最近のコンピュータの普及は目を見張るものがある。その最も大きな理由は、小型化と低価格化である。これが、コンピュータ信者を刺戟するからである。
しかし、普及はしても、これを本当に使いこなすどころか、曲りなりにも有効に使っているケースさえ少ないのである。何とももったいないことである。
その原因は、コンピュータとはどういうものかを知らずに過大な期待をかけたり、誤った使い方をしているところにある。
そこで、本章ではコンピュータを有効に使うための、社長として心得ておかなければならない最も基本的なことを述べることとする。
コンピュータ公害
第一話
二十年程前のことである。その頃は、コンピュータが大企業に普及し始めた時代で、中小企業ではボツボツという程度だった。
私は、ある大デパートの系列の食堂にお伺いした。そこの総務部長がコンピュータに対して皮肉な批判をされていた。『うちの親会社では、すでに数年前からコンピュータを導入していますが、当初の狙いである商品管理がどうしてもうまくいかず、コンピュータの使用を断念してしまいました。
今は親会社をはじめ、系列会社の給料計算だけをやっています。ところが、その計算に間違いが多くてトラブルが続出するので、まずコンピュータで計算した後に人間が検算をしています』と。よほどコンピュータに恨みがあるのだろう。
デパートの恐らくは数万品目はある商品を、そして、絶えず急速に入れ替わる商品を、事業の経営も知らず、小売業の実態も知らないプログラマーがプログラムに組んだところで、役に立つ情報などとれる筈がないのである。
デパートには、百貨という文字通り、消費財については殆どすべてのものが揃えてある。貴金属・宝石類と書籍と金物類では、必要とする情報の種類は大きく違うし、衣料品・スポーツ用品のような季節商品、ギフトと化粧品と食品とでは、全く異質なものである。
それらを恐らくは十把一からげで、同じようなデータにしてみたって全く意味がない。日まぐるしく変るファッション商品や玩具など、データが出来上がった時には、もうその商品が売場から姿を消している、というような状況の中で、プログラマーなど手も足も出るものではないのである。
このくらいのことは、誰でも分りそうなものなのに、カッコよさだけを考えてむやみにコンピュータを入れる経営者のほうが明らかに間違ちているのである。
第二話
第一話と同じ頃、ある鋼板の大手メーカーにお伺いした時に、『うちは、コンピュータをすでに数年前から導入して工程管理をやろうとしていますが、いまだにうまくいきません。
毎年アメリカまで数名を派遣して研究させていますが、少しもよくなりません』というボヤキを聞かされた。『後追いになっているのでしょう』と聞いてみると、その通りだという。
世に機械による工程管理方式はさまざまあるが、それらは実績表示機になってしまっていることを、私は知っていたからである。コンピュータで指令しようとしても、実績を入れて、それにもとづく指令など、後追いになるくらいのことは分る筈なのに、コンピュータだから……ということで、盲信的な期待をよせることが誤りなのである。
コンピュータによる工程管理の笑話を、もう一つ紹介しよう。
ある自動車メーカーの下請であるT社での話である。『親会社から支給材料のIBMカードをもらうのですが、カードに指定された材料を、指定された日にもらいにいっても、倉庫にないものがかなりあるのです。
仕方がないので、支給指定期日を過ぎても、まだ支給されない材料のカードをいつも持っていて、「このうち何がありますか」と、聞くようにしています。IBMカードもなにもあったものではありません』と。
こうしたことが起るのは、現在の仕事のやり方が間違っているためにうまくいかないことを忘れて、コンピュータに乗せさえすればうまくいくと思いこむコンピュータ過信が原因である。
間違っているところを直さずにコンピュータにそのまま乗せても、やはりうまくいかないのである。コンピュータには、うまくいかない仕事をうまく行なう力はないのである。
第三話
同じ頃、0社にお伺いしていたある日、0社長いわく、『先月のことですが、T社に対する先々月の売掛金が二億円であるとT社のコンピュータが打ちだしました。
本当は三百万円なのですが、もしも二億円支払っていただけるなら当社は当分左うちわですよ』と笑っていた。
『コンピュータだから間違いありません』というのが、『誤りではないか』という照会に対する担当者の常とう的返答である。
コンピュータ盲信がここにもある。とんでもないことだ。コンピュータというものは、想像以上にエラーが発生するものなのである。
人間の打ちこみのエラーと、コンピュータ自身の機械的、電気的なエラーと、さまざまなエラーが発生するものであることを知らなければならないのである。
銀行のコンピュータなどは、オンラインとか何とかいってカッコいいが、他人の口座と間違うことなど日常茶飯事である。
これによって、もしも「預金不足」を打ちだされたら、ひょっとしたらそのために倒産しかねない危険を常にはらんでいるのである。以上は二十年も前のことであるが、次に最近の例をあげよう。
第四話
Y社は日用雑貨のメーカーである。永年の念願がかなって、大手の某スーパーに売込みが成功したのである。そして、ゴンドラを一つ割り当てられた。
バイヤーとの打合せで三十点程の「定番」を選定してもらった。そのうちの半数は、Y社の売上高ではかなり下位にあるものを、バイヤーの個人的な好みによって選ばれたものである。
ふたを開けてみると、案の定バイヤーの選んだものはあまり売れなかった。そこで、Y社長は売れない半数の入替えを申し出た。
ところが『それは、すぐ出来ない。 一年待て』というのである。その理由は、コンピュータの定番切換えは一年に一回だからということであつた。
売れない商品を、今後一年間陳列し続けなければならないのである。せっかく割り当てられたゴンドラも、実質的には半分しか稼いでいないことになる。
コンピュータの都合が事業経営に優先してしまっているのである。販売効率向上を狙ったコンピュータが、販売効率を落しているのである。これで競争に勝てるだこのような事態は、社長がコンピュータを何も知らないところから起るのだ。
大型コンピュータを入れて、全国の数十力所の店舗からのすべての売上げを、つのコンピュータに入れて管理しようとすること自体間違っているのである。
数万点にも及ぶ商品の入替えだけでなく、不断に発生する単価訂正を、その都度やることは、プログラマーとしては物理的に不可能なのだ。だから、年一回というようなことになるのである。
そこで、そのようなことを端末機から行なえるようにする、ということを技術屋は考える。
しかし、これがまたコンピュータ犯罪をさらに容易にすることなど単細胞技術屋は考えてもいないのである。
右のようなことはおくとして、全店舗の売上げを一括して管理しようとする「集中管理方式」という考え方自体が誤りなのである。シアーズ・ローバックで、小売店中心主義に転換した時の集中管理の混乱について、社長学シリーズ第九巻「新・社長の姿勢」篇で述べておいたが、次章の「新組織論」においても、改めて集中管理方式の誤りにふれることとする。
第五話
F社にお伺いした時の、G社長との雑談の中でのボヤキである。『コンピュータというのは困りものですね。今年になってK社からの仕入商品が値上げされたのですが、K社からの請求書は旧価格でくるのです。そのために、私どもの会社の帳簿との喰い違いが生れ、それが六百万円にものぼる未払金の増加となっているのです。
K社の営業部にこのことを話しても、その返答は、分っているのだがコンピュータが変らないのだから、どうにもならない、というのです』と。こんなことは少しも珍しいことではないのだ。
第六話
私の年中行事である「経営計画実習ゼミ」でのことである。
参加者の一人に、あるカメラ問屋の社長がおられた。机上に厚さ十センチくらいのコンピュータの資料を置いているが、一向に利用する気配がない。『ちょっと拝見』といって見せていただいた。販売実績表である。
品番。品名・売上高・仕入高・粗利益。粗利益率……そして対前年比というような数字がベタに並んでいる。聞いてみると一万六千点程あるという。『どんなことが分りますか』と問うと、『何も分りません』という返答である。
コンピュータを入れると、その途端にこのような数字の洪水が起る。そんなものを一つ一つ見ていられるものではないのだ。
プログラマーは、資料が役に立つかどうかには全く関心がないし、判定する能力もないのだ。ただ発生する数字をすべて羅列することしか能がないのである。
情報というものは、量が多くなればなる程分りにくくなるものなのである。「結果は情報量に比例する」というウイーナーの「サイバネティックス理論」も、その情報をどううまく整理し、組み立てることができるか、ということで役に立ったり立たなかったりするものなのである。
しかし、プログラマーにはサイバネティックスなどという高級理論など分る筈がない。ただ闇雲に数字を並べたてることしかできない人種であることを知らなければならないのである。
第七話
H社は海産物問屋である。
当時業績は芳しくなく、かなりの赤字を出していた。年商は百億円もあり、日商三千万円もの伝票処理の円滑化のために、 一年程前からコンピュータを導入していた。
しかし、コンピュータで伝票処理をしても、それは売上げ増大には何の寄与もしていなかった。当り前である。コンピュータを導入して伝票処理をして売上げが上がるのなら、売上げ不振に苦しむ会社など世の中に存在しなくなるのだ。売上げは上がらないが、コンピュータのために経費が大幅に増大したのである。
コンピュータという機械は極めてデリケートなので、完全空調をした部屋に納め、十六人の専任者をおいてコンピュータを操作していた。そのための経費増は、十六人の人件費と、ほぼ同額の経費である。つまり、コンピュータにかかる増分費用は十六人の人件費の三倍なのである。
これだけの経費を使いながら、事業には何のメリットもないのである。それどころか、コンピュータを導入してから、月二回の売掛金の回収が毎回二日遅れるようになってしまった。手書きの時にくらべて、請求書の完成が二日遅くなったからである。
日商三千万円の売掛金の回収が、毎回二日遅れる。 一カ月二回だから一年で三十六回、計七十二日間の遅れである。三千万円の七十二日分の金利増なのである。コンピュータを入れて、いいことは何もないのである。
私はコンピュータの即時廃止を強硬にすすめた。契約期間がまだ残っているならば、ペナルティを払っても止めるべきであるというのが私の意見であった。相手の会社と多少ガタガタしたが、押し切ったのである。
その途端にコンピュータにかかる費用がゼロになり、ペナルティなどたちまち回収してしまった。人間のほうは、配置転換である。
コンピュータの廃止は売上げ減少をもたらさなかった。当り前である。メリットのほうは、経費減と売掛金回収が年間七十二日早くなっただけではない。営業員の使い込みが三件明るみに出てきたのである。
伝票処理を人間がやっている場合には、おかしい数字があれば気がつくが、コンピュータは絶対に「この数字はおかしい」とは教えてはくれないのである。
ある会社では、コンピュータを導入したために十数件の使い込みが発生し、あわててコンピュータをやめてしまった例さえある。コンピュータをゴマかすことは、人間がゴマかす気になれば絶対に防ぐことはできないのである。
第八話
拙著「社長の姿勢」(産業能率大学出版局刊)の中に、「コンピュータを導入して」という事例を紹介している。詳しくはそちらを参照していただくとして、要約すると次のようになる。
ある婦人洋装品のカタログ販売会社で、コンピュータを導入したために、納期がいままでより二日遅れ、そのために売上げが低下してしまった。
お客様は、「この次の婦人会の旅行に」とか、「子供の運動会に」とかいう腹づもりでいるのに、それに間に合わなくなってしまったからである。私の勧告でコンピュータをやめて納期遅れを解消しただけでなく、納期(この会社の場合は発送)絶対主義を実行したために売上げが増大した、という話である。
某セミナーでこの話をしたところ、N社のある営業所長が、『先生、うちも全く同じなのですよ。倉庫に品物があるのに、コンピュータからの出荷指図書は「二日後でなければ出ない」と云われて、発送できないことがしばしば起ります。お客様には叱られるが、どうしようもないのです。コンピュータというのは販売阻害機ですね』とボヤイていた。
偉い人はこんなことは「知らぬが仏」である。コンピュータの使い方を誤ると、こうしたバカげたことが、いたるところで起るのである。
コンピュータが会社に導入されてから二十年にもなるだろうか。それにもかかわらず、これらの例にあるように、今も昔もコンピュータは事業の経営に役立つよりも罪悪を犯していることのほうが圧倒的に多いのである。
猫も杓子もコンピュータといいながら、現実はこんな体たらくなのである。いったいこれはどういうわけなのだろうか。
コンピュータはなぜ役に立たないのか
コンピュータのハード・ウエア(機械技術)そのものの進歩はスサマジイ。二年毎に性能は三倍になり、大きさと価格は半分になってゆく、とまでいわれている。
最近のパソコン(パーソナル・コンピュータ)でさえ、その記憶容量は十年前の中型コンピュータ並みである。しかもディスプレイ装置(ブラウン管)までついているのである。遠からずパソコンで昔の大型、いや超大型にも匹敵するものがでてくることは間違いないであろう。
こんな猛スピードで性能が向上しながら、ソフト・ウエア(利用技術)は、こと事業経営に関する限り(他の分野では目を見張るような進歩があるのだが)全くといっていい程進歩していない。今なお「原始」の世界にあるのだ。
不思議といえば不思議だが、当り前といえば当り前である。では、なぜ進歩しないのだろうか。その理由は二つある。
一つは、コンピュータの専門家が事業経営を知らないからである。(これはムリもないことである。経営の専門家である社長でさえ事業経営が分らない人が少なくないのだから)
事業経営を知らないものが、事業経営に役立つプログラムを組める筈がない。
それにもかかわらず多くの人々がコンピュータこそ事業経営の近代化・効率化・高度化を実現するものだと思いこんでいる。
事業経営を知らないのだから本来ならば計算事務だけにその分を守っているべきなのに、「MIS」(マネジメント・インフォーメーション・システムーー経営情報管理)とか、「戦略会計」とか、わけの分らぬシステムをデッチあげて、われわれこそがコンピュータによる経営高度化の推進者であると気負いこんでいるのだから始末に負えないのである。MISの実態は「経営情報管理」ではなくて、日常業務の情報管理にしか過ぎないのである。
もう一つは、社長がコンピュータを知らない、ということである。
社長にとってコンピュータは「神聖不可侵」ともいえる存在なのである。ハードもソフトも、社長にとっては全くのチンプンカンプンなるが故に、コンピュータに注文をつけることができないのだ。
コンピュータを入れなければ「時勢」に遅れてしまうような不安感にかられて導入するわけだが、社長としてはどうすることもできないのである。ただプログラマーのやりたいようにやらせる以外にないのである。
事業の分らないコンピュータ技術屋と、コンピュータの分らない社長が、ペアになってのコンピュータ革命(?)なのだから、それが企業内に導入されると、たちまちコンピュータの独走が始まり、次々とコンピュータ公害が発生してゆくのである。さきにあげた実例が、その「九牛の一毛」なのである。
会社の中にコンピュータが導入されると、たちまちコンピュータが会社の中で一番偉くなってしまう。これを「コンピュータ大明神」という。
そして二番目に偉いのが、この大明神に奉仕するプログラマーであり、二番目が社長、という序列ができる。お客様など、どこかへ置き忘れてしまうという、大罪悪を犯してしまうのである。まさに「大疫病神」である。
会社の中のすべての人々は、たとえそれが社長であろうとも、コンピュータの指図に従い、お伺いを立てなければならなくなってしまう。
そして、コンピュータに協力しないと、企業に対する忠誠心を疑われるようになってしまうのである。コンピュータの君臨と独走によって、企業業績低下劇が次々と進行してゆくのである。
お客様が大至急欲しいといっても、そして在庫がありながら、コンピュータの都合によって「明後日でなければ出荷指図書を出せないからそれまで待て」といわれてしまう。
売れないことが分っていながら、コンピュータの都合で品物の入替えができなくなってしまっているので、どうにもならないということになる。
コンピュータなど無いほうがよい、という主張が説得力を持つのはムリからぬことである。
またコンピュータ公害とまではいかないが、事業経営に役に立たない資料が、後から後からコンピュータから吐き出されてくる姿を見ていると、私は「紙屑製造機」という尊称(?)をコンピュータにつけたくなるのである。
そして、その紙屑の量たるや、あきれかえる程多いのである。
毎日毎日経営阻害が行なわれ、膨大な紙屑が際限もなくコンピュータから吐き出されているのを見ると、ユーザーの阿果さ加減もさることながら、コンピュータ・メーカーに公慣を感ずるのである。「なぜお客様の役に立つ「ソフト・サービス」を行なわないのか」と。
しかし、そんな公憤はどうやら見当違いであって、「どのように役に立つか、いや役に立たせるべきか」ということを事前に検討してから買い入れるべきユーザーが、それをやらないところにこそ、根本原因がある。役に立つ使い方が分らなければ買わなければよいからである。
このような実態をそのままにしておくと、ますますその害毒が拡がるので、すでにコンピュータを持っている会社の社長にも、これから導入しようとしている会社の社長にも、コンピュータとはどんな機械であるか、それを事業経営に役立たせるにはどうしたらよいかということについて、最も基本的な認識を持ってもらうことを念願して、ここに一章を設けることとしたのである。
コンピュータによる戦略的決定はできるのか
フォードの「エドセル」は、世界の自動車史上空前の大失敗作である。このエドセルの開発は、フォード社が自動車史上かつてなかった大調査陣を編成して、アメリカの自動車業界における過去四十年間の記録を徹底的に調べあげ、これを、コンピュータにかけて解析を行なったのである。
コンピュータのはじき出した結論は、「アメリカの消費者は所得に応じて車を買う」というものだった。
この結論にもとづいて企画され、製作されたエドセルは、アメリカの消費者に相手にされず、スクラップの山を築いてしまったのである。いったい、これはどうしたわけがあったのだろうか。
フォードにとって不幸なことには、二年間にわたる調査期間中に消費者の自動車購入の態度が、「所得に応じて買う」から、「好みに応じて買う」というふうに変ってしまったのである。
そして、この変化を、コンピュータはつかまえることはできなかった。なぜならば、これは「質」的な変化であり、質的な変化は数値化できないからである。
そして、数値化できないものはコンピュータにかからないのだ。コンピュータが、アメリカの消費者の好みの変化を把えることができなかったのは、こうした理由によるものである。
数値化できれば、これはもう質的なものではなくなってしまうのである。そして、質的な変化が数値化できるほどに事態が進んでしまった時には、もう長期的な戦略には遅すぎて役に立たないのである。
そして、フォードの誤りは、「消費者の好みは変らない」という非現実的な観念論(実際には、そんなことなど夢にも考えてはいなかったに違いない。さもなければ、過去四十年間の記録を調べるというようなバカなことをするわけがない)にもとづいて、過去の資料を調べたことである。
コンピュータというものは、数値化されたデータしか処理できないのだ。そして企業の戦略的決定は、数値化された過去のデータによってではなく、より次元の高い、数値化できない質的な情報によって行なわれるものなのである。量的な情報しか処理できないコンピュータだけで戦略的な正しい決定は望むべくもないのである。コンピュータを使う場合には、このことをよくよく心得ていなければならないのである。
しかし、この数値化の能力たるや目を見張るものがある。
超高速の演算速度、膨大な記憶容量、疲れを知らぬタフさだけでも驚異なのに、幾何級数的に向上する能力と、小型化、ディスプレイ装置(ブラウン管)による視覚化は図形化、カラー化までやってのける。外国語の翻訳もやれば、人語を話すことまでやってしまう。
まさにコンピュータにできないことはない、とさえ思われてくるのである。コンピュータによる戦略的決定まで、できると思いこまれてしまうのもムリないことかも知れない。
しかし、コンピュータは決して万能でもなければ、人間を支配することはできないものであることを知らなければならない。(というのは、支配されたくなければ、いつでも電源を切ってしまえばいいからである)。というのは、コンピュータというものは大きな、というよりは決定的な″制約を負っているからである。
この制約は何であるかを知り、これによってコンピュータには何ができて何ができないか、ということを心得ていなければならない。
これでこそ、はじめてコンピュータを事業経営に役立てることができるのである。そして今までのようなコンピュータ公害を起さないようにしなければならないのである。
コンピュータが人間にとって有用なものになるか、害毒を流す存在になるかは、明らかにコンピュータ側にあるのではなく、人間の側にあることなのである。本当のところ、コンピュータを支配するのは人間なのである。
コンピュータの特質は何か
1 人間にできないことはコンピュータにもできない
コンピュータというのは、人間にできることを、人間には及びもつかないスピードでやってのける道具である。そして、それ以外の何物でもないのである。
人間にできないことはコンピュータにもできないのである。というのは、コンピュータにどんな計算をさせるかは、人間が命令しなければならない。この命令を「プログラム」というのである。
プログラムが与えられなければ、コンピュータは何一つできないのだ。そのプログラムは人間が作るものである。人間ができないことは、プログラムも作ることはできない。だからコンピュータは人間ができることしかできないのだ。
いい替えると、コンピュータにできることは人間は全部できる。ただコンピュータに比較すると時間がかかり、無器用で間違い易いだけなのである。
このことの決定的ともいえる重要な意味は、「自分の会社にできないことは、コンピュータを使ってもできない」ということである。
つまり、「コンピュータを使えば事業の経営がもっとうまくいく」「自分の会社でいままでできなかったことも、コンピュータならやってくれる」という考え方は間違っている、ということである。
「コンピュータを使えば、もっと経営がうまくいく」という考えは、全くの幻想にしかすぎないのである。
コンピュータを使うメリットは、「人間がやっていては時間がかかったり間違ったりすることを、短時間に処理してくれる」ということだけなのである。つまり、ク時間節約機クがコンピュータの本質なのである。
2 コンピュータにできることは、量的な情報だけであって、質的な情報は処理できない
さきに、フォードのエドセルの例で述べた通りである。コンピュータは、どんな情報でも処理できると考えるのは誤りであり、コンピュータに処理できない質的な情報こそ、量的情報よりも遥かに重要なものであることを知らなければならない。
ところが、コンピュータを導入した途端に、数値情報の洪水が起る。後から後からとコンピュータから吐き出されるおびただしい情報によって、我社は事業経営に必要な、十分な情報を手に入れていると思いこんでしまい、外部情報の収集を怠ったり、社長がお客様のところへ出かけていって、お客様の要求を聞きだしてくるという最重要事をやらなくなる危険が大きいのである。
コンピュータからの情報がいかに多かろうとも、それの殆どは企業内部の過去の情報にしか過ぎないのである。事業経営に決定的に重要な情報は、まだ数値化できない企業外の情報であることを肝に銘じていなければならないのである。
では、コンピュータは質的な情報が処理できないから役に立たないのか、というとそうではないのだ。量的な情報しか処理できなくとも、その大きな処理能力こそ企業の経営にとって大いに有用なのである。
というのは、人間に苦手な計算を、人間に替って処理してくれることによって、人間を計算という次元の低い仕事から解放してくれるのである。このメリットは大コンピュータのお蔭で計算事務から解放されることによって、かけがえのない″時間クという資源を手に入れることができるのである。
この時間を、人間にしかできない創造的な仕事に向けることができるのである。この意味において、コンピュータの存在価値は計り知れないくらい大きいのである。ところで、その数量情報であるが、「事業経営に必要なものは何か」ということは、コンピュータも知らなければ、プログラマーも知らない、ということを社長は知らなければならない。
そのプログラマーに、どんな情報をどんな形で提示するかを、すべて任せてやらせている社長が殆どである。これでは事業経営に必要な情報をコンピュータから手に入れることなど、期待することはできないのである。
3 コンピュータは命令されたことしかできない
コンピュータの八面六臀ぶりは驚異的である。
数万人の給与計算も、証券会社や保険会社の膨大な伝票処理も、平気の平左である。銀行のオンラインなど、全国ネットでこなしてゆく。情報の収集・処理から、記憶・提示をやるかと思えば、特定地域の高速道路をどこに作ればいいかをハジキ出す。
複雑極まりない技術計算や、製造工程のさまざまな制禦は、コンピュータがなければ、もはやどうにもならなくなっている。作業ロボットはコンピュータがなければ存在しないのだ。そうかと思うと囲碁将棋の相手もする。病気の診断もすれば、投薬の処方もする。男女の相性の見立てもする。
ミサイルとミサイル防衛装置、宇宙衛星からスペースシャトルという超大規模システムを一手に引き受けての大活躍である。まさに万能とも思える程の超能力である。
これ程のコンピュータにも、絶対にできないことがあるのだ。質的情報の処理ができないことは先に述べたからおくとして、絶対にできないのは夕決定クである。
コンピュータがいかに万能に見えようとも、コンピュータにできるのはク繰返しがあるものに限られる。繰返しがあるということは″法則性クーうまり法則化が可能だということである。そして、法則性のあるものは″基準クの設定ができるのだ。乗物の座席予約は、それがいかに複雑だろうと、法則性があるからこそコンピュータにかかるのである。
プロセスの制禦も病気の診断も、すべて基準が予め与えられており、与えられた基準にもとづいての制禦であり診断にしか過ぎないのである。基準が、プログラムという形で命令されていない限り、 コンピュータは文字通り何一つできないのである。
だから、さまざまな情報を総合的に検討し、判断し、判断にもとづく決定をすることは、コンピュータにはできないのだ。しかし、決定の条件をプログラムしておけば、決定をやるのである。
このことは、事業経営において決定的に重要である。つまり、経営者がどうしたらよいか分らないから、コンピュータに決定してもらう、ということはできないのである。
シミュレーションーモデルによる演算― も、ある一定の条件のもとに活動した時の結果をたちどころに算定できるのは、「こういう時には、こういう結果をハジキ出せ」という命令を与えておくからこそ、答を出せるのである。
基準が与えられていなければ何一つできないのがコンピュータという道具だということを忘れて、「コンピュータは何事も的確迅速に処理してくれるのだから、すべてはコンピュータに任せたらよい。直感に頼ったり、信頼性のうすい不完全極まりない外部情報など関心を払う必要はない」と考えたら、それこそ大変なことになることを、よくよくわきまえておかなければならない。
外部情報がいかに信頼性が薄かろうと、不完全なものであろうと、それらのものを総合的に判断し、決定することこそ、社長にとって最も大切なことである。そして、それは社長以外に誰もやってはくれないのである。決定というものは、常に限られた時間の中での不完全な情報をもとにして判断し、決定しなければならないのである。それが経営の現実なのである。
コンピュータをうまく使う
1 何を処理するかは社長命令で
コンピュータは、事業経営に役立たせるための道具であって、コンピュータのために事業があるのではない。
このことが分らないコンピュータ技術者は数多い。その代表的な考え方が「コンピュータの稼働率を上げる」という考え方である。
そして、会社の中の人々がコンピュータに関する知識がないことを利用(?)して、やたらと無意味なプログラムを組み、役に立たない数字を次々とはじき出して数字の洪水を起す。その洪水が大きければ大きい程、コンピュータを有効に利用していると思いこんでいるのだ。
だから、社長は『コンピュータにかける情報は、すべて社長決裁を要する』と宣言して、まず濫用を抑えることである。でないと、本当にコンピュータを使いたい場合に『満杯だからダメです』ということになりかねないからである。
こうなると、『もっと大型のコンピュータにして下さい』ということになり、ムダな費用の増大と、紙屑の増産というバカげたことが起るのである。
ところで、忙しい社長がコンピュータに「何をかけるか」まで決定せよとは……と思われるかも知れないが、心配無用である。コンピュータにかける情報の種類はそれ程多くはないのである。
その主なものは、
① 純粋経理的処理――これは、あくまでも純粋なものでなくてはならない。 ・
② 技術計算― これは自然にきまってくる。
③ 統計 .
0 日常業務の管理
の四つに分類できる。右以外のことは、むしろ例外である。そして、問題は統計と日常業務の管理である。具体的なことは後述するとして、社長が決定する場合に、それがどんな意味を持ち、だれがこれを見て、どんな役に立つかをチェックするのである。
そして、「真に役立つ」ということが確認できない限り、許可してはならない。「何かに使うかも知れない」というようなものは、許可すべきではないのである。
これをやらないと、前に述べたカメラ問屋のように、厚さ十センチにも達する統計資料を毎月毎月作り、それが全く使いものにならない、というようなことが起るからである。
もう一つ、別に社長が知っておかなければならないのは、プログラマーの生態である。
私はプログラマーのことを「植木職人」と呼んでいる。というのは、同じ機械を使って、全く同じ情報を処理する場合に、プログラマーによってプログラムの組み方が全部違うからである。
同じ植木の苅込みでも、他人のやったことは気に入らず、自分の気に入った苅込みをやる植木職人と同じだからである。
科学技術の最先端をゆくク機械クに、最も原始的な植木職人的プログラマーとは、神様も物好きなことをしたものである。
だから、「プログラムの標準化は不可能である」という妙な、そして誤った定説があるのがコンピュータ業界なのだ。これが、プログラマーの大不足となって、プログラマーをつけ上がらせているのである。そして、それがコンピュータ。メーカーの販売上の悩みとなっているのだから皮肉である。
プログラムの標準化はできるのである。そして、やらなければならないことである。ただ、断平としてやらせる社長がいないだけなのである。
植木職人的プログラマーの生態の、もう一つは、常に「クパーフェクト管理″をやらなければ気が済まない」というものである。これが、やたらと次々に不必要な資料や、管理しても意味のない、あるいは管理してはいけないことまでコンピュータにかけることになるのだ。
私が時々プログラム作成の手伝いをする時には、必ずといっていいくらい、プログラマーは自分の頭で考えた愚にもつかないさまざまな資料を出してくる。それが自分の役目で、積極的に仕事をしていると思いこんでいるのだ。『いいつけた以外のものは作るな』と叱らなければならなくなるのである。社長たるもの、このプログラマーに負けてはならないのである。
2 顧客最優先主義
コンピュータは事業経営のためにあるのだから、事業経営の都合に合わせた使い方をするのは当り前のことである。
そして事業はお客様のためにあるのだから、コンピュータもお客様にサービスすることを最優先すべきである。
こんな分りきったことが、プログラマー技術者には全然分っていない。そして、コンピュータをいかに有効(と自分で思いこんでいるにしか過ぎない)に稼働させるか、ということが最大関心事なのである。
だから、いかにしてより多くの情報を処理するか、どうしたら稼働率を高めることができるかを最優先に考える。そのためにコンピュータ中心の使い方を工夫し、いやしくも、稼働率を落すようなことはいっさい受け付けないのである。
このために、コンピュータの都合で出荷指図書が二日後になって、お客様に迷惑がかかる、というようなことがあってもク我関せず″なのである。こんなことになるのなら、コンピュータは無いほうがよいのだ。
こうしたことを防ぎ、コンピュータを有効に使うためには、コンピュータ使用の優先順位をきめておくのだ。その優先順位は、
一番 顧客サービスに関する事項(出荷指図書・納品書・見積書。その他お客様に差し上げる書類)
二番 日常業務の推進や会議に必要な資料
二番 計画業務に必要な資料
四番 過去のデータ処理
ということになるだろう。 ・
いま、ある計算をしている時に、それより順位の高い資料の計算を求められた時には、その計算を一時中止して高い順位の計算をするのである。これをク割込みと称する。
これは、割込みが行なえるような″制禦機構クを持った機械でなければならず、同時に割込みを可能にするプログラムを作っておくのである。だから、機械を購入する時に、「割込みができるかどうか」を確かめる必要があるのだ。
次には、稼働率を低く抑えておく必要がある。「有効に使う」というような考えで、やたらとプログラムを放りこむと、満杯となって割込みに支障を来すおそれがあるからだc
だから、割込みに支障を来さないためには稼働率をあまり高くしてはいけないのである。
もしも、稼働率が高くなりすぎるようなことが起った時には、普通は大型機と取り替えるが、これをやってはいけないのである。
このような場合には大型化ではなくて、小容量のコンピュータの台数を増やすのだ。そして、それぞれのコンピュータの″専用化´を図ることこそ正しい使い方なのである。
台数を増やすメリットは、
① 機械の取替え、プログラムの組替えが不要である
② 専用のために、使いたい時に使える確率が高くなる
鱚 割込みの影響が減少する
0 故障の場合にも、使えないのはその機械だけであるというようなことである。多くの場合に、大型化は″馬鹿の一つ覚えクである。
3 専任オペレーターを使わない工夫をする
I社のオフコン(オフィス・コンピューターー小型コンピュータの総称)の使い方は実に見事である。プログラムはすべて社長命令であることはいうまでもない。
日常の販売。生産・購買業務の中枢的機能を果していながら、稼働率はかなり低い。二台使っているからだ。そして、専任オペレーターがいないのである。処理事項の時間帯がきめられていて、それぞれの処理事項を、それぞれの担当者が行なう。割り当てられた時間帯で、どの処理事項も余裕しゃくしゃくである。ムダなプログラムがないからである。割込みができるのはいうまでもない。
コンピュータのメーカー技術者が『コンピュータをこんなに見事に使いこなしている会社はない』と舌を捲き、そのプログラムを全部写し取っていった程である。工夫次第で専任オペレーターはいなくともすませることができるということを、I社は我々に教えてくれるのである。
4 例外事項はコンピュータにかけるな
プログラマーという人種は、完璧主義者が多い。そのために、何か現在のプログラムに乗らないこと(これをク例外´という)が発生すると、何とか工夫してこれをコンピュータに組み込もうとする。そして「こういうプログラムを組みたい」「ああいうプログラムが組みたい」と社長に申し出る。この時に、うっかり「イエス」といわないことである。『今のままで殆どのことは処理できるから、新しいプログラムはいらない」と、許可をしないことである。
例外を許可していると、コンピュータ公害が発生し、終いには今の機械では処理しきれなくなり、さらに大きな機械が欲しいというようなことになるのである。例外は人間が処理すればよいのだ。
5 常に誤りと不正が発生するものと知れ
コンピュータを導入する時に、手書きとコンピュータの並行処理をすることがある。この時には、たった一カ月くらいの期間でさえ、まず合わない。
コンピュータの誤りは、打込みのミスが多いが、これは○・五パーセントあるという人がいる程多いのである。いや、そんなにない、 一万回に三〜四回程である、というような異論もある。誤りの確率論争などはひま人にまかせておき、われわれが心得なければならないのは、人間が作り、人間が使うコンピュータに誤りは必ず発生し、これを防ぐ方法はないという認識である。
そして、誤りを防ぐ方法がない限り、これはコンピュータ犯罪につながるのである。
とするならば、われわれは「ク誤リクとク犯罪″は必ず発生する」という前提に立ってコンピュータを使っていかなければならないのである。「コンピュータの出した数字だから間違いない」などという考え方は捨てなければならないのである。
まず第一には、クチェッククである。
その最も大切なものは、対外的なものである。我社の売掛残高と得意先からいただく″残高証明クとの照合、我社の預金残高と銀行の残高との照合である。どちらも定期的に、または必要に応じてやらなければならない。
次は、在庫のコンピュータ残高と現物棚卸のチェックである。
最小限度右のチェックをすることにより、誤りと、犯罪のかなりの部分の防止が可能である。
社内的なものは、誤りが発生しても、それは「コップの中のこと」なので、誤りが発見された時に、担当者がその都度訂正するのだ。
この点は、コンピュータだろうと、手書きだろうと変らないのである。
以上、ザッと留意点を述べてきたが、大切なことは、コンピュータを使うのは人間であって、コンピュータが人間を使っているのではない、ということを忘れないことである。
事業経営においては、事業に役立つことだけをコンピュータに計算させることである。
コンピュータの稼働率を上げるために、下らないデータをやたらと作らせることは厳にいましめなければならないのである。
何を計算させるか
コンピュータの用途は無限といってよい。何事であれ、法則性があって数値化できるものは、すべてコンピュータで処理できるからである。
しかし、事業の経営に役立たせる使い方となると、意外な程少ないのである。そして、次元の低い事柄には使い道が多くあるが、次元の高い事柄になると、どうみても有用だとはいえないのである。それは、数値化できる情報しか処理できない、というコンピュータの特質それ自体のためなのである。
事業経営の現実は、次元が高くなる程数値化ができなくなるが故に、コンピュータにはかからなくなってしまうからである。
この、どうにもならない制約をよく心得た上で、コンピュータをうまく使わなければならない。では、どんな計算をさせたらよいか、ということを述べてみよう。ただし、さまざまな制禦(NCとかロボットなど)や技術計算は別にしてある。
1 どうしてもやらなければならない単純計算
給料計算や請求書の作成などに代表される計算である。日々の活動から必然的に発生する数字の経理的処理だと思えばよい。こうした次元の低い作業は、人間にやらせるより機械にやらせたほうが有利である。そして、人間を次元の低い仕事から解放することができるのである。
ここで気をつけなければならないのは、コンピュータの膨大な数値処理能力を活用しなければ損だとばかりに、 一次処理(経理的処理)だけにとめておけばよいものを、二次処理(一次的データの組替え処理― ‐統計的処理などがその代表的なもの)をすることである。それが、ハッキリとした利用目的をもっており、手書きの時にも有用性が証明されていたものならよい。
しかし、コンピュータに新たに計算させる場合には、この有用性の検討など、なされていない場合が殆どなのである。そして、これらのものは、ク紙屑クにしか過ぎないものがかなりあるのである。
2 繰返し業務の管理に役立てる
工程管理。生産管理・購買管理・在庫管理など、品物の動きを管理するためのものが主である。
これらのものは、いままで手書きで行なっていたものを、そのままコンピュータに替えたものにしかすぎない。コンピュータが入ったからといって、管理法を変えることはできないからだ。
だから、問題は、手書きで行なっていた時に本当に有効だったか否かにある。もしも手書きの時に役に立たないやり方(これが非常に多いのである)ならば、いくらコンピュータに乗せても、やはり役に立たないことは同様なのである。「手書きではうまくいかなかったが、コンピュータに替えたからうまくいくだろう」という期待は全く間違いであることを知らなくてはならない。人間にできないことはコンピュータにもできない。その会社でいままでできなかったことは、コンピュータを使ってもできないのだ。
だから、「手書きで有効に管理できたが、手間がかかりすぎた」ということをコンピュータに乗せて、はじめてコンピュータは役に立つ機械なのである。
日常業務の管理がうまくいかずに、悩んでいる多くの社長にとって、ではどうしたら日常業務の管理がうまくいくのか、ということは、ぜひとも知りたいことだろうと思う。日常業務がうまくいかず、『一倉さんに、「社長は外に出よ」といわれても、内部の混乱を治めなければ外に出られない』と私に言訳することになってしまう。そして、社長が外に出ない限り、会社は永久に繁栄への道を歩むことはできなコンピュータにかける以前の問題としての、日常業務の管理のための数値処理とその活用は、ク仕事の流れを整備するク(本書二八五頁)のところで詳しく説明することとする。そして、社長は安心して外に出なければならないのである。
3 高収益化の情報を手に入れる
コンピュータで処理できる情報は会社の中の過去の数字である、という決定的な制約条件の中での高収益化情報となると、あまり多くはないのである。その一つは、顧客サービスに関するものである。
K社は自動車の整備工場であるが、お客様の車の定期点検時期のお知らせに使っている。K社のガソリンスタンド専用コンピュータには、定期点検のみならず、オイル交換時期まで掛売伝票に打ちこんでお客様にお渡しするようになっている。
お客様の物的施設の定期メンテナンスには、かなり広範な活用の道があるといえる。忘れ易くルーズな人間に替ってコンピュータを活用すべきであろう。もう一つは、何といっても売上げ情報の活用である。
L社は雑貨問屋で、主要得意先はスーパーである。商品別売上高ABC分析を、全社と主要得意先であるスーパー別にとってみた。
全社の売上高ABC分析を検討しているうちに、L社長は上位売上げ品に品切れが多いことに気がついた。「在庫をこれこれ以下に減らせ」というズサンな指令がそうさせたのである。
こうした指令が出されると、その総枠のうち、デッドストックに多くの部分を取られてしまい、ランニングストックだけが圧縮される。その結果品切れが続出するという事態が発生するのである。これはL社のみならず、たくさんの会社で現実におかしている大きな誤りなのである。正しい指令は売上高の順位に従って、いくつかのグループに細分化し、売上高の上位のグループ程在庫基準を多くするのだ。そして、在庫基準とは常時在庫に対してではなく、締切日現在の在庫に対してであることを忘れてはならない。締切日さえ押えれば、途中の在庫増など問題にはならないのである。
こうすると、在庫が増えるようだが、こうすることによって品切れがなくなって売上げが増大するのだ。その結果、回転率はあまり悪くならない。
L社では私の勧めによって上位五十品目の在庫を増やしたために品切れが激減し、売上げは増加したのである。もう一つは、得意先別の売上高ABC分析表と総売上高ABC分析表との比較検討である。
この検討で判ったことは、総売上高の上位品日で、得意先別の定番に入っていないものがかなりある一方、総売上高で下位のものが得意先の定番に入っていたのである。
得意先のバイヤーにこの表を提出し右のことを説明したところ、『私の欲しかったのは、こうした情報だった』と、定番入替えは一発でスムースに実現した。そして売上年計が翌月から上昇しだしたのである。
このスーパーでは、コンピュータで商品の売上げ記録をとっていることはいうまでもないが、データのまとめ方が悪かったのである。つまり、定番順に並べた分厚いものだった。バイヤーはプログラムに注文をつけるどころか、バイヤーの知らぬ間に作られたプログラムに従って打ちだされたデータなのである。そして、プログラマーは販売も事業経営も知らないのである。社長も販売部長もプログラムに関知こうした状態のもとでプログラムが作られるのであるから、事業経営に役立つ筈がない。高級玩具にしか過ぎないのだ。
M社は子供服のメーカーである。衣類というものは、季節・サイズ。ファッションの三要素を持っているという厄介な商品である。
売れても原反がすでにない場合が多い。また、売れないといって来年に持ちこすわけにはいかないのだ。だから、シーズン中にいかに売上げを伸ばすかということは、右のような制約条件の下での短期決戦なのである。
まず原反の手当であるが、売れ筋が早期に発見されれば、かなりの追加手当ができるのが子供服である。 一にも二にも売れ筋商品をいかに早く発見して手を打つかにかかっている。この場合に、メーカー出荷のデータは必ずしも信用できない。店頭で眠っている場合があるからだ。
信用できるのは店頭売りのデータだけである。そこで、主要得意先であるSスーパーのデータを借りられないかと交渉したところ、コンピュータ室長は、『われわれがせっかく作ったデータを、社内のだれも見てくれない。あなたの会社だけだ。資料を持ってゆけ』ということになった。誰も利用しないデータを毎日作り続けているのだ。
借りてきたデータを、品目別に週単位で一覧表に記入してみた。(週単位のデータしかとっていなかった)これを見て直ちに気がついたことが二つある。
一つは、よく売れる品物は必ず第一週日、二週目からよく売れているし、滑り出しの悪い品物は必ず売れない、ということであった。もう一つは、売れる品物は寿命が長く、売れない品物は寿命が短い、ということである。
これが分ればしめたものである。これを見ながら原反の追加手当と生産計画の組替えを行なったのである。
効果はテキメンであった。不思議に思ったのはSスーパーのバイヤーである。急に納入が円滑になり、数量の確保もできるようになったからだ。『どんなことをしているのか』というバイヤーの質問にク種明しクをしたところ、『見せてほしい』ということになり、M社まで見にきた。自分の会社のデータをである。バイヤーいわく、『うちもこういうデータが欲しい』と。
こうしたコンピュータ笑話は至るところにあるのだ。これはコンピュータの使い方を知らないのではなくて、「どんな情報をとったらよいのか」というク設問クがないところに問題があるのだ。
この設間がなければ、コンピュータは単なる紙屑製造機になってしまうのである。そして、この設間を持っている会社は極めて少ないのである。
本当のところ、コンピュータから収益向上の情報を手に入れようと思っても、それ程多くは望めないのだ。それは、コンピュータの持っている本質的な制約そのものに原因があることを知らなければならない。この制約を正しく認識した上で、コンピュータの機能を十分に発揮する方法を見つけだすことである。
それは、いついかなる時にも問題はコンピュータ側にあるのではなく、常に人間の側にあることを再び強調したいのである。
その人間側の問題は、今なお甚だしい原始の世界にあるのだ。そして、この原始の世界からの脱出は、コンピュータ技術者にはできない。できるのは、というよりやらなくてはならないのは、経営者なのである。
コメント