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第 7章 死

1 死を想うことでより良い生き方を選べる? 2 無意識に死への不安を感じている 3 死の不安に対して原始仏教が示した解決策

4 畏敬の念をもつと体内の炎症レベルが下がる 5 自然、アート、偉人、感嘆するのはどれ? 6 「マインドフルネス」は効果があるのか? 7 瞑想すればきっと何かが変わるという誤解 8 食べながら瞑想「マインドフルイーティング」 9 禅僧が到達した死を超越した境地実践ガイド

1死を想うことでより良い生き方を選べる? 「17歳の時にこんな言葉を読みました。

『毎日を最後の日であるかのように生きなさい。

いつか必ずひとかどの人物になれる』。

私は感銘を受けました。

それから 33年間、毎朝鏡を見て問いかけました。

『今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?』答えがノーであるときはいつも何かを変える必要があるとわかります」 1998年にスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業スピーチで語った、あまりにも有名な一説です。

「メメント・モリ」の例を引き合いに出すまでもなく、古来から多くの賢人が「死を想え」という警句を残してきました。

2000年も前にストア派の哲学者セネカは「生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである」と書き残し、紀元前 23年にはローマの詩人ホラティウスが「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」と歌い、聖書にも「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」との語句が登場します。

「死を想え」は、世界最古のライフハックのひとつと言えるでしょう。

しかし、ジョブズ氏や聖書がすすめる戦略には、狙ったとおりの効果があるのでしょうか? 生の有限さを想うことで、私たちは本当により良い生き方を選べるようになるのでしょうか? 社会心理学の研究によれば、その答えはイエスでもノーでもあります。

たとえばフロリダ州立大学のマシュー・ガイリオットは、「死を想うと人間は他者に優しくなる」と主張しています。

2008年に博士が行った実験では、墓場の前を通るように指示された被験者は、すれ違った人が落とした荷物をひろってあげる確率が 40%もアップしたそうです。

2010年の追試でも同じ現象が確認されており、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになりました。

このような現象が起きる理由について、スキッドモア大学のシェルドン・ソロモン氏は、「死への恐怖が個人の世界観を保護する方向に働いたからだ」と説明しています。

どういうことでしょうか? 第一に、自分の死について考えた者は、己のはかなさをあらためて認識。

そこで生まれた不安に対処すべく、より確かなものにすがりつきたい気持ちが芽生え始めます。

ここで何を頼りにするかは、人によって異なります。

国家、宗教、人種、自然環境、権威者、民主主義、地元の仲間……。

そのスケールはさまざまですが、自分よりも大きな構造や物語であれば何でも構いません。

とにかく当人が安心できるようなサイズ感が重要になります。

いったん頼れるものが見つかると、私たちはその対象に投資をするようになります。

先の実験でいえば、恵まれない人への寄付を行い、見知らぬ人の落とし物を拾うことで、「自分はより大きな集団の一部なのだ」との意識を手に入れ、どうにかして死の恐怖をやわらげるのです。

2011年に東日本大震災が起きた際にも、「地域のきずなが強くなった」といった報告が方々から出たのは記憶に新しいでしょう。

これもまた、死の感覚に対抗して世界観を守るための反応だと解釈できます。

ところが、「死を想え」がマイナスに働くケースも珍しくありません。

代表的なのは、 2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件でしょう。

テロリストにハイジャックされた 4機の旅客機が、世界貿易センターやペンシルバニア郊外に墜落した大惨事です。

この事件は、あらためてアメリカ国民に死の恐怖を植え付けました。

悲劇の直後から行われた調査では、同時多発テロに関連するキーワード( 911や WTCなど)を提示された被験者の多くは、反射的に自殺や殺人といった「死」に関する思考が浮かびやすくなっていたと言います。

無意識に育った死の恐怖は、アメリカ人の行動を大きく変えました。

FBIの統計では、 2000年には 33件だったイスラム系へのヘイトクライムが、テロの年には 600件まで急増。

その後も偏見は根強く残り、 5年後の再調査でも、ヘイトクライムの件数は同じ水準のままでした。

これもまた、世界観を守るために行われた行動だと解釈できます。

テロの恐怖に対して多くの者は「アメリカ国家」を帰属の対象に選び、その結果、他民族への排他的な気分が増加。

これがヘイトクライムにつながったわけです。

より身近な例では、「死を想え」は私たちの健康意識も左右します。

ロンドン大学の実験では、被験者に「早死にするのは怖いですか?」や「自分が死ぬときはみんなの記憶に残りたいですか?」などと質問。

全員に死の恐怖を思い出させたあとで、被験者がどれだけ健康な食事をしたくなったかを尋ねました。

その反応は真っ二つでした。

ある者は死の恐怖で野菜を食べたり運動をする気持ちが高まったのに、別の者はジャンクフードやタバコへの欲求が増えたと答えたのです。

果たして、この違いはどこから出たのでしょうか? ミズーリ大学のジェイミー・アントは、「自尊心を保つために『健康の維持』が必要だと考えているかどうかが原因だ」と考えています。

つまり、長生きのためには野菜や運動が必要だと信じている人なら、死の恐怖に対してより健康的な暮らしへの欲望が高まります。

逆に、健康的な暮らしは無意味だと考えていれば、どうせ死ぬのだから好きなことをしようという気分になるでしょう。

同じ死の恐怖でも、本人の考え方によって反応は真逆に振れるわけです。

ここでもっとも大事なのは、私たちはいつも死の不安をやりくりしながら生きているという事実です。

数万人が命を落とした大災害のニュースを見るたび、親しい人が亡くなったという知らせを受けるたび、鏡で自分の新しいシワや白髪を見つけるたび、あなたの内側では死の不安との戦いが始まるのです。

2無意識に死への不安を感じている

このような考え方を、心理学では「脅威管理理論」と呼びます。

すべての人間は無意識に死への不安を感じており、私たちが選ぶ行動の多くは、その恐怖を解消するために行われる、という説です。

良かれ悪かれ、私たちは死の不安によって突き動かされています。

ブレーズ・パスカルが 17世紀に残した「人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した」という言葉は、まさに脅威管理理論を先取りするものです。

というと、「無意識の恐怖など検証できるのか?」といった疑問がわくかもしれません。

本人にすら認識できない恐怖感を、どうすれば研究者は外部から観察できるのでしょうか? この難問に対して、心理学の世界ではサブリミナル刺激を使います。

たとえば 2008年にスキッドモア大学が行った実験では、学生に対して「死」「花」「スニーカー」などの単語を 3ミリ秒だけ無意識下に刷り込ませました。

すべては人間の目では確認できないスピードであり、気づいた者は誰もいません。

ところが、その後で学生たちにアメリカの政治システムに関するエッセイを読ませたところ、大きな違いが見られました。

「死」のサブリミナルを刷り込まれた被験者は、「反米」よりも「親米」な内容のエッセイに良い点数をつけたのです。

無意識に起きた死の不安が己の世界観を維持したい心理を刺激し、「アメリカ」という大きなフィクションを守る方向に意識が働いたのでしょう。

「脅威管理理論」のエキスパートであるシェルドン・ソロモン博士は、こう言っています。

「私たちは、みな不安を抱えている。

自分自身の死への恐怖を、どうにかやり過ごしていかねばならないのだ」 要するに、「死を想え」というアドバイスは、私たちの考え方によって結果が変わる諸刃の剣です。

ジョブズ氏や聖書が意図したようなメリットを引き出すには、たんに自分の死について考えるだけでは、切っ先を見誤る可能性があります。

それでは、私たちは死の不安に対してどのように立ち向かうべきなのでしょう? 3死の不安に対して原始仏教が示した解決策 ここで、いったん狩猟採集民の死生観を確認しましょう。

オックスフォード大学の人類学者ヒュー・ブロディ博士は、狩猟採集民の死と再生の感覚を次のように描写しました。

「亜北極の狩猟採集民を含めて、少なからぬ人びとが『輪廻転生』を信じている。

子供が生まれると、両親や祖父母は誰の再来か、子細に印をあらためる。

痣や、目鼻立ち、その他の身体的特徴から、親族のうちの誰の生まれ変わりか知ろうとするのである」 狩猟採集社会には「生まれ変わり」の観念が存在し、死んだ者は精霊の国でしばらく暮らしてから別の命として生まれ変わります。

狩猟採集民にとっての生と死はつねに同じような時間が循環を続ける現在の事象であり、そのぶんだけ不安も減ります。

このほかにも、「ヘヤー・インディアンは先進国の人間より死への恐怖が薄い」といった証言も多く、狩猟採集社会が先進国よりも死の恐怖に強いのは間違いないようです。

もちろん狩猟採集民が完全に死の不安と無縁なわけではありませんが、彼らがおびえる対象は、あくまで猛獣の襲撃や謎の疫病といった目の前の脅威がメイン。

そのいっぽうで現代人は、いつ訪れるかもわからない「遠い死の予感」に対して無意識の不安を募らせます。

これまで積み上げた富や地位、愛する人々との関係性などが、未来のどこかで急に奪い去られてしまう可能性への恐れです。

ただし、仮にいくら狩猟採集民が死の不安に強いとしても、現代でそれに習い心から輪廻転生を信じられる人は少ないでしょう。

私たちが死の恐怖を乗り越えるには、さらにひとひねりが必要になります。

その点でもっとも使えるのが、原始仏教が示した解決策です。

紀元前 5世紀にインドで生まれたゴータマ・ブッダは、菩提樹の下で悟りを開いたあと、人類の不安に独自のソリューションを提供しました。

ひとことで言えば「すべての欲望はフィクションだと気づきなさい」というものです。

当然ながら、人間社会はさまざまな欲望で動かされています。

美味しいものを食べたい、ビジネスで成功したい、好きな異性と結ばれたいなど、いずれも社会を前に進めるためには欠かせないガソリンです。

ところが、そのいっぽうで、欲望は果てしない不満も生みます。

美味しいものを食べれば食欲が増し、よい車を買えば傷や汚れが怖くなり、大きな会社に入ったら周囲の社員に嫉妬が生まれたりと、その果てに待つのは、ローマ帝国の滅亡をもたらした「パンとサーカスの都」だけでしょう。

ここでブッダは、すべての欲望は無だと言い切りました。

人類の欲望は遺伝子の生存プログラムにもとづいており、周囲の環境に応じてつねに変わり続けます。

暑ければ冷たいものが飲みたくなり、寒くなれば厚手の衣服が欲しくなり、周囲が豪華な暮らしをしていれば自分も同じ生活レベルに憧れを抱く……。

すべては外部の刺激に対する反応であり、そこから生まれた欲望が、なにか特定の形や永遠の構造を持つことはありません。

仏教でいう「無常観」とはこのことです。

さらにブッダは、「自分という存在」すらフィクションだと喝破しました。

もちろん〝いまここ〟で行動をする主体は存在しますが、結局のところ、私たちは遺伝子を残すために生まれた巨大なシステムの一部でしかありません。

「自分」とはあくまで環境とのやり取りのなかに生じる自然現象のひとつであり、なにも変化しない絶対的な自己は存在しえません。

ありもしない自己に執着心を持つからこそ、不安が生まれるのだとブッダは言います。

「人間のうちにある諸の欲望は、常住に存在しているのではない。

欲望の主体は無常なるものとして存在している。

束縛されているものを捨て去ったならば、死の領域は迫ってこないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない」(ウダーナヴァルガ中村元訳) これが、仏教で言う「悟り」の基本的なアイデアです。

確かに、欲望と自己をフィクションだと認識できれば、そこに不安は生まれようがないでしょう。

なんといっても、死の際に消えてしまうはずの自分がもともと存在すらしないのですから、輪廻転生のシステムに頼る必要もありません。

その意味では、初期仏教こそが間違いなく究極のソリューションだと言えます。

ただし、原始仏教の解決策は一筋縄ではいきません。

ヒトの欲望は遺伝子に書き込まれた基本プログラムであり、ブッダのアドバイスを忠実に実践しようと思えば、私たちの脳の OSを入れ替えるぐらいの作業が必要になるでしょう。

実際、ブッダも「すべての欲望を離れるためには出家をするしかない」と教えており、現代人が日常で実践していくのは不可能です。

そもそも、すべてをフィクションとして認めるためには、第 6章で述べた「自分が生きる価値」すら解体しなければならず、そこには大きな苦痛がともないます。

そのため、現代を生きる私たちは、狩猟採集民とブッダが編み出したアイデアをミックスさせつつ、できる範囲で死の不安を減らしていくのが現実的です。

そのためのキーワードは、「畏敬」と「観察」です。

4畏敬の念をもつと体内の炎症レベルが下がる 2015年、カリフォルニア大学の研究チームが 200人の学生に日誌を手渡し、毎日の感情の変化を記録するように指示しました。

「朝から怒られて不機嫌になった」や「夕方に友達と話して楽しかった」など、その日に自分が味わった感情を細かく記録させたうえで、その内容を被験者の体調の変化と比較したのです。

すべてのデータを分析した研究チームは、〝ある感情〟を体験した回数が多い者ほど、心理的な不安や体内の炎症レベルが低いという事実に気づきました。

その感情が、「畏敬」です。

心理学でいう「畏敬」とは、なにか自分の理解を超えるような対象に触れた際にわきあがる、鳥肌が立つような感情を指します。

その対象はなんでもよく、極地で壮大なオーロラを目の当たりにしたとき、オリンピックでランナーが新記録を出す瞬間を見たとき、まったく新しい発想のアートに触れたときなど、心の底からすごいと感嘆できれば、それは「畏敬」です。

カリフォルニア大学の研究チームは言います。

「畏敬の念には、炎症物質を適切なレベルに保つ作用がある。

自然のなかを歩いたり、素晴らしいアートに触れたりといった活動は、いずれもポジティブな感情を引き起こし、健康や長寿に大きな影響を持つ」 実際、科学の世界では「畏敬」の不思議な効果が次々と明らかになっています。

スタンフォード大学の実験では、壮大な海や山を映した動画を鑑賞した被験者は人生の満足度が上がり、チャリティなどへ寄付を行う気持ちも増加しました。

さらには主観的な時間の感覚が長くなり、「以前よりも仕事に使える時間が増えた気がする」と答える者が増えたというからおもしろいものです。

2700人を対象に行われた別の調査でも、生まれつき「畏敬」を感じやすい性格の人ほど親切な行いが多く、目の前の欲望にも強い傾向が確認されています。

どうやら「畏敬」の感情は私たちの不安を減らし、良い人間にさせる働きを持つようなのです。

畏敬の念によって様々なメリットが得られるのには、ここでもやはり時間感覚が影響しています。

なにかに畏敬を感じると、私たちは自分の小ささを思い知らされ、より大きな存在の一部になったかのような感覚を得ます。

森のなかにひとりでたたずむときや、壮大な音楽に没頭しているときなどにふと訪れる、あたかも自分と外部の境界があいまいになったかのような、あの独特な意識です。

すると、その時点で私たちの意識は、自然や芸術といった息の長い存在と一体化し、頭の中の時間感覚は未来と現在を永遠でパッケージしたような状態に変わります。

永遠の時間には過去・現在・未来のすべてがふくまれるため、意識のなかではすべての時間が今になったのと変わりがありません。

つまり、未来が今に近づいたわけです。

5自然、アート、偉人、感嘆するのはどれ? ニューヨーク市立大学のロバート・ J・リフトン氏は、このような意識のあり方を「自然的超越」と呼んでいます。

自分を自然や宇宙という大きな存在の一部だと認識し、死の不安をやわらげる戦略のことです。

宗教の世界では、古来から意図的に自然的超越を採用してきました。

カトリックの大聖堂や天井壁画、イスラム教のコーランの調べ、チベット仏教の曼荼羅などは、いずれも見る者に畏敬の念を起こさせ、永遠と一体化したような時間感覚をあたえる「安心感ジェネレーター」です。

事実、信仰心のメリットをあきらかにした研究には事欠きません。

約 7万 5千人を 10年にわたって調べたハーバード大学の調査では、週に 1回のペースで礼拝に参加した女性は、まったく教会に行かない女性にくらべて、その後 16年間の死亡率が 33%減少する傾向がありました。

ほかにも、信仰心が高い者ほど自殺率が下がる現象が確認されていたり、特定の宗派やスピリチュアルを信じる者ほど癌患者の予後が向上していたりと、もはや宗教のメリットは疑いようがありません。

現代の日本人には天国や輪廻転生などのストーリーは無効ですが、宗教が残してきた芸術的な成果はいまも畏敬の発生装置として十分な働きを持ちます。

好きな寺院を訪ねるもよし、曼荼羅の画集を眺めるもよし、賛美歌を聞くもよし。

自分のなかに感嘆の気持ちが生まれているかどうかを意識しながら、定期的に畏敬のメンテナンスを行うといいでしょう。

もちろん、宗教にこだわらなくても構いません。

過去の畏敬研究をまとめると、宗教以外に畏敬を引き起こしやすいポイントは3つに絞られます。

第一に、現代人にとってもっとも畏敬にアクセスしやすいのが「自然」です。

第 4章でも触れたとおり、自然は人類にとって最強の炎症対策であると同時に、私たちを壮大な生命システムの一部だと再確認させる働きも持ちます。

アポロ 9号から地球を見たラッセル・シュワイカート氏が発した「こんな深い連帯感は今まで一度も味わったことはありませんでした」という言葉は、自然が引き起こした畏敬の代表例です。

また、ここでいう自然は、たんなる山川草木を意味しません。

相対性理論、量子論、進化論など、世の中の様々な仕組みに適応できるようなグランドセオリーも自然の一部です。

宇宙や人間の謎を解き明かすようなフレームワークを知るだけでも、やはり私たちのなかには畏敬の種が植え付けられていきます。

森林や大海などの動画を定期的に見るだけでも構いません。

第 4章の手法を活かしつつ、手軽な畏敬のリソース源として自然に触れておきましょう。

第二に重要なのが「アート」です。

音楽、映画、絵画、演劇など、高度な創作性を持つものは、すべて私たちに人間を超えたかのような感覚をあたえ、時間を超越したかのような意識をもたらします。

アートがもたらす畏敬の念は、おもに「大きさ」と「新奇さ」の2つの要素に左右されます。

ロン・ミュエックの巨大なリアリズム彫刻や、全長 97メートルにもおよぶナスカの地上絵など、大きな人工物はそれだけで私たちのなかに畏敬の念を生みます。

ギリシャ神話やバガヴァッド・ギーターのように、壮大な世界観を描いた物語でもよいでしょう。

芸術作品に限らず、巨大なダムやスタジアムのような建造物でも構いません。

人類の偉業を示すものであれば、何でも畏敬をもたらす触媒になります。

もうひとつの「新奇さ」は、どれだけ私たちに新鮮な感動をもたらし、こちらの世界観が揺さぶられるかどうかを意味します。

たとえばモネの睡蓮は、あえて混色を避けて色彩を分割することで光の表現を変え、私たちの自然の見方を大きく更新しました。

南米の作家ガルシア =マルケスは、日常的なシーンに幻想的な描写を溶け込ませる手法を使い、まるで読み手の現実感が崩れるかのような印象を与えてきます。

いっぽうで、なじみ深くて理解がしやすいような表現は、楽しさの感覚を与えてはくれるものの畏敬を起こすパワーまでは持ちません。

「理由はわからないがなぜかひかれるもの」を基準に、どのアートに接するかを選んでみてください。

畏敬を引き起こす第三の要素は「人」です。

ブッダ、キリスト、ガンジー、アインシュタインといった歴史上の偉人は当然のこと、現役のスポーツ選手、タレント、政治家など、カリスマ性を備えた人物は、いずれも畏敬の念を生みます。

彼らの偉業や徳性は人類にとって恒久的な価値を持つため、自然やアートと同じように、永遠と一体化した感覚を育てるのです。

自分が思わず感嘆や感動を覚えてしまうような人物であれば、誰を選んでも構いません。

伝記を読むもよし、インタビューを漁ってみるもよし、あなたにとってのカリスマを掘り下げてみてください。

ただし、畏敬の対象は個人の感性で大きく変わります。

人によっては、風に舞うビニール袋、赤ちゃんの笑い声、深夜の誰もいない町の光景などに畏敬を感じるケースもあるかもしれません。

いずれにせよ、畏敬の種はそこらじゅうに転がっています。

6「マインドフルネス」は効果があるのか? 先に説明したとおり、ブッダは人間の欲望も自己もすべてはフィクションだととらえ、その事実に気づくように主張しました。

そこで具体的なテクニックとして提唱したのが、「瞑想」を使った自己観察です。

ブッダが示した「悟り」までのロードマップは、おおまかに次のようなものです。

最初のステップでは、呼吸のような特定の対象に意識を向ける瞑想をくり返し、集中力を極限まで磨き上げます。

次に、その集中力を使って自分の内面をひたすら眺め、心のなかに何が起きているのかを観察する瞑想をスタート。

「いま自分は退屈を感じている」「『退屈だ』という思考が浮かんだ」「頭のかゆさが気になっている」など、自分の思考と感情の変化にリアルタイムで気づく作業を何万回とくり返していきます。

すると、やがて大きな変化が起きます。

さまざまな内面の移り変わりを観察するうちに、自分のなかに「いかなる現象も刻一刻とうつろうフィクションに過ぎない」という確信が生まれ、どのような欲望や感情にも巻き込まれなくなるのです。

ここにおいてブッダの「悟り」は達成され、人生の苦しみは消え失せます。

果たして、このロードマップに科学的な正当性があるのかは、まだ誰にもわかりません。

近年の脳科学では瞑想の達人を fMRIなどで調べる実験も盛んですが、いまだに雲をつかむような状況ですし、そもそも脳機能マッピングで「悟り」の理解が深まるのかどうかすら判然としていません。

ただし、ブッダの提唱した「自己観察」というソリューションについては、現時点でもメリットが認められています。

「マインドフルネス」をご存知の方は多いでしょう。

1970年代にマサチューセッツ大学のジョン・カバット・ジン氏が提唱したアイデアで、従来の心理療法に曹洞宗で行われる座禅の要素を組み込み、仏教でいう「念」の概念を「マインドフルネス」と訳しました。

その効果は数十年をかけて少しずつ認められ 1990年代からは臨床試験も増えています。

なかでも信頼性が高いのは、ジョンズ・ホプキンス大学のメタ分析でしょう。

過去に行われたマインドフルネス実験から質が高い 47件をまとめ、「マインドフルネス瞑想を実践すれば、不安、鬱、慢性痛がほぼ確実に減る」という結論を出した研究です。

データによれば、 1日に 30 ~ 40分の瞑想を 8週間ほど続ければ薬物治療と同じレベルで不安と鬱をやわらげるのだとか。

そのうえ副作用も認められなかったと言いますから、まことに優秀な方法です。

ただし本書では、あえて瞑想法の詳細には踏み込みません。

マインドフルネスといえば瞑想のイメージが強いですが、これはあくまで手段のひとつです。

極端なことをいえば、いっさい瞑想をしなくてもマインドフルネスは向上しますし、逆に言えば「自己観察」の考え方をつかまずに瞑想だけを行っても、ただなんとなく座っているだけの状態になりかねません。

事実、マインドフルネスを使った心理療法でも、いきなり瞑想のトレーニングを指示されることは少なく、初期の段階では「自己観察とはどのようなものか?」を体験してもらうケースがほとんどです。

重要なのは、瞑想のトレーニングで得たマインドフルネスの感覚を、日常の生活でも保ち続けながら生きることです。

そのためには、瞑想のテクニックにこだわるよりも「そもそもマインドフルネスとはどのような感覚なのか?」を深掘りしていくほうが実りは多いでしょう。

7瞑想すればきっと何かが変わるという誤解 果たして、ブッダが「悟りへの道」だと言い切った「自己観察」とは、いかなる意識の状態を意味しているのでしょうか? この問題を解くうえで頼りになるのは、科学的なマインドフルネスの運用法を知ることです。

研究者がいかにマインドフルネスを測定しているのかがわかれば、ある程度は言葉による把握が可能になります。

現在、もっとも多くの研究で使われているのは「 MAAS( Mindful Attention Awareness Scale)」です。

2003年にバージニア・コモンウェルス大学のカーク・ブラウン氏が開発した尺度で、これまで数百を超える研究で妥当性が確認されてきました。

「MAAS」は 15の質問で構成され、誰でも自分のマインドフルネスレベルを診断できます。

まずはすべての質問に答えて、自分のマインドフルネス度を計ってみてください。

採点が終わったらすべてを足して平均点を出せば完了です。

おおよその得点の目安は次のようになります。

3・ 84ポイント前後 =平均的なマインドフルネス度 3・ 95ポイント前後 =平均より上のマインドフルネス度 4・ 38ポイント前後 =平均よりかなり上のマインドフルネス度。

瞑想の上級者は、だいたいこのあたりの数字に落ち着くケースが多いようです ここで大事なのは、マインドフルネスが、決して何か特殊な精神状態や行為だとは考えられていない点です。

「MAAS」の質問を裏返せば、マインドフルネスな意識とは「その時の感情を自覚している」「いまの状況に集中できる」「つねに自覚的に作業を行う」といった状態を意味します。

いずれも、私たちが普段の生活で気をつけている平凡な要素ばかりでしょう。

つまり、マインドフルネスとは心を無にするような困難に挑むことではなく、たんなるリラックスや幸福感の言い換えでもなく、スピリチュアルや宗教的な至高体験でもない、ごく日常的な意識のあり方です。

お気づきのように、これは狩猟採集民の時間感覚に近いものです。

第 2章で詳述したとおり、狩猟採集民はすべての体験を現在ととらえて時間を超越し、それゆえに未来の不安から解き放たれています。

誰から教わることもなく、彼らはマインドフルネスな状態で暮らしているのです。

最初にこの点を押さえておかないと、マインドフルネスに対して過剰な期待が生まれ、あたかもすべての難問が片付く魔法の杖のような幻想を持ちかねません。

むやみに瞑想に打ち込む前に、まずはマインドフルネスの感覚をつかむのが先です。

8食べながら瞑想「マインドフルイーティング」「自己観察」の理解を深めるために、ひとつ実験をしてみましょう。

リラックスして目を閉じ、次のステップを試してください。

①目の前に大きな虎のイメージを浮かべる ②虎のイメージを変化させようとせず、ただ観察する これは、認知行動療法の世界で「タイガータスク」と呼ばれる自己観察の手法です。

このタスクのポイントは、意識して虎を動かしたり角度を変えたりしないことです。

実際に試してみるとわかりますが、イメージをただ見つめているうちに、勝手に虎がそのへんをうろつき始め、やがて消え失せていきます(少しも動かないこともあります)。

慣れないうちは、虎の頭をなでたくなったり、かわいい鳴き声を出させてみたりと、さまざまなコントロールをしたくなるでしょう。

しかし、ここでぐっとこらえて、目の前の虎をただ観察するのが最大のポイント。

何度かくり返すうちに、「勝手に動き出すイメージを見つめる感覚」がつかめるようになります。

これが、いわゆる「マインドフルネス」の感覚と同じものです。

このタスクでいう「虎」は、あなたの心に生まれる恐怖や不安の象徴です。

もし今後の暮らしで自分のなかにネガティブな思考や感情が生まれたら、「タイガータスク」で虎を見つめたときの感覚を思い出してください。

すると、あなたの感情や思考は虎と同じように勝手に目の前を動き回り、それ以上はなにもしません。

さらに観察を続ければ、ネガティブな感情と思考は勝手に消えていくでしょう。

この時点で、あなたはネガティブの波によってダメージを受けずに済んだことになります。

これがマインドフルネスを現実に活かす際の基本です。

いったん「自己観察」の感覚がつかめると、日常のあらゆる状況がマインドフルネスのトレーニング場に変わります。

たとえば、「皿洗い」も立派なトレーニング法のひとつです。

2015年にユタ大学が行った実験では、研究チームはベトナムの高僧ティク・ナット・ハンの文章を読むように被験者に指示しました。

「ともかく、皿を洗うときは皿を洗うことだけをするべきです。

つまり、皿を洗っていることにしっかり心をとめながら皿洗いをする、ということです。

皿を洗うことができなければ、おそらくお茶を飲むこともできないでしょう。

お茶を飲みながら他のことばかり考えて、手にしたカップなどほとんど気づきもしないからです。

このように、わたしたちは未来に心を奪われ、このひとときを本当に生きることができずにいるのです」 続いて、被験者に「水の温度や洗剤の泡の感覚に意識を向けながら皿洗いをしてください」と伝えたところ、全員の内面に大きな変化が起きました。

たった 6分マインドフルに皿を洗っただけで、不安や神経症のレベルが 27%下がり、逆に新しいアイデアを思いつく確率が 25%も上がったのです。

もともと禅の世界では「一掃除二信心」とまで言うほど家事を重視しますが、その正当性が、少しずつ科学でも裏付けられ始めています。

雑巾がけ、歯磨き、炊事、洗濯など、すべての家事をマインドフルに行うだけでも、あなたの不安は減っていくでしょう。

また、食事を瞑想の場に使うのも有効です。

テレビやスマホを見ながらの食事を止め、口の中に入れた食品や液体を味わう作業だけに集中すれば、それはやはり瞑想と同じ行為になります。

非常にシンプルなトレーニングですが、 ACTやメタ認知療法などで実際に不安障害の治療に使われるほど効果は高く、一般に「マインドフルイーティング」と呼ばれています。

具体的な実践法は次のようなものです。

①触覚・視覚・嗅覚で味わう… まずは食品に指で触れて硬さや柔らかさをを確かめます。

触れない食品の場合は、表面をじっくりと眺めて素材のテクスチャーをチェック。

続けて鼻を近づけて匂いも楽しんでみましょう。

これらの作業を、最低でも 5分は続けます。

②自分の感覚を観察する… 食品の見た目や香りによって、自分のなかにどのような変化が起きたかを観察します。

ツバがわいたり、空腹感が増したり、過去の記憶がよみがえったり

と、さまざまな感覚の変化を 5分かけて観察していきましょう。

③食品を口に入れる… この段階で、ようやく食品を口に入れます。

このとき、あわてて食品を噛まず、まずは舌の上で転がしながら触感を調べ、続いて再び自分の感覚にどんな変化が起きたかを観察しましょう。

目を閉じて口のなかの感覚だけに意識を向けるとやりやすいでしょう。

④噛んで飲み込む… 最後に食品を噛んで飲み込みます。

この段階では、食品の味わいは当然のこと、歯や喉の感覚の変化も観察し続けます。

すべてのステップを終えるまでは、だいたい 10 ~ 15分ほどかかります。

これは臨床現場で行われる正式な作法なので、実際はひとくちの食事に 10分もかける必要はありません。

たんに「ながら食い」を止めて、いつもよりゆっくり味わいながら食べるだけでもマインドフルネスの感覚は成長します。

最後に、もうひとつマインドフルネスを鍛えるのに有効なのがエクササイズです。

ルートヴィヒ大学の 2014年実験では、時速 7キロの軽いランニングを週に 2時間ずつ続けた被験者は、 12週間後で有意に MAASの数値が上昇しました。

被験者はマインドフルネスを意識したわけではなく、ごく普通にランニングを続けただけだったそうです。

それでも被験者のマインドフルネスが向上した理由を、研究チームはこう説明しています。

「エクササイズは、呼吸ペース、心拍数、体温などに影響をあたえる。

この変化が自分の体に意識を向けさせ、マインドフルネスを高める」 運動によって起きた生理的な変化のおかげで、自動的に自分の体を観察する態度が生まれる、というわけです。

運動でマインドフルネスを身につけるポイントは、自然と自分の動きに意識が向くようなレベルの運動を 20 ~ 30分にわたってキープすることです。

10分で息が上がるようなハードワークではマインドフルネスが育つだけの時間が足りませんし、ウォーキングぐらい楽なエクササイズでは十分な生理的変化が起きません。

軽く息が上がって、他人と会話ができないぐらいの負荷を保つのが理想です。

この条件さえ満たせばどんなエクササイズでも構いませんが、あまり複雑な種目だと意識が散ってしまいます。

最初のうちは、時速 6 ~ 8キロぐらいのランニングから始めるのが無難でしょう。

いずれにせよ、最大の目標は、あなたの脳に備わったマインドフルの機能を自在に起動できるようになることです。

ふと未来が不安になった瞬間や、感情の波に飲み込まれそうになった瞬間などに、すぐに己を「観察者」のモードに切り替えるよう意識してみてください。

9禅僧が到達した死を超越した境地 人間は死にます。

その後は意識も失われ、あなたの存在は無となります。

この事実は誰にも避けられないものの、「畏敬」と「観察」という2つの武器を使えば、遠い未来の不安を減らすことはできます。

「畏敬」で永遠の時間と同期しつつ、同時に「観察」でいまの時間を生きればいいのです。

江戸中期の禅僧・白隠は、晩年に「人間、死ぬときは死ぬのがよい」との境地に達しました。

そこまでの達観に至るのは困難でしょうが、それでも死の超越に挑んでみる価値はあります。

死の不安が少しでも減ったとき、私たちは初めて「死を想え」というアドバイスを活かせるようになるでしょう。

第 7章 実践ガイド畏敬・自然:アウトドアの回数を増やすか、ナショナルジオグラフィックなどで壮大な自然の映像を見てください。

宇宙論や数学の美しさを描いた科学書に触れてみるのも有効です。

・アート:定期的に美術館に出かけるか、美術書に触れましょう。

自分にとって心地よいものだけではなく、あなたの世界観に衝撃を与えるものや、ちょっとやそっとでは理解できないような作品を選ぶようにしてください。

・カリスマ:あなたが思わず感嘆してしまうような人物をひとり選び、その人の人生を掘り下げてみてください。

名の知れた人物に限らず、自分の親戚や周囲の人間でも構いません。

自分の心が動くような人物であれば、すべて畏敬の対象になります。

観察・タイガータスク:タイガータスクを 1日に 5分ずつ続けて「自分の思考やイメージを見つめる感覚」を理解してください。

2週間も続ければ、「自己観察」の感覚がつかめていくはずです。

・マインドフルネス:部屋の掃除や皿洗いのように日常的な家事をひとつ選び、ただひたすら作業に集中するように意識してみてください。

皿を洗うときはただ皿を洗い、掃除機をかけるときはただ掃除機をかけます。

こちらも最低 1日 5分ずつ、 8週間は続けてみましょう。

・マインドフルイーティング:食事の際は「ながら食い」を止め、いつもより 2倍の時間をかけて味わうようにします。

できれば、本章『 8 食べながら瞑想「マインドフルイーティング」』の本格的な「マインドフルイーティング」を試してほしいところですが、「ひとくちごとに 10秒をかける」と意識するだけでも構いません。

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