全国戦略
J社はオフィス用什器のメーカーであった。メーンディーラーS社は業界ナンバー4でJ社では売上げの大部分を依存していた。他に十社足らずのディーラーがあったが、いずれもローカルの業者であった。
S社は全国一ネットを持っており、毎月品種毎に県別の売上実績表を作って、メーカーにも配布されていた。
J社長はこの表を見てはいたが、これといった販売促進が決まっているわけではなく、営業担当者は部長以下二〜三名で、営業というよりはS社との連絡が主たる業務だった。販売は流通業者のやるもので、それの応援という考え方だったのである
ところで、メーンディーラーS社はナンバー4なので、J社の商品の売上げ実績もそう芳しいものではなかった。
お手伝の重点は当然のこととして販売促進である。まず、意識革命としての自らの商品は自ら売れ」であった。
J社長の頭痛の種は九州・四国地方の売上高が少ないことで、これを何とかしたいというのである。
私は、その考え方の間違いから直さなければならなかった。『その地域に対するメーンディーラーの力が弱いのが根本原因であり、反対に他社は強い。そんなところを頭痛に病んでもいたし方ない。それよりも地元で大きな占有率を確保することだ。地元が今のような有様ではダメだ。先ず地元だ」というのが私の主張だった。
私の作戦は、「全国的なことなど考えるのはまだまだ先のことだ。地元でナンバー1になることから始めるのだ』というものであった。
まずはJ社のあるK市だけで蛇口作戦を遂行することである。それ以外のところは、やりたくてもセールスマンがいないのである。
作戦を遂行するといっても、情報らしいものは殆どない。「とにもかくにも、こちらはナンバー4である。どうしても弱者の戦略をとらざるを得ない」というのが私の状況判断であった。
そこで、デパートと一流の納入業者は除外し、二流の蛇口に対しての定期巡回訪問である。
まずJ社長に巡回訪問をしてもらったが、そこで社長が感じたものは「問屋は売ってくれない」ということだった。メーンディーラーのセールスマンがあまり蛇口を廻っていないのである。
私のいうことが自分で蛇口を廻ってみてよく分ったのである。「これでは売上げが伸びる筈がない。自分の商品は自分で売らなければダメだ」とJ社長は決心すればあとは早かった。セールスマン一人を専任させて蛇口定期訪聞を開始した。
このセールスマンに専任させる時に、「売上げは二の次だ。定期訪問こそ大切だ」という社長の説明にセールスマンが納得しなかった。
『セールスマンの役割は販売にある。それを二の次だとは、こんなパカなことはない。小売店を訪問だけすれば売上げはなくともいいというのですか』と社長に喰ってかかる。至極当然な意見である。
そのセールスマンを、社長は連続四日自宅に呼んで毎晩十二時まで口説いた。これである。社長たるものこれくらいの熱意がなければダメだ。
「売上げがなくとも社長がやらせるのだから社長の責任だ。君に責任はない』というのである。説得した社長も立派だったが、セールスマンも立派だった。社長の方針どおりの巡回を行なった。その結果は意外な成果となって現われた。
社長も、そして当のセールスマンさえ全く予期しなかったことである。他社ではろくな蛇口訪問を行なってはいなかったからである。
三カ月ほどたった時の社長の感想は『無人の野をゆくような気がします』というものだった。何が過当競争だ、といいたい。過当競争など怠慢企業の幻想にしか過ぎなかったのである。
その聞に、競合他社の情報を集めてもらったが、ナンバー1の会社の販売機構では、反撃が難しいということが分った。
県別の総代理店制をとってはいるが、資本系列も人脈もなく、その面からの反撃はできない。価格面からの安値反撃も、代理店のマージン率からみて、そう思いきったことはできない。
もう一つは、代理店の社長の年齢が既に七十歳を超えている。老齢社長には、反撃の気力などないのだ。
私は社長と相談し、「遠慮はいらぬ、どこなりと思うさま荒し廻れ』という方針に切換えた。売上げは更に伸びた。
この実績をふまえて専任者を二名増加し、全県下に蛇口作戦を拡大した。一年も経たないうちに、県内シェアは陥ーとなってしまった。投入したセールスマンの人件費や販売費などを上廻る付加価値の増大があり、立派にペイすることも分った。
この間、ナンバー1の競合会社は三割安の商品を出してきたが、これは殆ど業界から相手マージンも少なかったからである。何でも最終価格にされなかった。品質も劣り、さえ安ければ売れるという思想の敗北である。流通業者とて喰わなければならない。
霞を喰って生きているわけではないのだ。このことが分らぬメーカーが多すぎる。流通業者にとって魅力的な商品とは、マージンがよくてよく売れる商品であることを、メーカーは認識しなければならないのである。
また、メーンディーラーのK市営業所長が東京営業所に転勤になり、K市の蛇口作戦をそのまま応用して売上げを急増させたことから、J社のやり方を学びたいという営業所があちこちからJ社社長に販売指導の要請があり、J社長は自らの蛇口訪問計画を変更しなければならなかった。
そのために、メーンディーラーの商品が全面的に伸びだし、ナンバー3との差を急速に縮めることになった。
ここまで来れば、もうJ社の市場戦略は簡単である。セールスマンの数を増やして計画的な蛇口作戦を展開するという、たったこれだけのことになってしまうのです。
これまでになって、私は初めて社長に全国的な視野に立っての戦略の樹立を勧めた。ここで大切なことは、「全国戦略」ではなくて「全国的視野に立った戦略」だということである。
まだ全国に戦略を推進する力もないのに、「札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡などに営業所をつくる」というような総花的な営業所の展開など愚策中の愚策である。
自らの力もないのに、全国主要都市に営業所を開設してみたところで、経費ばかりかかって成果など上がるものではないのだ。
まず特定の地域ー特定の県l においてナンバー1をつくりあげることが第一であり、これを踏まえてナンバー1の地域を一つ一つ増加してゆくのが正しい。
その優先順位を、彼我の戦力分析の上に立って、全国的な視野から立てるのが「全国戦略の樹立」なのである。この点を十分に理解することが肝要である。
このようにすることこそ、最も効率的であることを知らなければならないのである。全国戦略を展開するに当つての状況判断は次のようなものであった。
①敵はナンバー1だけを考えればよい。ナンバー2とナンバー3は全然問題ない。ナンバー1より弱かったからである
②ナンバー1の本社は東京であり、メーンディーラーのS社は名古屋に本社がある。既に愛知県ではナンバー1になっている。J社も同じ中部地方なので、中部地方を主戦場に選ぶのが有利である。
この状況判断に基づく全国戦略の基本は、
①中部地方十県を第一次主要戦略地域として、乙の地域で地1のシェアを獲得句1ょすることを目標とし、戦力を増強してここに主力を投入する。
②都市とするそれ以外の地域は当面S社との共同作戦による拠点戦略とし、拠点は大・中というものであった。
地の利のある中部地方を、太平洋岸から日本海岸までブチ抜き、この地域でナンバー1の占有率を確保して、日本のド真ん中を占領し、敵を東日本と西日本の二つに分断してしまう、というのがその戦略であった。これをやられたほうの立場になって考えていただけば、これがいかに大きな打撃かがお分りのことと思う。
中部地方以外は、まだJ社の力がそれほど強くないので面作戦は展開せず、拠点確保に力を注ぎ、将来の面戦略の強力な「核」をつくっておくにとどめるのである。
それらの核のうち最大なものは東京である。敵の最大の拠点は、弱者は普通の場合には優先的戦略地域にしてはならないのであるが、一年間の経験で、虎は虎でも「張り子」同然ということが分ったので、あえて挑戦することにしたのである。セルスマンが少なくとも、それなりの作戦があるからである。
中部地方は更にほぼ県別に細分化し、市場戦略構想をたてた。これはメーンディーラーのS社との共同作戦となったのはいうまでもない。
J社のいままでの実績を社が認めたからこそできることである。拙著「販売戦略・市場戦略」篇で「問屋は売ってくれない」という項目の中に「問屋が動きだすのは、メーカーが自らの努力で販売実績をあげた場合である」という意昧のことを書いているが、これがその一例である。
中部地方の市場戦略といっても、十県を並列的にやるのではない。地域の戦略格付を行なって、これに基づく優先順位を決めて、戦力の充実ーセールスマンの増員と歩調を合わせながら一県また一県と作戦を進めるのである。この細部については「社外秘」 にふれるので公表できない事情を賢察されたい。
市場戦略をたてて作戦を遂行したからといって、何もかもうまくいくわけではない。敵も必死なのだ。無人の野を行くような地域もあれば、どうにもならない戦場もある。
七対三の成果なら大成功、全体では六割方の成功と思わなくてはならない。この六割方の成功というのは大きいのだ。敵の四割とは二割の差があるからだ。この成果を時間の経過と合成して考えていただけば、如何に大きなものかが想像されると思う。
全国戦略というのは、「全国一斉に」作戦を遂行することではない。全国を眺め、彼我の勢力と戦力の比較分析の上に立って、我社が有利な戦いを進められるような作戦をたて、優先順位に従って計画的な戦いを遂行することである。
集中主義に基づき、重点戦略地域に戦力を集中的に投入するのであるから、いくらそのための戦力の充実を計ったところで、それには限度がある。従来とあまり違わない地域もあり、面戦略を拠点戦略に切換えなければならない地域もあれば、完全に撤収しなければならない地域も出るのである。
O社の場合には、雑貨の一種であったが、全国的には雑貨問屋を通してこれに依存して何もせず、自らは大都市のデパートやスーパーに特売作戦だけを行なっていた。
本社が徳島県なので、面戦略は第一次が四国、第二次が中園地方から近畿地方、別に関東は東京営業所で関東地方に面戦略を展開し、その面戦略は栃木県から北関東三県より始めるくらいの大まかな順序を決め、まず地元と東京で作戦を開始した。
こんなものである。それだけを行なうための新戦力増加するのさえ、セールスマン人員は三倍以上必要で、二年くらいの時間を必要とするからである。
B社の場合には、建築物の装備品だったが、本社が浜松にありながら限界企業であり、地元はあまり強くなく、東京と福岡にかなりの実績があったが、あとは各地にバラバラである。
新たな戦略としては、限界企業なるが故に面戦略の展開は困難だった。そこで、特定業種を一つだけ選定し、施主を一社ずつ攻めるという戦法をとった。占有率確保の条件のところで既に述べておいた通り、弱者として極めて賢い戦略である。
右にのべたように、全国戦略は市場の状況と我社の事情を総合して最有効・最短路を選びだして行なうものであり、「これが全国戦略だ」という決め方などは、限界企業という非力では、やりたくともできないのである。
要は手に入る極めて不完全な情報に基づいて我社の全国的視野に立って戦略を決めるということであり、その実施からの教訓を生かした試行錯誤の繰返しなのである。
ローカル戦略
第1話
U社はS県の農薬農業機材の商社でランクはナンバー5である。S県は農業県である。当然のこととして地域細分化は農産物によって行なわれる。この細分化は、県経済連で作っている農業経済地図に基づいて行なわれた。それは左記のようなものだった
●「A地域」は、U社を中心とする市場で、U社は地元の強昧を発揮して六十%以上の占有率を誇るという金城湯池である。隣接した県に単作野菜の大産地があり、これもU社が圧倒的な占有率を確保していたが、最近他社の切込みが激しくなり、安心しているわけにはいかなくなっている。この地区を「A’地域」と呼んでおこう。
●ローカル戦略「B地域」は、A地域の南東部で、第六位のJ社の地元で、J社の圧倒的に強い地域である。J社はこの地域に入ってくる敵に対しては総力をあげてこれを叩き、どんな安値受注を行なってでも敵を追い出してしまうのである。
そのかわりに、他地域には進出しないという徹底した「一点集中主義」を貫く会社である。それにもかかわらず、U社のセールスマンは隣接地であるということで、この地に懸命の売込みを計っていた。
作戦開始に当ってセールスマンの訪問先を調べたら、何と会社の総訪問回数の五十%にも達しながら、地域占有率はたった二%、U社の売上高の五%という有様だった。
売上高の五%の部分に訪問回数の五十%とは「九十五%の原理」を地でいくもので、効率の悪いことおびただしい。この数字を見せつけられた社長は、「任せる」という怠慢を思い知らされたのである。無方針の恐ろしきがここにあるのだ。
●「C地域」はA地域の南西に位する市場で、社長の言によると「「草苅場」である」というものだった。U社の占有率は二十%ほどであった。
●「D地域」は、県南の広大な面積を持っているが、山地が大部分で過疎地であった。U社の得意先は二社で、占有率は一%にも達しない弱い市場であった。。
●「E地域」は、県西のかなり大きな地域で、県経済連が七十%以上の占有率を持っている独占的地域で、商系(経済連では民間業者をこう呼んでいる)U社を含めて三社であった。
●「F地域」は、県北の果物の大産地である。そのために県内の殆どの業者が殺到して大乱戦を展開していた。U社はこの地域には進出していなかった。「食欲がわかない」というのである。
以上の分析の結果を踏まえて、それぞれの地域の戦略格付と方針の決定を行なった。
①「A地域」は「最重点」である。既に独占的な占有率を確保している以上、他社が攻撃してこない限り安泰である。方針は従来通りで密度の濃い定期訪問と顧客サービスの向上を行なえばよい。安泰でないのは「A’地域」だという。最近県内業者が激しく切込みをかけているということで、この対策に苦慮しているというのである。
私は、それらの会社が秋から冬にかけての「休眠季」に訪問をしているかどうかを聞いてみた。そんな会社は無いという。U社はどうかをきいてみたら、やはり訪問していないという。「訪問の目的は売込みである」という間違った定義づけの結果である。
そこで私は「訪問の目的は顧客確保である」という正しい定義づけに基づく作戦を提唱した。
社長と担当者が、この休眠季に「月一回の定期訪問を行なうこと」である。これは大成功だった。休眠季だから、先方では何も仕事がない。訪れる人もない。
毎日、新聞とテレビだけで退屈しきっていたところへの訪問である。よい話相手がきたと大歓迎である。早速クパイ一。が始まる。商売の話など無用である。『泊ってゆけ』とすすめられることもしばしばだった。翌春の商談李がきて他社が乗りこんだ時はタアトの祭り。だった。それまでに、契約は総べてU社のものとなってたのである。
②「B地域」は撤収である。但し、A地域に近い拠点一つだけを残す。これによってセールスマンの数が一挙に二倍になったのと同じ効果がある。
③「C地域」は、重点地域とし、訪問回数を倍増して大幅な占有率の増大を計る。草苅場を我社の牧草地に変えようという作戦である。
④「D地域」は、拠点地域とし、二つの二次店だけに対して定期訪問を行なう。
⑤「E地域」は、最重点戦略地域とし、B地域から引上げた戦力の三分の二を投入して経済連の弱点であるサービス不足を衝くとともに訪問回数の大幅増大を行なうことにより占有率の上昇を計る。
⑥「F地域」は放棄である。
この作戦で総べての地域で順調というわけにはいかなかった。大きな誤算もあった。それはC地域は草苅場だと思っていたところ、こごは各社とも重要地域として異常なほどの兵力を投入していたととで、占有率の増大は困難であった。
また、E地域はさすがに経済連は強く、長期戦でジリジリ占有率を高めるという覚悟でのぞなかなか思い通りにばかりはいかないのである。むことになった。
そこで戦略の一部を変更し、C地域へのセールスマン投入は従前通りに一戻し、余つたセールスマンは、社長が懸案としていた他業界への進出作戦に投入することとした。それらとて、新市場であるだけに急に成果、が上がるというわけにはいかない。
その中で一つだけ早期に、しかも期待以上の成果が上がったのがゴルフ場への農薬販売であった。社長自らの訪問が大きな力となったのである。
第2話
O社は新潟県の長岡市にあるオフィス用品の納入業者で、県内の業者ランクは第四位である。
このような商品のテリトリー別の特性は、得意先の業態はあまり関係ない。むしろ地理的な要因が大きい。平野か狭長地域か、山脈・河川・半島・島というようなものが市場の特性を決める。
新潟県の細分化は非常にやさしい。上越市を中心とする上越地区、長岡市を要とする中越地区は福島県の会津地方を含んでいる。あとは新潟市を中核とする下越地区の三つで、別に佐渡島がある。
上越地区の特色は線の市場で、鉄路沿いだけである。西方へは北陸本線で糸魚川を経て富山県へ、南は信越本線で妙高高原を経て長野県へ、東は同じく信越本線で中越地区の柏崎を経て長岡へ通じている。過疎というほどではないが人口密度は薄く、最大の上越市で人口は十二万六千人である。
O社の強い市場は長岡市を本拠とした中越地区で、上越・下越は弱く、新潟市には全く入っていない。そのくせ佐渡島が強く、殆ど独占に近い。
先ず、商品と得意先についての交通整理と格付を行なった。蛇口作戦のトレーニングも積み、その効果も確認され、いよいよ市場戦略である。
上越地区は遠く、市場は広くて薄いのと、O社の兵力がまだ不足しているので「拠点地域」とし、主な得意先数社を選んで週一回の定期訪問とし、それ以外には訪問中越地区は最も強いところなので、当然のこととして最重点地域とする。三点戦も売込みも一切しないこととした。
略を地でゆく面作戦とし、他社に倍する訪問回数を確保して陥1の地位を確立する。会津地方は当面除外しておくこととした。
問題は下越地区である。何といっても県都新潟市があり、人口は四十五万、周辺都市の新発田・両津・東三条・燕、その他の町村を合わせると百万をかなり突破する。陥ーから陥3までが新潟市にあるのもうなずける。
この地区は弱者の戦略でなくてはならないのだが、社長はどうしても新潟市に進出したいという。そのためには新潟市から十五キロメートルほどのところにできる流通団地に拠点を持つことを考えていた。
私は弱者の立場を説明し、まだ新潟市を攻める力もないのに、そんなことをしてもムダであり、敵に警戒心をいだかせるだけである。作戦はすべからく密なるを要す。
将来の新潟攻めにそなえる必要があるのは間違いないし、下越の他の都市の攻略にも必要なのだから、新潟市付近に倉庫を持つのはよいが、目立たないところとすることを勧めた。
倉庫なんか道路さえあって新潟市に近ければ、どこでもよいのともかく、下越地区全体の戦略をたてる必要がある。弱者であるから当然のこと弓i だ。
として「敵の強いとごろに近づくな」である。敵の死角・盲点・本拠地から遠いところ、などを攻めるととである。そして、徐々に敵に近づき、最後に新潟市に攻め込むのである。
それまでは新潟市には一指も染めず、敵の情報を集め、弱点をつかんでおくことである。(敵の弱点はすぐに分った。配送サービスが悪いということである。そしてこれは新潟市攻略作戦のときにこの弱点を衝くのだ) 。
敵の本拠地から遠いところというと、県北に近い村上市である。これが弱者のつらいところであるが、これは我慢するより仕方がない。どんな会社でも弱者の時はみなこれを忍んできたのである。
新潟市に近いところでは新発田市が強い。これは灯台もと暗しというところか。こんな近いところに拠点を持っていたというのは有難い。新潟市の敵である三一社の盲点がこんなところにあるのでは、三社の力量のほども知れたものだという感じである。見くびるのは禁物ではあるが:::。この拠点を強化し、次は新潟市周辺部を攻める作戦の可能性があるのだ。
主戦場は長岡市から東三条・燕市を手始めにジリジリと新潟市に肉迫していく作戦である。
作戦は、中越地区では順調で着実に成果を上げはじめた。これは上位三社にジリジリと圧力をかけることになった。将来の県都進出に有利な条件となる。市場戦略のあるなしの差がでてきたのである。上越地区は、もともと拠点だけである。現状維持であり、それでよいのだ。
問題はやはり下越地区であった。もともと敵の強いところである。新たな作戦だといっても、倦まず弛まずの敵に倍する定期訪問を二年間続けて、初めて効果が現われるものなのだ。
それを思い知らされたのが燕・東三条の二つの市場である。敵には市場戦略などないのだから、大したことはないと思われるのだが、長年培った地盤というものは強い。殆ど成果らしいものは上がらなかった。やはり二年はかかると思われたのである。
気の長い話だが、市場戦略あればこその二年間であり、市場戦略がなければ何年たっても敵を崩すことはできないのである。
「戦い」 というものは、常に強いものが勝つ。このことを肝に銘じて敵に勝る戦力を投入し続けることこそ最後に勝つという信念を持っていなければならないのである。
市街地戦略
S社は、東京都のD市にある家庭用掃除具のリース業である。同社の周辺は一面の大市街地であり、商圏は東西が三十キロメートル、南北で二十キロメートルもあった。広い地域のために普及率は0・五%という低率であった。
社長は何とか売上げを伸ばしたいのだが手不足で思うに任せず、アセリを感じていた。手不足でありながら広い地域を商圏としていたために普及率が低かったのである。
「商圏拡大主義」の誤りがここにあった。しかし、社長はその誤りに気付かないどころか、もっと商圏を拡大することが売上げ増大をもたらすものと信じて、新しい商圏に進出することを考えていたのである。
私は、まず商圏拡大主義の誤りを説き、占有率ーS社の場合は「普及率」こそ肝要であることを強調した。
そして、普及率を調べてみたのである。S社の場合は会社を中心とした「波紋型」が戦略として適当であるので、会社を中心とした同心円を描き、その中での普及率ということになる。
その結果は次のようだつた。
半径二キロメートル圏 8%
半径二〜五キロメートル圏 2.5%
半径五〜十キロメートル圏 1%
さらに、地元の半径二キロメートル圏を町単位に細分化してみたところ、四十余りの町のうち、普及率十五%以上が「三つ」で最高十八%もあり、十j十五%が「八つ」であった。
しかも普及率の高いところは会社のごく近くだった。普及率十五%の可能性が実証されたのである。
このデータを見た社長は、「商圏拡大主義」の誤りを悟り、「商圏充実主義」に転換したのである。何といっても十五%の可能性を知ったのが大きかった。
二キロメートル圏で十五%で現在の二倍、2〜五キロメートル圏で十五%ならば現在の六倍の売上げとなるのだ。何を好んで遠くへ行く必要があるというのだ。
決定された戦略というのは、
1) D市の半径二キロメートル圏を最重点地域とし、普及率目標を二十%、本年度の普及率目標を十五%とする。作戦は「全戸訪問」を繰返し行なう。ただし、押しつけは絶対しない。
(2) 半径五キロメートル圏を第一重点地域とし、本年度の普及率目標を五%とする。三年以内に普及率を十五%とする。
(3)半径十キロメートル圏を第二重点地区とするが、本年度は従来通りとし、五キロメートル圏の充実後に本格的な作戦行動を行なう。
(4)その他の地域は、当分の間現在の拠点だけとする。
というものであった。
「商圏拡大主義」を捨て、「商圏充実主義」をとることこそ正しい販売戦略である。これが知何に効率的であるかをこの事例は如実に示している。
あなたの会社で、もしも商圏拡大主義をとっているならば、この事例のように、占有率を増大させるとどうなるかを実際に計算してみることをお勧めする。
そこに現われた数字は、恐らくはあなたが考えてもみなかったようなものになるのだ。その数字をよく検討し、新たな市場戦略をたてることこそ大切なのである。
店舗展開戦略
イトーヨーカ堂の店舗展開は、極めて明確な戦略方針が読みとれる。同社は、はじめ東京都に店舗展開を行なった。次にはその周辺の地域、その次には東日本、そしてさらに次第に西進をするというパターンとなっている。
まず東京都であるが、その店舗所在地は、
○ 足立区 ‖ 千住 ‖ 西新井
○ 羽田 ‖ 江戸川区 ‖ 小岩・小岩駅前
○ 区 ‖ 満田
○ 越 ‖ 大井
○ 荒川区 ‖ 三ノ輪
○ 三鷹市 ‖ 三鷹
○ 田無市 ‖ 田無
○ 東久留米市 ‖ 東久留米
○ 武蔵野市 ‖ 武蔵境
○ 江東区 ‖ 南砂町
○ 昭島市 ‖ 昭島
○ 品川区 ‖ 戸越
○ 板橋区 ‖ 大山
○ 葛飾区 ‖ 立石・高砂
○ 墨田区 ‖ 曳舟
○ 上板橋
○ 北区 ‖ 赤
○ 東村山市 ‖ 東村山
となっていて、その分布は東京都の北部・東北部・東部・東南部となっていて、何れも商店街としては二流地ばかりである。一流地にある中心部と西部は一店もない。あとは三多摩地区の都市である。
一流地を避ける
という明確な方針が読みとれるのである。
次の近県に対する店舗展開を出店順に見ると
北浦和・川越・越谷・蕨・川口・春日部・松戸・西川口・久喜・せんげん台・坂戸・東松山となっていて、埼玉県下第二の大宮市には出店していない。北浦和は浦和市の中心地からは離れている。
その他、神奈川県でも県都以外の都市が主になっていて、県都横浜市の中心部には出店せず、すべて中心から外れたベッドタウンに出店している。
栃木県でも茨城県でも県都宇都宮、水戸には出店していない。例外は長野店で、これは商店街の中心地である権藤町に出店している。これで同社の出店戦略はお分りいただけたと思う。
では、店舗の立地条件はどんなところを選ぶだろうか。その実例を紹介しよう。
大阪府の堺市の店舗の立地条件である。〈第3図〉をご覧願いたい。

南海高野糠の堺東駅周辺には、高島屋・ニチイ・イズミヤ・長崎屋と四つの大店舗がひしめいている。完全なオlバーストアといえよう。
それに加えて、市役所前のク再開発ピレこ中」匹、, , 〆AM,,ιM . , tv さらに大手の進出の可能性が大きいのである。
イトーヨーカ堂はそうした地域には関心を示さず、南海本線の堺新駅近くの旧市内の西のはずれで戎島町という商店街としては二流地に店舗を決めたのである。
阪神高速道路によって二分されたマーケットの西部の「核」を狙ったものであることは、伊藤社長が明言している。
われもわれもとばかり、一流商店街に進出すること以外に考えない社長は、「大市場、一流商店街こそ最大の収益を得られる」という考えにとらわれているのだ。
そして、それは自分だけでなく、他の社長も全く同じ考えをもっているために、「骨折り損のくたびれもうけ」 という結果に終る公算が極めて大きいのである。
二流地・二流商店街を狙っているイトーヨーカ堂が、スーパーでナンバー1の業績を手にいていることを考えてもらいたいのである。
常に県都は避け、都市の一流商店街を避ける、という二流地主義である。
二流地には強敵がいない。そこでナンバー1になることはいとも簡単である。ナンバー1になるごとによって戦いを有利にすすめ、高収益をあげているのである。
優れた戦略を持つ強みである。
イトーヨーカ堂と全く反対の出店戦略をとっているのが「丸井」である。「駅はどこ、丸井のそば。丸井はどこ、駅のそば」という有名なキャッチフレーズがあったが、その通り駅のそばで、しかも大型店主義である。
これは、クレジット販売という販売法であるために、駅から離れていては具合が悪いからであることは誰にも分ることではあるが、見事なものであることに変わりはないのである。
店舗戦略
T社は大阪の家具問屋だった。卸だけでなく、家具の小売店を持っていた。その一つである奈良県のK市の店舗は開業以来業績が振るわず、社長の頭痛の種だった。
問屋の方の得意先とはテリトリーが違うのでその点は問題なかったのだが、数年間の赤字を何とかしなければならない。社長のたっての依頼に負けて店を見に行った。四階建で総売場面積は千五百平米くらいであった。
売場を一巡して見て呆れてしまった。家具什器類は何もかもあるースモーキングスタンドからマガジンラック・シガレットケースから額縁まであるーだけでなく、ベッド・ナイトスタンド・繊椴・カーテンまである。当然のこととして、品種毎のアイテムは極めて少なかった。これでは売れないのが当り前だ。
私は『問屋の方で「何もかも主義」はいけないということを学んだ筈だ。それを何故小売店でもやらないのか』ときいてみた。『小売店は遣うと思いました』という社長の答えである。
実は、あるコンサルタントに指導を受けていたことを白状した。
『バカいえ、その証拠には売れないじゃないか、お客様は見くらべて買うのだ。見くらべるものがないのではお客様は買ってくれないのだ』と早速お説教である。
私の勧告は「地域一番の品揃えをする」ということだった。これが見くらべて買うお客様の要求に応える道である。
そのためには、まず競合店を調べなければならない。競合店の品揃えが分らないでは「品揃え戦略」のたてようがないのである。
この店舗より売場面積の大きな店が市内に何店舗あるかをきいてみると、三店舗あるという。そこで、ごの三店舗の品揃えの調査である。品種毎に、婚礼セットならば何セット、鏡台何アイテムということを調べる。
品揃え戦略における兵力とは、品種毎のアイテム数である。これをT社の店舗に適用するのだ。T社は売場面積で地域h4なのだから、工夫を要する。
大型店(ローカルではT社の店舗程度でも大型店の部類に入る) で一番売れるのは婚礼セット、二番目が鏡台と順位がきまっているのが家具小売店である。
まず婚礼セットでのアイテム数をきめる。これは競合三店のうちのナンバー1のアイテム数より多くするのだ。多くすると、
そこに「集中効果の法則」 が作動する。「見くらべるもの」が多くなるからだ。その効果は陳列アイテム数の二乗に比例するのである。
他社よりも二割多ければ一の二乗対一・二の二乗でご対一・四回。となり、五割多ければ。二・二五倍。となるのだ。これは数量法則だから、これに質的な条件ー知名度、立地条件、商品のグレード・価格などーによって売上げが計算値と違ってくるのだが、既に述べたように、数量はランチェスターの法則で決まってくるから、あとは質的な条件だけを考えればよいのだ。
そして、その質的な条件が、どれだけ数量に影響するかが量的尺度で捉えることができるのである。つまり質的条件を量的な物差で計ることができるのである。から、品種数はナンバー4以下になるのである。場合によったらナンバー5かナンバー6になるかも知れないが、それでよいのだ。
次は質的条件として、プライスゾーンは競合他社よりも1〜2割高くする。
キャンペーンはチラシ広告を主とし、年四回ー春・秋のブライダルシーズン前と、夏と暮のボーナスシーズンである。これは折込というような横着をせず、あなたをはじめ社員が全市全戸の郵便受に蛇口配布とし、それ以外にブライダルシーズンには駅頭でも行なうのだ。これくらいの努力をしてこそ、後発と店舗面積のナンバー4という不利をカバーできるのである。
私の勧告は大筋では理解していただけたが、品種数が少なくなるのが不安だという。ムリもない。多品種主義からの大転換だからだ。そこで妥協として、「一階だけは社長の好きなようにする」ということにした。
結果は、正直なもので確実に上がりだし、間もなく黒字転換したのである。
右の例に見るごとく、小売店の市場戦略のポイントは、必ず地域一番のアイテム数を持つ品種を持つということであるのを忘れないでもらいたいのである。
コメント