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組織と人

飢織というものは、 いったん

出来上がると、本仕すべき対象よりも、

饂織そ薇自体の存統のはうが常に

優先するという危険をはらんでいる。

組織というものは、いったんこれが生まれると、「組織自体の存続」の

みが最重要な命題となってしまうという恐ろしいものなのである。組織を

存続させるための最重要条件は、「変化を阻止する」ということである。変

化は常に組織のピンチを意味し、指導者失脚の危険を伴うからである。…

組織の暴威は、会社の業績を低下させることなど朝飯前、会社をつぶしか

ねない危険極まりないものなのである。…

企業体はお客様がなければ、それ自体が存在しない。お客様の要求に応え

なければ企業はつぶれてしまう。そして、お客様の要求は常に変わり続ける。

変わり続けるお客様の要求に応えるためには、企業体自身もこれに合わせて

変わり続けなければならないのである。…

我々は「変化に対応できる」全く新しい組織理論を持たなければならない。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より

よい饂織とは、

優漁た顧客サービスができ、

競合他社と戦って勝てる組織である。

よい組織を定義づけてみると、それは「優れた業績をあげられる組織」

という他にはない。そして優れた業績をあげられる組織の実体は二つしか

ない。優れた顧客サービスができる組織と競合他社と戦って勝てる組織で

ある。… 正しい組織原理の根幹をなすものは、「変化に対応する」企業の

特性を踏まえたものであることはいうまでもない。

しかもそれは企業の二面性― 一つは「顧客の要求を満たす」という企業

本来の任務を果たすための「サービス集団」であり、もう一つは競合他社

と戦って勝たなくてはならないという、生き残るための「戦闘集団」とい

う二つの面を兼ね備えていなければならないのだ。…

組織の長である社長は、右の二面性を踏まえた上で組織を指導し、運営

していかなければならない。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より197

企業内に良好な人間関係が

維持さ薇ているということは、

革新が行わ沢ていない実証である。

企業は外部の変化に合わせて、常に自らを変えてゆかなければ生きていけ

ない。たえず自らを変えるということは、生やさしいことではない。これを

行うときには、必ずといってよい程、内部の抵抗があり、摩擦が発生するのだ。

まさつ

摩擦がないような内部の変更は革新ではない。これから成果の増大を期待す

ることなどできない相談である。優れた革新ほど批判や摩擦が多く、人々を

苦しませるものなのだ。…

逆説的にこれを言うならば、企業体内に良好な人間関係が維持されている

ということは、その企業体において革新が行われていない実証である。とい

うことは、生き残るための死にもの狂いの努力がないことであり、企業が倒

産に向かって、バク進している姿そのものなのである。

一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より

「責任範囲の明雄化」自体が、

無責任社員をつくりだす。

組織論者は、責任の範囲を明らかにしないから仕事がうまく行われない

のだと思いこんでいる。これは全くの見当違いであって、責任の範囲を明

確にすると「それ以外のことには責任がない」ととるのが人間というもの

なのだ。他の部門がいくら忙しくとも、他人の仕事がいくら忙しくとも、

それは、「自分の責任の範囲外のことである」として、「われ関せず」と

いうことになってしまうのである。

こうして人々は自分の部門のこと、自分の仕事だけしか考えなくなり、

会社の業績をあげようという意識などなくなってしまう。ましてや「お客

様にサービスをする」という企業本来の役割を果たすことなど考えてもみ

なくなってしまう。…会社の業績を落とし、人々の魂を腐らせてゆくという、

大きな罪悪を犯すものが「責任範囲明確化論」なのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」よ

仕事の管理は、高度な管理や

きめの徊かい管理ではなくて、

「最小限管理」が正しい。

管理とは、会社の内部の繰り返し仕事だけを対象にしたものである。仕

事というものは事業経営に必要であっても、事業経営ではないのだ。…

管理というものは、仕事を円滑に運ぶためには役にたつけれども、その

半面に必ず「費用」を生むのだ。費用を上回るなんらかの成果が上がって

はじめて「管理」は意味がある。…

事業経営の要請からすれば、できれば「仕事の管理」は、しないで済ま

せたいのだ。管理費がかからないからである。しかし、現実の問題として

管理しないためのロスが発生するので、ロスの減少より少ない費用で管理

できる場合に限って、管理した方が有利なのである。

当然のこととして、高度な管理や、きめの細かい管理ではなくて「最小

限管理」でなければならないのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より

口頭による指今は恙沢ら沢、

文章による指今は守ら薇る。

口頭というのは、もともとあやふやなものである。そのあやふやな口頭

で社長の大切な指令が出されるというのは、 一体どういうことなのだろうか。

社長自身が、日頭の指令ではそれが的確に実施されないことをイヤとい

うほど思い知らされているのに、それを改めないというのは、「社長の指

令は的確に行われなくてもよい」と、社長自身で思っているからだ、と皮

肉りたくもなるのである。本当のところ「口頭指令は独り言にしか過ぎない」

ことを知ってもらいたいのである。…

私は声を大にして「指令メモ」を書くように社長にお勧めするのである。

メモを書くことなど簡単なものなら数秒で済むし、 一分以上かかることな

ど滅多にない。…社長が自らの指令を的確に行わせるためには、「指令は

絶対に書いて行う」ことをやらなければならないのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」よ

イエ

F

¬民1

t』:

ムリを承郷で社員に頼め

社員というものは、何か命ぜられると、二言目には「できません」と言う

人種である。

これに負けたら、企業間競争に負けるのだ。あくまでも要求し続けなけれ

ばならないのである。

この時に、気をつけなければならないのは「できません」と言われた時に「そ

んなことはない、できる筈だ」と言ってはならないということである。でき

るかできないかは主観の問題であって、勝負は絶対につかないのだ。

社員は「できない」と思っているのに「できる筈だ」と言っても始まらな

いのである。社員が「できない」というのは、実は責任逃れの伏線なのである。

つまり、社長に命ぜられたことがもしできなかった時に「だから、あの時で

きないと申しあげた筈です」と言うためである。

だから初めての時には「できるかできないか、やってみなければ分からな

いではないか」という説得が肝要である。もしも、以前に試してみてできな

かったことをやらせる時には「もう一度新しい工夫をしてみよ」と言ってや

らせるのである。

もう一つ、社員が社長の指令をはねつける伝家の宝刀がある。それは「ム

リですよ」という言葉である。これに対して「ムリではない」と言うのは、

明らかに社長の負けである。ムリかムリではないかは完全な水かけ論であって、

決着は絶対につかないからである。

社員は、伝家の宝刀を引き抜いて身構えているのだから、まずこの宝刀を

叩き落とさなければならない。これは意外と簡単である。「そうだ、社長も

ムリと思う」と言えばよい。社員の主張を社長が認めてしまえば、社員はも

う何も言うことがなくなるのだ。宝刀を叩き落としたら、こちらから切り込

むのである。「社長もムリを承知で頼むのだ。やってくれ」と。

これで完全に社長の勝ちである。社長にムリを承知で頼まれたら、もう何

も言わずにやってみる外はないのだ。社員が「ムリですよ」と言うのは、こ

れまた、できなかった時の予防線なのである。それを「ムリではない」と言

えば、これは「できて当たり前、できなければボンクラだ」と言っているの

に等しいのである。これでは、社員はたまったものではない。「ムリだ」と

いう主張を変える筈がないのだ。

「ムリだ」と社長が認める時には、できなくて当たり前、できたら手柄に

なるのである。ここのところの「理屈」というよりは「心理」というものを

知っていることが大切なのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より

社長が社内にいる限り、

管理職は育たない。

社長が会社の中にいるということは、いかに管理職を信頼していないかを、

言外に示しているものである。

ちょっとでも社長の意にそわないことをしようものなら、「なぜ社長の了

解なしにやったのか」と言われるにきまっている。だから、社長にお伺いを

たてる。このほうが楽だし、責任を追及されないからである。

こんな状態で管理職が育つはずがない。

「いつまでたっても世話をやかせる」「うちにはどうして人材が育たない

のか」という社長の悩みは、社長自身がその原因なのである。社長が社内に

いる限り、人材は育たないのである。

一倉定の社長学第9巻 「新。社長の姿勢」より

人材の下には人材が

隠沢ていても育たない。

人材は、優秀なるが故にその部門をすべてうまく切り廻す。それはそれで

結構だが、だからといって、便宜主義でいつまでも一つの部門に止めておくと、

その人材のみならず、その人材が上にいるために、あたら伸びるべき新人の

芽まで摘んでしまうという二重の損害を、これまた誰も知らぬ間に受けてし

まうことになるのである。人材の下には人材がかくれていても育たないこと

を知るべきである。さあ、こうなったら、もう社長は人事異動をためらうべ

ゎず                                   いちもん

きではない。異動当座の僅かな仕事の停滞など恐れてはいけない。「一文惜

しみの百文失い」にならぬよう、人事異動を行うべきである。

異動のための障害や制約条件などは、決意さえあれば、どうにでもなるも

のだ。躊躇せずに踏み切るべきである。適性がどうだとか、経験がどうだとか、

あとが困るとかいっていたら、何もできないのだ。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より

「着い」ということは抜擢を

ためらう理由ではなく、

抜擢を決める理由である。

実力は年齢とは関係ないのだ。「まだ若い」というのは経験が浅いという

意味であることは分かるが、優秀なやつは一年の経験で、普通の人間の二年

も五年もの経験、いや十年もの経験と同じことをチャンと学びとっているも

のだc

それでも人間的に錬れがたりないというかも知れないが、それを補って余

りある若さと情熱と馬力があることを忘れないでもらいたいのである。

若さの持つ強みを早く活かしてこそ、優秀な人間は、さらに精彩を放つも

のである。「若い」ということは抜擢をためらう理由ではなくて、抜擢を決

める理由であることを忘れないでもらいたいのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」より

優沢た社長は、部門業績の不振は自らの責任

として皮省し、業績向上を必死で考える。

ボンクラ社長は、部門の長の責任として、

こ沢を責め、自らは必死で考えようとしない。

「部門の業績は、その部門の長の責任である」という考え方は全くの誤りで、

見当違いもはなはだしい。というより、社長の責任回避以外の何ものでもな

いのだc

優れた社長は、部門業績の不振は自らの責任として反省し、業績向上を必

死で考える。ボンクラ社長は、部門の長の責任として、これを責め、自らは

真剣に考えようとしない。

考えてみていただきたい。部門の長に自らの意志でいったい何が決められ

るというのだ。その部門の事業も、商品構成も、価格も、人的資源の数も、

テリトリーも、そして事業方針自体、基本的に社長が決めているのだ。いや「自

由にやらせているから」という人がいるかも知れないが、その自由とはすべ

て右のような枠組みの中での活動の自由なのだ。

一倉定の社長学第5巻「増収増益戦略」より

社長という人種は、社員に低い給料しか

与えていないのに、社員の能力に

過大な期待を持ちすぎるものである。

「一人一人が経営者」。私はこういう言葉はきらいである。

このようなことを社員に要求する方が間違っているからである。だから、

こういう会社は、必ず業績不振である。

いったい社員にいくらの給料を与えているのか、と問いたい。ろくな給

料もださずに、経営者の姿勢を要求するとは何事であるか。

こういうのを搾取型社長という。

社員にそんな給料を与えていないのなら、給料なみの仕事以上を望むの

は明らかに間違っている。そのくせ、社長自身は、社長の仕事を何もやっ

ていないのだ。

「経営の思いがけないコツ」より

奨励金制度なるものは、

絶対に撃り入沢てはならない。

奨励金制度なるものは、それがどのようなものであれ、事業経営において

は絶対に取り入れてはならないということである。

社員は、それぞれの考えをめぐらして、奨励金がもっともたくさんとれる

と思われる行動をとる。各人の勝手な行動によって、会社の中はバラバラに

なってしまい、会社の力を一つに結集することなど思いも及ばなくなる。

だからといって、これを規制しようとすれば、社員は「行動を規制されたら、

もっと奨励金がもらえると思うことがあっても、それがやれなくなる」とい

う受け取り方をするに決まっているのだ。

奨励金というものは、「各人は自分勝手な行動をとってもよい」という意

思表示に他ならないのであり、これは、まさに経営権の放棄であり、いささ

かオーバーではあるが、それは社長の社会的責任を自覚しないことである。

一倉定の社長学第3巻 「販売戦略・市場戦略」より

経営者の座がいかに厳しく難しい

ものであるかは社長である自分が、

いちばんよく知っているはずなのに

子供のことになると盲日になってしよう。

多くの創業経営者は、徒手空拳、全くの無一文から、会社の今日を築き上

げた人が多い。その苦労たるや経験した人でなければ分からない。それだけに、

自分の息子にだけはこんな苦労はさせたくない、という気持ちになる。その

親心から、つい息子に甘くなる。甘やかされた息子は、世の中を甘く見、生

活の苦労を知らないだけに他人に対する思いやりも少ない。このような人は、

社長として、最も不適格な部類に入る。

その不適格者を、自分の後継者にするのだから、うまくいくはずがない。

それを、盲愛から、学校を卒業すると自分の会社に入れて、数年のうちに、

専務や副社長にする。いかに親の愛だろうと、本人に力量が備わっていない

のだからこまる。親の目の黒いうちはなんとかボロをださずにやっていける

かもしれない。しかし、親がいなくなったら、とたんにボロをだすハメになる。

一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」より

ボンクラ息子はど

七光を自分の能力と思いこむ。

社長という職業は、容易ならぎるものである。単に厳しいだけではなく、「社

員の生活を保証する」という、大きな社会的責任を負っている。だから、い

かなることがあっても、つぶしてはならないものである。

それだけに、社長たるものは、わが子を後継者にすることについては、単

なる愛情や、息子の「既得権」とは考えずに、本当に会社を守り抜くことが

できる能力を持っているかどうかを見定めてもらいたいのである。

親の七光で、息子を重役にすることはたやすい。しかし、息子にその能力

がない時には、七光は表面だけで、本当に威力を発揮することはできないの

である。

救われないのは、ボンクラ息子ほど、自分の能力を知らず、七光を自分の

能力と思いこんでいることである。

一倉定の社長学第7巻 「社長の条件」よ

社員の第二の人生まで心をくばる

社長は「名社長」である。

俸給生活者にとっては、定年は絶対にさけることができない大きなショッ

クである。会社側とすれば、退職金とか年金を払えば、規定の上では済む。

しかし、定年になった社員とその家族にはまだ生活がある。そして、いまま

でとは全く違った条件のもとでの生活が始まるのだ。…

定年社員の第二の人生を考えてやることこそ、社長として大切なことであ

い‘つぶYつ

るに間違いない。定年社員の人生といえば、自営組や数少ない悠々自適組を

除けば「再就職」である。この再就職について面倒をみてやることである。

社員の第二の人生まで心をくばる社長は、私の知る限り、すべて「名社長」

である。これは決して偶然ではなく、真剣に自らの事業に打ち込んでいる間に、

自然に社員の第二の人生まで考えてやるようになるのではないか、と私には

思われるのである。

一倉定の社長学第6巻 「内部体勢の確立」よ

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