発刊によせて
本書におさめた二編は、かつて産業能率短期大学より出版されたものである。それを同大学のご好意により、ここに再刊することができた。この紙面を借りて同大学に感謝の意を表するものである。
「社長学」は一九六七年十一月に発刊したものである。この本の意図は気楽に読める社長の「読み物」というものであった。それが意外にも大きな反響があり、如何にこの種の本が求められているかを、今更のように思い知らされたのである。
それ程求められているのなら、私の持っているものすべてを、社長方にお知らせしようということになり、これが「一倉定の社長学」シリーズを生む動機づけとなったのである。
内容は、「一倉定の社長学」シリーズのダイジェスト版ともいえるものである。「人間社長学」は、社長の人間像と、もう一つは社長と企業との人間的な関係をとらえようと試みたものである。
それと同時に、私自身が実務の中で苦しみ抜いた末に得た、自らの主張を盛りこんだものである。そのためかも知れないが、たくさんの読者から「迷いがぶっ切れた」「自らの考えに新たな自信を得た」というような感想をよせられたのである。
両著とも、右のような読者の反響があったために、再刊もムダではないと思い、若千の補筆改訂を行って今回の刊行となったものである。「一倉定の社長学」との併読を賜れば幸甚である。
一九七七年十一月
一 倉 定
※本書は、一九七八年に出版した一倉定の社長学シリーズ第七巻を復刻した新装版である。
ま え が き
社長という職業は、全くたいへんなものだと思う。見かたによっては、最も割りに合わない職業である。その社長に、年がら年中接触して、相談相手になっているのが私の仕事である。
社長の苦しみ、社長の迷い、社長の忙しさ、社長の孤独、それらのものを直接身体で感じさせられるのが私の立場である。社長の悩みは果てしないのだ。それにもかかわらず、社長の悩みを理解し、解答を与えてくれる人は、あまりにも少ない。
※社長の悩みを理解し、回答を与えてくれる人は、あまりにも少ない。
反対に、社長の性格的な欠点や、マネジメント理論に対する認識の不足を責める声は大き世にマネジメントの書物はゴマンとある。
経営学の専門家や経営コンサルタントと称する人も多い。しかし、社長の役割は何であり、どうすればよいかを教えてくれるものはまことに少ない。
それらのものはむしろ、社長の関心を企業の内部に向けさせ、現在の仕事に向けさせて、本来の任務からそらしてしまう危険のほうが、圧倒的に多いのである。
それだけでなく、企業内の人々に、社長の役割についてまちがった認識を与え、見当違いの批判をさせてしまう恐れを多分にもっている。
社長という職業はそれほど多くの人々から理解してもらえないのである。その意味でも社長は孤独である。
私は、自分の職業を通じて知りえた、ほんのわずかな企業経営の実態と、社長の生態をもとにして、おこがましくも社長の役割をとき、少しでも社長の業務に役だつ示唆にもなればという気持ちが、この本を書いた動機である。
とはいえ、広範な社長の業務について、すべての面を書くことは、不可能である。そこで、私が最も痛感し、また最も重要であると思う「経済的成果」の創造に焦点を合わせて、その基本的な考え方を述べてみたのである。
それと同時に、企業内の人々が枝葉末節のマネジメントのテクニックのみに憂き身をやつさず、少しでも企業経営を知り、社長の立場を理解して、補佐するための、よりどころの一端としてもらいたいという願いもこめているのである。
もう一つ、別の気持として、世の経営コンサルタントと称する人々へ、不遜を承知でこの本を通じて音言を呈したかったのである。
それは、私がお伺いする会社で、経営コンサルタントに対する不信の念が、あまりにも高すぎるからである。コンサルタントに指導してもらったが、少しも効果が上がらないというのだ。
その原因は、コンサルタントが自分の専門分野のテクニックを振りまわして、それを企業に押しつけているからである。
企業の真の要求、社長のほんとうの悩みを聞こうとしない、ひとりよがりにあるのだ。というよりは、経営とは何かを全然知らないところにあるというのがほんとうである。
経営にとって、管理のテクニックは重要であっても、第二義的な重要さなのであることを考えてもらいたいのである。
企業の経営は、すべてが、「結果」である。よい結果を得た考え方と行動のみが正しいのである。
よい結果が得られなければ、いかに管理水準が高かろうと、意図が正しかろうと、それらはすべて空しいものであることを考えてみてもらいたいのである。
右のような私の意図のもとに書かれたこの本が、少しでも読者諸兄の御参考になれば幸甚である。
一 倉 定
経営学というのは、いったいどのような学問なのであろうか。現在、わが国で経営学と称されているものは、テーラーの科学的管理法に始まるもので、主としてアメリカで発展してきたところの企業内の「人」に関する、そして人の活動に関する能率的な方法・科学的なやり方を総称しているらしい。
このようなものを、だれが経営学と名づけたか私は知らない。しかし、それらのもののほとんど全部は管理学であっても明らかに経営学ではない。
だれか経営学を知らないか
経営学でないものを、経営学と名づけたための混乱と害悪は測りしれないくらい大きい。
なにも知らない多くの人々が、それらのものを経営学と思い込み、会社をつぶさないまでも、大きな損害を受け、人々の考えをまちがった方向に向けてしまったのである。
かく言う私も、その一人であり、その熱心な信者となり、夢中になってそれらの技法を身につけた。そして、それを会社の経営に適用してゆけば業績が上がり、会社が発展してゆくと思い込んでしまったのである。
私は懸命になって、自分の持っている技法を仕事に応用していった。太平洋戦争中は、中島飛行機で暴れた苦しくも懐しい思い出も多い。最高一人当り五倍の生産をあげたことがある。
戦後も私は、働いていた会社で、生産技術者として作業改善・治具改善・レイアウトなどの合理化と取り組んだ。その結果は、私だけの功績ではなく、関係者の協力の賜物であるけれども、とにかく、たった二年間で作業者一人当りの生産を三倍にあげたことがある。
更に、資材管理責任者として、蜂の巣をつついたような混乱状態にあった外注・購買業務を完全に軌道にのせた。従来の追番管理方式に私のくふうを加えて、素朴なまでの簡素化を行ない、完璧に近い進度管理が、ごく少人数でできるようになり、在庫は大幅な減少をみて、倉庫はガラガラになりながら、欠品はほとんどなくなってしまったのである。
この方式は、いままで幾つもの会社に導入されて、目を見はるような効果をあげている。「一倉式追番管理方式」としてうぬぼれている独特のものである。
下請企業で、生産が上がり、外注・購買が円滑に行なわれれば文句はないはずである。しかし、会社はつぶれてしまったのである。
それらの合理化には、会社の倒産を防ぐ力は全然なかったのである。この体験から私の胸の中には、経営学に対する疑間が、ハッキリした形をとって広がってきたのである。
次に私は、ある小企業に工場長としての職を得た。その会社はとんでもない赤字会社であることが入社してからわかったのである。小企業なので、私が社長の次なのである。しかも、会社を赤字にするくらいだから、社長の経営能力は低い。
私は実質的には社長としての役割を果たさなければならなかった。重態の会社を建て直すために、私は必死の努力を続け、幸いにも黒字転換から発展へのレールを敷くことができたのである。
この過程で、私はいままで学んだ経営学の手法をほとんど使わなかった。いや使っていたら再建はできなかったにちがいない。
この経験は、前の会社の経験と合成されて私の経営学に対する考え方を、大きく変えたのである。
私は、いままで買い集め、勉強した生産技術の専門書を全部売り払ってしまった。
これは、私が生産技術を否定しているのではない。生産技術が企業にとって有力な武器であることは、私自身駆使し、効果をあげたからよく知っている。しかし、同時にその限界も思い知らされたのである。
私が考えたのは、生産技術は私がやらなくても、もっと優秀な人は数えきれないほどいるにちがいない。だからそれらの人々に任せればよい。
それよりも、あまり手をつけられない、真に経営に役だつ経営学とは何か、を勉強することこそ、私の役目だと思ったからなのである。私は、この時から「経営探求者」になったのである。
それ以後、私は経営とは何か、どうすれば会社は発展し、あるいはつぶれるのか経営者は何をすべきか― をひたすら考え続けてきたのである。
私の勉強の教科書になったものは、皮肉にも、そして当然のこととして、経営学の専門書と称するものは、ごくわずかしかなかった。
それは、経済学者・社会学者をはじめとして、経営学者以外の学者であり、戦略家であり、小説家だった。新聞・小説・伝記・講談・週刊誌などは貴重な情報や教訓を私に与えてくれた。
しかし、なんといっても、最も貴重な教科書は、社長であった。社長の考え方や行動それ自体に、いい意味でも悪い意味でも、たくさんの教えを受けたのである。
そのたくさんの教訓の中には、幾つかの共通した考え方― うまり原則とか法則と呼べるようなものがあることが、少しずうわかってきたのである。この原則こそ、経営学であると私は思う。
私のいままで得たものは、まだごくわずかである。けれども、それは貴重なものであると思う。それをこれから述べてみるつもりなのである。
経営学は雑論
現在、経営学と称されているものは、明らかに経営学ではない。新居崎邦宣氏(故人)の言を借りれば、
「……ベスト・セラーになった経営学の入門に関する本を通読してみた。なんてことはない。経営学のケの字も見当たらない。そこにあるのはマネジメントでもないコントロールの方法論が一部羅列されているだけである。
経営学といえば、ある意味では社長学ではないか。社長学がいろいろ小さい冊子で紹介できるようなものであるなら、まことにけっこうであるが、そうはいかないということが読めば読むほどよくわかった。……日本でいう経営学というのは、コントロールの方法、雑論にすぎない」ということになる。
私も全く同感である。企業体の下半身のみを対象とした、あまり重要でない日常の繰返し仕事に焦点が合っているのである。それは、責任権限明確化と標準化を中心とした、きわめてスタティックな観念的組織論と管理論ではあっても、経営論でも経営学でもないのだ。
企業は、経済的価値を創造することが任務である。だから経営とは、経済的価値を創造する活動であるはずである。こんなわかりきったことが、経営学の専門家と称する人はわかっていないのである。彼らの関心は「経済的成果をあげられるであろうと思われる技法」に焦点が合い、「あげた成果を計算する方法」を説いているにすぎないのだ。
企業体の中で、単なる部分的な経済的成果は企業全体の成果に結びつくとはかぎらない。いな、結びつかないことが想像以上に多いのである。経営とは「企業の成果」をあげることであって、「企業内の部分的成果」をあげることではないのである。この、わかりきったことがわからないかぎり、彼らは、コントロール方法の職人にしかすぎないのだ。
真の経営学とは
企業は、国民経済の一環として存在する。国民経済は世界経済の一環として存在する。そして、それらの変化は、企業にとって決定的ともいえる重大な影響力をもっているのだ。当然のこととして、それらの客観情勢の変化に対応できなければ企業は破綻してしまう。
客観情勢の変化に対応するためには、企業は構造的な変革をしなければならない。客観情勢の変化は常に構造的変化だからだ。
いつ、どのような変革をしなければならないか、を決めることこそ最も重要であり、この意思決定こそ経営者の職務なのである。
このように、経営とは「外部」に対応するものであって、断じて企業の「内部」に対応するものではないのだ。
真の経営学とは、経済的価値の創造に焦点を合わせ「客観情勢は絶えず変化する。その変化に対応できない企業はつぶれる」という認識をもとにした、経営構造変革論(スタティックな構造論ではない)と、そのための意思決定論を中核としたものでなくてはならない、というのが私の主張なのである。
この観点に立つときに、経営者の役割は言うまでもなく、伝統的な組織論や管理論は、純然たる専門的技法を別として、基本的な考え方は全く変わってしまうのである。
以上が、私の経営学に対する基本的な考え方である。そしてそれが、具体的にどのようなものであるかについて、私の乏しい体験を通じて解明してみたいという、大それた望みが、この小論を発表する私の真意なのである。
S社社長の苦悩
S社はオートバイの部品加工とサブ・アッセンブリーを行なっている。従業員は二五〇名ほどである。
社長は加工技術のエキスパートで、いつも作業衣を着て陣頭に立って合理化を進めてきた。当然のこととして、生産設備といい、加工法といい、同期化編成といい、中小企業としては最高のレベルに達している。そしてまた、その合理化のゆえをもって激烈な競争に勝ち、親企業の連続的な値下げ要求に耐えて生き残ってきた優良会社でもあったわけである。
ところが、五年ほど前から、常に仕事はじゅうぶんにあり、売上げは順調に伸びながら、利益はしだいに低下しはじめ、オートバイ業界が初めて経験した本格的な不況にぶつかって売上げは低下し、ついにS社は赤字に転落してしまったのである。社長は赤字の原因を検討した。売上高の減少や工賃値下げも原因にはちがいない。
しかし、売上高の変動は将来にも起こることであり、値下げはわが社だけ行なったわけではない。とすると、まだ合理化が不足しているのだ、という結論に達した。更に優秀な設備で武装し、自動化で勝負しなければならないのだ、と決心した。
苦しい資金繰りの中から、血をはく思いで資金を捻出し、それでも足らずに、社長の個人的なコネによって資金を借りてこれを設備に投入した。それは、不況期に金利負担を増加させるという、大きな犠牲のうえに立っての合理化である。
むろん、設備の合理化だけにたよったわけではない。社長自ら工場の隅々にまで目をくばってムダを見つけだし、作業改善の提案をつのり、連日のようにVA会議を開いて材料費の低減を図った。外注部品についても全面的な再検討が加えられ、かなりの成果を収めた。
不良率に至っては一パーセントしかない。そこで潜在不良、つまり手直し作業の絶滅を含めて、大々的なZD運動を展開した。職場ごとに目標が設定され、それについて特に奨励金制度が実施されたのである。まさに全社をあげての戦争である。
一方、親会社からの値下げ要求の定期便は、不況のゆえか、いつもより大幅で厳しかった。せっかくの合理化も、こうなるとだれのためにやっているのかわからなくなる。
苦しみのうちにも、昭和四十年はオートバイの景気回復によって画期的な売上げを記録し、従業員一人当りの付加価値も新記録をだした。合理化による値下げ分を埋めてなお余ったのである。
それにもかかわらず、会社は「赤字ではない」という程度の黒字しか計上できなかったのである。賃金の上昇が会社の利益を大きく食ってしまったのである。
更に大幅な合理化を進めなければ、会社は再び赤字に転落してしまうのは目に見えている。社長の合理化の努力は、更にいっそうの拍車がかけられた。苦しい戦いが続いた。苦しいながらも、仕事がじゅうぶんあるうちはまだよかった。
ところが、ベトナム戦争の影響によって、昭和四十一年の春ごろからオートバイの対米輸出の減少が始まり、 一般の好況をよそに、オートバイ業界はまた深刻な不況に見舞われた。
内需は既に三年前から横ばいである。斜陽のオートバイ業界が輸出に求めた活路がふさがれてしまったのである。斜陽業界の危険がここにあるのだ。
※斜陽の業界は危険。
秋になると、それに季節的な要因が加わって大幅な減産となり、S社は大きな打撃を受けた。十月ごろの概算によると、会社始まって以来の大幅な赤字が発生していることがわかったのである。
このころになると、資金繰りが目だって悪化してきた。手持ちの受取手形は底をつき、支払手形のサイトを延ばし、経費節減の方針のもとに、必要なトラックのオーバーホールさえ延ばしての苦しいやり繰りなのである。
社長は、どうしてよいかわからなくなった。どんなに懸命な能率向上の努力をしても、会社の業績は悪化する一方なのである。どこに突破口を作ったらよいか見当がつかないのである。社長の悩みは深くなる一方であった。
その苦労を見かねた社長の友人が、私のところへ相談に来たのである。S社長にお目にかかって、以上述べてきたことを聞かされたのである。そして、『どうしたらいいかわからない。とにかくいまのところ能率向上につとめるほかにない』というのである。
業績悪化の原因はどこにあったか
私はお手伝いを引き受けることを約束した。そして簡単な財務分析を三年間にわたって行なうとともに、製品の採算性分析を大いそぎでやったのである。これによると、採算にのる製品は三分の一しかないのだ。これではたまったものではない。赤字は当然である。
※製品の採算性分析を行なった結果、採算にのる商品が3分の1しかなかった。赤字になるもの当然。
これとは別に、六カ月間の資金繰表を作ってもらった。それによると、六カ月間の資金不足額は、なんと平均月商にも達するのである。それがいかにたいへんなものであるかは、あなたの会社にあてはめて考えていただいたら、おわかりいただけると思う。
既に金融機関は利用しつくしている。このうえ融資を受けることはほとんど期侍できない。たとえ借金できても、今の状態では返済不可能である。
このままいったら、苦しまぎれに高利の借金に手を出したり、融通手形を発行したりすることになるのは目に見えている。こうなれば、もうあとは悪循環の繰返しになる。
正常な手形の決済の上に、融手の決済が加わり、高利に追われて、更に高利の借金や融手にたよらなければならなくなる。ますます金利負担が多くなり、手形の決済資金が足りなくなって賃金の遅配が始まる。こうなればもう、ご臨終は間近いのである。
もはや、 一刻もぐずぐずしていることはできない。今直ちに手を打たなければならないのだ。この資金繰表を社長に示すとともに、私の簡単な調査結果に基づく業績悪化の原因を説明し、即時経営方針を転換しなければ、会社は破産してしまうことを強調したのである。S社の業績悪化の原因は、社長の能率主義そのものにあったのである。
能率病が会社をつぶす
能率が会社の業績をあげる有力な武器であることは確かである。
戦後、アメリカの進んだ能率の技法が、次から次へと紹介された。そして、それらの技法を導入することによって、相当な成果をあげられることも事実である。それゆえに、能率の力が過大評価され、その限界に対する認識もないままに、ただ能率さえあげれば会社の業績が上がるかのごとき考え方が広く深く信じ込まれてしまったのは、企業として大きな不幸と言わなければならない。
そのうえ、国や県の行政指導が能率向上に焦点を合わせているのだから、企業経営者がそう思い込んでしまうのもムリがない。そのような「能率第一主義」を、あたかも「経営の正道」であるかのように企業に売りつけた、そして今もなお売り続ける先生方に、私は個人的なうらみは毛頭ないけれども、限りない公慣をおぼえるのである。
能率を売るのが悪いのではない。能率を正しく評価し、その役割とともに、限界をも教え込み、その駆使を誤らないように指導してもらいたいのである。
いままでの教え方では、いたずらに「能率病」患者を増加させるばかりである。能率というのは、製品を造る工数を減少させたり、管理の手数を省いたりする。これが原価を下げて、会社の利益を増大させるような錯覚を起こさせるのである。
作業能率が上がれば利益が増大するのは、それ以外の条件が変わらない場合か、変わり方がごくわずかな場合である
もし、能率以外の条件が大きく変わり、それによる収益低下または原価上昇が能率上昇による原価低下を上回れば、会社全体としては利益が減少するのである。
こんなわかりきった道理をなぜ教えないのか。専門家というものは、自分の専門分野だけを、それぞれかってに主張しているだけなのだ。
だから、いろいろな能率やマネジメント手法の相互の関連はあまりない。ましてや、それらの手法を、企業の業績に役だたせるための総合的な考え方など、薬にしたくともないのだ。
ところが、企業の経営は、利用できるあらゆる資源と活動が総合されて、その結果としての利益であり損失なのである。
これがわからないものに、経営を語る資格はないのだ。いままさに、能率だけにたよっていられる時代ではないのだ
その第一は、売価の値下がりである。多量生産品はしだいに値下がりしてゆく。企業間競争があるかぎりは…。そして、それが親企業の値下げ要求となってくる。その値下げ分は、全額付加価値の減少なのだから、たまったものではない。
第二は、賃金と経費の増大である。人手不足とインフレによる賃金の上昇は、中小企業では年率十パーセント以上にも及び、十年足らずで三倍以上になるというスサマジイものである。
インフレは賃金だけでなく、経費も増大させてゆく。このように、製品の単品当りの付加価値は減少し、賃金や経費は増大してゆく。それを能率向上で補うてゆくことは、もはやできない相談となってしまったのである。
S社は、このようにして、必死の能率向上の努力にもかかわらず、業績が低下し、赤字となり、それに加速度がついて、倒産に向かってバク進していたのである。
私は社長に上記のような説明をするとともに、その実証として、製品分析によって明らかにされた付加価値と賃率を示して、理解をしてもらったのである。
この、倒産に瀕したS社が、現在すばらしい好収益を誇るように変わっているのである。どのようにしてそれを達成したかは次章で紹介することとする。
それは、けっして奇跡でもなければ、他社でマネのできないような放れ業をやってのけたわけではない。やろうと思えば、どの会社でもできるような、平凡な真理を実行に移しただけなのだ。この事実が、われわれを元気づけてくれるのである。
政策転換を勧告する
私は、S社の業績低下の原因とその実証をもとにして、政策の転換が焦眉の急であること、それは能率主義・生産指向型経営から収益主義・営業指向型経営への転換をしなければ、会社はつぶれてしまうことを強調した。
その具体的方策として、次のような提案を行ない、社長の決を求めたのである。
- 営業課を新設し、会社の中で最適任と思われる人材を、とりあえず五名ほどこれにあてる。たとえ、その人材が抜ける部門がどのような打撃を受けようと、あえて強行する。打撃を受ける部門の対策は、後ですること。そして、受注活動の重点を、量産的生産財におくこと。
- 収益性の悪い数品目は、親会社に対して値上げを要求すること。
- 不足資金の対策を至急たてること。
右の提案について、若千の補足説明をしよう。
高収益の受注作戦展開
まず第一は、能率至上主義を捨てて、効率主義への転換である。いくら能率的な生産を行なっても、製品そのものの収益性が悪いのでは話にならない。
だから、収益性の良い製品を受注しようというわけである。収益性のよい製品というと、多量生産の消費財では、まず望みうすである。収益性の良い製品は生産財である。しかし、生産財は数量がまとまらない、というわけである。ところが、ここが盲点になっているのである。
戦後の経済の拡大は、生産財の数量をも大きく拡大した。そのうえに寡占化が進み、かつては特定メーカーの月産数または一ロットが、二桁であったものを二桁にしているものがかなりあるのだ。いま仮に、月産二〇〇台であるとすると(このくらいの数のものは、けっして珍しくない)そろそろ量産技術が役に立つ。ニカ月分を一度にすれば四〇〇個になり、 一台分二個、四個の部品もある。こういうものは月産四〇〇個、八〇〇個であり、ニカ月分一度にすれば、八〇〇個、 一六〇〇個という数になる。こうなると、もうりっぱに量産技術を生かすことができるようになフOc
しかし、生産財のメーカーは、多量生産の技術に不慣れであり、したがって少量生産的な設計や加工法をとっている。したがって部品の単価もよい。ここをねらえというわけである。この場合、たいせつなのは価格見積りである。量産方式によって見積りをし、それに数が少ない点を考慮して、その分の価格を上積みしてはいけない。こうすると、必ず原価主義による量産見積りのクセが出て、妙味のない価格を算定してしまう。
まず、受注しようとする部品の現在価格を知ることに努め、その五〜一〇パーセント安でどのような収益性になるかを検討する。よければその値に合わせて見積書を作文する。さもなければ、指値をしてもらって収益性を検討し、返答をする。もしも、VAによって、コストが下げられるものがあれば、下がった分の三分の一を値下げするようにすること。けっして、「適正利益率」という神話にまどわされてはいけない、という方針を強く打ちだしたのである。
値上げ要求は経営者の仕事
第二に引き合わない製品の値上げ要求である。
初め、これを提案したときに、社長は『とんでもないことだ。そんなことをしても値上げなんか絶対に認めてくれないからムダだ』という意見だったのである。
だが、それは違う。値上げは通らないかもしれないが、値下げ要求の圧力を軽くする効果をねらうのだ。それに、最近は鋳物やメッキは業者が結束して値上げを要求し、あるいは申し合わせて、成功している例もある。
昔のように値下げ要求をのまなければ、仕事をもらえなかった時代ならいざしらず、今は引き合わない仕事は返上する会社がふえてきている。そうしなければ会社がもたないからだ。
引き合わない仕事は値上げを要求することこそ、経営者の責任なのである。S社の場合には、値上げ要求に応じてもらえず、もしもその製品を引き上げると親会社が言ったら、それこそ望むところなのだ。
だから、むしろ値上げ要求が認められなければ、返上するという意思表示をするのがほんとうなのだ、ということなのである。
重役の給料棚上げ
第二に、不足資金については、社宅を建てる計画で確保していた土地を売る。合理化計画は、たとえ着手したものでも即時中止し、全部無期延期する。社長以下、全重役の給料を六カ月間半額棚上げする、ということで四カ月はもちこたえる。
その間に業績が回復すればよし、そうでなければ、どんなことをしても、社長と専務が不足分を都合する。それを今から考えておく、というのである。
重役の給料を半額棚上げしたところで、金繰りにプラスするのは微々たるものである。これは金繰りというよりは、社長以下経営陣の決議と覚悟のほどを表明するという意味で重要なのである。
政策を転換し画期的業績をあげる
私の勧告を、じっと聞いていた社長は、私の話が終わると、『いままで私は、能率を向上させることが会社の業績を向上させ、それをやるのが社長の務めだと思っていた。
いまこそ、その考えが誤りであることがはっきりとわかった。直ちに政策を転換し、新たな決意をもって会社をたて直そう。勧告については同意見だ。さっそく実施する』という決断を下したのである。
まさに敬服に値する決断である。この決断が会社を救うことになったのである。こうして、S社は大きな方向転換の第一歩を踏みだした。
会社を苦しませていた季節的減産が、方向転換を促進するために有利となった。政策転換がマイナス要因をプラス要因にかえたのである。
新しい営業活動は、いろいろな新しい経験をS社にもたらした。まず、世間には予想以上に仕事が待っているということであり、いままでただ一社の親会社にだけたよって仕事をもらっていたことがいかにウカツであったか、そしてそれが自分自身の会社をしばりつけ、自主性を奪っていたかに気がついたのである。
また、多量生産品はどこも同じ低工賃であり、多量生産品の新規受注では業績向上は期待できないということであった。
これは、当初の見通しが正しかったことを裏づけてくれたのである。とにかく、いろいろなことに出会いながらも、新規受注品の売上げが増加していった。
一方、引き合わない製品の値上げ交渉の結果は、そのうちの一点は値上げを認められるという思わぬボタ餅が落ちてきた。返上を申し出る会社が多くて、親会社では従来の攻勢一方ではいかなくなってきていたのであった。そして、それ以後の値下げ要求の圧力は、日に見えて弱くなってしまったのである。そして、その圧力を再び強くしないために「引き合わない製品を返上したい」という申入れを、おりにふれてすることにした。
これと並行して、間接部門の削減を強引に進めた。これには専務が異常なまでの情熱を示して取り組んだ。直間比率七〇対三〇を、営業部門は別にして、三年後に八五対一五にしようというのである。なんやかんやしているうちに、昭和四十二年の二月には、売上げに占める新規受注品の割合が一二パーセントにも達し、二月の月次損益は黒字を計上したのである。
二月で終わった昭和四十一会計年度は、多額の赤字を計上した。しかし、完全に会社は黒字基調になり、次会計年度に明るい期待がもてるようになったので、社長の心には暗い気持はなかった。そのうえ、あれほど心配した資金繰りも、土地を売り、重役の給料を半分棚上げし、必死の金策のおかげで借入れに成功して一息つくことができた。それも業績回復のために、予想されたよりもはるかに少額で済んだのである。しかも、融資を受けられたのは、政策転換による業績回復を金融機関が認めた結果なのである。
わずか五カ月の間に全く予想外の業績好転である。私は、いろいろな会社で何回も経験していることがある。それは、業績が悪化しだすとそれに加速度がついてゆき、好転しだすと、全くウソとしか思えないような回復ぶりを示すことである。S社もまたこのことがあてはまるのである。昭和四十二会計年度のしょっばな、つまり四月にすばらしい好収益成長製品の受注に成功した。
むろん生産財である。これは、めったにない幸運というよりほかに言いようがない。オートバイ部品の四倍という付加価値生産性なのである。しかも、発注先でも従来の一〇パーセント安だと喜んでいるのである。私は、その会社のほかの仕事もとるために、社長と相談し、六カ月後に五パーセントの値下げ、一年後に更に五パーセントの値下げを条件に、受注促進を開始した。 一〇パーセントの値下げは、急成長製品なるがゆえに、数量の増加でじゅうぶん取り返せるし、新規に受注するねらいの製品も、収益性が非常に良いことがわかっていたからである。
好調のときには、よいことが重なるものである。ある生産財メーカーからの引合いで、どうしても忙しくてこなしきれないので、断わるつもりで高い見積りをした。ところが、それでもいいからぜひやってくれとたのみこまれ、オール外注でももうかってしかたがない、というような製品が新たに戦列に加わったりしたのである。その間オートバイ部品は、モデルチェンジを機に、捨て去る部品もあり、その余力を新規受注の好収益製品に振り向けたのである。
以上のような一連の政策の推進によって、会社の業績は格段に向上し、八月までの概算利益で、前年度の大赤字を全部埋めてしまった。当然のこととして、資金繰りは目に見えて楽になり、受取手形の手持ちは増加し、九月からは支払手形のサイトの短縮に着手できるようになったのである。これが下請けの協力度を高める、というふうになってゆく。昭和四十二年度の利益は、会社創立以来の画期的なものとなり、売上利益率一〇パーセント以上になるかもしれないのである。
S社が好運に恵まれたことは確かである。その好運はおそらく一〇年いや二〇年に一度あるかないかというほどのものであるかもしれない。しかし、たいせつなことは「政策を転換しなければ、このすばらしい好運をつかむことはできなかった」ということである。幸運も不運も、単なる偶然だけではない。自らの考え方と努力に負う部分があるのだ。もう一つ、見のがすことのできないことがある。新しい「収益性のよい製品は、けっして能率的には生産されていない」。それは、従来の製品から見ればはるかに非能率なのである。
S社の実例からわれわれは何を学ぶか
教訓
- 能率主義に会社を発展させる力はない。会社を発展させるものは、収益性のよい製品を売るという効率主義である。
- 効率主義に必要なものは、営業活動である。
- 効率主義に大切なものは、価格政策である。
われわれは、能率の力の限界をよくわきまえておかなければならない。能率は重要である。しかし、会社を発展させる力はない。あるのは、会社の業績低下のスピードを遅くするだけである。
S社の実例は雄弁にこれを物語っている。世の中には能率病にかかって低い業績に泣く会社があまりにも多い。
P社の社長は、他社で引き合わない製品を引き合うようにするのが経営だと思い込み、またそれを誇りにしている。業績のほうは、赤字にこそならないが、お世辞にもいいとは言えない。もともと収益性の悪い製品ばかり集めていていい業績が上がるわけがない。
K社は、上から下まで実にみごとに原価意識が徹底している。数年前、大きな赤字の連続のためにつぶれかけた会社だ。むろん現在の業績もきわめて低い。主力製品は特許であり、洋々たる需要の将来性がありながら、原価主義による安値売りをしてしまったという。価格政策の誤りが、赤字の根本原因なのである。後で述べる
アイデア料という価値を知らないのだ。
大幅赤字に泣くD社の社長の机の上には、能率関係の本が常時何冊も置いてある。
繰り返し読んでいるということだった。D社の赤字の原因は能率にあるのではなくて、季節商品のために半年間は操業度がきわめて低いところにあるのだ。
社長は能率よりも、閑散期の仕事を見つけてくることを考えなければならないのである。
この一〇年間にほとんど配当したことのないI社は、不況のたびに倒産のデマが飛ぶのであるが、能率の新手法が開発されると、いち早くこれを採り入れるためにその専門家に長期指導をしてもらうのである。技術出身でなければ重役になれない
I社にすぐれた経営者の出現を期待することはむずかしい。しょせんI社は職人の集りにしかすぎないのだ。
これらの会社の社長は、真剣に経営と取り組んでいる。しかしその努力も、能率主義を捨てて効率主義へ転換しないかぎり、永久に実を結ぶことはないであろう。それどころか、常に倒産と紙一重のところを、うろうろしていなければならないのだ。
私は、能率という小手先のテクニックにとらわれている、あまりにも多くの経営者に、声を大にして警告したいのである。「能率から関心を遠ざけ、効率に関心の焦点を集めよ」と。
収益性のよい製品を捜し出して、これを採り入れ、収益性の悪い製品を非情に捨ててゆくという効率主義こそ、ほんとうに会社を発展させる道である。これこそ、経営者の第一の心構えなのである。
能率は部下に任せよう
しかし、私は能率を否定しているのではない。否、私はかつて能率が専門であっただけに、その重要性は知っている。しかも、その重要度はますます高まっていくのである。
けれども、かつては社長や上級幹部の関心事であった能率向上は、その重要度が高まっていくにもかかわらず、係長とか主任職長の役割になっているのだ。
絶対的には重要度の高まっていく能率も、経営全体から見ると、その相対的価値は下がっていくのである。それほど企業の経営はきびしく、むずかしくなってきているのである。
だから「能率にしか目を向けない経営者は、事態のきびしさを認識せず、経営者の任務を放りだして、主任や職長の仕事をしている」といえよう。能率は部下に任せ、経営者は効率に専念しなければ、会社を存続させることはできなくなってきているのだ。
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