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一、成果は顧客によって得られる

目次

まえがき

会社はさまざまな人間の集団から成っている。その人間をどう動かすかで、会社の業績が大きく左右されることはいうまでもない。ところが、これがなかなか難しく、社長の思う通りには動いてくれないのである。

そのために、経営学と称する学問は、「事業とは「市場活動」であり、市場にはお客様と競争相手がいる」ことなど全く忘れて、 一途に会社の中の「人と仕事」を管理することのみに関心の焦点を合わせ、これをうまく管理することさえできれば、会社は発展するかの如き全く誤った考えを社長に植えつけてしまった。

その理論たるや、事業の経営など全く知らない専門家と称する素人の観念論にしかすぎず、とても事業に役立つような代物ではない。だいいち、お客様も競合相手もどこかへ置き忘れてきてしまっている。その上、会社の中の仕事というものは、さまざまな人々と、さまざまな仕事の組み合わせと相互関連の上にできていることを知らない「個別論」になっている。

それだけではない。この「人と仕事」の管理論は、人間性を見誤っているために、これを導入すると、人々の行動を誤った方向に向け、仕事の成果を低下させていくのである。

社長の考えと、社員の行動を、同時に誤らせてしまったという大罪を犯しているのが、伝統的な組織論と人間管理論なのである。

本書は、以上のような誤った理論の被害者である社長に、「顧客の要求を満たす」ことに焦点を合わせて「人間の集団と個人をどう指導して成果を高めてゆくか」という要請に解答を出すことを狙いとして書かれたものである。

大切なことは、「人間というものは、どういう時に、どういう考え方と行動をとるものか」ということを知らなければならないことである。

これは、社長自身の経験と、この本の実例を比較し、自らの会社に置きかえてみることによって、より深い理解が得られると思うのである。

昭和五十七年五月

一倉 定

※本書は、一九八二年に出版した一倉定の社長学シリーズ第六巻を復刻した新装版である多くの人々が、企業の成果は顧客によって得られるということを忘れ、組織をうまく管理し、日常の仕事を円滑に行なうことが企業発展の道だと思いこんでいる。

われわれは、まず、この誤りを正さなければならない。さもないと、本当の意味で優れた企業を築くことができないからである。

企業の内部に成果はない

会社というものは、人間という厄介な動物の集団である。そこには、さまざまな生い立ちを持ったさまざまな人間がおり、それぞれ年代の違い、性格、能力の違いがある。そして、感情の行き違いや自己主張のぶつかり合いから、絶え間のないトラブル集団となっている。

その集団の長である社長は、何とかしてこれらのトラブルを解消し、社員が社業に精励してもらいたいと切望している。

「社是」に「和」をかかげている会社がいかに多いかをみれば、社長の願望がよく分る。社長ならずとも、口を開けば「チームワーク」を唱う。しかし、これらの願望は、まずはかなえられない。

社長の大きな悩みの種がここにある。それなるが故に、なおのこと、人々をうまく管理することに大きな努力を傾ける。

世にある「経営学」と称する内部管理学の中心が、「組織」とその管理に関することになってしまっているのは、この辺に起因するのであろう。

そして、社長をはじめ多くの人々が、組織を管理し、チームワークをよくすることが社長の仕事の最も重要なことだという、全くの誤った考え方に陥ってしまって社長は毎日会社に出勤して精励烙勤、ただひたすら組織の管理と運営をすべきであると説いた書物ばかりが世の中に氾濫しているのも、このためである。

そのために、多くの社長が内部、内部と、会社の内部管理のみにうつつを抜かしている。そして、社長にとってもこれが最も楽な仕事であるだけに、これにのめりこんでしまう。

※内部管理が最も楽な仕事のため、没頭してしまう。

論より証拠、怠慢社長は私がいくら『お客様のところへ行け』と勧めても、なかなか行こうとしない。行ってもすぐに止めてしまう。こんな恐ろしいことはない。社長の仕事は「事業の経営」であって、会社の内部を管理することではないのだ。

事業とは、お客様をつくりだす活動である。お客様の要求を満たし、お客様をつくりだすことによって、初めて成果が得られるのである。

会社の内部には、何がどうなっていようと「費用」しかないのである。

この、分りきったことが本当の意味で分っていない社長は多い。分っているのなら会社の中になど居るわけがないのだ。

社長が会社の中に居り、お客様に関心を持たないから、お客様の要求が変ってゆくのも知らず、会社がお客様の要求とは違った方向に走ってしまい、その結果は業績不振に苦しむことになるのである。

事業は、お客様の要求を満たすこと以外の何物でもないのだ。この基本認識こそ社長のまず第一に持たなければならない最重要条件なのである。

別の云い方をすれば、会社はお客様の要求さえ満たしておれば、絶対につぶれることはないのである。

「顧客の要求を満たすための内部体勢」が組織である

企業の成果はお客様の要求を満たすことによって得られる限り、企業内の人々の考え方と行動は、すべてお客様の要求に始まり、お客様の要求に帰ってこなければならないのは当然すぎるくらい当然のことの筈である。

ところが現実にはこれとは全く反対に、お客様の要求などどこかへいってしまって、会社の中にあるのは「我社」であり、「我社」の都合だけである。

そして、これがお客様の要求を無視してお客様を怒らせてしまい、売上げを落して業績を低下させているのである。

これは一体どうしたわけなのであろうか。理由は簡単である。人間という動物はもともと自己本位にできているからである。

もう一つの理由は、お客様は会社の中にいない、ということである。目の前にいないために、つい忘れてしまうのである。

そして、毎日の仕事にのみ関心を向けてしまう。その仕事がなかなかうまい具合に進まないことが多い。そこで、「仕事をうまく進めるための理論」が生れてきた。それが「組織論」を中心とした、さまざまな内部管理の雑論である。

これらの雑論には、お客様のためという思想は全くない。そのために、お客様などどこかへ忘れてきてしまって、すべて社内の仕事に焦点を合わせてしまっている。

この顧客無視が恐ろしいのである。社内の仕事の都合がお客様の要求に優先してしまうからである。それだけではない。組織論の関心は、日常の繰返し仕事に焦点を合わせている。これは事業活動の中で最も次元の低いものなのだ。

ひたすらに低次元の対象にのめりこんで、日常の繰返し仕事の管理さえうまくいけば、事業は繁栄するかのような錯覚にとらわれてしまっている。世に広く行なわれている「企業診断」なるものの最重点勧告事項が、まさにこの組織である。この組織論が、どれだけ大きな害毒を企業に流しているか、計り知れないものがある。

われわれは、まずこの恐ろしい内部中心の組織論を捨てるところから始めなけれそして、正しい組織に関する正しい基本認識を持たなければならないのである。

その、正しい基本認識とは、「お客様に正しいサービスを行なうために、われわれはどんな体勢をとらなければならないか、どんな行動をとったらよいか」ということである。

社長たるものは、この正しい認識のもとに、我社の顧客サービス体勢をどう整備するか、これをどう指導して成果をあげるか、を考えなければならないのである。

一口に「顧客サービス」といっても、会社中が顧客指向一辺倒になるには容易なことではない。ある社長が、『一倉さん、うちの会社が仕事と技術第一主義から、顧客第一主義に変ってから一年になりますが、本当のところ、具体的にどうすることが顧客第一か分りません』と私に語った程である。

これを実現する道はどこにあるのだろうか。それは、社長が絶えずお客様のところへ行き、我社のサービスの悪いところ、行き届かないところを教えてもらい、これを直せばよいのだ。

お客様からの苦情がなくなれば、顧客サービスは及第点をとれたのだと思えばいいのである。とはいえ、これは至難の業である。お客様サービスは、受ける側からしたら、これでよいということはないからである。

企業組織は外部情勢の変化に対応しなければならない

伝統的な組織理論は、内部管理にばかり焦点を合わせてしまっているが、この誤りはどこから出てきたのであろうか。

欧米においては、中世以前には企業と呼べるようなものはなかった。十八〜九世紀頃より、家業あるいは生業とでもいうべきものが次第に大きくなり、工場の形態をとるようになった。

これらのものは、現在の企業とは違って、「工場」という色彩が濃かったのである。というのは、物を作りさえすれば売れたからである。― 現在の日本においても、七十歳以上の職人的経営者には、「いいものを作りさえすれば売れる」という意識が残っている― それは、基本的には供給不足だったからである。

その証拠に、十九世紀までは、物を作るという労働のみが唯一つの価値ある労働である、という思想があった。いかに供給不足に悩み、製造という労働が重視されたかがお分りいただけると思う。

決算報告書に、「製造原価報告書」なるものがあるのは、製造活動重視の思想の名残りなのである。江戸時代における「士農工商」という身分制は、当時の社会が生存のための農業と、生活のための工業が商業に優先して重要であったからに外ならないのである。

このように、市場と顧客を考えなくともよかった時代の会社― 実体は工場― では、内部だけを考えていればよかったのである。

そして、内部管理のお手本は、人類が昔から持っていた組織― 官僚、軍隊、宗教団体、学校などの管理思想に求めればよかったし、またそれ以外にはなかったのである。

これらの組織体には、「市場」も「顧客」もなかった。あるのは、「組織維持」という組織理論だけなのである。

組織というものは、いったんこれが生れると、「組織自体の存続」のみが最重要な命題となってしまうという恐ろしいものなのである。

組織を存続させるための最重要条件は、「変化を阻止する」ということである。変化は常に組織のピンチを意味し、指導者失脚の危険を伴うからである。

階層・部門という形態、責任権限。手続きという運営理論こそ、組織の存続に絶対的に必要な「枠組み」なのである。そして、この枠組みは神聖にして侵すべからざるものにさえなってしまっていたのである。それだけではない、この組織は絶えず税金(企業の場合は経費)を喰い続けて、「仕事量とは関係なく自己増殖をする」(これを「パーキンソンの法則」という)。

いったん「何か」が組織と利害の対立を起すと、必ず組織の利益が優先して、「何か」の利益は無視どころか抹殺されてしまうのである。

「行政改革」という官僚組織のピンチに、官僚群がいかに死にもの狂いの抵抗を示してこれを葬ってしまってきたかをみれば分る。

それどころではない。さすがのスターリンでさえ、ソ連の官僚組織に手を下すことができなかったのである。(小室直樹著「ソビエト帝国の崩壊」光文社カッパブックス刊を参照されたし)。

そして、ついには組織のよって立つ基盤― 国家さえも亡ぼしてしまうという恐ろしいものなのである。太平洋戦争が、日本陸軍が自らの組織を守るための行動― 日華事変―から引き起されたのはこれである。この恐ろしい組織理論を企業体に導入してしまったのである。

組織の暴威は、会社の業績を低下させることなど朝飯前、会社をつぶしかねない危険極まりないものなのである。

企業体という組織は、人類が昔から持っていた組織とは根本的に違うものである。その違いとは、企業体は市場― うまりお客様を持っている、というよりもお客様がなければ企業それ自体が存在しないということである。

そのお客様の要求に応えなければ企業はつぶれてしまう。そして、お客様の要求は常に変り続ける。変り続けるお客様の要求に応えるためには、企業体自身もこれに合わせて変り続けなければならないのである。

社長学シリーズ第一巻「経営戦略」篇で、「変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえること」が事業の経営である、と述べているのは、このことなのである。

市場と顧客の要求に合わせるという「変化への対応」こそ、企業の生きる唯一の道なのである。

さあ、ここである。「変化に対応」しなければ生きられない企業体に、「変化を阻止」するという特性をもった組織理論を導入してしまったのである。根本的な誤りがここにあり、悲劇の源があるのだ。

それだからこそ、組織理論に忠実であればある程企業体は混乱し、業績低下に拍車がかかり、倒産に導く大危険が待ちかまえているのである。

われわれは、この危険極まりない組織理論を捨てなければならない。そして、真に事業経営に役立つ全く新しい組織理論を打ちたてなければならない。

これが、本篇を貫くバックボーンであり、具体的にはどんなものであるかを説いたものである。

そのためには、まず、「変化を阻止する」という特性をもった旧来の組織論を槍玉にあげるのも、理解を深めるために必要ではないかと思われるので、それを次章で述べることから始めたいと思うのである。

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