないのだ。
それを、社長の目につくことを、いちいち取り上げて叱言を言うのは、社長と同じ立場、社長と同じ能力を社員に要求していることになるのだ。そんなことが社員にできるはずがない。それができるくらいならば、その人は自分で経営者になってしまう。だから、社長は社員の仕事ぶりの欠点ばかりいちいちとり上げて、叱言を言うのは間違いである。
社長は、社員に対しては、いっしょう懸命やっている限り、寛大にならなければならない。「そんなことをしていたら、うちの会社はもたない」と思われるかもしれないけれど、その心配は無用である。いかに優秀な人材がいようと、能力のある社員がいようと、それだけで会社の業績が上がるものでないことはすでに述べた通りである。
会社の業績は、社長の考え方と行動によって決まるものであって、ク企業は人なり″というのは、社長次第ということであって、社員のことではない、と解釈するのが、社長としては正しいのである。
社長は部下の能力を向上させるための教育をしようとする前に、まずク優れた経営″をすることを自らに誓い、これを実行することこそ本当である。そうすれば、自然に人材が集まり、人材が育つのである。
優れた経営者は常に「うちの社員はよくやってくれます」と人に語り、能力の低い経営者程、自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす。
企業の業績が上がらないのは、社員の無能の故であるという程、間違った考え方はない。社長がいくらガミガミ社員を教育しても、成果が上がらないのは、いくたの実例がこれを証明している。
反対に、社員は無能なるが故に、何もかも自分でやらなければならない、と思い込んでいるワンマン・コントロール社長も、優れた業績を上げることは、永久にできないのである。
企業を発展に導くものは、社長自らの姿勢が正しく、「優れた経営」を行なうことであって、断じて部下の考え方や行動にあるのではないのだ。「優れた経営」とは優れた業績を上げることであり、最近は公害を起こさないことが、新たに認識された重大責任といえよう。
優れた業績を上げるための、最も基本的な認識は、企業の成果は外部によって得られる、ということである。いかに優れた商品でも、それが売れてはじめて企業の成果が得られるのであって、売れなければそれは商品ではなくク製品クにしかすぎないのだ。コストも品質も、商品が売れなければ全く意味がないのだ。こんな分かりきったことが、実は意外な程分かっていないのである。
商品が売れるか、売れないかは、まず第一に、その商品がお客の要求に合うか合わないかであり、第二には、お客の手許にどのようにして届けるか、という販売チャンネルが強いか弱いかによって基本的に決ってしまう。
お客の要求に合った商品ということは分かっているようで、案外分からないものである。
ある会社で、開発研究部長が営業部長兼任だという。わけを聞いてみると、以前は技術部長が兼任していたが、開発した商品がさっぱり売れない。そこで、苦しまぎれに営業部長に換えてみたところ、売れる商品が開発できるようになった、ということである。
技術部長は、自らの技術に基づいて開発をしていたので、性能は優れていたが、扱いにくくて、お客に喜ばれなかったのである。それは製品ではあっても、商品ではなかったのである。
さすがに営業部長はお客の要求を知っていた。そのために彼が開発した商品は売れたのである。新製品の開発責任者が技術者の会社が大部分である。機械や品物を設計するのだから、その責任者が技術者でなければならない、という考えである。
これではク商品クができずにク製品クができてしまうだろう。商品というものは、お客に売るものだから、お客の要求を中心に考えるのが当り前なのに、これを忘れてしまう。だから、開発研究部門の責任者は、その会社で最もお客の要求を知り、これを理解できる人がなるべきである。そして、それは多くの場合に社長でなければならないのである。社長でない場合は、社長の意図を充分に知らせておかなければならないのである。販売チャンネルについては、これの重要さが恐ろしいくらい理解されていない。
ある限界的な化粧品メーカーは、盛んにテレビのコマーシャルをやっているが、販売チャンネルの強化にはほとんど関心がない。販売チャンネルができていないので、いくらテレビで宣伝しても全くのムダである、テレビを見てその品物を欲しい人がいたら、その人はいったいどこへ行ったらその商品を手に入れることができるのだろうか。全くうかつな、そして、よくおかす誤りである。
ク販売チャンネルなくて販売なしクというこの当り前の原理を知らない会社が多すぎる。それだけでなく販売チャンネルに関するいろいろな、そして恐ろしい程の認識不足が、多くの会社に見られるのである。
中小企業の場合には、間屋や商社と取引や代理店契約を結んだら、あとはそれらの会社に売ることを任せればいいと思いこんでいる会社が非常に多い。これが間違いのもとである。問屋や商社は、メlヵlの要請によって売るのではない。小売店の注文によってメlヵlから仕入れるのである。その小売店は、売れないものは仕入れないのである。
だから、メーカーは商品の販売を問屋を通そうと、商社を総代理店にしようと、自らの企業で、商品がお客様の要求に合うかどうかを調べなければならないだけでなく、商品の販売には、小売店や時には消費者そのものに直接働きかけなければ売れるものではないのだ。
I社の商品は、国内占有率九〇%を占めるという、断然たる強味を誇っている。代理店はU洋行であり、したがって、自社では只一個の直売もしない。しかし、営業部員が四十名もおり、常時日本中の小売店と協力して展示会やD 。Mなど宣伝につとめている。これが占有率九〇%の最大の秘密なのだと、I社長は私に語ってくれた。
T社の商品も国内占有率五〇%を占めているトップ。メーカーである。商品の品質は、可もなし不可もない。これといった特色もないごく平凡な商品で、しかも値段は他社よりも遥かに高い。それにもかかわらず売れるのは、間屋に任せず、絶えず小売店に直接働きかけているからである。
展示会には、ファッション・モデルを使い、ポスター広告をする。新商品ニュースは全国の小売店に直接流す。立派な宣伝カーがあり、北は北海道から南は九州の果てまで小売店を巡回する。小売店から、「よくこんなところまで来てくれた」と喜ばれることも、しばしばということである。この効果は大きい。しかも市場調査も兼ねていて、巡回報告書には、貴重な情報がのっていることも少なくないのである。
どのようにして、お客様とのパイプを太くするかこそ、経営者の最大関心の一つでなければならず、あらゆる手段をとって、これを推進しなければならないのである。これこそ、業績向上の基本条件なのである。
この基本条件を満たすためには、社長は何をおいても外部活動を自ら行なわなければならない。そして、これを行なえば、大部分の時間をこれにとられて、内部など見ているひまはないのだ。これこそ社長のあり方なのである。
この重大事をよそに、内部管理に目を向けてしまっているのが、ワンマン・コントロール社長なのである。お客様に向けなければならない自らの目を、部下の行動に向けている。こんな誤った考え方はない。
ワンマン・コントロール会社が、申し合せたように業績が悪い根本原因はここにあるのだ。
さらに、新事業。新商品を開発する場合には、市場の大きさを考えなければならない。市場が自社の規模に比較して小さすぎれば、たとえ成功しても、そこからは少しの収益しか得られず、大きすぎれば必要な占有率を得られずに、限界生産者の地位しか得られない。限界生産者の運命は、この世から消え去るのみなのである。だから新商品の開発には、先ず第一にマーケットの大きさを調べなければならず、
第二にはどのような販売チャンネルを作るかを決め、第二には販売促進の方針を決めなければならないのに、それらのことを素通りして、製品(商品ではない)の試作から始める会社が大部分である。
いい製品さえつくれば、それだけで売れると思っているのだから、経営を知らないにも程がある。市場とお客を考えないで成功するはずがないのだ。
ここでも最も大切で、最初にやらなければならないのが市場調査であり、この調査は社長自らの活動こそ最重要なのである。この段階で、成否の見通しがつけられなければならないのだ。いちばん大切なことをやるためには、それよりは遥かに次元の低い内部管理は、部下に任せなければならないのである。
下請企業の場合には、お得意も製品も決まっているから、社長の外部活動などいらないし、やっても意味がないではないか、という意見をよく聞く。これも全くの認識不足である。それらの会社……というよりは本質は工場である、つまり物をつくることしか知らないからである……の業績は決してよくない。赤字が出なければ上々と言えよう。
その低業績の原因は営業努力の放棄にある。何かのきっかけでコネのついた親企業に、ベッタリとくっついて食っていこうという怠慢経営である。だから、親企業から値下げの要求があると、何だかんだと言いながらも、結局はのんでしまう。引き合わないからといって、断われば仕事がなくなってしまうからである。そして、圧力をかけられる親企業に、自らの努力不足を棚にあげてうらみがましい気持を持っている。これは間違っている。安かろうと採算が悪かろうと、仕事を与えてくれる親企業はお客様である。お客様をうらんではいけない。
自らの努力不足とは、自らの努力で採算のよい仕事を探すことをしない、ということである。自らの努力なしで、採算のよい仕事をとることはもともとできない相談なのにク棚ぼた″を期待するとは虫がよすぎる。採算のよい仕事が欲しければ、社長自ら明けてもくれても仕事探しをすべきである。これができなければ、社長の資格はないと言ってよい。
いい仕事を探したら、悪い仕事を切る。これらの繰り返しである。これを可能にするものは営業力であり、販売力である。これこそ企業経営のケン引車である。そのケン引車こそ社長でなければならない。私は、「社長が社内にいるのは、 一週間のうちに、延べ一曰くらいでなければならない。大部分の時間は情報集収、販売活動、受注活動に注ぐべきである」という考え方を持っている。それを社長は、優れた内部管理をしなければならない、と教える人がほとんどである。経営のケの字も知らない観念論者が経営を語り、社長の業務を説く。
私のところに来る、社長セミナーの依頼には、組織管理や幹部社員の指導の話をしてくれ、という希望があるのが多い。
経営とは、社員をうまく働かせることである、というのだから、見当違いも甚だしい。全く困ったことである。
この間違った理論に、いかに多くの社長が、そのとりこになって経営を誤っているか。私は年がら年中これを見せつけられている。内部管理に夢中になり、それが自分の思う通りにいかないといって、イライラしているうちに、客観情勢はドンドン変ってゆき、会社はとり残されてゆく。しかもそれに気がつかない。気がついた時には、もうどうにもしようのない程、会社の業績が悪化してしまっている。
このような会社を、たくさん見せつけられている私は、経営学と称する経営学にあらぎるものの罪悪の恐ろしさを、いやという程感じさせられると共に、限りない公慣をおぼえるのである。
私は、世の社長族が一人残らず、企業の運命は客観情勢の変化に、どう対応するかで決まってしまう、ということを、 ハッキリと認識し、行動してもらいたいと切に望むのである。
昭和四十五年の家電業界の不況の嵐は、アメリカの、日本製テレビのダンピング問題に端を発し、国内のテレビの二重価格問題、さらに消費者の不買運動が直接の原因であり、その奥に、内需の頭打ちという構造的要因があった。すべて、外部の問題であり、これが家電業界を激しく揺さぶったのである。そして……石油ショックは全世界を震かんさせ、企業環境を根底から変えてしまった。
このような嵐は、内部管理とは全く関係ない。内部をいかにうまく管理しようと、どうにもならないものなのだ。
この客観情勢の変化をどう受けとめ、自分の会社をどのような方向にもってゆくか、で企業の運命が決まるのだ。そして、それを決める人が社長である。もしも、その方向を誤ったなら、会社の業績は決して上がらないだけでなく、悪くすれば倒産である。会社を正しい方向にもってゆくためには、社長は全力を上げて、客観情勢の変化の実体と、将来の見通しをつけなければならないのだ。さもなければ、自社の方向を正しく決めることはできないのである。
あらゆる業界が常に、さまざまな世界の政治、外交、経済の影響を受けて、刻々変化している。それらの変化を誤りなく把えて、自社の正しい方向を決めることは、生やさしいことでできるわけがない。それを、社長が自社の内部に目を向け、社員の仕事のアラ探しをしていたら、会社はどうなるか分かったものではない。
企業の方向を誤る大危険に比べたら、社員の行動の非能率から生まれる危険など、全く問題にならないのである。そして、社長が正しい考え方と行動をとるようになると、今までやる気のなかった社員が、やる気を出し、積極的に自らの責任を果たそうとする。その上将来に対する読みまで深くなる。私はこの実証をたくさん持っている。
「正しい経営」を行なうことこそ、社員の考え方と行動を正しくし、やる気を起こさせるものであることを、知らなければならないのである。
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