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五、放漫な固定資産投資

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社員大食堂

あまり業績のよくない、というよりは、実質的には赤字会社(つまり営業利益は赤字で、土地の売却益で利益をだしている)という、ある中堅企業の新設工場を見学した時のことである。

従来は、工場が幾つにも分散していてムダが多いので、この工場にまとめるということである。まだ敷地の半分ほどを使っているだけで、あとは二〜三年後になるということであった。

見学を終わって、ちょうど昼食時になったので食堂に案内されて昼食をご馳走になった。その食堂についてである。

係の人の説明によると、将来この工場の人員は現在の二倍くらいになる予定である。その時のことを考えて、その人員を一度に収容できる大きさにしてあるという。なるほどもっともらしい。人員がふえても、建て増ししなくともいいからだ。

だが実は、このもっともらしさが曲者なのである。私に言わせれば、なんともったいないことをしているのだろうか、ということになる。

こうした考え方の中に、この会社の業績不振の一端があるのだ。この食堂の半分は、二〜三年間は実質的には遊休施設なのである。

その遊休施設に、利息のついた資金を固定してしまっている。それだけではない。維持費がかかり、固定資産税をとられる。となると、二〜三年後の建築費の高騰を見込んで、という理由があるとしても、それはすこぶるあやしいものとなる。

もしも、このような経済性を云々するのなら、もう一歩突込むべきである。それは、なぜ従業員を一度に収容しようとするのか、ということである。

食堂は全員を一度に収容しなければ用が足りない、というわけではない。利用者を幾つかのグループに分けて、時差利用をすればよいのだ。これは私のアイデアでもなんでもない。私はそうやっている会社を幾つか知っている。

食堂のような、収益を生まない施設にかける金は最小限度にとどめ、浮いた金を新製品の開発研究や販売促進に使うべきである。

この会社は、自社製品をもちながら研究費は申しわけ程度しかなく、技術重視、営業軽視という伝統的悪弊によって、この人手不足の時代に操業度は八〇%以下だという。

まさに「時代ばなれ」の世界がここにあるのだ。完全に経営者の意識が逆立ちしている。この会社の経営者は「経済的成果をあげる」という企業本来の任務を忘れて、「厚生施設の完備」という、労務管理の枝葉末節に走っている、と言われても、しかたないであろう。

戦後の新しい労務管理と人間関係論は、経営者に厚生施設や娯楽施設に必要以上に大きな関心を払わせてしまうという罪悪を犯させている。

そして、それが企業本来の任務に優先してしまう危険を常にはらんでいる。この例のように……。

いくら労務管理のさまざまな手が打たれようと、いくら人間関係に配慮をしようと、会社の業績が悪く、他社よりも賃金が低いということであれば、従業員は納得しない。

従業員は、全社一度に食事をして低賃金でいるよりも、食堂は時差利用でも、賃金が高いほうがよいのだ。

もしも経営者が、食堂の時差利用の方針を明らかにするとともに、その理由をよく説明し、それによって節約された金が、積極的に収益を生む活動に投入されて、結局は高賃金に結びつくことを知らせたなら、従業員は納得するはずである。

労務管理の最重要事は、会社の方針を積極的に従業員に知らせることである。

それをやらずに、物的なものだけで従業員を納得させようとするのは、あまり感心できない。いやまちがっているのだ。

これは食堂だけにかぎらない。経営者は労務管理の小手先のテクニックに心を向けるよりは、企業本来の任務に精をだすべきである。

企業本来の任務に焦点を合わせて、資金の効率的な使用を、会社の中のあらゆることに徹底してゆくことである。高収益会社は、例外なしにこのような態度をとっている。

それに反して、業績の悪い会社は、その点きわめてヘタである。むしろ、放漫といっていい。

社長の乗用車

ある業績の悪い、というよりは悪化しつつある従業員二〇〇名ほどの会社である。

社長は通勤に外国車を使っている。応接間はりっばなものが二つある。最近は電話交換器を入れ専属の交換手を二名おき、守衛所をたてて守衛を二名雇い入れた。更に、厚生会館をも計画しているというのだ。

そのくせ、自社製品を持ちながら研究費の増額はしておらず、工場や生産設備、販売促進に関する計画は何もない。工場では品物の置き場が足りないために、その一部は屋外におかなければならず、雨が降ればシートをかぶせているのだ。社長の関心は経済的成果にはなく、成果をムダに使うところにある。こういう会社が、つぶれるのである。

せめて、せめてである。お客様の送迎に使うわけでもない社長の車は、国産の中型にできないものか。応接間は一つにして、あとは事務所の一隅を仕切って間に合わせておくべきであろう。守衛は、昼間は二人いる電話交換手が兼ねて夜間だけとし、厚生会館は業績回復まで延期するのがほんとうである。

反面、工場には建物の間にアーケードでも張って、品物を雨から守ったらどうなのだろうかと、ため息がでたのである。

海 の 家

次に、これも従業員六〇〇人程度の中堅企業である。実質的な赤字会社で、土地を売りながら利益をだし、配当を行なっている。こうなると、もはや製造業ではなくて不動産業である。

財務分析をしてみたら、何もかも悪いのは当然のこととして、特に目だったのは、ある期に急に固定資産の生産性(付加価値総額を固定資産で割ったもの)が前年度の六〇%に落ちている。減価償却後の数字であるから、取得価格で計算したらもっと悪いわけである。

これに歩調をそろえて、利子割引料が一挙に三倍半にはね上がっている。付加価値増加は一三%しかない。

とんでもない数字を見せつけられたので、その原因を調べたら、デラックスな海の家を買いこみ、社宅など建てたのである。どう見てもこの会社は不動産会社である。

その海の家を買いこんだ動機がふるっている。ライバル会社が海の家を買ったので、それに負けまいとして買ったというのだ。妙な対抗意識があるものだ。そのライバル会社は好収益をあげているのである。

ライバル意識を燃やすなら、なぜ収益について燃やさないのか。まるっきり話にもならないのである。

まだおまけがつく。本社ビル新築の計画があるのだ。いったいこの会社の経営者の頭の中は、どうなっているのだろうか。

この会社の業界は、かつてはすばらしい高成長高収益だったのである。その時に土地を買っておいた。これが値上がりして、これで現在食っているわけである。このような好収益状態は長く続かなかった。

新参入会社が続々と出てきて過当競争が起こり、収益性が悪化してきたのだ。その客観情勢の変化も見えず、過去の好収益時代そのままの、安易な考え方を続けているとしか説明がつかない。それにしても不思議なのは、病状が悪化してゆく事態を何と見ているのかということである。

大邸宅

ある赤字会社がある。その会社は大邸宅をもっている。時価三〇〇〇万円を越すということである。数年前、会社が景気のよい時に買っておいたというのである。

赤字だから資金繰りは苦しい。そこで社長は、その大邸宅を担保に入れて銀行から金を借りるというのだ。二〇〇〇万円は借りられるだろうというのだ。

『なぜ売ってしまわないのか』と社長に質問したところ、『この先値上がりを期待できるからだ』と言う。私はさらに社長に質問した。『社長は今の会社を続けたいのか、それとも不動産屋になりたいのか、どちらですか』と。社長いわく、『今の会社を続けたい』その返事を聞いて、私の無遠慮な忠告がとびだした。

あなたの資金繰りの考え方、というよりは経営者としての心構えは甘すぎるのではないか。不動産屋になりたいのなら、家を担保にして金を借り、その金をころがすのはいいでしょう。しかし、あなたは今の会社を続けたいという。その会社が赤字なのだ。

赤字会社の至上命令は、いかなる犠牲を払っても会社を黒字にすることなのだ。不動産の値上がりを待つなど、とんでもないことだ。それは黒字会社の特権であって、赤字会社には許されない。今、直ちに売払って、それで借金を返すなり、運転資金にあてるべきである。

あなたの会社ならば、まず何をおいても融通手形を整理し、残りは借金を返すことだ。そうすれば、それだけ金利負担が軽くなる。反対に家を担保にして金を借りれば、利息を払わなければならない。

その差引き勘定がどうなるかは、むずかしい計算なんかいらない。今、仮に二五〇〇万円で売れたとしたら、それで借金をかえせば年利八分としても二〇〇万円の金利が浮き、二〇〇〇万円借りれば、年間一六〇万円の利息を払わなければならない。その差は三六〇万円になる。

仮に、足もとを見すかされて、二〇〇〇万円にしか売れなくとも、年間二五〇万円、三年たてば一〇〇〇万円以上の金利差を生みだせる。

叩き売ってでも、その金を会社のピンチに投入するほうが有利なのは明らかである。たいせつなのは経営者としての心構えと、経済計算なのである』という意味のことである。

その社長は、私の毒舌を怒りもせずに受け入れてくださったのには、私のほうがまいってしまった。

あちらでもこちらでも

読者の中には、 一倉のヤツ、極端な例ばかり持ち出しやがって……とお思いの方もいらっしゃると思う。むろん、問題の性格や本質を明らかにするために、極端な例をあげた事はたしかである。しかし、それはけっして例外ではなく、ほんのわずかな程度の差にしかすぎないのだ。

というのは、私の乏しい経験の中でさえ、以上のほかにいろいろな事にぶつかっているのだ。たとえば地方の会社で、必要もないのに東京に営業所を設け、費用を食うだけの役割しか果たしていないという会社に三つぶつかっている。仕事もないのに東京営業所とか本社を置くというのは、普通、会社のイメージアップをねらっているわけだろうが、三社とも、その必要性さえも見い出せなかったのだ。

もっと極端な場合は、東京都内のたった五〇人足らずの会社(大幅の赤字をかかえていた)が、都内に営業所を持っていた、という例にぶつかったことがある。直売をやるわけでもなく、陳列や展示もできないビルの奥まった一室である。単なる電話取次所であって、屋上屋とは、この会社のためにあることばかもしれない。費用を食いながら、営業活動と事務を複雑にする以外に能がないのだ。

工場を拡張しなければならないが、隣接地は地価が高いからといって、数百メートルも離れたところに土地を買ってしまった会社がある。地価が安いといっても、隣接地の半分以上であり、隣接地とて採算に乗らないほど高いわけでもないのだ。全然違う仕事をやるのならば話は別、今の仕事の工程の一部をやろうというのだ。

今後長期にわたって、大きなムダを発生させるのは日に見えている。しかもこの会社は、現在でも一キロほど離れたところに分工場を持っていて、その工場との間に大きなムダが毎日発生しているのを経験しているのだ。なぜその経験を生かせないのだろうかと不思議でならないのである。

この例とは逆に、隣接地で、しかも安いからといってトンガリ帽子よりももっと細長い三角地を買いこんで、帯にもならず、タスキにも使えずに、ガラクタ置場にしてしまった会社がある。安物買いのゼニ失いの話。

ある二〇〇人ほどの工場(本社は別にある)で、広々とした、優に五〇人は収容できる事務室を持っている会社がある。それだけでも私には身分不相応なゼイタクと思えるのに、すばらしい応接ロビーまである。私は一日見て、あきれかえってしまった。

外に面したところは、大きな総ガラスで、しゃれた応接セットが幾つもゆったりと置いてある。ジュータンを敷いたら、そのまま観光ホテルのロビーである。 一流大企業の応接ロビーも、かなり見ているが、この会社から見たら質素なものばかりである。

工場であるから、そんなに来客があるわけではないし、たいせつなお客様なら、おそらく応接間にお通しするであろう。とするといったい、だれのために、あるいはなんのための応接ロビーかわからない。私がお伺いしたときも、ほかに来客は一人もなく、ロビーでちょっと待った後に、応接間に通されたのである。帰るときにロビーを見たが、やはり来客は一人もいなかった。

こんなものを造った経営者の気持が、私にはどうしてもわからないのである。最近はいった情報によると、その会社の社長は、三期連続赤字で、株主から詰め腹を切らされたということである。経済のケの字も知らない社長の退陣は、むしろ遅きにすぎたといえよう。

ある会社で、業績が思わしくないのに、厚生会館を建てるという。理由は労務管理もさることながら、ほんとうは、有利な融資が受けられるからというのだった。

金利が安いと、ほかの条件はよく考えないでその金利差だけもうけたような気になる(これが会社をつぶす経営者の共通的な習性である)。冗談じゃない。金利が安くても、業績が悪ければ、返済のために資金繰りをいためるのだ。金を借りるときには、返済をどうするかをまっ先に考えなければいけないのである。……どうして私は繰り返しわかりきったことばかり言わなければならないのだろうか。

経営者の自重を

多くの会社で、あまりにも多くの放漫な固定資産投資というよりは、浪費が行なわれている。いったいこれはどうしたことなのであろうか。どこかがまちがっているとしか、いいようのない現象である。

企業は、経済的価値を作り出すのが任務であることは言うまでもない。とするならば、経営者の行なうすべての決定は、経済的成果をあげることに焦点を合わせるべきなのに、そうでないと思われるケースに、あまりにも多くぶつかるのである。

ここにあげたのは、氷山の一角であることにまちがいない。どう見ても投資態度が真剣であるとは言えないのである。

むろん、意識のうえで経済的成果を考えないで投資をする経営者は一人もいないはずである。とはいえ、意識だけでいいというものではない。経営とは意識ではなく実行であり、しかも、その実行は有効なものでなければならないのである。

有効な実行とは、「よい結果を得た実行」である。経営者の評価の尺度はただ一つ、「どのような結果を得たか」つまり「どれだけの経済的成果をあげたか」以外にはありえないのである。

いかに人格がすぐれていようと、経営に精励しようと、内部の人間関係を円滑にしようと、結果が悪ければ経営者としては落第である。

会社の運命、そこに働く従業員とその家族の生活、多くの取引先の将来に大きな影響を及ぼすものは、経営者があげる経済的成果である。経営者は重大な社会的責任を負っているのだ。

その責任を感じて行動してもらいたいのである。それを、ややもすると、その社会的地位と権威の上にあぐらをかいて、本来の任務を忘れたり使命の重大さを忘れて安易に流れたり、企業を私有物視して、かってなことをしたりする経営者がいるのは残念である。

企業の運営にとって、資金は血液である。固定資産投資は、その貴重な血液を固定してしまうものだけに、慎重な配慮が必要である。へたをすると企業の命とりにもなりかねないのである。

経費は、それが企業のそとに流失してしまうものであることがだれにも理解できるし、損益計算にも数字として表われるから、過大にならないように注意することができる。

しかし、固定資産は、会計経理では経費ではなくて資産として取り扱われるし、現実に物として会社に残る。金の変形と見られるだけでなく、なんらかの役に立つので、放漫という認識がどうしても薄くなる。

福利厚生施設などになると、労務管理上好ましいということになり、もしもそれらが貧弱であると、経営者の無理解ととられる。

その他の施設にしても、りっぱであれば会社にそれだけの力があるとして評価されるような考え方があり、ムダな部分は忘れられて、その有用面ばかり強調されてしまうのである。

有用という、大義名分によって、企業本来の経済活動の本質からはずれてしまっても、あまり問題にされないのである。ここに本末転倒がある。雨もりをほっておいて、壁を塗り替えるような金の使い方が不思議に思われなくなってしまうのである。

私は固定資産が資産であるのは、会社経理の世界だけの話であって、実質的には経費である、という見解をとっている。理論的にはどうであろうとも、経営者の心構えとしては、こうでなければならないと思うからである。

固定資産という経費は、単なる経費ではなく、維持費や固定資産税という経費を生む経費であることを考えたら、慎重のうえにも慎重を期さなければならないのである。

あるホテルの経営者は、私に次のように語った。同業者で、給湯用のポンプのモーターを、五馬力でじゅうぶんなところを、ちょうど請負業者が七・五馬カモーターの手持があり、『五馬力と同値でいいからというので、七・五馬力をつけさせて、得をした』と私に話してくれたが、私ならそうしない。あくまでも五馬力をつけさせる。

設置したときは得をしたように見えても、維持費が違ってくるというのだ。現実には維持費の違いはわずかであろう。そんなことでなく、経営者の心構えとして、まことにりっぱである。

この経営者は、施設をいじる場合には、まず業者の見積りをとり、その半分で済ますくふうを真剣になって考えるのである。

業者の見積りを少しばかり値切ってやらせるのなら、『経営者の価値がない』というのだ。そして、業績はよく給与は他社より高く、従業員のサービスのよさは定評がある。私の尊敬する経営者の一人である。

機械設備については、放漫ということは施設に比較すれば少ないけれども、ずいぶん見かける。斜陽製品に専用機を入れたり、時期の選定を誤ったり、生産性変化率格差を考えずに、効率のよくない投資をしたりする。固定資産投資で決定的に重要なことは、借り入れた投資資金の返済計画である。

そのためにどうしても必要なのは、「資金運用計画」である。資金運用計画は、借入金の返済のためだけではなく、会社全体を考えるためのものであるが、これについて、あまりにもなおざりにされすぎてはいないか(資金運用計画については、後述する)。

とにかく、固定資産投資はむずかしい。それだけに経営者はもっともっと勉強してもらいたいのである。

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