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十、社長とは決定を下す人である

目次

使命感から出発する未来像をもて

会社は絶対につぶしてはならない。いつ、いかなる場合にも利益をあげて存続させなければならない。これが経営者の最低限度の社会的責任である。そこに働く人々の生活を保障するという社会的責任である。

次に、社会に貢献するという責任をもっている。そのためには、会社自体が繁栄しなければならないのだ。繁栄は、社会がその会社を必要としているなによりの証拠である。経営者は、まず以上のような社会的責任を自覚してもらいたいのである。

さらに、従業員に対する人間的な責任がある。「とにかく食っていけばいい」「もうこれ以上大きくしない。小ぢんまりやるのが私の主義だ」というような社長に、よくお目にかかる。こういう生き方は、個人としてなら結構である。はたから、とやかくいうことはない。

しかし、経営者は従業員をかかえているのだ。社長がこのような気持でいたら、従業員は浮かばれない。人間はみな生活の向上を願い、自己の才能を発揮したいという欲求をもっている。

一個の人間としての「自己拡大」の本能である。会社を発展させなければ、従業員の自己拡大の欲求は満たされない。人間としての欲求を無視することになるのだ。いったん、経営者を頼って入社してきた人間の欲求を満たしてやろうとしないのは、人間性無視もはなはだしいといえよう。

経営者は、以上のような社会的な責任と、従業員に対する人間的な責任の両方を負っているのだ。そのためには、どうしても長期的な繁栄を実現させなければならないのである。この自覚が経営者の使命感である。

この使命感のない経営者は経営者の資格がないのだ。

この使命感の土台の上に、経営者のもつ人世観・宗教観などの哲学を積み重ねて「わが社の未来像」を心にえがく必要がある。

それを繰り返し反すうし、温め、次第に高めてゆく。その未来像は、自分に言いきかせるだけでなく、絶えず従業員に語り、社外の人に話すのである。それが従業員に希望をもたせ、社外の人々の援助や協力が得やすくなる。

自らは、それが潜在意識に植えつけられて「必ず実現してみせるぞ」という信念が生まれてくる。こうなればしめたものである。

未来像に基づく、長期目標が設定され、目標達成のための青図が引かれ、発展への軌道にのることになるのだ。

経営者の使命感を土台にした未来像のないところに経営はなく、繁栄はない。すぐれた企業は必ずすぐれた未来像をもっているものである。

未来像をえがくうえで、どうしてもチェックしなければならないたいせつなことがある。それは、「今わが社の住みついている業界の将来はどうか」ということである。

斜陽業界の中では、その中でどのように努力しようと、それはむなしい努力になってしまう。

もしも、今の業界に斜陽化の兆候があるか、見通しがつくならば、成長業界への転進を図らなければならない。それは急にできることではない。早く兆候を発見し、早く転進のための行動を開始しなければならないのだ。

でないと間に合わなくなる。長期的な将来を見通し、会社を誤りなく導くことこそ、経営者の最も重要なつとめである。

革新の繰り返しこそ生き残る道

収益性のよい製品は、いつまでも収益性がよいのではない。だんだんと年をとって収益性が悪くなっていく。しかも斜陽化のスピードは早くなってゆく。

だから、絶えず収益性の落ちた製品を捨て、収益性のよい製品を加えてゆかなければならないのだ。これだけでも容易なことではない。

それでも、だんだん斜陽化してゆく場合は、まだそれに対処する時間があるからいい。ところが、最近の急ピッチな技術革新や新原料は、従来の技術や製品を、アッという間に斜陽化してしまう。

そして、その危険はますます高まってゆく。こうなると、これに対処する時間さえもないということになる。たいへんな時代である。

技術革新や新原料などとは別の意味で恐ろしいのは、後進国の台頭である。その豊富な労働力で安い賃金を武器として、わが国の中小企業の製品分野を次々と食ってゆく。

これらの外部情勢の変化に対応して、企業を防衛してゆかなければならない。

社長は常に外部情勢に目をむけていて、その変化を読みとり、それがわが社にどのような影響を及ぼすか、そのためにわが社は何をしなければならないかを、考えてゆかなければならないのだ。

外部のもろもろの変化は、絶大な圧力をもって、企業にのしかかってくる。

その圧力をはね返して生き残るためには、革新の繰り返し以外に方策はないといっていい。

その革新について、中小企業は大企業に比べて、その意欲は一般的にかなり低い。

中小企業は大企業に比べて、資本力、技術力、販売力、人材など、ほとんどの点で劣る。そのうえ、革新意欲まで劣るのでは話にならない。革新意欲こそ、大企業に対するいろいろな劣勢を補うものだ。中小企業こそ旺盛な革新意欲をもたなければならないのだ。

「うちの会社はマイペースでゆく」という社長によく会う。そのような考えは、いいとか悪いとかいうよりは、そうしたくともできない時代になってしまったことを知らなければならないのだ。

好むと好まざるとにかかわらず、外部の変化に合わせなければならず、革新を繰り返さなければ生きてゆけないのである。

ましてや、雄心ボツボツ、将来大をなそうとしている野心型経営者は、いたずらに規模拡大をあせっても、うまくいくものではない。

やたらに先を急ぐよりも、将来を期して、ジックリと革新に取り組むことである。

そして、すぐれた革新が実現した時には、企業は成長というよりは、飛躍するものだ。坂道をのぼる成長ではなく、階段をとび上がるような段階的飛躍なのである。飛躍は成長の何倍も大きく、収益も格段に大きいのである。

このことは、戦後、大飛躍をとげた優良会社の実例が、雄弁に物語っている。

社長とは決定を下す人である

世はまさに低成長時代である。消費の世界も本当に欲しいものを吟味して買う「厳しい選別の時代」であり、企業の世界は「戦国時代」である。

「選別消費・企業戦国」これが現代の世相である。

企業は、この激しい戦国に生き残らなければならない。そのためには絶えず前進し、止まることは許されないのだ。

止まれば、たちまちのうちに製品は陳腐化し、販路は荒らされ、御得意は奪われてゆく。絶え間ない革新・未知の世界への挑戦という、積極経営のみが、会社を存続させ、発展させる道である。

経営者は勇敢に、潜在する可能性に取り組んでいかなければならない。危険を恐れてはいけない。

凡庸な経営者は、危険を理由にして革新を避けようとする。

可能性は、それが革新的であればあるほど、危険も大きい。危険を伴わない決定など、会社の将来に、たいした影響のない、次元の低い決定である。

革新的な決定は、危険だけではなく、同時に社内の抵抗や批判も多いのだ。部下が悲鳴をあげたり、尻込みするような決定でなければ、すぐれた決定とはいえないのだ。

決定は、それが次元が高くなるほど、下部のものの意見を取り入れることは避けなければならない。経営は民主主義ではない。民主主義をとったら、その会社は十中八九はつぶれる。多数決は衆愚につながるからだ。

すぐれた決定は、多数の人々の意見から出るのではなくて、すぐれた経営者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現われではない。責任の現われなのであり、決定の大原則である。

経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任をのがれることはできないのだ。全責任を負うものが決定するのが当然である。

経営者の行なう決定は、危険だけを伴うのではない。すべての人が喜ぶ決定もまた現実にはないのである。

当然そこにあるのは、いろいろな反対を押しきるという、苦しい決定であるし、その苦しさは、反対を押しきられた側よりも、経営者のほうがはるかに大きいといえよう。

その苦しさに耐えなければならないのが、経営者の宿命なのである。

決定で最も積極性を要し、むずかしいのは「捨て去る」という決定である。

陳腐化した製品を捨て、魅力のうすれたサービスを捨て、そして何よりもたいせつなのは既成概念を捨てることである。

次に、決定でたいせつなのはタイミングである。客観情勢は容赦なく変わっていく。グズグズしていると時期を失してしまう。

決定は巧遅より拙速のほうがたいせつな場合が多いのだ。速かに行動を起こさなければ手遅れになってしまうかもしれないのだ。

たとえ、決定がまちがっていたとしても、決定しないよりは勝っている。早く動きだせば、まちがいも早く発見でき、それを訂正する時間が残る。

いかにすぐれた決定でも、土壇場になってからでは、それを実現する時間がないのだ。躊躇邊巡こそ経営者の大敵である。遺巡して何も決められない経営者は会社をつぶす。

社長の決定がなければ、社内ではそれがどんなにすぐれたことであっても、行動を起こすことができないのだ。社長の決定がないために動けず、じりじりしながら待っている部下は、想像以上に多いのである。

経営者の最もいましめなければないのは、優柔不断である。決定に伴う危険を考え、部下の不満を考えていたずらに迷っていたら、会社をおかしくしてしまうのだ。

決定することが社長の仕事なのだ。社長の優柔不断からつぶれる会社は数知れない。倒産原因の七〇%は社長の優柔不断だといわれているくらいである。

会社は社長の性格そのままの性格をもつようになる。社長がグズグズしていれば、社内もそのとおりであり、社長が果敢な決定をすれば、社内でも勇敢に行動するようになるのだ。

経営者は、何年かに一度、そしておそらくはこれからはもっとたびたび、重大な決定にせまられるであろう。それは、どっちへ行くかで社運が全く違ってしまうようなもので、決定とよべるものではなくて、決断である。

決断に必要な情報は、不完全というより、どこまで信じてよいかわからぬものであり、不安定な状況の中での、限られた時間のうちに下さなければならない「断」なのである。その結果の見通しなどない。成功と失敗、繁栄と破綻との一か八かの「賭け」である。

そこには、サイエンティフィック・アプローチというような、きれい事の観念論はいっさい通用しない。「問題解決に必要な、あらゆる事実を調べる」ことは、次元の低い日常業務には当てはまっても、経営者の行なう、社運を賭けた決断にはありえないのだ。

無気味な暗雲の中への、乗るかそるかの大勝負なのである。このような試練を、これからの経営者は何回も乗りこえてゆかなければならないのである。

わが社の未来像を心にえがき、明確な目標を掲げ、変化に対応する革新を行ない、数々の危険を伴う苦しい決定を下して経済成果を生みだし、企業を存続させ、発展させること、これが経営者の役割である。

この役割を果たすことによって、経営者の社会的責任も同時に果たされるのである。

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