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三、正しい指導

自らの正しい姿勢と正しい行動がなければ、社員に正しい姿勢と正しい行動を要求することはできない。社員は文字通り百パーセント社長の姿勢と行動を見習うものであることを、肝に銘じなければならない。

目次

お客様こそ事業のすべて

会社はお客様のために存在する。お客様がいないところに事業は起らず、お客様に見放されたら会社はつぶれてしまうのである。

この、全く当り前のことを、私は何千回でも何万回でも叫び続けなければならない、というのが私の実感であり、そして叫び続けてきた。将来も、私の眼の黒いうちは叫び続けなければならないと思っている。

そのくらい、世の社長族と称する人種はお客様のことを考えないのである。そして、お客様のことを考えない会社は業績向上は全く望めず、時流に乗って一時的に繁栄はしても、流れが変った時には没落してゆくのである。

外食産業がその好例である。昭和五十年頃からのファミリー・レストランを中心とした大ブームも、今は昔日の面影なし、完全に淘汰期に入っている。

私は、ブームの初期に「外食産業は数年でダメになる」と予言していた。その理由は只一つ、外食産業の社長がお客様のことを考えていなかったからである。

「ファミリー・レストランは、あまリ「うまくない」ほうがよい」というような定説めいたものさえあったのである。

これ程お客様をバカにした態度があろうか。だから、物珍しさが去った時に、お客様も同時に去ってしまったのである。

だから、会社というものは、その考え方と行動のすべてはお客様の要求から出発し、ここに帰うてくるのだ。

そして、お客様の要求を満たすことは煩わしく、能率が悪く、経費がかかることを肝に銘じて、ただただお客様の要求を満たすことだけを考えていれば間違いないのである。

ここで注意しなければならないのは、「値引き」「安売り」「無料」というサービスである。これは、たしかにサービスには違いないけれども、販売政策とか謝恩という意味での、会社がきめたものを除き、やってはいけないものである。

これをやたらに行なったら、会社で必要な収益が手に入らず、会社はつぶれてしまう。会社をつぶす行為は、それがどのようなものであれ、絶対にやってはいけないのは、いうまでもないのである。そして、最もいけないのが、長期無料サービスである。

あるSS (ガソリンスタンドのこと)で永年やっていた無料洗車サービスを有料に切りかえた。とたんにお客様のお叱りが多発した。これは、無料なるが故に知らず知らずの間に正しい洗車サービスを行なわなくなってしまっていたからである。

お客様の要求を満たすためには、まずお客様の要求を知るところから始めなければならない。そのためには、社長自らお客様のところへ出かけてゆき、自分の目で、耳で、肌でお客様の要求をみつけだしてこなくてはならないのである。

社長自らお客様のところへ行かなければ、お客様の要求は絶対に分らないのである。このことは、この「社長学シリーズ」で繰返し繰返し実例をあげて強調している通りである。私が直接会社にお伺いしてお手伝いする場合に、まっ先に社長にお勧めするのもこのことである。

私の勧めに従って社長がお客様のところへ行くようになると、その時から会社は変り始めるのである。そして、社長がお客様のところを廻っている限り、その会社は業績が上がり続けるのである。

反対に、私が口をすっぱくして、くどいくらい勧めても、お客様のところへ行かない社長がいる。また、あまり私に云われるので、申訳的に廻っても、それでやめてしまう社長がいる。あれこれ用事が発生して廻れないというのである。

私は、『社長がお客様のところへ行くのは社長として最も大切な仕事である。お客様の要求が分らない限り正しい事業経営はできないからだ。 一番大切なことをやらずに、用事ができたからというのは本末転倒だ』と申しあげるのだが、本当のところは、こういう社長はお客様のところへ行く気はないのである。これは、明らかに社長として怠慢であり、わがまま以外の何物でもない。

こういう社長は、会社の業績をあげることはできないものであることを、永年の経験から私は知っている。こういう社長は、お手伝いを辞退するより外に私としては方法がないのである。

会社の中に自由はない

ここで、お客様の要求というものを考えてみよう。

お客様は、相手の会社の内部事情を調べて、その事情に合わせて要求を出すのではない。相手の事情など一切考えず、自分の要求だけを一方的に押しつけてくるのだ。

だから、お客様の要求と我社の事情が合う筈がない。しかし、『我社の都合でお客様の要求に応えられません』とは云えないのだ。云えばお客様は離れてゆくからだ。

つまり、我社の都合を主張する自由を会社は持っていないのである。我社の事情がどうであれ、お客様の要求に合わせなければならないのだ。

このことが分らない会社が世の中には多すぎる。製造部門の都合から生産計画をたて、営業部門を泣かせている会社は数多い。それは自らの首を自ら締めているという自殺行為であることを、社長は気がついていないのである。

お客様の要求と喰い違う我社の事情を、どうやってお客様の要求に合わせて変えてゆくかこそ、会社人の考えなければならないことなのだ。

会社の中の、何がどうなっていようと、それらの事情は一切無視してお客様の要求を満たすのが会社の役目なのである。

しかも、たくさんのお客様が、それぞれ自分だけの要求をぶつけてくるのである。これらの要求を満たすためには、混乱するのが当然である。

混乱せずにお客様の要求を満たすことなど、初めからできない相談なのである。混乱は、それがお客様の要求を満たすためである限り、絶対に避けてはいけないのである。

それを、「混乱は悪」という考え方から、混乱を避けようとし、そのためにお客様の要求を無視して知らない間に我社の業績を落している会社は数多いのである。

K社で、試作用の原料を十キログラム程A社に注文したところ、『三百キログラムの梱包を崩すわけにはいかないから』とことわってきた。K社はやむを得ずS社に注文した。

S社はこれに応えた。それが製品化された時に、S社は毎月数百万円の売上げを実現し、A社はこれを逃してしまったのである。これらのことは、明らかに社長が悪いのだ。

お客様のところへ行かないから、こうしたことが分らないのである。業績不振の原因は社長にある、といわれても仕方がないのだ。

お客様の要求を満たす、ということは面倒臭いものであり、能率が悪く、経費がかかるものなのだ。

このことを肝に銘じ、それらのことは一切無視して、ただただお客様の要求に応えることのみを考えて行動しなければならないのである。

これらのことは、やがてはお客様の大きな信頼となって我社に返ってくる。そして、永久に我社の収益を確保できるのである。

個々のサービスの面倒臭さや非能率、社内手続の都合などをたてにとって、お客様サービスを怠るようなことは、絶対にしてはならないのである。会社というものは、お客様の要求がすべてなのである。我社の自由など露ほどもないのだ。

面倒臭く、能率が悪く、経費のかかるサービスを行なわなければならないのが会社というものである。それが、我社が激しい競争に打ち勝って生き残るための、只一つの道であることを、社長は何百回も何千回も社員に強調し、実践の指導をしなければならないのである。

社員とはお客様に対して責任を持たない人種と知れ

第一話

G社は小型スーパーである。小型店として大型店に対抗する有力な手段は、大型店の弱点をつくことである。それは生鮮三品と惣菜である。

G社でもこの四品に力を入れていた。ある年の十二月に、順調な売上げを続けていた惣菜が、突然半分に落ちてしまったのである。

G社長には、原因が分らないので手が打てなかった。ところが、ある日何気なしに倉庫に入ってみたところ、大豆の自絞油があった。そして、サラダ油がなかった。ハッと気がついた社長は、揚物をしているオバさんに聞いてみたところ『サラダ油は値段が高いので、これでは会社は儲からないと思い、安い白絞油にかえました』という返事だった。

会社のことを考えてくれるのは有難いが、その結果を考えてはくれないのが社員なのである。G社長は怒るに怒れなかったのである。そして、惣菜売上げ低下を取り戻して、以前の売上げに恢復させるのに一年半を要したのである。

第二話

0社は料亭である。ある時お客様から鮒の煮付が泥臭いというお叱りを受けた。板前を呼んで聞いてみたら、『安い鮒があったので買ってきたが、炊いてみると泥臭いので、南蛮(唐がらし)やショウガを入れてみましたが泥臭さが抜けません』という返答だった。

泥臭いのを知って、これを消そうと努力したのはよいとして、その効果がないと知りながら、これをお客様に差し上げてしまったのである。努力をしても結果が悪ければダメであることを知らない社員は数多いのである。

第三話

P社はレジスターのメーカーである。ある時、プリンターのスプリングがへたって大クレームが一斉に発生したことがあった。

調べてみると、設計部門で半年前にコストダウンのためにスプリングの材質を変えたのである。 

一応のテストはしたのだが、寿命試験をしていなかったのである。

社長がコストダウンを強く要求する場合には、常にこのような事態が発生する危険が非常に大きいことを知らなければならないのである。

第四話

L社は襖のメーカーである。現物をみせてもらっているうちに、横ブチの切断面にササクレがあった。『ササクレていますね』と云ったところ、工場長が『ええ、これはサカロですから』と答えた。私は『ササクレの理由を聞いているのではない。こんなことをしてはいけない、と云っているのだ』と、その不心得をさとしたのである。

さらに、フチの塗装に砂つぶが塗りこまれていて、ブツブツになっているのを指摘したら、工場長の答えは『ああ、これは砂が塗りこまれているのですよ』という返答である。何をかいわんや、である。

これは明らかに工場長の不心得というよりは、社長の姿勢が間違っているのだ。

自らの商品を、自らの目で確かめることは社長として当然すぎることなのだが、これをやらない社長が多すぎる。

その理由は、「社長がそんなところまでいちいち目をくばることはできない、社長は忙しいのだ」「品質は検査員がチェックするもので、検査員の怠慢である」といったところだが、これは全くの社長の無責任以外の何物でもないのだ。

こんな理由で自らの怠慢をカバーできるのなら、社長なんて気楽な職業である。こんな気楽な商売をしていたら、お客様の支持を失って、やがてはお客様から手痛いシッペ返しをうけることになるのである。

社長が製品検査をやれというのではない。こんな事ができる筈はないし、そのために検査部門に任されているのだ。この検査員は、あくまでも社長の責任において、お客様に対する品質保証業務をやらせているのにしかすぎないのだ。そして、品質をつくりだす責任は製造部門にある。

それぞれの担当者に任せているのだから、それを行なわないのは、それぞれの部門の責任だということは、社内の責任問題のことであって、お客様に対してではないのだ。

不良の言訳はお客様を怒らせるだけである。では、どうしたらよいかについては、この項の最後に述べることとする。

第五話

U社は建売住宅の会社である。住宅産業というのは、クレーム産業とまでいわれるくらいにクレームが多いのである。クレームを誠意をもって解決するとともに、クレームを起さないことが会社の運命を大きく左右するのである。

U社では、クレーム処理はかなりよくやっていた。しかし、それは顕在するクレームだけで、潜在するクレームについてではなかった。私は、この潜在するクレームも正しく処理しなければならないことをU社長に申しあげて、お客様から往復ハガキでアンケートをいただくことにした。

そのために、改めてクレーム課をつくり、アンケートのみならず、すべてのクレーム処理を行なうことになった。

次にお伺いした時に、アンケートの状況を聞いてみた。社長に呼ばれた課長が、返ってきたクレームのハガキをもってきた。かなりの枚数があった。私は受けたクレームの処理を、どのように行なっているかを質問した。

返ってきた答えは、『まだ返事が全部揃いませんので、それからにしようと思って、そのままになっています』というものであった。私は唖然としてしまった。

いったい、この課長は何を考えているのだろうか。恐らくは、アンケートが全部揃ったら、分類整理した後に社長に報告しようとしていたに違いない。

私は『何を考えているのだ。君の役割はクレームのアンケートをとることではなくて、クレームを処理することだ。すぐに電話をしておわびを申しあげ、急いで参上したいからと先方のご都合をお伺いするのだ』と叱りつけてしまった。課長を退室させてから、今度は社長にお説教ということになったのである。

第六話

信州のT温泉のM旅館に泊った時のことである。トイレに入ると、プーンと小便臭い。マネジャーを呼んでクレームをつけると、マネジャーいわく『実は、内輪のことを申しあげて申訳ありませんが、掃除は外部に依頼しておりますので……』と。

私はカンカンになって怒った。『バカヤロー、言訳をいって何になる。言訳すれば臭いトイレでいいのか』と。私は三度とこの旅館には泊らなくなった。これは、マネジャーが悪いのはもちろんであるが、本当の責任は明らかに社長にあるのだ。

そんなことまで社長がやらなければならないのか、という疑間を持つ社長は、明らかに落第である。社長自ら毎日とはいわず(本当は毎日やるのが正しい)せめて一週間に一回でも自ら館内を巡回して、チェックを行なうのが当り前である。

日光の金谷ホテルの社長は、自らすべての客室に泊り、各室のことは全部知っている。私が金谷ホテルに泊った時に、金谷社長は自ら部屋へ案内し、『この部屋は大谷川の瀬音が聞えますが、気にならないでしょうか』という気の使いようである。

金谷社長は、マネジャーに対しても、宿直の時には宿直室に寝ずに、空いている客室に泊るように指示しているという。そして、『自分で一晩泊ってみなければ、絶対に本当のことは分りませんね』と私に語ったのである。

第七話

M社の社長室には、営業事務室の前を通って入る。ある時の訪間に、事務所の前を通った時、たまたま電話のベルが鳴った。

しかし、そばにいた社員が直ちに電話に出ようとしないで記帳をしている。かれこれ十五回くらい鳴った時に、やっと電話に出た。その応対は『係の者がおりませんので分りません』というものだった。

この会社は、最近売上げ低下で社長は頭をかかえていたのである。私は社長を叱らぎるを得なかった。『電話の応対一つできていないではないか。十五回もベルを鳴らしっ放しにしていて、お客様は何と感ずるか。

I社では、電話のベルは三回以上鳴らしてはいけない、もしも三回以上鳴らしてしまった時には、まずおわびを申しあげる、という躾をしている』と。

第八話

Sレストランでポテトサラダがいたんでいて、お客様に食中毒を起させた事件があつた。

それは、前日にサラダが三十人分程余ってしまったので、「勿体ない」と思ってこれを冷蔵庫にしまっておいて、翌日のお客様にこのサラダを出したのである。いたんでいるかどうか確認しなかったことよりも、余り物を捨てずに翌日に廻したこと自体間違っているのだ。

右のような例をあげてゆけば、いくらでもある。これらのことは、どれも社長の知らないところで、知らない間に行なわれている場合が殆どである。これが会社の信用を落し、知らぬ間に業績を低下させているのだ。

これらのことは社員が悪いのではない。明らかに社長の責任である。このようなことになるのは、社員としてというよりは、人間としてむしろ自然なのである。自然の成行きに任せたらこうなるものを、社長の指導によって正してゆかなければならないのである。

では、どのような指導をしたらよいのかを考えてみよう。

これらのことを、未然にすべて防ぐことはできない。だから起ることはいたし方ないとして、大切なことは、これらのことが起ってお客様に迷惑をおかけしたことが分った時にどうするか、である。

正しいクレーム処理を誠意を尽して行なうと同時に、再び起らないような指導をしなければならない。ただ注意をするだけでは正しい指導とはいえない。

正しい指導は、個々のケースについて、どうすべきかを明文化したマニュアルを業務別に作成することである。このマニュアルは、クレームが発生するたびにケースが増えてゆく。

そして、このマニュアルを、繰返し繰返し読んできかせ、読ませ、必要ならば試験をしてこれを成績として評価するのである。これが教育である。教育というものは、正しい考え方や行動を、身につくまで根気よく繰り返すことである。

M社長は私に、『一倉さん、うちの社員は方針書通りの行動をします』と語ってくれたが、これは、M社長が方針書を繰返し繰返し何十回も社員に説明しているからなのだ。

「社員は僕の思う通りに動いてくれない」と思うのは、明らかに社長の誤りである。一回や二回説明して理解してもらうことなど不可能である。この繰返し分るまで説き続け、要求し続けることこそ絶対に必要なのであるということを、社長は心得ていなければならないのである。

方針書は年一回書けばよい。マニュアルは一度つくれば永久に使えるのだ。これを作らない法はないのである。そして、これを徹底させる努力は、やがては大きな収獲を会社にもたらすことになるのである。

製造業では、マニュアルの中に明示しなければならない大切なことがある。それは、「我社の商品の品質を維持するための最も基本的な条件は、設計と原材料の安定である」ということだ。

社員の関心は常にコストを安くすることである。そのために、少しでも安い設計、少しでも安い原材料、より安い外注費を実現するために努力している。

そのこと自体は決して悪いことではない。いな、むしろ喜ばしいことである。ところが、この考え方は、逆に品質を落す行動を不用意にとってしまう危険が伏在するのである。

ある洋菓子のメーカーで、バターが油分れして大きなクレームがついたことがある。調べてみると、仕入係が安いフレッシュバターを売込みに来た取引のない会社のセールスマンから、安いという理由でこれを買い入れたのである。このバターがフレッシュバターではなく、マーガリンを混入したものだったのである。

このようなことが、いつ何時起るか分ったものではないのだ。こういうことを未然に防ぐための方策はどうしたらよいのだろうか。

そのためには、「設計変更、材質の変更、加工法の変更、製造元・外注先仕入先などを変える場合には、必ず社長の事前決裁を要する」という基本方針を明確に打ちだすことである。

もしも変更したい時には、事前に十分な、しかも慎重の上にも慎重なテーブルテストと実地試験を行なった後でなければ、絶対に変えてはいけないのである。

特に、経年変化や寿命というものは、それだけの期間をかけるか、これの代りとして劣化試験、虐待試験などにぬかりがあってはならないのである。

これこそ、社長がお客様に対する責任として、必ず行なわなければならないことなのである。

社長室は質素に

第一話

S社は三十人足らずの小さな問屋である。S社にお伺いして社長室に通された時に、私は唖然としてしまった。大きな部屋の奥に、安く見積っても五〜六十万円はするであろうと思われる大きな社長用のデスクがあり、その前には、サイドテーブル付きの高級肘付椅子がならんでいた。閣議を行なう部屋とそっくりである。私は頭にきてしまった。八千万円の赤字を背負っている会社だからである。

私は、『社長室を立派にして会社が発展するなら、こんなやさしいことはない。こんな立派な社長室をつくるという社長の姿勢自体が赤字の主要な原因の一つだ。

こんな社長室でお手伝いはできない。五億円の経常利益を、あなたが出した時にこの社長室に入ってやる。この社長室は五億円の経常利益をあげている会社の社長室だ。それまでは別の部屋でやる』と叱りつけた。お手伝いは会議室で折畳椅子に腰かけて行なったのである。

第二話

U社は二十人足らずの零細会社である。永年の累積赤字は一億円を突破していた。父親が立派な事業家で、その援助があるからつぶれずにいられるのである。

社長室は五階建てのビルの最上階を全部使っていて、広さは二十坪程もあろうかと思われ、半分が社長室、半分が秘書室であった。秘書は二人いたのである。二十人のうちの二人だ。社長室も秘書室も豪華であったのはいうまでもない。私はこの会社のお手伝いを辞退したのである。どうにも救いようがないと判断したからである。

第Ξ話

I社の社長室は、六階建ての本社ビルの五階の東南に位置していた。累積赤字は二億円であった。

広い社長室は豪華な絨緞がしきつめてあり、奥にバカデカイ社長用机と衆議院議長を座らせてもおかしくないような豪勢な椅子、その前にはドーナツ型の会議用デスクと立派な肘付きの椅子、その傍のサイドボードに高級洋酒、部屋の壁ぎわの飾り棚に立派な置きものがならべてあり、壁には大きな額がかけてある。私は社長と話をしてみたが、私の力ではどうにもならないと思われた。私はお手伝いを辞退した。一年後にI社はつぶれてしまったのである。

第四話

N社の経営計画発表会に招かれた時のことである。社長の方針があまり立派だったので、本社工場をみせてもらいたくなった。日曜日で操業しておりませんというのを、それでもいいからとムリに頼んで見学させてもらった。

正門を入ると、すぐ右手に本社事務室があった。三百五十名の会社なので、当然「本館」とでもいうべきものがあってもおかしくないのに、この事務所は、木造バラックに毛の生えた程度の粗末極まるものだった。広さも二十坪くらいだったと記憶している。事務室の中央部から廊下が奥に伸び、右側が湯沸室とトイレ、左側が社長室であった。

社長室の広さは二間に二間、つまり四坪で古臭い小型の机があり、天板はイカのように波打っている。腰掛は五十年も前にあった、本製で、螺旋で高さを調節するという代物である。社長の机の前には、安物の団地サイズの応接セットがあるだけだ。この肘掛椅子の肘はすれて、塗料がはがれているのである。部屋は冷暖房装置はない。冬は自然冷房、夏は自然暖房という仕掛けである。

案内の課長さんいわく、『先生、社長がこんな机と椅子を使っているので、私達は机が古くなった、腰掛が古くなったから、新しいものに買い替えてくださいということが云えないのですよ』と。

事務室のうしろに研究所があった。この研究所は鉄筋コンクリート四階建てで、冷暖房完備エレベーター付きで、ワンフロアの広さが本社事務室の数倍であった。

こんな立派な研究所に入った社員は、いやでも一所懸命に仕事をしなければならないであろう。N社は素晴らしい成長力と、経常利益率十パーセントにもおよぶ高収益をあげている超優良会社なのである。

第五話

T社は超優良会社である。社長をはじめ役員全員が数年にわたって私の「社長セミナー」に参加して勉強をされた。

T社長は、私のセミナーに参加したお蔭で、『事務室を新築せずに済んだ』と私に語ったことがある。

事務室の机の配列が学校式になっているのはボロ会社の兆候の一つだ、という私の話を聞いた。おりから事務室が狭くなって、社員から事務室を大きくしてもらいたいという要望が出ており、大きな事務室を新築しようとしていたのである。机を向い合せ式にしたら、それで間に合ってしまったというわけである。

たまたま、セミナーでT社の所在地に行った時にT社を訪問した。事務室の話を聞いていたので興味があったからだが、会社にお伺いしてT社長のお話を聞いたところ、社長室を廃止してしまったというのである。

『社長は会社にいないのだから、社長室はいらない』というのである。社長室は営業応接室にしてしまったというのである。しかし、社長室の表示はそのままなので、『お客様は社長室に案内されたと思ってくださいますよ。お蔭様で商売がやり易いと社員から好評です』というのである。

時々出社するときには、社長室と称する応接室に問借りするのだという。「ずいぶん徹底しているな」と感心したのである。

私は、いままでにたくさんの会社の社長室を見てきた。そして、優秀会社の社長室は質素で狭く、ボロ会社の社長室は身分不相応に立派だという、 一般的な傾向があることを知った。これは何を意味するものなのかを考えてみよう。

優秀会社の社長は、社長室など全く問題にしていないのだ。T化成の専務(実質的には社長)室などは、専務用の普通の事務机の外には、四人用のパイプ脚のテーブルと折畳椅子で満杯なのである。社長室なんてものは、事業経営の必要性からみたら、どんなものでも一向に差支えないのだ。社長室からは一文の収益も生み出せないからだ。そんなものに貴重な資金を注ぎ込んで、自分一人だけいい気になるようなことはバカらしいというのが、優秀会社の社長の気持であろう。

優秀会社の社長の関心は、常に我社の優れた業績にあって、立派な社長室などには全く関心を示さないからである。

ボロ会社の社長は、社長室に関心を示す。立派な社長室は営業政策上必要である、という大義名分があるのだが、本音は、立派な社長室に入るとイイ気分だし、偉くなったように思いこむらしい。社長の権威の象徴だとでも思っているのだろうか。この考え方自体が誤りなのである。こんな阿果らしい考え方をしていて、会社の業績を向上させることなどできる筈がない。立派な社長室とは、まさに、「無用の長物」といいたいが、実は「有害な長物」なのだ。貴重な資金を喰うからである。

こんな、「イロハのイ」を知らないから、社屋を新築するときに建築屋に乗ぜられて高い買物をしてしまうのである。こういう社長は、社屋の新築についても、殆ど何の具体的な方針や指示は出さずに、建築屋に設計図を書かせる。

建築屋は、施主である社長に対するゴマスリとして、社長室を大きく立派なものに設計する。それを、殆どの社長がそのまま呑んでしまう。それが、このようなていたらくとなるのである。

社屋建築や工場建設など、そう何回もあるものではない。それでいて、いったん建ってしまうと、その建物が存在する限り、さまざまな利点や制約が続くのだ。だから、新築の時には、将来を考えた基本的な方針をきめ、使用目的に応じたスペース割り(たとえば社長室は何坪というように)を行なうとともに、位置(たとえば社長室は三階というように)を示さなければならない。あとは総建築費の予算である。

この際に、ついで建築(どうせやらなければならないのだから、ついでにやってしまえ)は厳禁である。また、すぐ必要でないものは一期工事、二期工事という要領で優先順位をきめて、必要になるまでは建ててはいけないのである。「将来建築費が高くなるから、今のうちに建ててしまえ」というような考え方は、全くの間違いである。たとえ、何がどうなろうと、不急不要なものは絶対に建ててはいけないのである。

このようにして、建築屋の乗ずるスキを与えてはいけないのである。

建築屋は、決して会社の将来のことは考えてくれないし、建物のことは知っていても、施主の会社の事業のことも、活動の実態も知らないのだ。このようなことを施主に質問して、これにもとづいて設計してくれるような建築屋など、暁天の星のように少ないことを知らなければならないのである。

社長室のことからいささか脱線してしまったが、たくさんの会社の社屋や工場の新築にぶつかるたびに痛感させられることなので、あえてここに述べたのである。

繰り返すが、建物が存在する限り「制約条件」となるものだけに、社長自ら時間の許す限りの検討を加えるべきものなのである。

建築屋に何の方針も示さずに任せるというようなことは、社長の怠慢と云われてもいたしかたがないのである。

「社長の決定や指令は守らなくてよい」という教育をしていないか

B社にお伺いして役員会に出席した時に、B社長が常々「こうしたい」といっていたことに対して、B社長の決定として役員に指令することを勧めたのである。

ところが、B社長は指令をしないのである。私は、『社長、方針を変えたのですか』 一と質問したところ、『変更しない』という返事である。『では、急がなくてよいのですか』と重ねて質問したら、『急ぎたい』というのである。

私にはB社長の考えが分らなくなってしまった。やりたいのなら、指令してやらせればよいからだ。そして、それは私も賛成していたことなのである。

『どうしたのですか』と問いつめたところ、『私が指令しても、やってもらえなければ何にもならない』という返答である。これではどうにもならない。それまで何回かお伺いして、社長の優柔不断に業を煮やしていたのだが、B社長の気持としては、「決定してもやってくれなければ何にもならない」ということで決定を渋っていたのである。

『そんな考えで、なぜ一倉を呼んだのだ』と云いたくなるところだが、だからこそ私の気合が必要なのだと気がついた。

『社長、何ということを云うのか。社長が意思表示をせずに誰がやるのか。あなたは会社の最高責任者であり、最高指導者ではないか。

まず「こうする」という意思表示をすべきだ。これが同時に指令なのだ。役員以下は、社長の意思にもとづき、これを実現するために居るのだ。もしも、この指令をどうしても行なわないのなら、首を切るべきだ。

しかし、首を切る前に社長がやるべきことをやっているかどうかを考えていただきたい。いままで数多くの指令が行なわれないが故に、社長はそう思うのだろうが、指令が行なわれない時に、その指令を重ねて発したかどうか、それでもやらないときに、また「やれ」と云ったかどうか。それを何回くらいやったか考えてみていただきたい。

社長の指令を実行しようとしない役員も管理職もいないのだ。ただ、忙しさのあまり気にかけていながらできずにいる、というのが実際のところなのだ。

だから、やらなければ何回でも、やるまで云い通すことだ。社長の責任を感じていれば、これは至極当り前のことだ。その当り前のことをやらずに、指令してもやってくれなければ何にもならない、というのは、明らかに怠慢だ』ときめつけぎるを得なかったのである。

T社は建築会社である。T社長いわく、『安全帽をかぶれという指令を、二年間現場を巡回して云い通して、やっと九十九パーセントかぶるようになりました』と。

私も、自分の実務の経験の中で学んだことは、同じことは何十ぺんでも、やるまで云い通すことだ、ということである。F社で資材課長をやっていた時などは、納品の現物と伝票がバラバラになっていたので、現物と伝票は必ず同時に動かせ、という指令を励行させるのに、毎日のように云い続けて半年かかった。その間、うるさい課長だ、という陰口を云われ通したのである。

指令を徹底させるためには、人の上に立つものはこれだけの努力をしなければならないのである。やるまで云い通すこと以外にないことを知らなければならないのである。

「いくら云ってもやらない」といって根負けしてしまい、云わなくなったらどういうことになるだろうか。それは、結果において、「社長の云うことは、きかなくともよい」という教育をしていることになるのだ。

これを「社長の云うことをきいてくれない」と取るのは全くの誤りである。きいてくれないのではなく、「社長の云うことはきかなくともよい」という教育をしているが故に、社員はその通りにしているのだ。

つまり、社員は社長の云うことをきいているのである。文字通り百パーセント社長の意図通りになっているのである。

「中途半端なことしかしてくれない」と思うのは、やり通すことをあくまで要求しない限り、それは「中途半端でよい」と云っていることなのである。そして、社員はその通りしているのだ。

だから、いったん打ちだしたことは、できるまで云い通すことであって、それをしない限り、永久に会社はよくならないのである。

もしも、いったん打ちだしたことでも、これを変更するとか、状況が変ってもうそれをやらなくともよい時には、正式に変更または打切りを宣言しなければならないのである。

ところで、以上のことを実行しなければならないというのは、社長の態度をいっているのであって、現実にこれを実行するためには、大きな問題が横たわっているのだ。

社長は忙しい。さまざまな指令が次々に出されてゆく。それと同時に社長は次々に新しい仕事をこなしてゆかなければならない。

そのために、いったん出した指令を忘れてしまうことが多く、チェックをしない指令が数多くそのまま残り、不実施のまま過ぎてゆく。こうなると、またまた「社長の指令は実施しなくともよい」と教育しているのと同じになってしまうのである。

こうして社長の指令が実施されずに過ぎてゆき、これが、いかにさまざまなデメリットを会社に与えているかは、想像を遥かに超えるものがあるのだ。もしも、これらのことが的確に実施されていたなら、会社の業績は大きく違ってくることは間遅いない。

この問題をどう解決したらよいのだろうか。本書にとっても、この解答は大きな狙いの一つになっているのである。

この解答は後述する「社長は秘書を持て」「指令は必ず文書で」「計画書のチェック」などの項をはじめ、折りにふれてその都度、いろいろなケースについて説明を試みている。

それらの方法は、私自身が実務の中で経験したことであり、それなるが故に面倒なものではなく、あくまでも実務的で簡単なものである。そして、それらの方法は意外なほど効果的であることを、私自身が感じていることを申し添えておく。

方針・指令・規則違反は人前で叱れ

『先生、うちの管理職で、私の指令を何やかやとお茶を濁して的確に実施しようとしない人間がいるのですが、どういう叱り方をしたらいいのでしょうか』というM社長の質問である。

『今まで、どんな叱りかたをしていたのですか』と聞いてみると、『人前で叱ってはいけないということを聞いているので、そうしていますがどうも私の気持がスッキリしないので』というのである。

世の中に広く行なわれている管理者訓練では、「部下を人前で叱ってはいけない」と教えている。

そして、その例にでてくるのが、清水の次郎長である。「次郎長は、子分を絶対に人前で叱らなかった。そのために、次郎長は子分をよく統率し、子分から慕われた」というようなことである。

「クソもミソもいっしょ」とは、このことである。ヤクザという組織には、「鉄の掟」があるのだ。その掟を破った時には情容赦ない制裁が加えられるのである。この制裁がヤクザの組織を維持しているのだ。

組織というものは、それがどんなものであれ、組織の機能を発揮し、運営を行なうための「きまり」がある。つまり「ルール」が必要なのだ。

「憲法」「法律」「条例」などは国家社会に対するものであり、政党には「党則」があり、軍隊には「軍律」がある。学校には「校則」、会社には「社則」や「就業規則」「賃金規定」などがあり、さまざまな団体には必ず「会則」があり、ヤクザには「掟」があるのだ。

これらが守られなかった場合には、「罰則」があるのだ。この罰則がなければ組織は崩壊してしまうのはいうまでもない。

だから、これらの「ルール」は必ず守られなければならず、組織人はこのルールを守る義務と責任があるのだ。

会社という組織は、「経済活動」という他の組織には見られない独得の活動を行なっている。それが自由経済の中で行なわれる場合には、「競争原理」という冷厳な原理によって、グズグズしていればつぶれてしまうのだ。

生き残るためには、単なる社則や規定だけでなく、会社の方向づけをする「方針」や、活動の基準であるク計画ク、状況の変化に対応するための機動力と弾力性をもった、さまざまな「施策」や「指令」が次々と打ちだされてゆくのだ。それらのものが、もしも不実施に終れば会社はつぶれてしまうのは、火を見るよりも明らかである。

だからこそ、それらのものは必ず実施されなければならない。たとえ、実施の責任者が「この施策は間違っている」と判断しても、それを理由に不実施ということは絶対に許されることではないのである。

実施責任者が、指令は間違っていると判断した場合には、意見具申は差支えないし、やるべきである。しかし、その意見が通らなかった場合でも、実施しなければならないのである。どうしても実施がイヤならば、その役職を解いてもらうか、会社をやめるしかないのだ。

実施責任者が、間違っていると判断した施策や指令を実施しなければならないのは、単に組織上の問題だけではなく、もう一つ大切な理由がある。それは、次のようなことである。

かりに、その施策が誤っていたとしよう。その場合に、施策を忠実に実行したならば、当然のこととしてその結果も誤ったものになってしまうのである。こうなれば、「その施策は間違っていた」ということが確認される。そこで、この誤りが正されるからである。

施策を忠実に実行しない場合には、その結果もアイマイなものとなり、施策の誤りが発見できなくなるという危険が生ずるのである。だから、その施策が正しかろうと誤っていようと、忠実に実行することこそ大切なのである。

社長たるものは、右の理をよくわきまえているだけでなく、常にその理を重役にも社員にも繰返し説き聞かせなければならない。

そして、重役であろうと社員であろうと、もしもこれを守らない人間がいた場合には、必ず人前で叱らなければならないのである。これは、社長が「いったん打ちだしたことは必ず守らせる」という自らの決意を衆人に知らせるためである。こうすれば、人々は「社長の指令を実行しなければ叱られる」と自らに云いきかせるからである。

もしも、指令を守らない不心得者を、他人に分らないところへ呼んで叱った場合には、本人のク面子クは守られるけれども、会社にとっては大きな誤りをおかしたことになるのだ。

それはどういうわけかというと、その人が社長の指令とか規定とかを守らないことは、衆人が知っているのだ。それを衆人の知らないところで叱ったのでは、人々は何と感ずるだろうか。「社長は、自ら出した指令を守らない人がいても何にも云わない」と感ずるのである。これでは「示し」がつかないのである。

こんなことが永い期間にわたって続けられたならば、人々は本気で指令や規則を守ろうとしなくなり、会社の運営自体ができなくなってしまうのである。その行きつく先は倒産にならなければ幸いである。

叱られる人の面子など考えていたら大変なことになるのだ。だから、「社長の指令を守らなければ人前で叱るぞ」と平素からハッキリと云っておくべきである。人前で叱ってはいけないのは、「個人的なこと」なのである。

世に説かれている人間関係論は、このことが全く分らず「人前で叱るな」といって個人が事業経営に優先してしまうという、とんでもない誤りをおかしているのである。

事業経営を知らない人間関係論など、会社の中に導入してはならないのである。真の人間関係は、正しい経営を行なえば自然にでき上がり、正しい事業経営とは「ワンマン経営」に徹することである。

社員の責任は社長の責任である

B社長の話である。

『前社長が着任(大企業の系列会社なので大企業からの天下り)間もなくのことでした。当時、私は専務職でした。ある得意先が「不渡」を出しました。

その得意先は前々社長のときに取引してはいけないという指令が出ていましたが、担当営業員が売上げ欲しさに納品を続けていたのです。着任間近の前社長はまだそのことを知らず、責任もないのですが、前社長は何がどうであろうと、これは社長の責任だ、だから損害の半分は社長が会社に弁償する。

残りの半分は専務、残った分は営業部長と担当者に折半で弁償させる、という裁定を下されました。その裁定に対して私は全くうらみがましい気は起りませんでした』と。

この前社長の態度こそ、社長としての正しい態度である。どんな理由があろうとも、会社の中で起ったことはすべて社長の責任である、というのが社長としての正しい姿勢なのである。

「そんなところまで社長の目が届くはずがない」「すでに何回も注意しているではないか」「指令は出してあるのに、管理職は何をしていたのだ」というような理由づけはいくらでもできる。

そして、それらの理由の下には「だから社長の責任ではない」という言葉が省略されているのだ。客観的にみた場合に、右の社長の云い分には、ある意味での正しさがあるといえよう。

しかし、理論的に正しいからそれでよいというものではないのが、社長の姿勢なのである。

人の上に立つものは、「部下が何をしようとそれはすべて自分の責任である」という態度がなければ、本当の意味で人を使うことはできないのである。部下の信頼を得ることができないからである。

社員というものは、社長を信頼することができない場合には働く意欲を失い、社長がいくら気合をかけても決してこれに応えようとはしないのである。

反対に、社員がいったん社長を信頼すると、社長はもう社員に対して何も云うことはなくなってしまう。このことの実証は、経営計画書を作った社長が、これを社員に示し、自ら先頭に立って奮闘を始めた場合に数多く見られる。

それらの社長の社員に対する気持は、「社員というものは、どうしてこんなによく働いてくれるものだろうか」「うちの社員はあまり一所懸命になって働きすぎるので困る。連日の残業に、体でもこわしては困ると思って無理に帰らせると、帳簿や伝票類を持って帰る。処置なしだ」「うちの社員は、社長の僕が考えなければならないことを考えてくれる」というようなことばかりである。

だからこそ、私は社長が社員の批判をするとカンカンになって怒りだしてしまい、自分で困ってしまうようなことになるのである。

「社員は悪くない、悪いのは社長だ」と、きめつけることになるのである。社員に働いてもらいたかったら、社員から信頼されることが唯一の条件であるのを知らなければならない。

私の口ぐせである「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である」ということの意味を知って欲しいのである。

社長の仕事を社員にやらせるな

第一話

G社はスーパーで、私がお伺いした時は三店舗まで発展してきていた。社長の構想は、「次々に店舗展開をしていく」というものであった。

店舗展開の方針を聞いてみると、何も持っていない。ただ、店舗用地を探すために、課長を一人専任させているということである。そして、自らは何もやってもいないし、動いてもいない。

では、『どんな方針を課長に示しているのか』とたずねてみても、何も答えられない。全くの無方針で、課長が探してくる用地を待っていたのである。

私は、『社長はいったい何をしているのだ。店舗展開をしていくのなら、新店舗の立地条件こそ決定的に重要である。これが、個々の店舗については決定的要因にさえなる。

ひいては会社の業績に大影響があるのだ。それを、何の方針も持たず、課長に探させるとは何事か。これでは、課長は自らの判断で行動するより外にない。

これでは課長の個人的な見解と能力の範囲内に用地候補が限定されてしまう。云いかえると、会社の将来の大きな部分を、その課長に握らせていることになる。こんなバカなことがあるか。

事業の将来について、決定的要因になることは社長自身がやらなければならないのだ。

課長に探させるのは必要とあればやらせてもよいが、この場合には社長の方針を明確に示してやらせるべきだ。これは自らが動いただけでは、どうしても情報収集が十分でないとか、社長自らやる必要のない活動についてとかのことでなければならない。主体はあくまでも社長でなければならないのだ』と申しあげたのである。

第二話

T社で初めての経営計画発表会は、お客様としてメーンバンクの支店長はじめ、数人が招かれた。

発表会は成功のうちに終り、その会場ですでに管理職の目の色が変った。革新の第一歩が始まったのであった。

翌日、T社長はメーンバンクに支店長を訪ね、昨日のお礼を申しあげた。その時に、支店長は『あんなに感激したことはありません。

本当によい勉強をさせていただきました。それにひきかえて、私どもの銀行には経営計画書がありません。先程行員を集めて、あなたの会社の経営計画のことを話して、「T社のような小企業でさえも、あんな立派な経営計画書があるのに、お前たちは何をしているのだ」と、ハッパをかけたところです』と語ったということである。

この支店長は、いったい何を考えているのか。経営計画は部下がつくるものだと思いこんでいるのである。

しかし、支店長が誤るのもムリはない。誤りの原因はその銀行が経営計画書など持たず、行員を叱咤しているという経営を行なっているところにある。

こういう会社は、経営者が何の抱負も使命感も持たず、何か他行よりも遅れをとったりした場合には、常にそれは社員の怠慢であるという態度を、伝統として持っているのだ。

それなるが故に、支店長もそう思いこんでいたのである。これは、この銀行だけではない。社長が自ら経営計画書をつくろうとせずに、社員につくらせている会社は多い。

N社長は、長期経営計画の作成を専務に命じ、専務はこれを部長に指令し、部長は各課長に、自らの自由意思にもとづく長期計画をたてさせた。

事業経営など何も知らない課長が、それぞれの考えによってたてた計画を部長がとりまとめ、これを専務がとりまとめて役員会にかけて、ここで承認されたものが経営計画だと信じていた。話にもなにもならないのである。

Y社長は秘書に経営計画の原案をつくらせて、これを少しばかり手直しして、これが経営計画だと思っていた。

K社にお伺いした時には、「経営計画作成システム表」なるものをK社長から示されて、批判してくれといわれたことがある。むろん下からの積上げ方式だった。このような例は枚挙にいとまがない。いったい社長は何を考えているのだろうか。

企業の将来の運命をきめる経営計画を、部下にたてさせることは、自らの責任の完全放棄であることに気がつかないでいるのだ。何たる大怠慢であろうか。救われないのは、その大怠慢であることを知らないことである。

これは、すべて社長の責任であることはいうまでもないが、「民主経営」「社員の自由意思」「権限の委譲」なる間違った理論をふりまわしている似て非なる経営学者の罪悪の大きさを、まざまざと見せつけられるのである。

第二話

S社は食品メーカーである。私は社長に勧めて、カタログに得意先である間屋の社名を印刷したもの(S社の社名はどこにものせない)を、その問屋に提供した。

問屋では大喜びであった。問屋にとっては我社こそ一番大切であり、その大切な会社の名前を印刷してあるからだ。販売促進に役立ったことはいうまでもない。

これを知った問屋の社長は、『うちの社員は何をしているのだ。これは当然我社でやるべきことなのに、メーカーに先を越されるとは何事か』と社員を叱りつけたのである。

問屋といえども、我社の取扱い商品のカタログを自ら作成するのは当り前なのに、そしてそれは社長自らの意思による指示でつくらせるのが正しいのに、自らの怠慢を棚に上げて社員を叱りつけているのである。

こういう社長は、自らの意思による決定は、大ざっばな取扱い商品をきめるだけで、あとは全部社員がやるものだと思いこんでいるのである。

だから、社員から何か決裁を求めない限り、自らは何も打ちださない。これを「任せる」という大義名分によって美化している。

たまたま他社で何か優れた施策をとったことを知ると、それは社員の怠慢だとしてこれを責める。常に社員を責め、社員を批判し、いい社員がいない不運をかこつ。

悪いのは常に社員で、社長は悪くないのだ。これでは、社員の信頼など得られない。「よくて当り前」では、やり甲斐などないのである。

第四話

U社は本社工場が福岡県にあり、製鉄用副資材のメーカーであった。主力得意先のS製鉄が千葉県に新工場をたてたのに伴い、千葉県に分工場をたてた。

この分工場は、本社工場がさまざまな機械を配列した旧式な生産方式から脱皮し、思いきってプラント方式をとったのである。

ところが、新しいものには「初期故障」がつきもので、操業開始して半年もたつのに、いまだにトラブル続出で、いつ生産が軌道に乗るか分らず、U社長の頭痛の種であった。

私がお手伝いに伺ったのは、そのような時期だった。U社長は私に、『何とか分工場を早く軌道にのせるよう指導してほしい』というのである。

私はU社長に、『社長は時々分工場に行きますか』と質問したところ、操業開始時に一回しか行っていないという。「この阿果社長」と心で思ったが、とにかく実情をみてから社長に意見しようと思って、分工場を見に行った。

工場長の案内でプラントを見せてもらった私は、もともと技術屋だけに大略の見当がついたが、これは大変なことだと思った。

それは、個々の部分に多くの機械的欠陥があるだけでなく、プラント全体としての根本的な欠陥があったのだ。粉砕能力よリバケットコンベア能力が少なく、シュートの傾斜がゆるいために品物の流下がうまくいかない、というようなありさまであった。

続出する故障にも、プラントメーカーは申訳的な修理を、しかもなかなかやってはくれなかった。これでは、停年間際のロートルエ場長の手に負える代物ではないのだ。

このような事態に至った根本原因は、プラントメーカーの選定を誤ったところにある。超一流の大メーカーに発注したからだ。何百億円というような大きな物件を扱っている大メーカーに、二億円や二億円のプラントなど発注するからこういうことになるのである。

大メーカーが、こんな半端仕事に優秀な技術者を割く筈がない。学校を出たばかりの何も知らない新人に任せるにきまっていることぐらい分らないのだろうか。

「大企業だから大丈夫だ」という世間知らずが、こうした事態を招いてしまったのである。機械的に全く幼稚な設計が新人によるものだという証拠である。

本社へお伺いしてU社長の怠慢を叱らないわけにはいかなかった。『社長はいったい何を考えているのか。分工場の建設は、会社にとって重大なことだ。こういうことこそ、社長が分工場に泊りこんで自ら陣頭指揮をするのが当り前ではないか。

しかも、会社にとって画期的なプラントだというのだ。こうした未知のものは、どんなことが起るか分ったものではない。現に工場長ではどうにもならない難問をかかえているではないか。

工場長からどんな報告を受けているか知らないが、半年もたって未だに軌道に乗らないことだけで、事態の察しはつく筈である。それを、工場長にまかせっ放し― 実は全くの放任では、社長の責任も何もあったものではなお客様のことなど全く考えない大企業に交渉して欠陥を直させることなど、工場長にできる筈がないのに、社長が知らぬ顔の半兵衛とは何事なのか。

そんなこととは知らなかったと云いたいだろうが、「知らなかったから分工場の生産がいつまでも軌道に乗らなかった」で済む問題ではない。経済的成果をあげなければならない社長として全くの怠慢である。だいたい、本社工場は二十年以上にもなり、生産は設備こそ古いが、軌道にのっており、それなりの安定した成績をあげているのだ。

何も社長がいなくとも済む。それに反して分工場こそ社長を必要としているのだ。社長がいなくてもよい本社工場にいて、社長を必要とする分工場にいかないとは、いったいどうしたことなのだ。社長の座にあぐらをかいて、やるべきことをやらないといわれても仕方がないではないか』と。

会社の中に社長を叱る人はいない。そのために社長は自らを律しないと、いままであげた例のようなことになっていく。しかも、これらの社長に劣らぬ怠慢社長は数多いのだ。

営業員の情報だけを頼りに新商品を開発しようとしているI社長、社員の批判ばかりして自らは社長室を出たことのないC社長、開発部門に何の方針も与えずに、開発が進まないとボヤイているK社長、T社長、F社長と、並べたてればいくらでもある。

誰も叱るものがいないからといって、何をしても構わないのではない。こうした怠慢は、やがてはお客様に見放され、競合他社には追い抜かれ、赤字転落から倒産への道を辿ることになる、という、この上ない手痛い罰を受けなければならなくなるのである。

問題解決型社長から脱出せよ

「忙しくて、どうにもならない」「どうして、こんなに雑用が多いのだろう」「問題の解決に追いまくられて何もできない。 一つ問題を解決すると、もう次の問題が待っている」こういうのを「問題解決型社長」という。

納期遅れに振り廻され、生産の遅延対策に頭を突っこみ、不良品の発生原因をさぐり、そのくせ対策はなし、売上げ不振にハッパをかけ、益率低下に悩み、在庫増大にトンチンカンな指令を出し、そして資金繰りに追われる。

管理職からは下らない相談をかけられるだけでなく、いつも人員不足と人材不足の言訳を聞かされて管理職の悩みの肩替りをさせられている。

その合間に電話の応対と来客の相手をつとめさせられる。ワンサとくる書類に目を通すひまもない。その書類の整理など思いも及ばず、後になって必要なときに、すぐに取り出せない。名刺の整理などとてもできない。そして「会議」また「会議」で大きく時間を喰われる。終日の悪戦苦闘で、気がついてみたら日が暮れていた、というような毎日である。

これではお客様のところへ行くなど思いも及ばず、クレーム処理は社員まかせで、おわびの電話さえかけられない。メーンバンクには何力月も顔を出さず、すべては経理担当者まかせ、そこでハンコは経理にあずけっ放し、これがいつ、会社がひっくりかえるような事態をひき起すかも知れない危険にも無関心とあっては、肌に粟が生ずる気持である。

そのくせ、「うちの役員は経営者としての自覚が足りない」とか、「うちの部課長は一人として満足に仕事ができるやつはいない」というような部下の批判や不満は人一倍持っている。部下をいくら批判しても、事態を変えることは不可能なのだ。そして、部下を批判することは社長として全く間違った態度である。

こうなってしまったら、会社はもう「指導者なき集団」と化してしまい、業績の向上どころか、生き残ることさえできなくなってしまうのである。

では、どうしたら社長が日常の問題から解放されて、本当の意味での事業経営のための時間を生みだせるのだろうか。そのためには、次の二つのことを行なう必要がある。

まず第一は、「経営計画書」を作成することである。この計画書の中に、方針書として社長の姿勢と事業経営の方向づけを明確にすることである。これが指導理念として繰返し繰返し社員に強調されなければならない。

M社の専務(実質的には社長) いわく、『先生、うちの社員は僕の方針どおり動いてくれるようになりました。お蔭様で業績は順調です。方針書というのは素晴らしいものですね』と。

方針書は、経営計画書の魂となるものであることは社長学シリーズ第二巻「経営計画・資金運用」篇で述べたとおりである。

M社の方針書は、レポート用紙で六冊にも及び、これを三冊に縮めたものである。およそ三万字である。これだけでも、いかに大変な努力であるかがお分りいただけると思う。方針書の徹底法は次のとおりである。

M社はスーパーであり、スーパーの泣きどころは午前中にお客様が非常に少ない、ということである。この泣きどころを逆に利用して、この方針書を徹底させる時間としたのである。M専務は、毎日一店舗ずつこの時間を使って自ら方針書の説明を行なったのである。

これまた大変な努力である。M社の社員は同じことを何十回も繰返し繰返し聞かされているのである。だからこそ、M社の社員は専務の方針どおり働くのである。

『うちの社員は、僕の思うように動いてくれない』とボヤク前に、このM専務だけの努力をしているかどうかを反省してもらいたいのである。

社長の思うように動かない社員が悪いのではなくて、方針を社員が理解し実行するまで何十回でも繰り返すことなのである。

K社にお伺いした時に、社長のボヤキというのは、二人の常務に対するものであった。私はK社長に申しあげた。『それは両常務が悪いのではない。あなた自身の考えを、方針書に明文化していないではないか。両常務のことを批判する前に、社長がやるべきことをやることだ』と。

私の勧告により、経営計画書がつくられ、その中に明示された方針の徹底が行なわれた。

数力月後に社長いわく、『先生、私は失業してしまいました。両常務が実によくやってくれますので』と。私は『失業中の社長が何をやっているか当ててみましょうか。会社の将来のことを考えていますね』と。K社長の返答は、『その通りです。こんなに嬉しいことはありません』というものであった。

第二には、個々の活動や問題解決に、頭を突っこまないことである。これをやるから他のことが見えもしなければ、できもしないということになってしまう。社長が一つことに頭を突っこんだら終りである。それは社員のやることだ。

社員は個々の活動を方針にそってやればそれでよいが、社長の仕事は事業の経営なのだ。それを誤りなくやるためのまず第一の条件は、常に市場を眺め、我社全体を市場の要求に応える方向にもってゆくことである。社長が個々のことに頭を突っこまないようにするためには、次のことを実行すれ

その一は、プロジェクト計画書の作成である。方針書に盛られた一つ一つの施策に対して必ずプロジェクト計画書をつくらなければならない。もしも、プロジェクト計画書をつくらなくともよいような施策があるとしたならば、それは方針書にのせるのに値しない次元の低いものである。

プロジェクト計画書は必ずチェックしなければならない。これを怠ると施策が行なわれなくなる危険がある。この危険を回避するチェックを、どうやって行なったらいいかについては、次の節の「社長は秘書をもて」のところで説明することとする。

なにしろ、社長は一週間に一回しか会社にいる時がない人種だから、下手をするとチェックができなくなるおそれがあるからだ。

その二は、「基準」をつくることである。この基準は、活動のよりどころとなる基準と、活動のやり方の基準である。

活動のよりどころになる基準として最も大切なのは、「価格基準」と「在庫基準」と「品質基準」である。

これらの基準は、これが無いための混乱のみでなく、基準自体が実情に合わなかったり、ズサンなものであるための混乱が意外に大きいことを知らなくてはならない。この混乱に社長が巻きこまれて大切な「持時間」を喰われるのである。

活動のやり方の基準は、どこの会社でも殆どできていない。これが会社の中で日常業務についての果しない混乱をひき起していることを、多くの社長は気がついていないのである。

これについては、後に詳しく触れることとする。右のことを実行すると、トラブルの殆どは発生しなくなる。

これは、私が実務の経験を通じて痛感させられたことである。私は、たくさんの会社を渡り歩いた不良社員であったが、どこの会社でも、いつも一番混乱している部門に廻された。その混乱を治めた方法は、いつの場合にも、「基準」をつくることだったのである。だからこそ、私は確信をもって云いきれるのである。

とはいえ、問題の発生が全くなくなるわけではない。基準を守らないために発生する問題は守らせるようにすればよいし、基準の不備から発生するトラブルは基準自体を手直しすればそれで済む。

済まないのは、基準で律しきれない問題である。これを「例外」という。この例外だけを社長が解決してやるのだ。これを「例外管理」という。社長は(管理職でもそうであるが)この例外管理をやっていればよいのである。

こうすることによって、社長は日常の問題から解放され、本当の意味での社長の仕事に大切な時間を使うことができるようになるのである。

この典型を、私はS社のS社長に見る。もうずっと前のことであるが、S社にお伺いして、午後一時から五時近くまで、S社長のお話を伺った時に、その間たった一回だけ工場長から電話があり、それも一分以内のごく短時間であった。

それ以外には、指示を受けに来る社員も、 ハンコをもらいにくる社員も一人もいなかったのである。それは、その日だけでなく、いつもそうだということである。S社長は、『今年のことは、社長としてやるべきことはもう済んでおり、社員は経営計画にもとづいて仕事をしておりますから』と云うのである。

S社長は、自らを「ワンマン経営者」だと私に語った。何と見事なワンマン経営ではないか。会社の将来のことに専念し、今年のことは完全に任せているというワンマン経営者なのである。

M社のT社長は、ウイークデーのゴルフを、つき合いとあれば月何回でも平気で行なう。本社にお伺いすると、屋上に案内されてT社長自慢の盆栽をみせていただける。余裕しゃくしゃくである。そのくせ、私が舌を捲くような見事な経営を行ない、信じられないような高収益を安定的にあげ、社員の信頼は絶大なものである。

T社長いわく、『ソニーの井深社長は不思議な人ですね。あれだけの大企業で寸暇もないと思われるのに、私が面会を申し入れると、即座にオーケーです。忙しいから後にしてくれといわれたことは一度もありません』と。

超優良会社の社長というものは、表面はひまのように見えるものらしいcここのところである。社長が続出する問題処理に頭を突っこみ、これに振り廻されていては、事業の経営などできるものではない。そこにあるのは実質的な社長不在だからである。

社長は表面的には極めてひまで、余裕に見えるようでなければならない。これは、社長が日常の問題に振り廻されず、我社の将来と取り組んでいる姿がそこにあるからだ。事業の経営というものは、土壇場になってからでは手の打ちようがないことを肝に銘じていなければならない。

我社の強味と弱味を明確につかみ、どのようにして強味を伸ばし、弱味をカバーしてゆくかこそ、社長の仕事の最も大切なことなのだ。そして、そのどちらも一朝一夕でできるものではない。

この難しい命題と取り組むためには、社長は客観情勢の変化とその方向を見定めて、我社の進路をきめなくてはならないのだ。そのためには、社長には十分な時間が必要なのだ。この時間は、日常業務や問題解決から自らを解放しなければならないのである。

この解放ができるかできないかは、会社の繁栄を実現させることができるかできないかに通じることを知ってもらいたいのである。そして、その方法を、本書に紹介した優れた社長の行動から学んでもらいたいのである。

社長が外に出ると管理職が育つ

社長が問題解決型の仕事から脱出して外に出ると、本当の意味での社長の仕事ができるだけでなく、思わぬ副産物が生れるのである。

それは、管理職が育ってくるということである。社長が会社の中にいると、いろいろな問題が社長の耳に入ったり、管理職が相談や指示を受けにくる。これらのことに一つ一つ答えてやったり指示を出していたのでは、いつまでたっても管理職は育たない。自分の頭で考えなくてもよいからだ。

それどころか、うかつに自分の考えで事を運んで、もしもこれがうまくいかなかった時には、社長から『なぜ社長に相談しなかったのか』と叱られるにきまっている。

だから、何事も社長に相談するということになる。いや、「何事も自分で考え処置してはいけない」という教育をしていることになるのだ。

これでは管理職が育つ筈がないではないか。こういう社長に限って、『うちの管理職はいつまでたっても育たない。何もかも僕のところに相談にくる。

いつまでも、おんぶにだっこでは社長はたまったものではない』とボヤクのである。そしてこれを、『社長は外に出よというが、管理職が育ってこうしたことがなくならないうちは外に出られない。まずそれからやらなくては……』と、私の勧告が実行できない理由としてあげ、『もう少し待ってください』と、トンチンカンな言訳をする。社長が外に出ないのは、私にあやまるのではなくて、お客様にあやまらなければならないことなのだ。我社のサービスが悪く、お客様にどこでどんなご迷惑をおかけしているか分らないのに、社長がそれを見つけだして直そうとしないということに通じるからである。

社長が社内にいると、管理職が育たないもう一つの理由がある。

会社の中の仕事というものは、九十五パーセントまでは(ここでも九十五パーセントの原理が生きている)単なる日常の繰返し仕事にすぎない。そんなことさえ社長がいちいち指図しなければできないとは、いままでいったい何をやっていたのだと云いたい。理由はどうであれ、結果においては怠慢である。

この怠慢は、社長自身が管理職を信頼せずに、何もかも指図するところにあるのだ。人間は信頼されてこそ、自らの責任としてこの信頼に応えようと努力するものなのだ。

何もかも社長の指図を受けなくてはならないような、名前だけの管理職にされていて、誰が一所懸命に管理職の責任を果そうとするか。

だいたいにおいて、社長の管理職に対する要望や期待が高すぎる。そして、怠慢社長程この傾向が強い。社長自身の持っている物差しが大きすぎるのだ。この物差しで計るのだから、合格点をとれる管理職など滅多にいるものではない。そこで、「うちの管理職はダメだ、だから仕方なく社長がやらなければならない」と思いこんでいるのだ。

こうして問題解決社長にのめりこんでいくわけだが、その社長が管理職と比較して決して立派にやっているとはいえないのだ。

それどころか、実務のことを細かく知っている社長など数少ない。私が第二者として見る場合に、管理職より優れているとはいえない。それどころか、仕事の実態を知らないが故の、クトンチンカンな指令クが非常に多いのである。この、トンチンカンな指令は、社長の指令なるが故に、管理職としては強い反対もできず、「社長がいうのだから……」ということでそのまま通ってしまう、管理職の誤った指令よりも始末が悪いのである。(この点については、本書で折りにふれて取り上げるつもりである)。社長がいかに問題を解決しようと奮闘してみても、問題は一向に減らないのだ。減るわけがないのである。

問題というものは、後から後から起るだけではない。問題というものは、いったん解決したからといって再び起らないのではなくて、同じ問題が後から後から起るものなのである。まさにク賽の河原の石積み″なのである。

大切なことは、問題を解決することではなくて、問題が起らないようにすることである。そして、どこの社長も、問題を未然に防ぐ方法を知らない。それどころではない、マネジメントの理論がこれ程氾濫しながら、このことには殆どふれていないだけでなく、マネジメントの理論そのものが問題を起すような主張なのである。

では、どうしたらよいかということになるが、本書の狙いの最も重要な一つがここにあるのだ。それについては順を追って述べてゆくとして、話を本題に戻そう。とにかく、社長は管理職に対する要望の物差しを小さくして、もっと管理職を信頼すべきである。信頼されてこそ管理職もやる気を起すのである。

信頼するということは、「任せて何も云わない」ことではなくて、管理職を信頼した上で「社長方針の理解と実践」を要求し、これができない場合には、できるまで要求し続けることであって、「自ら乗りだしてやってしまう」ことではないのである。

社長が自ら乗りだしてやってしまう限り、管理職は育たないのである。社長がいくら社内にいて頑張ってみても、問題は永久に解決しないし、管理職も育たないのだから、社長は社内にいなくとも同じなのだと思って外に出るべきである。

ところが、これが同じではないのだ。社長が外に出ると管理職が育ち、管理職が問題の大部分を解決してくれるようになってゆくのである。その理由は二つある。その一つは、社長がいないために自分で考えて解決しなくてはならないからだ。人は、自分の頭で考えない限り成長はあり得ないことを知らなければならない。

社長が会社にいる時は、自分の頭で考えなくともよい。何か問題があれば社長に相談すればいいから気が楽である。そこに気のゆるみが生れるのである。

私自身がこれを思い知らされたことがある。私は旧陸軍の中尉で、自動車隊の小隊長として、三年間支那(当時の呼び方)大陸で過した。駐屯地で中隊長の下にいる時は気楽である。夜中に敵襲があっても守備の責任は守備隊にあって自動車隊にはない。そのうえ中隊長が自分の上にいる。敵襲など知らずに自河夜船ということが何回もあった。

その同じ私が、独立小隊長として中隊長の許を離れている時には、どんなに疲れていても、夜中に遠くでかすかに「ポーン」と銃声がすると、「パッ」と目が覚めるのである。私はこの時初めて最高責任者としての立場が分ったような気がしたのである。

しかも、その責任者としての意識は中隊長の許にいる時と変っているとは、自分で全く感じてはいなかったのである。つまり、同じ人間でも、立場が違うと責任感が全く違ってしまうということである。

会社とて同じである。社長が会社にいる時は、管理職は気が楽である。社長から時々叱られることさえ我慢すればそれで済む。

社長がいないとそうはいかない。それぞれの管理職は責任が格段に重くなる。「社長の留守に問題や事故を起してはならない」と自然に感ずるようになる。これはク立場クがそうさせるのだ。

それは、部分的ではあるにしろ、社長の立場に立って行動している、ということである。

これこそ、社長が常に管理職に期待していることだ。社長が外に出ることによって、社長の期待が自然に実現するのである。社長が社内にいてはどうしても実現することができないことが、である。もう一つは、管理職のクかなえの軽重クが問われるからである。

社長が社内にいなくなったために、問題が多くなったり、それを解決できなかったりしたら、「なんだ、社長が上に居たからできたので、自分では何もできないではないか。ク虎の威を借る狐クにしかすぎないのだ」という批判を、同僚からも部下からも受けることになる。これは、管理職として絶対に耐えられない大恥辱である。

社長がいなくても立派に仕事ができる、ということを実地に証明しなければならないのだ。そのために心構えが全く違ちてしまうのである。この二つの理由によって、管理職は社長がいる時より遥かに緊張して仕事をしてくれる。

これが管理職を成長させるのだ。社長の悲願の一つである管理職の成長は、社長が会社にいないことによって大きく促進されるのである。

管理職がいつまでも成長しないから社長は外に出られないのではなくて、社長が社内に居るから管理職が成長しないのだ。管理職の成長を阻害しているのは、「穴熊社長」その人なのである。

「社長が社内にいて指導していてもダメなのだから、社長が外に出たらどんなことになるか分ったものではない。とても外へなど出られない」と考えるのは、全くの的外れなのである。

管理職を育てたかったなら、社長は社内にいてはいけないのである。社長が外に出れば、お客様の要求を知ることができると同時に管理職が育つ。「一石二鳥」とはこのことである。

社長は秘書を持て

社長は、会社の中で最も忙しい人種である。その忙しい社長の時間の使い方をみると、なんとも下手くそな社長が多すぎる。

社長がやってはいけない仕事をやり、やらなくてもよい仕事にたくさんの時間を使ってしまい、本当に大切な社長の仕事をする時間が極端に不足してしまうのである。

社長のやらなくてはならない最も大切な仕事は七つ程ある。それは、

  1. 外に出て、お客様の要求を知ることと、競合他社の情報を手に入れること
  2. 我社の方向づけをして、これを、経営計画書に明文化して社内に徹底させること
  3. プロジェクト計画書の作成や、重要な活動の基準をきめること
  4. 計画書や指令のチェックをすること
  5. クレームは必ず社長が処置を指示する
  6. 人事
  7. 資金調達

などである。最も多く時間を喰うのは、お客様訪間であり、最もうまくいかないのが「チェック」である。

ここで特に取り上げたいのはチェックである。チェックのないところ、社長の意図の実現は不可能だからである。その大切なチェックをどうするかということになると、社長は全くお手あげである。

次々に出される計画や指令も、忙しさのあまリチェックできなかったり、忘れたりしてしまう。受けた役員や管理職も忙しさのあまり、やらなくてはと思いながらも、できずに遅れていく。その遅れも社長のチェックがないためにいつしか忘れられてゆくのである。

ここに、指令は出しっ放し、聞きっ放しという無管理状態が生れる。この無管理状態が恐ろしいのだ。これは、指令が行なわれないためのデメリットだけでなく、指令が行なわれないという組織管理上の根本問題なのである。

指令が実施されないための業績低下は、想像するより遥かに大きなものなのである。

この大損害を回避するためには、どうしても秘書がいるのだ。秘書は女性でよい。秘書の仕事の第一は、社長個人(私人ではない)のいろいろな雑用の処理である。

秘書がいないと、社長個人の雑用を処理する人がいない。会社の人間は全員社長が自由に使えるようでいて、そのくせ自由には使えない。

それぞれ仕事をもっているからだ。本当のところ、社長個人の仕事については一人ぼっちで部下はいないのと同じなのだ。

一人ぼっちなるが故に、名刺の整理、書類の整理から、郵便物の処理までやらなくてはならない。新聞の切り抜きから卓上電話番号簿に電話番号の記入までやっていた社長がいる。

こんな勿体ないことはない。社長の時間はかけがえのない大切なものなのだ。こうした仕事は秘書にさせるのだ。その他の雑用― 来客の応対から社長の出張のための先方への連絡や乗車券、ホテル予約など、さまざまある。これによって、まず社長は雑用から解放される。

秘書の仕事の第二は、社長の指令のチェックをもれなく円滑に行なうための仕事である。

ここで気をつけなければならないことは、秘書にチェックをさせることは絶対にしてはならないということである。これをやらせると、社員に対する発言力を次第に持ってくるからである。秘書が社員に対してやることは唯一つ、社長の意思の伝達だけなのである。ここのケジメをハッキリとつけることが大切である。

社長の出す計画や指令は、「いつクチェックするのかを秘書にメモまたは日頭(この場合は必ず復唱するように教育する)で伝える。秘書はこれをチェック日別に整理しておき、社長が出社した時に、『何々のチェックをいつすることになっています』と報告させるのだ。社長はそれに対して予定どおりやるとか、何日に延期するとかを決め、秘書はこれを回覧やメモによって社員に伝えるのである。あとで述べるが、これは口頭ではいけない。必ずク書いたものクによって伝えることと決めておかなくてはならない。そんなことまでしなくとも……と思われるかも知れないが、これをやるとやらないでは大きな違いがあることは、やってみたら分る。そして、それはそれ程煩わしいことではないのだ。ただし、いったん指令したことの督促や駄目押しは口頭でよい。

たったこれだけのことで、その効果の大きなことは、社長自身がビックリしてしまうだろう。

社長が秘書を持つことによって、社長は初めて社長本来の仕事をするための時間を生みだすことができ、その上、チェックという社長としての最重要な仕事の一つが円滑に行なわれるようになるのである。

だから、社長が秘書を持たないのは大きな誤りをおかしていることになるのだ。

中小企業の社長の場合には、女秘書は社員が三十名程度以上では絶対に必要であるが、男の秘書はよほどの必要性でもない限り、なくてよいといえる。

男の秘書に重要な仕事をさせると、次第に社内の人々に対する発言力を持つようになって、出過ぎたことをやり、社員の批判を浴びたり、スパイ視される危険が非常に大きいことを知らなければならない。

秘書は、いかなる場合にも社長個人の仕事に限定し、社内に対する発言力は絶対に持たせてはいけないことを、重ねて強調したいのである。

秘書の仕事について注意しなければならないのは、秘書としての仕事だけでは時間が余るからといって、余った時間で他部門の仕事を手伝わせてはならない、ということである。

これをやると、秘書以外の仕事が次第に増えていって、秘書本来の仕事に支障を来すようになってしまう。たとえ、いかなることがあっても、たとえば社長が海外に長期出張というような場合にも例外をつくってはならない。

ここから崩れてゆくからである。こんな時は、秘書は自由に休暇もとれないのだから、休暇でも与えるのである。さもなければ、平素できない資料整理や情報整理をやらせるのである。

このことは、秘書のみならず社内にもよく徹底し、「秘書が遊んでいる」というような批判が出ないようにしなくてはならないのである。

とにかく、私のすすめによって秘書を持ったY社長は、『先生のすすめで秘書をおき、私が出社したら、チェックのメモ帳を差し出させることにしました。

そしてメモにもとづくチェックをまず第一に行ないましたが、その効果の絶大なのに驚いています。いままで遅々として進まなかった、さまざまな施策がウソのように実施され、懸案が次々と解決していくのです。

何だか私自身信じられない程です。いままでは、言いっ放し、聞きっ放しが、いかに多かったかがよく分りました』と私に語ってくれた。

会社の中の仕事というものは、本当のところチェックなくしては進まないといっても過言ではないのである。その大切なチェックは、秘書をおかずにはできないというのも間違いないことである。

社長秘書一人は、数十人、いや数百人分の仕事に相当する効果を発揮するものであることを知るべきである。

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